Re: 感動しました! 素晴らしい報告です!

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10829. Re: 感動しました! 素晴らしい報告です!

お名前: ako
投稿日: 2008/5/11(02:25)

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泊義さん、こんにちは。akoです。
すっばらしい報告読ませていただいて、いま、コーフンのカンドー状態です。
泊義さんの格調高い報告の雰囲気を落としそうで、どうしよう〜、と思いながらですが、
とにかく感動の第一報をお伝えさせて下さい!

〉先日、『英文版 坊っちゃん - Botchan』(訳:J. Cohn)を読み、累計語数が
〉300万語を突破しました。200万語から一年以上、多読開始から三年以上経って
〉います。

300万語、そして3年経過と、「3」で迎えた縁起の良い多読報告、
おめでとうございます。
報告を拝見するのは久しぶりですが、急ぐことなく着実に読まれておられることがよく伝わってくる報告、気持ちよく読ませていただきました。

〉( 『英文版 坊っちゃん』の感想は、ブログに書きました。お読みいただけ
〉れば幸いです。

拝見しましたなもし〜。
なんとなんと、見逃せない本を読んでおられるじゃあ、ありませんか〜。
横山光輝〜! 山内センセ〜!!
(違うところで勝手にコーフン、失礼したなもし〜(笑))

引用された英文を読んだ英語母語の人が、
「namoshi」をどう感じるか、面白いと思うのかどうか、など、
ぜひ話を聞いてみたいものですな、もし〜。(しつこいですな)

今はネット利用の仕方次第で会ったことのない外国の人と話ができるそうなので(←未経験)
そういう話題をはっきりと持っている人同士なら、とても良い交友ができそうです。

〉もっとも途中、英語ゲーム(北米版ゲーム)をプレイしていた時期があり、
〉英語ゲームは語数カウントに含めなかった、という事情もあります。含めて
〉いれば、プレイした英語ゲームの「語数」は数十万語はあったでしょうから、
〉もっと早く300万語を達成していたはずです。

ブログでご紹介の応援団ゲーム、面白そう。ぜひやってみたいです!
わたし、任天堂オタクの甥の人生ゲームに負け続けでしたんで、
(なんたって、ガキは裏ワザ卑怯モードで戦ってきますの)
リベンジを狙ってます、akoオバ、黒い動機です。
ガキにゃ負けられんけんね!
泊義さんの英語ゲーム相談会(?)は参加必須。次はいつ?(笑)

〉英語ゲームをなぜ語数に含めなかったかと言うと、語数カウントをどうしたら
〉よいか迷ったことが一つあります。そしてもう一つは、300万語は100万語以上
〉に私にとってはエポックになると考えていたので、本だけの語数カウントに
〉してみた次第です。

なるほど。他の方の投稿でも時々見かけます。
たとえば絵本はカウントに入れてない、とか、ネットで読んだぶんは入れてない、とか、ありますね。
カウントに関する自己基準を、各自持ってるのは、いいことだと思います。

カウントを残すのは、後になって、いつ頃の自分はどれくらいの英語が読めていたかな〜、とか、そのころは何語読んでいたかな〜、とか、振り返った時に、自分自身が積み上げてきた歴史が自然にできていて、達成感や充実感につながるのが何よりですよね。
わたしも過去の自分のカウント手帳を何度も見てますが、
手書きの足し算の跡などが実に楽しい。(アナログ人間でー)

でも、累計総語数だけじゃなく、こうした自己基準で、カウントしたいカテゴリーを決めてあることは、自分の多読の歴史の個性が強くなって、ますます印象に残り、達成感にも独自性が持てて、良い意味での自信につながるのではないかと思います。
(もはやカウントしてない者が何を言うか、、、ですなもし)

〉今回の300万語通過報告では、私の多読エポックと位置づけた「300万語通過
〉本」に夏目漱石『坊っちゃん』の英訳を選んだ意図・理由について書いて
〉みたいと思います。そして、これは最近多読について私が考えてきたことにも
〉つながります(だからこそ、英訳『坊っちゃん』を「300万語通過本」に
〉選んだのですけど)。

そうです! 自分のエポック! 
自分のエポックを自分で設定するというのも、自立したタドキストならでは、ですね。
さすがに、100万語「超」の広場ならではの体験報告だ、と瞠目しました。

〉まず、SSSウェブサイトでも紹介されているように、『現代読書法』(1906年)
〉において漱石が「多読」を推奨していることがあります。多読の原点である
〉漱石への敬意、というのが理由その一。これは、単純ですね。

ここ(↓)ですね。
[url:http://www.seg.co.jp/sss/learning/index.html]
私も、初めてSSSのサイトを訪れた時、これらの案内ページは丁寧に読みました。
単なる英語学習の紹介とは違う魅力を感じながら。

〉理由その二からは、私が多読に感じている魅力にもつながってゆきます。
〉こんなことを思っている人が他にどのくらいいるのか、またどのくらいの人が
〉賛同してくださるのか、全く不明です。

(挙手)ハイハイハイハイ!ここにいます〜〜〜!! 
もう下のほうも先に読んでます、同じこと思ってます、
全部賛同です〜!(←なんと安易なことで、汗、汗(笑))

〉しかし、せっかくですので思い切って書いてみます。

やった〜、書いて書いて〜〜。
(泊義さんの格調を、落としてばかりだなもし)

〉漱石は、明治の英文学者であり、西欧文化と日本文化の相剋に苦悩し続けた人
〉でもあります。「現代日本の開化」で、《現代日本の開化は皮相上滑りの開化
〉である》と述べました。
〉この問題は、今なお継続中なのではないか、という見解があります。

皮相上滑りのまま明治から140年も経ってしまいましたが〜(泣)、
漱石せんせーーぃ(笑)

〉《われわれの悩みの大半をすでに明治人は味わっている。つまりわれわれは
〉ほとんど(その本質的な部分では少しも)新しくない。それを知らないのは
〉ただ不勉強のゆえである。》関川夏央・谷口ジロー『「坊っちゃん」の時代』(双葉文庫)
〉この関川夏央さんの文章に、私は同意する者です。

聖徳太子の時代からの日本の長い歴史を思えば(いや、卑弥呼からか? いや、三内丸山もある(笑))
たかだか150年程度では、民族集団の精神構造の変化が深まるには足りないのかもしれないですね。
古代の日本列島が外来文化受け入れに積極的だった期間を経て源氏物語が生まれるまでだって、数百年は経ってますしね。
(そういう問題なのかどうかはわかりませんが…)

日本人も、英語に近いところにおられる人ほど、その苦悩や葛藤、相剋は深いのではないか、と思います。(翻訳や通訳を仕事にしている友人の話を聞いての、わたしの推測です)

〉ではこれが、どう多読につながるか?ということですが、私の考えはこう
〉です。
〉英語多読は、要らぬ英語コンプレックスや英語への過剰な恐れを弛緩し、
〉健全な日-英米相互文化理解・異国間コミュニケーションの一助になり得る
〉のかもしれない…。

大賛成ですー!
「要らぬコンプレックス」というのが実に実にリアルで〜(←自分のことだから)
「要らぬコンプレックス」ということで思い出しましたが、以前、NY在住の日本人が書いたものに、類似の指摘がありました。世界共通言語が英語化することによる良し悪しや、英語を受け入れる際の、英語以外を母語とする各国、各民族集団の違いとか。書名は忘れてしまいました。。。

つまりは、明治から今、140年、黒船来航からなら150年超! 
日本人はどのように開国してきたのか、ということですよね。
もちろんそれを物心両面から考えると、モノについては世界トップレベルの生活を享受する日本ですけど(何と言っても、生まれた時からウォシュレットとケータイがある)、
教育や政治、宗教についてはどうなんでしょう。
150年後の今を、漱石氏や鴎外氏がどう言うか、聞いてみたいものです。

〉これは、酒井先生が『快読100万語!』(ちくま学芸文庫)p.242-243あたりで
〉展開された、無意味なカタカナ語・(和製?)英語表記の氾濫や「漢語の横暴」
〉への批判にも通じる話かと思います。

はい。『快読』は、わたしもかなり興奮して読みました。
多くのタドキストの多読のきっかけ本ですね。

〉鈴木孝夫さんや高島俊男さんの著作を愛読してきた私は、
〉『快読100万語!』のこのくだりを読んだ時、喝采を叫びました。

泊義さんは和書の趣味もいいですね。惚れぼれ…(迷惑か…)
え〜、脱線失礼しました。背筋を伸ばしなおしまして。。。

おそらく同じことを多くの人が、憂慮しているんだと思います。
でも、なかなか英語教育の現場が変わらない。特に中学高校の教育現場は、大学受験に焦点を合わせて組み立てられていると聞いています。
その意味でも、現職の大学の先生の立場から書かれた酒井先生の『快読100万語!』は画期的でした。

〉個人的感覚に過ぎませんが、私の場合は多読を始める前より、英語を恐れる
〉程度が多少なりとも小さくなってきたように感じてはいます(あくまで相対
〉的比較ですけど)。これは多読によって英語力が上がり自信がついたという
〉より、多読開始前から比べれば英語が身近になったから、ということかも
〉しれません。

非常に同意です。私の場合、証拠もありますの〜。(見なくていいです…。長いから(笑))
10万語[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-f-b&c=e&id=7191]
20万語[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss&c=e&id=20102]

主旨を一言に凝縮するなら、「幸福感」…という、英語と結びついたことがなかった感覚を、多読で初めて得た、ということでした。
当時、その部分について多くのご返答いただいたのも、泊義さんが今回提示された問題を、多くの人が同様に感じているからであったと思っています。

そして今日は改めて、わたしたちが実践している多読というのは、こういった、とても広い意味での効果(「効果」という即物的な言葉も使いたくないくらい、得難いもの)があるものだ、ということを再認識させていただきました。
泊義さんが、今回の投稿をしてくださったおかげです。

しかも多読によって、思いきり即物的な(?)英語成績アーップ、点数アーップ(笑)もやり方次第で期待できると思ってますので、
多読に多聴〜、一石二鳥〜、瀬戸内寂聴〜。失礼しました…。(瀬戸内先生もゴメンナサイ)

〉理由その二をまとめますと、漱石以来の彼我文化の相剋を解いてゆく一助に
〉多読はなり得るかもしれない、ということです。そして、その相剋に苦悩した
〉近代人漱石への共感、というわけです。

泊義さんが、そういう視点を内に秘めて英語と接してこられたこと、
先人への素直な敬意も含め、実に気持ちのいい報告です。惚れぼれ…。(←だから、迷惑)
泊義さんは英語有段者であることそのものを自尊心の支えにするような英語有段者ではない英語有段者になられるものと確信しております。

〉「300万語通過本」に夏目漱石『坊っちゃん』の英訳を選んだ理由その三。
〉それは、英語と英文学を学ぶ意義についてです。
〉かつては欧米列強に追いつけ・追い越せの時代であり、英語を学ぶ理由はまず
〉明らかでした。今も、仕事上必要に迫られるなら、英語を学ぶ理由は明白で
〉しょう。
〉では英文学は、と言うと——。

この話、学生時代の友人が議論してたことがあります。酔って。(笑)
この小さい日本という国の人間同士が、英語という大きな存在をめぐって、深刻に摩擦を起こす様子が恐ろしかったですが、それほどに、英語というものに魅了されているんだな〜、と思ったものでした。

〉《一体かれらの国の文学の伝統においては、政治と文学とがそんなに分かれて
〉いたものではなかった》「英文学と政治」『福原麟太郎著作集 11』(研究社)
〉英文学者・福原麟太郎は、1939年にこのように書いています。すなわち、
〉かつて英文学は、イギリス政治理解のためのインテリジェンスだったという
〉わけです。まさに実学であったのですね。

まさに第二次大戦の時ですね。
少し前は日英同盟の時代もあったというのに…。日本はどこで間違ったのか。。。
まさにこの「インテリジェンス」というカタカナ日本語の真意こそ、今、グローバリゼーションやら何やらにこじ開けられつつある日本の第二の開国にもっとも必要(あるいは、欠けている)なもののようで。
カタカタ日本語の「インテリ」のほうはすっかり減価償却してるようですが(笑)。
寅さんも映画で言ってましたしね。「するってーと、さしずめアンタ、インテリだね?」(笑)

〉しかし、別に政治家と渡り合うわけでもなく21世紀を普通に生きる我々には、
〉この用途は不要でしょう。多読でも、読むテキストは自分の興味ある分野・
〉得意な分野・仕事で必要な分野、などがお薦めとされています。
〉まったくそれで構わない、むしろそれが健全・適切、と私も思っております。

これはもう、完全に同意の同意!
だってね、幼児向け(小学生までさえ行かない(笑))の英語絵本は、
英語学習だけじゃなくて、幼児返りの楽しさあり、道徳学習にもなり、良いことづくめ。
いーにーみーにー まいみーもー!  …つ、つい、勢いで、、、失礼しました〜。

〉ただ、それでも敢えて今、英文学を学ぶ意義があるとすれば、次のようなこと
〉かと思うのです。
〉《現実はどこまでも強引に執拗に続いてゆく。決してピリオッドにならない。
〉理論や抽象的思考の一筋縄ではしばれない。それは漱石が『道草』の最後の行
〉で独語しているところであるが、あの悟りが英国人の悟りである。

参考までに『道草』から引用しますね。
『世の中に片付くなんてものはほとんどありゃしない。一遍起ったことはいつまでも続くのさ。ただいろいろな形に変るからひとにも自分にもわからなくなるだけのことさ』の下りでしょうか。
今風にいえば「終わりなき日常」か、あるいは「勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いてく〜」(ミスチルの好きな歌(笑))か。いずれにせよヴィクトリア朝かな、と思ったり。

〉彼らは現実家であるゆえに、よけい多くの現実の重圧を感じる。そのうるささと重みに
〉堪え兼ねて、それから逃げて一息つく方法を考える。そして、何とかして古い
〉過去の現実からの影響を振り捨てて、新しい現実と新しく取っ組みたい、それ
〉が現実家の意欲でもある。彼らはそこで転身の術を次第に覚えてきた。それが
〉ヒウマーであった。》「英国的笑い」『福原麟太郎著作集 11』(研究社)
〉「ヒウマー」は、ユーモアのことですね。

星飛雄馬じゃなく…(アホakoさんは放置の刑ということで…)

ユーモアは、日本語カタカナが「ユ」になってしまったのでわからなくなってしまいましたが、本来、ヒューマン、ヒューマニズムとも関係あるというではないですか。
「ヒウマー」でも「ヒューマー」でもいいから、カタカナにする時、もうちょっと考えて欲しいわねー。誰がそういうカタカナ訳語の表記を決めたのかしら。そういうの決めたところに文句いいたい。ナントカ協会とか評議会とかかしら。権力の臭いがする(笑)。

〉英文学は、大人の文学・叡智の文学
〉だと福原麟太郎は言います。ゼロ成長時代、格差社会、と明るくない問題が
〉山積みな昨今の日本ですが、そんな厳しい現実と向き合ってゆくうえで、
〉英文学が教える智恵は今後有用かもしれない、と思ったのが、「300万語通過
〉本」に英文学者・夏目漱石『坊っちゃん』の英訳を選んだ理由その三です。

単なる古典回帰としてでなく、今の時代とリンクして、読むべきものとして読まれている。この視点は、漱石の価値はもちろんですが、泊義さんの着眼点の素晴らしさと思います。このような視点で多読されている方がおられ、また、そういう方が、我が多読の友であられることを誇りに思います。
(これでさっきの放置の刑を許してもらおうという…)

〉もっとも、英文学と言っても多様でしょうし、日本文学にも例えば落語などは
〉「ヒウマー」たっぷりに現実と渡り合う智恵が詰まっているでしょう。あるい
〉は、福原麟太郎のイギリス伝統主義への憧憬は、今となっては差し引いてみる
〉べきなのかもしれません。また、英文学を学ぶにしても日本語訳で十分、と
〉いう正論も当然ありえます。

確かに。
英語以外が原著の作品に、邦訳はあるが、英語訳はない、というものもあることを考えますと、日本の翻訳文化というのは相当な水準なんだと思います。
日本語ができれば、十分に世界中の優れた書物に接することができる、という意見があることも知っています。英米発のものだけしか接したことがないというのは、世界を見る視点がアングロサクソンに偏ってしまいますし、世界は英米だけで成り立ってるわけじゃないんだ〜〜、…とは思っていても、ほら、高度な英語が読めない人が言っても説得力ないから普段は言わないだけで。(笑)

泊義さんが、英国一辺倒を礼賛しておられるわけではない、ということは、文面から十分に伝わってきます。その上でのこととして、英語におけるユーモアの真髄などは、多くの英文学にじかに英語で接してこそわかるものでしょうし、もし、日本の落語における「滑稽」や「諧謔」といったものが、英国のユーモアとどう違うのかなど知りたければ、やはり、英文学を英語で読み、そこからダイレクトに概念をつかめることには大きな意義があると思います。
その域に今、まさに届かんとしている泊義さんに、最大の賛辞を送りたい。

〉というわけで、理由その三は、かなりこじつけっぽい面があることは否めま
〉せん(笑)。

ふふふ。そういうコジツケは楽しみのうちね。

〉とまれ、「300万語通過本」に夏目漱石『坊っちゃん』の英訳を選んだ理由を
〉まとめますと——、
〉1.多読の原点である漱石への敬意
〉2.日本の近代化に関わる我々と同じ問題に悩んだであろう漱石への共感
〉3.現実を生きる智恵が詰まっているとされる英文学を学んだ先達漱石への追慕
〉となります。
〉以上、300万語通過本に英訳『坊っちゃん』を選んだ理由でした。

(1)〜(3)まで、ずらーり漱石宛て敬意尽くしで一貫してますね。

わたしは昔、漱石、漱石、と、猫も杓子も状態で、なんだか抵抗感じて避けてたことがありました。
でも、ある短編を知って以後、この大作家の本気のツボを見たような気がして以来、漱石といったらラファエル前派、というまでに印象が変貌したという体験があります。
なので、夏目漱石へのストレートな賛辞を惜しまない泊義さんの報告に、
今のわたしは拍手を惜しみません。私にとっても実にいいタイミングで、本当に嬉しい報告でした。

〉なお、上記で多読に関して述べたことは私の個人的雑感であり、「多読はかく
〉あるべし論」ではまったくありません。また私は大学は理系ですし、英文学に
〉ついて全くのド素人の戯言でございました^^;)。

はーい! 泊義さんの戯言として聞いておきますからご心配なく。
言論の自由というのは、こういうことを戯言として自由に発言できることだと思ってますから。

〉それでは皆様、今後ともよろしくお願いいたします。

大げさな題を書いてしまってすみません。
泊義さんのことですから、さぞや恐縮されていることと思いますが、
本当に素晴らしい報告です。ありがとうございました。


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10834. Re: akoさん、ありがとうございます。

お名前: 泊義 http://eigomonihongomo.blog22.fc2.com/
投稿日: 2008/5/13(00:20)

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akoさん、こんにちは。

泊義です。

〉泊義さん、こんにちは。akoです。
〉すっばらしい報告読ませていただいて、いま、コーフンのカンドー状態です。
〉泊義さんの格調高い報告の雰囲気を落としそうで、どうしよう〜、と思いながらですが、
〉とにかく感動の第一報をお伝えさせて下さい!

ありがとうございます!

〉〉先日、『英文版 坊っちゃん - Botchan』(訳:J. Cohn)を読み、累計語数が
〉〉300万語を突破しました。200万語から一年以上、多読開始から三年以上経って
〉〉います。

〉拝見しましたなもし〜。
〉なんとなんと、見逃せない本を読んでおられるじゃあ、ありませんか〜。
〉横山光輝〜! 山内センセ〜!!
〉(違うところで勝手にコーフン、失礼したなもし〜(笑))

ブログもお楽しみいただけたようで、光栄です。

〉引用された英文を読んだ英語母語の人が、
〉「namoshi」をどう感じるか、面白いと思うのかどうか、など、
〉ぜひ話を聞いてみたいものですな、もし〜。(しつこいですな)

〉今はネット利用の仕方次第で会ったことのない外国の人と話ができるそうなので(←未経験)
〉そういう話題をはっきりと持っている人同士なら、とても良い交友ができそうです。

そうですね。うまく活用できると人のネットワークの幅が拡がりそうですね。

〉ブログでご紹介の応援団ゲーム、面白そう。ぜひやってみたいです!
〉わたし、任天堂オタクの甥の人生ゲームに負け続けでしたんで、
〉(なんたって、ガキは裏ワザ卑怯モードで戦ってきますの)
〉リベンジを狙ってます、akoオバ、黒い動機です。
〉ガキにゃ負けられんけんね!
〉泊義さんの英語ゲーム相談会(?)は参加必須。次はいつ?(笑)

ははは^^;)。特に新しい英語ゲームネタがないもので。
面白い英語ゲームが見つかって、機会ができましたら、いずれ。

〉なるほど。他の方の投稿でも時々見かけます。
〉たとえば絵本はカウントに入れてない、とか、ネットで読んだぶんは入れてない、とか、ありますね。
〉カウントに関する自己基準を、各自持ってるのは、いいことだと思います。

〉カウントを残すのは、後になって、いつ頃の自分はどれくらいの英語が読めていたかな〜、とか、そのころは何語読んでいたかな〜、とか、振り返った時に、自分自身が積み上げてきた歴史が自然にできていて、達成感や充実感につながるのが何よりですよね。
〉わたしも過去の自分のカウント手帳を何度も見てますが、
〉手書きの足し算の跡などが実に楽しい。(アナログ人間でー)

〉でも、累計総語数だけじゃなく、こうした自己基準で、カウントしたいカテゴリーを決めてあることは、自分の多読の歴史の個性が強くなって、ますます印象に残り、達成感にも独自性が持てて、良い意味での自信につながるのではないかと思います。
〉(もはやカウントしてない者が何を言うか、、、ですなもし)

そうですね。語数カウントも基本的には「好きなように」でいいのだと思います。

〉そうです! 自分のエポック! 
〉自分のエポックを自分で設定するというのも、自立したタドキストならでは、ですね。
〉さすがに、100万語「超」の広場ならではの体験報告だ、と瞠目しました。

そんなに大層なものではないので、恐縮です^^;)。

〉〉まず、SSSウェブサイトでも紹介されているように、『現代読書法』(1906年)
〉〉において漱石が「多読」を推奨していることがあります。多読の原点である
〉〉漱石への敬意、というのが理由その一。これは、単純ですね。

〉ここ(↓)ですね。
[url:http://www.seg.co.jp/sss/learning/index.html]
〉私も、初めてSSSのサイトを訪れた時、これらの案内ページは丁寧に読みました。
〉単なる英語学習の紹介とは違う魅力を感じながら。

漱石も提唱していた方法(に通じる)、ということで興味を覚えた方もいるでしょうね。

〉〉理由その二からは、私が多読に感じている魅力にもつながってゆきます。
〉〉こんなことを思っている人が他にどのくらいいるのか、またどのくらいの人が
〉〉賛同してくださるのか、全く不明です。

〉(挙手)ハイハイハイハイ!ここにいます〜〜〜!! 
〉もう下のほうも先に読んでます、同じこと思ってます、
〉全部賛同です〜!(←なんと安易なことで、汗、汗(笑))

おお! こんな身近なところに賛同してくださる方がいらっしゃいましたか! 「徳孤ならず 必ず鄰あり」(『論語』里仁篇)とは、このことでしょうか(笑)。

〉〉《われわれの悩みの大半をすでに明治人は味わっている。つまりわれわれは
〉〉ほとんど(その本質的な部分では少しも)新しくない。それを知らないのは
〉〉ただ不勉強のゆえである。》関川夏央・谷口ジロー『「坊っちゃん」の時代』(双葉文庫)
〉〉この関川夏央さんの文章に、私は同意する者です。

〉聖徳太子の時代からの日本の長い歴史を思えば(いや、卑弥呼からか? いや、三内丸山もある(笑))
〉たかだか150年程度では、民族集団の精神構造の変化が深まるには足りないのかもしれないですね。
〉古代の日本列島が外来文化受け入れに積極的だった期間を経て源氏物語が生まれるまでだって、数百年は経ってますしね。
〉(そういう問題なのかどうかはわかりませんが…)

内藤湖南は、《大体今日の日本を知る為に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、応仁の乱以後の歴史を知つて居つたらそれで沢山です》と喝破しました。応仁の乱と言えば、五百年以上も前になりますね。150年の三倍程度で、ようやく「民族集団の精神構造の変化が深まる」のかもしれません。

〉日本人も、英語に近いところにおられる人ほど、その苦悩や葛藤、相剋は深いのではないか、と思います。(翻訳や通訳を仕事にしている友人の話を聞いての、わたしの推測です)

なるほど。最前線にいらっしゃる方の苦労、ということでしょうか。

〉〉ではこれが、どう多読につながるか?ということですが、私の考えはこう
〉〉です。
〉〉英語多読は、要らぬ英語コンプレックスや英語への過剰な恐れを弛緩し、
〉〉健全な日-英米相互文化理解・異国間コミュニケーションの一助になり得る
〉〉のかもしれない…。

〉大賛成ですー!
〉「要らぬコンプレックス」というのが実に実にリアルで〜(←自分のことだから)
〉「要らぬコンプレックス」ということで思い出しましたが、以前、NY在住の日本人が書いたものに、類似の指摘がありました。世界共通言語が英語化することによる良し悪しや、英語を受け入れる際の、英語以外を母語とする各国、各民族集団の違いとか。書名は忘れてしまいました。。。

大賛成のお言葉、ありがとうございます。言語はコミュニケーションのための道具と完全に割り切れればいいのですが、言語は各国・各民族の文化の根本でもある、という面もありますからね。

〉つまりは、明治から今、140年、黒船来航からなら150年超! 
〉日本人はどのように開国してきたのか、ということですよね。
〉もちろんそれを物心両面から考えると、モノについては世界トップレベルの生活を享受する日本ですけど(何と言っても、生まれた時からウォシュレットとケータイがある)、
〉教育や政治、宗教についてはどうなんでしょう。
〉150年後の今を、漱石氏や鴎外氏がどう言うか、聞いてみたいものです。

いいですね。著作を読むことはある意味著者との対話でもあると思いますので、そんなことを意識しながら漱石や鴎外を読むのも一興かもしれません。

〉〉これは、酒井先生が『快読100万語!』(ちくま学芸文庫)p.242-243あたりで
〉〉展開された、無意味なカタカナ語・(和製?)英語表記の氾濫や「漢語の横暴」
〉〉への批判にも通じる話かと思います。

〉はい。『快読』は、わたしもかなり興奮して読みました。
〉多くのタドキストの多読のきっかけ本ですね。

『快読100万語!』はユニークな文化論でもあった点に、私は惹かれました。

〉〉鈴木孝夫さんや高島俊男さんの著作を愛読してきた私は、
〉〉『快読100万語!』のこのくだりを読んだ時、喝采を叫びました。

〉泊義さんは和書の趣味もいいですね。惚れぼれ…(迷惑か…)
〉え〜、脱線失礼しました。背筋を伸ばしなおしまして。。。

〉おそらく同じことを多くの人が、憂慮しているんだと思います。
〉でも、なかなか英語教育の現場が変わらない。特に中学高校の教育現場は、大学受験に焦点を合わせて組み立てられていると聞いています。
〉その意味でも、現職の大学の先生の立場から書かれた酒井先生の『快読100万語!』は画期的でした。

そうですね。学問的にも教育的にも、最も英語を知っていらっしゃる立場からの学校英語批判は迫力がありました。自らの権益を度外視した信念による言説でもありますし。

〉〉個人的感覚に過ぎませんが、私の場合は多読を始める前より、英語を恐れる
〉〉程度が多少なりとも小さくなってきたように感じてはいます(あくまで相対
〉〉的比較ですけど)。これは多読によって英語力が上がり自信がついたという
〉〉より、多読開始前から比べれば英語が身近になったから、ということかも
〉〉しれません。

〉非常に同意です。私の場合、証拠もありますの〜。(見なくていいです…。長いから(笑))
〉10万語[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-f-b&c=e&id=7191]
〉20万語[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss&c=e&id=20102]

〉主旨を一言に凝縮するなら、「幸福感」…という、英語と結びついたことがなかった感覚を、多読で初めて得た、ということでした。
〉当時、その部分について多くのご返答いただいたのも、泊義さんが今回提示された問題を、多くの人が同様に感じているからであったと思っています。

なるほど。同じように感じていた方は、やはりいらっしゃるようですね。

〉そして今日は改めて、わたしたちが実践している多読というのは、こういった、とても広い意味での効果(「効果」という即物的な言葉も使いたくないくらい、得難いもの)があるものだ、ということを再認識させていただきました。
〉泊義さんが、今回の投稿をしてくださったおかげです。

〉しかも多読によって、思いきり即物的な(?)英語成績アーップ、点数アーップ(笑)もやり方次第で期待できると思ってますので、
〉多読に多聴〜、一石二鳥〜、瀬戸内寂聴〜。失礼しました…。(瀬戸内先生もゴメンナサイ)

多様な効用を期待できる、多彩な人の要求に対応できる、そういう点も多読の魅力ですね。。

〉〉理由その二をまとめますと、漱石以来の彼我文化の相剋を解いてゆく一助に
〉〉多読はなり得るかもしれない、ということです。そして、その相剋に苦悩した
〉〉近代人漱石への共感、というわけです。

〉泊義さんが、そういう視点を内に秘めて英語と接してこられたこと、
〉先人への素直な敬意も含め、実に気持ちのいい報告です。惚れぼれ…。(←だから、迷惑)
〉泊義さんは英語有段者であることそのものを自尊心の支えにするような英語有段者ではない英語有段者になられるものと確信しております。

「近代日本」は、以前から私にとって大きなテーマですので。これは別段、愛国心とかそういうつもりではないのですけど。「いま・ここ」にいる自分に交差する時間軸としての近代、空間軸としての日本、そういう意味で近代日本については考え続けざるを得ないなあ、と漠然とではありますが思ってきた次第です。

ま、英語有段者にはまだまだ当分なれそうにもないのですけど^^;)。

〉〉「300万語通過本」に夏目漱石『坊っちゃん』の英訳を選んだ理由その三。
〉〉それは、英語と英文学を学ぶ意義についてです。
〉〉かつては欧米列強に追いつけ・追い越せの時代であり、英語を学ぶ理由はまず
〉〉明らかでした。今も、仕事上必要に迫られるなら、英語を学ぶ理由は明白で
〉〉しょう。
〉〉では英文学は、と言うと——。

〉この話、学生時代の友人が議論してたことがあります。酔って。(笑)
〉この小さい日本という国の人間同士が、英語という大きな存在をめぐって、深刻に摩擦を起こす様子が恐ろしかったですが、それほどに、英語というものに魅了されているんだな〜、と思ったものでした。

良くも悪くも、人は言語にコミュニケーションのための道具以上のものを感じてしまうのかもしれませんね。特に英語は、世界を席巻した英米の言語ですから。

〉〉《一体かれらの国の文学の伝統においては、政治と文学とがそんなに分かれて
〉〉いたものではなかった》「英文学と政治」『福原麟太郎著作集 11』(研究社)
〉〉英文学者・福原麟太郎は、1939年にこのように書いています。すなわち、
〉〉かつて英文学は、イギリス政治理解のためのインテリジェンスだったという
〉〉わけです。まさに実学であったのですね。

〉まさに第二次大戦の時ですね。
〉少し前は日英同盟の時代もあったというのに…。日本はどこで間違ったのか。。。
〉まさにこの「インテリジェンス」というカタカナ日本語の真意こそ、今、グローバリゼーションやら何やらにこじ開けられつつある日本の第二の開国にもっとも必要(あるいは、欠けている)なもののようで。
〉カタカタ日本語の「インテリ」のほうはすっかり減価償却してるようですが(笑)。
〉寅さんも映画で言ってましたしね。「するってーと、さしずめアンタ、インテリだね?」(笑)

幸か不幸か、最近はインテリジェンス・ブームですので、実のあるインテリジェンスの技術が根付くことが大切になりますね。

〉〉しかし、別に政治家と渡り合うわけでもなく21世紀を普通に生きる我々には、
〉〉この用途は不要でしょう。多読でも、読むテキストは自分の興味ある分野・
〉〉得意な分野・仕事で必要な分野、などがお薦めとされています。
〉〉まったくそれで構わない、むしろそれが健全・適切、と私も思っております。

〉これはもう、完全に同意の同意!
〉だってね、幼児向け(小学生までさえ行かない(笑))の英語絵本は、
〉英語学習だけじゃなくて、幼児返りの楽しさあり、道徳学習にもなり、良いことづくめ。
〉いーにーみーにー まいみーもー!  …つ、つい、勢いで、、、失礼しました〜。

はい。英語絵本の魅力は、私も私になりに存じております(笑)。

〉〉ただ、それでも敢えて今、英文学を学ぶ意義があるとすれば、次のようなこと
〉〉かと思うのです。
〉〉《現実はどこまでも強引に執拗に続いてゆく。決してピリオッドにならない。
〉〉理論や抽象的思考の一筋縄ではしばれない。それは漱石が『道草』の最後の行
〉〉で独語しているところであるが、あの悟りが英国人の悟りである。

〉参考までに『道草』から引用しますね。
〉『世の中に片付くなんてものはほとんどありゃしない。一遍起ったことはいつまでも続くのさ。ただいろいろな形に変るからひとにも自分にもわからなくなるだけのことさ』の下りでしょうか。
〉今風にいえば「終わりなき日常」か、あるいは「勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いてく〜」(ミスチルの好きな歌(笑))か。いずれにせよヴィクトリア朝かな、と思ったり。

おお、『道草』の引用ありがとうございます。《世の中に片付くなんてものはほとんどありゃしない》の有名なフレーズしか知りませんでした(笑)。

それにしても、ミスチルの「Tomorrow never knows」とは! 学生時代好きだった思い出の一曲です。ちなみに、同ミスチルの「終わりなき旅」もこの話題に相応しそうです。

〉〉彼らは現実家であるゆえに、よけい多くの現実の重圧を感じる。そのうるささと重みに
〉〉堪え兼ねて、それから逃げて一息つく方法を考える。そして、何とかして古い
〉〉過去の現実からの影響を振り捨てて、新しい現実と新しく取っ組みたい、それ
〉〉が現実家の意欲でもある。彼らはそこで転身の術を次第に覚えてきた。それが
〉〉ヒウマーであった。》「英国的笑い」『福原麟太郎著作集 11』(研究社)
〉〉「ヒウマー」は、ユーモアのことですね。

〉星飛雄馬じゃなく…(アホakoさんは放置の刑ということで…)

〉ユーモアは、日本語カタカナが「ユ」になってしまったのでわからなくなってしまいましたが、本来、ヒューマン、ヒューマニズムとも関係あるというではないですか。
〉「ヒウマー」でも「ヒューマー」でもいいから、カタカナにする時、もうちょっと考えて欲しいわねー。誰がそういうカタカナ訳語の表記を決めたのかしら。そういうの決めたところに文句いいたい。ナントカ協会とか評議会とかかしら。権力の臭いがする(笑)。

そうですね。翻訳そのものの限界はあるのでしょうけど、なるべく言葉の連関を断ち切らない訳語・表記であるべきですよね。

〉〉英文学は、大人の文学・叡智の文学
〉〉だと福原麟太郎は言います。ゼロ成長時代、格差社会、と明るくない問題が
〉〉山積みな昨今の日本ですが、そんな厳しい現実と向き合ってゆくうえで、
〉〉英文学が教える智恵は今後有用かもしれない、と思ったのが、「300万語通過
〉〉本」に英文学者・夏目漱石『坊っちゃん』の英訳を選んだ理由その三です。

〉単なる古典回帰としてでなく、今の時代とリンクして、読むべきものとして読まれている。この視点は、漱石の価値はもちろんですが、泊義さんの着眼点の素晴らしさと思います。このような視点で多読されている方がおられ、また、そういう方が、我が多読の友であられることを誇りに思います。
〉(これでさっきの放置の刑を許してもらおうという…)

ひたすら恐縮です^^;)。最近の亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』を頂点とする新訳古典ブームも、同様かと思います。私の着眼も、そういう世の読書趨勢の影響を受けてのものだったかもしれません。

〉〉もっとも、英文学と言っても多様でしょうし、日本文学にも例えば落語などは
〉〉「ヒウマー」たっぷりに現実と渡り合う智恵が詰まっているでしょう。あるい
〉〉は、福原麟太郎のイギリス伝統主義への憧憬は、今となっては差し引いてみる
〉〉べきなのかもしれません。また、英文学を学ぶにしても日本語訳で十分、と
〉〉いう正論も当然ありえます。

〉確かに。
〉英語以外が原著の作品に、邦訳はあるが、英語訳はない、というものもあることを考えますと、日本の翻訳文化というのは相当な水準なんだと思います。
〉日本語ができれば、十分に世界中の優れた書物に接することができる、という意見があることも知っています。英米発のものだけしか接したことがないというのは、世界を見る視点がアングロサクソンに偏ってしまいますし、世界は英米だけで成り立ってるわけじゃないんだ〜〜、…とは思っていても、ほら、高度な英語が読めない人が言っても説得力ないから普段は言わないだけで。(笑)

私も例えば、母語による高等教育が可能であったことは、日本の近代化へ大きく寄与したと思います。私も英米中心視点にとらわれたくはないのですが、英語ができない私が言っても負け惜しみに聞こえるのは悩ましいく悲しいところです(笑)。

〉泊義さんが、英国一辺倒を礼賛しておられるわけではない、ということは、文面から十分に伝わってきます。その上でのこととして、英語におけるユーモアの真髄などは、多くの英文学にじかに英語で接してこそわかるものでしょうし、もし、日本の落語における「滑稽」や「諧謔」といったものが、英国のユーモアとどう違うのかなど知りたければ、やはり、英文学を英語で読み、そこからダイレクトに概念をつかめることには大きな意義があると思います。
〉その域に今、まさに届かんとしている泊義さんに、最大の賛辞を送りたい。

いや、その域にはまだ、全然届こうとはしておりませぬよ(笑)。

日本の「滑稽」「諧謔」と英国のユーモアの違いが分かる男には、憧れますけど。でも、漱石はまさにそういう人だったのでしょうね。

〉〉とまれ、「300万語通過本」に夏目漱石『坊っちゃん』の英訳を選んだ理由を
〉〉まとめますと——、
〉〉1.多読の原点である漱石への敬意
〉〉2.日本の近代化に関わる我々と同じ問題に悩んだであろう漱石への共感
〉〉3.現実を生きる智恵が詰まっているとされる英文学を学んだ先達漱石への追慕
〉〉となります。
〉〉以上、300万語通過本に英訳『坊っちゃん』を選んだ理由でした。

〉(1)〜(3)まで、ずらーり漱石宛て敬意尽くしで一貫してますね。

〉わたしは昔、漱石、漱石、と、猫も杓子も状態で、なんだか抵抗感じて避けてたことがありました。
〉でも、ある短編を知って以後、この大作家の本気のツボを見たような気がして以来、漱石といったらラファエル前派、というまでに印象が変貌したという体験があります。
〉なので、夏目漱石へのストレートな賛辞を惜しまない泊義さんの報告に、
〉今のわたしは拍手を惜しみません。私にとっても実にいいタイミングで、本当に嬉しい報告でした。

akoさんを瞠目させたその「ある短編」が気になりまする。

漱石は、当然偉大な人ですけど、同時に惨めな面やへそ曲がりな性格を併せ持つ点が、また好きです。

なお私は、何かと何かを結びつけたり、何かを共通項として括って物事を考えることが好きなのです。今回、漱石を共通項として多読について思うところを書いてみました。

〉〉なお、上記で多読に関して述べたことは私の個人的雑感であり、「多読はかく
〉〉あるべし論」ではまったくありません。また私は大学は理系ですし、英文学に
〉〉ついて全くのド素人の戯言でございました^^;)。

〉はーい! 泊義さんの戯言として聞いておきますからご心配なく。
〉言論の自由というのは、こういうことを戯言として自由に発言できることだと思ってますから。

はい。その余裕が助かります。

〉〉それでは皆様、今後ともよろしくお願いいたします。

〉大げさな題を書いてしまってすみません。
〉泊義さんのことですから、さぞや恐縮されていることと思いますが、
〉本当に素晴らしい報告です。ありがとうございました。

こちらこそ、本当にありがとうございました。
akoさんのコメント、私が思い至らなかった視点も満載で大変刺戟を受けました。

これからも、よろしくお願いいたします。

 泊義


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10840. Re: お問い合わせ?にお答えしてたら…

お名前: ako
投稿日: 2008/5/19(13:34)

------------------------------

予想より長くなってしまいまして…。
泊義さん、再びこんにちは。akoです。
まったりペースな返答ですみません。
部分レスで、ちょっと文章の流れが悪いかもしれないですが追加返答です。

〉〉泊義さんの英語ゲーム相談会(?)は参加必須。次はいつ?(笑)

〉ははは^^;)。特に新しい英語ゲームネタがないもので。
〉面白い英語ゲームが見つかって、機会ができましたら、いずれ。

急かすようなことを言ってすみませ〜ん。
すでにご紹介いただいているゲームでたっぷり時間かかりそうなので、
当分(それもかなり(笑))だいじょうぶです。

〉〉全部賛同です〜!(←なんと安易なことで、汗、汗(笑))

〉おお! こんな身近なところに賛同してくださる方がいらっしゃいましたか! 
〉「徳孤ならず 必ず鄰あり」(『論語』里仁篇)とは、このことでしょうか(笑)。

有朋自「網」方来、不亦楽乎ですね。(←必死で調べ(爆)ちょっとだけ変更)

〉〉古代の日本列島が外来文化受け入れに積極的だった期間を経て源氏物語が生まれるまでだって、数百年は経ってますしね。
〉〉(そういう問題なのかどうかはわかりませんが…)

〉内藤湖南は、《大体今日の日本を知る為に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、応仁の乱以後の歴史を知つて居つたらそれで沢山です》と喝破しました。応仁の乱と言えば、五百年以上も前になりますね。150年の三倍程度で、ようやく「民族集団の精神構造の変化が深まる」のかもしれません。

素晴らしい! さすが引用で登場する人も、泊義さんならではの人選。
このへんだけ漢字が多くて画面が黒い〜(爆)
内藤湖南の生没年調べましたが、漱石と同世代なんですね。
京の都の中心部(碁盤目エリア)の現代人のメンタリティも、
応仁の乱あたり以降の歴史体験に深く関係していると聞いたことがありますから、応仁の乱以降を知ってればよし、というのはアリかも。
でも平安時代と鎌倉時代はやっぱ外したくないですねー。
いちみさんざん、ほうじょうし〜(笑)
湖南先生の主旨は、近代を知るためなら、という限定付きかのかな。

〉「近代日本」は、以前から私にとって大きなテーマですので。これは別段、愛国心とかそういうつもりではないのですけど。「いま・ここ」にいる自分に交差する時間軸としての近代、空間軸としての日本、そういう意味で近代日本については考え続けざるを得ないなあ、と漠然とではありますが思ってきた次第です。

ぜひ今後も、思考を深めてください。また近い将来に話題にいたしましょう。
もっとも私たちの話すことなどすべて漱石先生が言ったことを繰り返すだけかもしれませんけどね。(笑)
…と書きつつ、今の私たちの時代が漱石が見抜いた通りになっていることには背筋が震えてます。

〉ま、英語有段者にはまだまだ当分なれそうにもないのですけど^^;)。

はるか長い道のりを歩き始めた君に幸せあれ。(長渕剛です)

〉それにしても、ミスチルの「Tomorrow never knows」とは! 学生時代好きだった思い出の一曲です。

わー、泊義さんも! もう何度きいたかしれません。名曲、名歌詞ですよね。

〉ちなみに、同ミスチルの「終わりなき旅」もこの話題に相応しそうです。

ご紹介ありがとうございます。
こちらはまだ知らなかったです。早速、聞いてみたいと思います!

〉〉漱石の価値はもちろんですが、泊義さんの着眼点の素晴らしさと思います。このような視点で多読されている方がおられ、また、そういう方が、我が多読の友であられることを誇りに思います。

〉ひたすら恐縮です^^;)。最近の亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』を頂点とする新訳古典ブームも、同様かと思います。私の着眼も、そういう世の読書趨勢の影響を受けてのものだったかもしれません。

まだ読んではいませんが、亀山先生の訳は躍動感があって素晴らしいそうですね。
今後、多読によって英語を獲得する日本人も増えていくと考えると、
もしかしたら、日本の翻訳界も相当、変貌するかもしれません。
今からわくわく。長生きしなきゃ〜!

〉〉英語におけるユーモアの真髄などは、多くの英文学にじかに英語で接してこそわかるものでしょうし、もし、日本の落語における「滑稽」や「諧謔」といったものが、英国のユーモアとどう違うのかなど知りたければ、やはり、英文学を英語で読み、そこからダイレクトに概念をつかめることには大きな意義があると思います。
〉〉その域に今、まさに届かんとしている泊義さんに、最大の賛辞を送りたい。

〉いや、その域にはまだ、全然届こうとはしておりませぬよ(笑)。
〉日本の「滑稽」「諧謔」と英国のユーモアの違いが分かる男には、憧れますけど。でも、漱石はまさにそういう人だったのでしょうね。

その昔、違いのわかる男がイギリスの古城でインスタントコーヒー飲んでました、ダバダ〜(笑)
どうも失礼…。ついつい。

泊義さんは、ご自身の憧れ通りになられるものと確信します。
安易なお世辞を言ってるわけではなく、
こうありたいと思っておられることが、すでに、そうあることを半分は実現していると思うから。

〉〉夏目漱石へのストレートな賛辞を惜しまない泊義さんの報告に、
〉〉今のわたしは拍手を惜しみません。私にとっても実にいいタイミングで、本当に嬉しい報告でした。

〉akoさんを瞠目させたその「ある短編」が気になりまする。

むふふふふ。。。。。 
わたしのほうで勝手にお問い合わせと思うことにしたのは、ここでした。
ヒント:エジプト(笑)

〉漱石は、当然偉大な人ですけど、同時に惨めな面やへそ曲がりな性格を併せ持つ点が、また好きです。

これを機に、ちょっと全集を見てみましたら、かわいいところもありました。
あの夏目漱石の句にこんなのがあって。(笑)

淋しいな妻ありてこそ冬籠

そばにいたらどんな話する人だったんでしょうね。

〉なお私は、何かと何かを結びつけたり、何かを共通項として括って物事を考えることが好きなのです。今回、漱石を共通項として多読について思うところを書いてみました。

いいですね!
共通項を括って…、のくだりでは因数分解を思い出しましたが(笑)、世の中の出来事も同じですよね。
一見、関連がなさそうに見えることも実は深いところで共通しているものがあった、というのを自分で見つけた時の喜びは格別。

〉akoさんのコメント、私が思い至らなかった視点も満載で大変刺戟を受けました。

うわー、漢字の文字選び一つにもご自身の指針をお持ちの泊義さんから、
そのように言っていただけるなんて、望外の喜びです。
アカデメイアにいるようです。
あら、アルカディアだったかしら。どっちでもいいや。(←それは宇宙海賊の船(笑))

ではいろいろ余談、脱線、失礼いたしました。
素敵な投稿に、魂まで活性化したような気持ちです。


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10841. Re: お問い合わせ?にお答えしてたら…

お名前: 泊義 http://eigomonihongomo.blog22.fc2.com/
投稿日: 2008/5/21(00:47)

------------------------------

akoさん、こんにちは。

泊義です。

〉予想より長くなってしまいまして…。
〉泊義さん、再びこんにちは。akoです。
〉まったりペースな返答ですみません。
〉部分レスで、ちょっと文章の流れが悪いかもしれないですが追加返答です。

いくらでも、どうぞ!

〉急かすようなことを言ってすみませ〜ん。
〉すでにご紹介いただいているゲームでたっぷり時間かかりそうなので、
〉当分(それもかなり(笑))だいじょうぶです。

どうもです。また最近、英語ゲームを物色しようかなあ、という気が出てきてはおります。

〉有朋自「網」方来、不亦楽乎ですね。(←必死で調べ(爆)ちょっとだけ変更)

『論語』の冒頭、学而篇第一章ですね。「遠」を「網」に変えられるこういう発想・遊び心、私が及びつかない点です。「網」は「ネット」だと解釈しました。「ネット上で思いがけず友だちからコメントもらえると、なんとも楽しい」という感じでしょうか。

〉素晴らしい! さすが引用で登場する人も、泊義さんならではの人選。
〉このへんだけ漢字が多くて画面が黒い〜(爆)
〉内藤湖南の生没年調べましたが、漱石と同世代なんですね。

一年だけ内藤湖南が先輩のようです。まさに同世代ですね。

ちなみに、漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨が全員慶応三年生まれです。そこに着目した、坪内祐三『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り —漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』という本もありました。

〉京の都の中心部(碁盤目エリア)の現代人のメンタリティも、
〉応仁の乱あたり以降の歴史体験に深く関係していると聞いたことがありますから、応仁の乱以降を知ってればよし、というのはアリかも。
〉でも平安時代と鎌倉時代はやっぱ外したくないですねー。
〉いちみさんざん、ほうじょうし〜(笑)
〉湖南先生の主旨は、近代を知るためなら、という限定付きかのかな。

私が持ち出しておいてなんですけど、湖南の見解もあくまで一つの興味深い説、と捉えればいいかと思いました。必ずしも全面的に賛成する必要はないかと。特に歴史認識などは、偉い学者同士でも見解が食い違うことはしばしばあるようですから。

例えば、内藤湖南と並び称される歴史学者に津田左右吉がいますが、この二人、「東洋」に対する考えが正反対だったらしいです。

って、私なぞよりはるかに歴史に詳しいakoさんにこんな話、釈迦に説法ですね。失礼しました〜。

〉ぜひ今後も、思考を深めてください。また近い将来に話題にいたしましょう。
〉もっとも私たちの話すことなどすべて漱石先生が言ったことを繰り返すだけかもしれませんけどね。(笑)
〉…と書きつつ、今の私たちの時代が漱石が見抜いた通りになっていることには背筋が震えてます。

そうですね。ただ、その時代の当事者として、当事者の私たちにしかできないこともやはりあるような気もしています。漱石が奨めた「多読」に対して、より一般人が無理なく行なるよう、酒井先生が「多読」を再定義されたように…。

〉〉ま、英語有段者にはまだまだ当分なれそうにもないのですけど^^;)。

〉はるか長い道のりを歩き始めた君に幸せあれ。(長渕剛です)

はーい。「三歩進んで二歩下が」りながら、かもしれませんけど(笑)。

〉わー、泊義さんも! もう何度きいたかしれません。名曲、名歌詞ですよね。

いいですよねー。

〉〉ちなみに、同ミスチルの「終わりなき旅」もこの話題に相応しそうです。

〉ご紹介ありがとうございます。
〉こちらはまだ知らなかったです。早速、聞いてみたいと思います!

どうぞー。

〉〉ひたすら恐縮です^^;)。最近の亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』を頂点とする新訳古典ブームも、同様かと思います。私の着眼も、そういう世の読書趨勢の影響を受けてのものだったかもしれません。

〉まだ読んではいませんが、亀山先生の訳は躍動感があって素晴らしいそうですね。
〉今後、多読によって英語を獲得する日本人も増えていくと考えると、
〉もしかしたら、日本の翻訳界も相当、変貌するかもしれません。
〉今からわくわく。長生きしなきゃ〜!

光文社古典新訳文庫は、その兆候かもしれませんね。

〉〉いや、その域にはまだ、全然届こうとはしておりませぬよ(笑)。
〉〉日本の「滑稽」「諧謔」と英国のユーモアの違いが分かる男には、憧れますけど。でも、漱石はまさにそういう人だったのでしょうね。

〉その昔、違いのわかる男がイギリスの古城でインスタントコーヒー飲んでました、ダバダ〜(笑)
〉どうも失礼…。ついつい。

(笑)。

〉泊義さんは、ご自身の憧れ通りになられるものと確信します。
〉安易なお世辞を言ってるわけではなく、
〉こうありたいと思っておられることが、すでに、そうあることを半分は実現していると思うから。

孔子も「仁遠からんや。我れ仁を欲すれば、斯に仁至る」(『論語』述而篇)と言っていたのを思い出しました。しかしやはり、買いかぶり過ぎですよ〜(笑)。徹頭徹尾、恐縮です^^;)。

〉〉akoさんを瞠目させたその「ある短編」が気になりまする。

〉むふふふふ。。。。。 
〉わたしのほうで勝手にお問い合わせと思うことにしたのは、ここでした。
〉ヒント:エジプト(笑)

エジプト…。うーん、エジプトの首都はカイロ…。カイロ、カイロ…。
あっ! 『薤露行(かいろこう)』ですね!

アーサー王伝説の漱石アレンジでしたか。読んだはずなのですが、記憶に残っておりません(笑)。読み手の問題ですね^^;)。

多読によって以前よりもアーサー王伝説に馴染んだ今なら、『薤露行』に感銘を受けるかもしれません。

って、これで『薤露行』が正解でなかったら、恥しいなあ(笑)。

〉これを機に、ちょっと全集を見てみましたら、かわいいところもありました。
〉あの夏目漱石の句にこんなのがあって。(笑)

〉淋しいな妻ありてこそ冬籠

たしかに、微笑ましい俳句ですね。
それにしても、すぐに全集をひもとかれる時点で、やはり私はakoさんに敵いませぬ^^;)。

〉そばにいたらどんな話する人だったんでしょうね。

内田百閒など門下生が残した漱石にまつわる文章を読んでみると、多少は窺い知れるのでしょうね。

〉いいですね!
〉共通項を括って…、のくだりでは因数分解を思い出しましたが(笑)、世の中の出来事も同じですよね。
〉一見、関連がなさそうに見えることも実は深いところで共通しているものがあった、というのを自分で見つけた時の喜びは格別。

はい。そういうつながり・共通点を見つけたり、既存のものを組み合わせることが、「アイデア」なのかも、と思ったりもします。

〉〉akoさんのコメント、私が思い至らなかった視点も満載で大変刺戟を受けました。

〉うわー、漢字の文字選び一つにもご自身の指針をお持ちの泊義さんから、
〉そのように言っていただけるなんて、望外の喜びです。

いやー、そんな大層な指針ではありませんけど。

〉アカデメイアにいるようです。
〉あら、アルカディアだったかしら。どっちでもいいや。(←それは宇宙海賊の船(笑))

『宇宙海賊キャプテンハーロック』は、シブくていいですよね!

〉ではいろいろ余談、脱線、失礼いたしました。
〉素敵な投稿に、魂まで活性化したような気持ちです。

こちらこそ、ありがとうございました。
それでは、また。

 泊義


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10842. Re: アルカディア号から正解でーす

お名前: ako
投稿日: 2008/5/25(12:02)

------------------------------

泊義さん、こんにちは、akoです。
正解のご返答だけでも早急にお知らせすべきところ、ヤボ用でちと遅れましてすみませんでした。

では気分を変えまして、アルカディア号、カクテルラウンジへようこそ。(^^)v
右手に見えますのは〜、マゼラン星雲でございま〜す。

〉〉有朋自「網」方来、不亦楽乎ですね。(←必死で調べ(爆)ちょっとだけ変更)

〉『論語』の冒頭、学而篇第一章ですね。「遠」を「網」に変えられるこういう発想・遊び心、私が及びつかない点です。

『エンタの神様』でもご覧になればすぐに及びつきますですよ。(笑)(テレビ番組名です)
それより、私の投稿文はネット上からコピーして漢字を並べただけだったのに、それが論語の有名どころだとわかるって、すごいです。

〉「網」は「ネット」だと解釈しました。「ネット上で思いがけず友だちからコメントもらえると、なんとも楽しい」という感じでしょうか。

はーい、その通りです。
人間が感じることは論語の時代と変わらない気がしてます。

〉ちなみに、漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨が全員慶応三年生まれです。そこに着目した、坪内祐三『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り —漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』という本もありました。

ガイコツだってー!(大笑い)←かなりウケた。
ちょっと、私、そんな名前の人、知らなかったので調べさせていただきました。
そしたら、まあ何と面白い人! 
私がやりたそうなこと全部やってるー! これは負けられん。
泊義さん、ヤバい本をご紹介いただきましたことよ。(笑)

それにしても、こうしてファーストネームだけ並べると、
いくらペンネームとは言え明治人も個性強くて面白いですねえ。

それにしても慶応3年って!
1867年なんですね、明治維新の前の年じゃぁ、ありませんか!びっくりです。
特異点なのかしら。沸点でも臨界でもいいけど。
理系出身と書いておられる泊義さん相手にデタラメ言うワタシ。
無知な部外者が安易にあてはめてるだけです。

お詫びに慶応3年生まれを調べてみたら豊田佐吉とかキュリー夫人、大草原のローラ・インガルスも!
翌1868年ですと秋山真之、徳富蘆花、北村透谷、横山大観!
なんときらびやかなメンツが揃って、その上、ニコライ2世まで登場!
(突如ロシアへワープ)皇帝閣下!我が日本が誇る秋山(弟)氏と同級生であられたとは。因縁の日露戦争、めくるめく運命に熱が出そうであります。
今頃は同期会やろうなんて言って、天界で飲み会でもやってるかしら(してないか…)、でもなんか楽しいですね。

〉〉湖南先生の主旨は、近代を知るためなら、という限定付きかのかな。

〉必ずしも全面的に賛成する必要はないかと。特に歴史認識などは、偉い学者同士でも見解が食い違うことはしばしばあるようですから。例えば、内藤湖南と並び称される歴史学者に津田左右吉がいますが、この二人、「東洋」に対する考えが正反対だったらしいです。

歴史界は(英語界ほどかどうかは知りませんが(笑))やや論争が多いかも、ですね。
思想に命賭ける人もいますから本当の真剣勝負で、実に知り甲斐があります。
でも、理系の世界も同じ?ですよね。

〉って、私なぞよりはるかに歴史に詳しいakoさんにこんな話、釈迦に説法ですね。失礼しました〜。

シロートの横好き相手にそのようなお戯れを(笑)。
ネット時代は誰でも物知りになれますから、
詳しいかどうかというより、対話相手の方と視点の違いを知るほうが楽しいです。

〉ただ、その時代の当事者として、当事者の私たちにしかできないこともやはりあるような気もしています。漱石が奨めた「多読」に対して、より一般人が無理なく行なるよう、酒井先生が「多読」を再定義されたように…。

そうか! 再定義! 新しい革袋ね!
先人に何でも見通されて、こちらはもうやることが残されてないように感じてしまってましたが、我々も、酒井先生のように今の時代ならではの新しさを見出していきたいですね。

〉「三歩進んで二歩下が」りながら、かもしれませんけど(笑)。

水前寺流!

〉〉安易なお世辞を言ってるわけではなく、
〉〉こうありたいと思っておられることが、すでに、そうあることを半分は実現していると思うから。

〉孔子も「仁遠からんや。我れ仁を欲すれば、斯に仁至る」(『論語』述而篇)と言っていたのを思い出しました。

うわー、論語のその言葉、知らなかったです。
孔子と同じようなことを思っていたなんて、光栄の至り。
太陽系の人類も素晴らしいですねー。

〉しかしやはり、買いかぶり過ぎですよ〜(笑)。徹頭徹尾、恐縮です^^;)。

むふふふふふ…。
日本人だけの世界では、そのように恐縮しててちょうどいいかもしれませんけど。

〉〉わたしのほうで勝手にお問い合わせと思うことにしたのは、ここでした。
〉〉ヒント:エジプト(笑)

〉エジプト…。うーん、エジプトの首都はカイロ…。カイロ、カイロ…。

ほっカイロ。

〉あっ! 『薤露行(かいろこう)』ですね!

ピンポーン! 
この漢字、何度見ても読み方を覚えられないので、エジプトと相成りまして(笑)

〉アーサー王伝説の漱石アレンジでしたか。読んだはずなのですが、記憶に残っておりません(笑)。読み手の問題ですね^^;)。

いやー、もう映像が出てくるような話で。ランスロット様…。
脳内イメージはラファエル前派の絵なんですが、アーサー・ラッカムも素敵よね…。(多読の絵本の会の影響がプラスされた)

〉多読によって以前よりもアーサー王伝説に馴染んだ今なら、『薤露行』に感銘を受けるかもしれません。
〉って、これで『薤露行』が正解でなかったら、恥しいなあ(笑)。

正解ですので、安心して再読なさって下され。
ただし、私の感銘ポイントはかなりズレてますから…、
王妃とランスロット様の話ですしね… そればっかし(笑)

〉〉淋しいな妻ありてこそ冬籠

〉たしかに、微笑ましい俳句ですね。
〉それにしても、すぐに全集をひもとかれる時点で、やはり私はakoさんに敵いませぬ^^;)。

パラパラ眺めることを「ひもとく」と言えるかどうか。
いただいた言葉で思ったのは、本が手近にあるというのは、やはり意味のあることだなあということでした。(自宅の蔵書というだけでなく、図書館が近くというのも含めてです)

なお関係ありそうなことを調べたくなるのは泊義さんに触発されてのことであります。

〉〉あら、アルカディアだったかしら。どっちでもいいや。(←それは宇宙海賊の船(笑))

〉『宇宙海賊キャプテンハーロック』は、シブくていいですよね!

ご存じで嬉しい〜。LPレコードも持ってま〜す。(…何時代の話)
ではまた、ネット宇宙のどこかでお会いしましょう〜


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10843. Re: アルカディア号から正解でーす

お名前: 泊義 http://eigomonihongomo.blog22.fc2.com/
投稿日: 2008/5/26(22:35)

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akoさん、こんにちは。

泊義です。

〉正解のご返答だけでも早急にお知らせすべきところ、ヤボ用でちと遅れましてすみませんでした。

いえいえ。お気になさらず。

〉では気分を変えまして、アルカディア号、カクテルラウンジへようこそ。(^^)v
〉右手に見えますのは〜、マゼラン星雲でございま〜す。

地球は遠くなりにけり、な場所に来てしまいましたか〜。

〉〉〉有朋自「網」方来、不亦楽乎ですね。(←必死で調べ(爆)ちょっとだけ変更)

〉〉『論語』の冒頭、学而篇第一章ですね。「遠」を「網」に変えられるこういう発想・遊び心、私が及びつかない点です。

〉『エンタの神様』でもご覧になればすぐに及びつきますですよ。(笑)(テレビ番組名です)
〉それより、私の投稿文はネット上からコピーして漢字を並べただけだったのに、それが論語の有名どころだとわかるって、すごいです。

『論語』は、以前ほんの少し学んだことがありますので。とは言え、これは『論語』で最も有名な章ですので、わかったことは全然自慢になりません^^;)。

〉〉「網」は「ネット」だと解釈しました。「ネット上で思いがけず友だちからコメントもらえると、なんとも楽しい」という感じでしょうか。

〉はーい、その通りです。
〉人間が感じることは論語の時代と変わらない気がしてます。

人間の本源的な感情とは、そういうものかもしれませんね。

〉〉ちなみに、漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨が全員慶応三年生まれです。そこに着目した、坪内祐三『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り —漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』という本もありました。

〉ガイコツだってー!(大笑い)←かなりウケた。
〉ちょっと、私、そんな名前の人、知らなかったので調べさせていただきました。
〉そしたら、まあ何と面白い人! 
〉私がやりたそうなこと全部やってるー! これは負けられん。
〉泊義さん、ヤバい本をご紹介いただきましたことよ。(笑)

赤瀬川原平『外骨という人がいた!』(ちくま文庫)に、《宮武外骨ってこれ、人の名前か何なのか》とあります(笑)。

宮武外骨は、「過激にして愛嬌あり」を自称した、博識にして反骨のジャーナリスト・パロディストです。と言っても、私もくわしくは知らないのですけど^^;)。

どうやらakoさんの琴線に触れてしまったようですね。エラい人を紹介してしまったかも(笑)。

〉それにしても、こうしてファーストネームだけ並べると、
〉いくらペンネームとは言え明治人も個性強くて面白いですねえ。

明治は何かと騒がしかった時代ですから、個性の強い人も多く輩出されたのでしょうね。

〉それにしても慶応3年って!
〉1867年なんですね、明治維新の前の年じゃぁ、ありませんか!びっくりです。
〉特異点なのかしら。沸点でも臨界でもいいけど。
〉理系出身と書いておられる泊義さん相手にデタラメ言うワタシ。
〉無知な部外者が安易にあてはめてるだけです。

まったくの偶然なのか何らかの必然なのか、そういうことを考察してみるのも、歴史を学ぶ楽しみかと思います。

〉お詫びに慶応3年生まれを調べてみたら豊田佐吉とかキュリー夫人、大草原のローラ・インガルスも!
〉翌1868年ですと秋山真之、徳富蘆花、北村透谷、横山大観!
〉なんときらびやかなメンツが揃って、その上、ニコライ2世まで登場!
〉(突如ロシアへワープ)皇帝閣下!我が日本が誇る秋山(弟)氏と同級生であられたとは。因縁の日露戦争、めくるめく運命に熱が出そうであります。
〉今頃は同期会やろうなんて言って、天界で飲み会でもやってるかしら(してないか…)、でもなんか楽しいですね。

壮観ですねえ。司馬遼太郎『坂の上の雲』に、正岡子規も秋山真之もニコライニ世も出てきたのを思い出します。

〉歴史界は(英語界ほどかどうかは知りませんが(笑))やや論争が多いかも、ですね。
〉思想に命賭ける人もいますから本当の真剣勝負で、実に知り甲斐があります。
〉でも、理系の世界も同じ?ですよね。

純粋な自然科学の場合、「反証されえない理論は科学的ではない」というポパーの科学論が客観性を一応は担保してくれそうです。でも、ポパー以外の科学論(クーン、ファイヤアーベント等)もありますし、宇宙論、量子力学の解釈問題、超ひも理論、進化論などは、ポパーの科学定義に収まりきらない気もします。

結局、つき詰めれば自然科学も、世界観の衝突に行き着くのかもしれません。さらに自然科学に限定しない理系の世界全般となれば、なおさらでしょう。

〉シロートの横好き相手にそのようなお戯れを(笑)。
〉ネット時代は誰でも物知りになれますから、
〉詳しいかどうかというより、対話相手の方と視点の違いを知るほうが楽しいです。

「対話相手の方と視点の違いを知る」、いいですね。すべての視点が全く違えば、そもそも「対話」が成立しないでしょうから、バランスも重要かもしれませんね。akoさんからは、共感する視点と思いもよらない視点と、いつもいい刺戟をもらっております。

〉そうか! 再定義! 新しい革袋ね!
〉先人に何でも見通されて、こちらはもうやることが残されてないように感じてしまってましたが、我々も、酒井先生のように今の時代ならではの新しさを見出していきたいですね。

いくら漱石でも、100%すべて見通せていたわけはないはずですからね。人間は不完全ですから、この世から問題が消滅することもないので、我々がやることがなくなることはないでしょう^^;)。

〉〉孔子も「仁遠からんや。我れ仁を欲すれば、斯に仁至る」(『論語』述而篇)と言っていたのを思い出しました。

〉うわー、論語のその言葉、知らなかったです。
〉孔子と同じようなことを思っていたなんて、光栄の至り。
〉太陽系の人類も素晴らしいですねー。

人類史上最初の思想家、孔子の面目躍如!

〉〉エジプト…。うーん、エジプトの首都はカイロ…。カイロ、カイロ…。

〉ほっカイロ。

さすが、絶妙なる合いの手のタイミングと言葉の選択です。文章のリズムを自家薬籠中の物とされているakoさんの力量には毎度感服します。

〉〉あっ! 『薤露行(かいろこう)』ですね!

〉ピンポーン! 
〉この漢字、何度見ても読み方を覚えられないので、エジプトと相成りまして(笑)

たしかに、むつかしい漢字です^^;)。

〉〉アーサー王伝説の漱石アレンジでしたか。読んだはずなのですが、記憶に残っておりません(笑)。読み手の問題ですね^^;)。

〉いやー、もう映像が出てくるような話で。ランスロット様…。
〉脳内イメージはラファエル前派の絵なんですが、アーサー・ラッカムも素敵よね…。(多読の絵本の会の影響がプラスされた)

そんな映像的な小説でしたか。私が持っている1930年(昭和五年)版の『倫敦塔・幻影の盾 他五篇』(岩波文庫)にも『薤露行』が所収されていますので、機をみて再読してみます。

〉正解ですので、安心して再読なさって下され。
〉ただし、私の感銘ポイントはかなりズレてますから…、
〉王妃とランスロット様の話ですしね… そればっかし(笑)

正解と聞いてホッとしました。これでようやく、枕を高くして寝ることができます(笑)。

〉〉それにしても、すぐに全集をひもとかれる時点で、やはり私はakoさんに敵いませぬ^^;)。

〉パラパラ眺めることを「ひもとく」と言えるかどうか。
〉いただいた言葉で思ったのは、本が手近にあるというのは、やはり意味のあることだなあということでした。(自宅の蔵書というだけでなく、図書館が近くというのも含めてです)
脳の外部にある情報へのアクセスのしやすさ・スピード、というテーマかもしれませんね。

〉なお関係ありそうなことを調べたくなるのは泊義さんに触発されてのことであります。

うう、恐縮のきわみです^^;)。

〉〉『宇宙海賊キャプテンハーロック』は、シブくていいですよね!

〉ご存じで嬉しい〜。LPレコードも持ってま〜す。(…何時代の話)
〉ではまた、ネット宇宙のどこかでお会いしましょう〜

マンガは、全巻読みました。アニメのオープニングとエンディングの曲も、一応聴いたことはあります。というわけで(?)、結語を以下のようにしてみた次第です(笑)。

(ネット)宇宙の海はおれの海♪

君が気に入ったなら この(多読という)船に乗れ♪


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