「投げる」というよりも

[掲示板: 〈過去ログ〉本のこと何でも -- 最新メッセージID: 3237 // 時刻: 2024/5/14(23:16)]

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2590. 「投げる」というよりも

お名前: 杏樹
投稿日: 2008/5/15(22:28)

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極楽トンボさん、主観の新茶さん

〉〉 私は、このSSSで、はじめて「本を投げる」という言葉を知りましたが、私には、この意味がよくわかりません。本や作家や本を読むのを投げるという言い方は、おそらく一般社会の用語ではないと思われます。
〉〉 「本を投げる」「本を読むのを投げる」とは、「仕事を投げる」とか、「思案首を投げる」という使い方と同種なのでしょうか。

〉SSS三原則の3番目、「つまらなくなったらやめる」のことですね。辞書を引かずに、わかるところをつなげて読み、それで読むのがつまらない本は、読むのをやめるということです。こういう洋書の読み方は、勉強法としては、それほど一般的ではないと思います。

3原則の3番目はそのときによって「つまらない本は後回し」「つまらない本はやめる」という風に言われます。「投げる」だと表現が過激ではないかという意見もあり、「つまらない本は後回し」という言い方が普通になっているはずです。

〉それが証拠に?、多くのタドキストの人々は、読んで楽しくないのに、その本を投げることができないのは、英語を学習するという気分が抜けないまま多読をしていることの証拠のようにみなすことが多いように思います。タドキストの人たちのように、英語の書物を楽しく読むことが習慣となっている人たちにとっては「本を投げること」など当たり前のことで、(不射の射じゃないけど)達人になると意識すらしていないかもしれません。

つまらない本をやめるのは、けっこう難しいです。もう少し読んだら面白くなるかもしれない、せっかくここまで読んだのにやめるのは惜しい、などなど、思い切りよくやめるのにはけっこう葛藤があるものです。

〉わたしは、SSSの掲示板を通じて、外国語の勉強は、外国語を使う時の自分の人格を作り上げる作業のような印象を得ています。だから、できれば、日本語での人格形成と同じように、効率だけを重視するのではなく、楽しい英語体験を豊富にすることによって自分の英語人格を形成したいような気がします。しかし楽しい英語体験というのも抽象的でよくわからないし、一方で効率を求める気持ちも強く、どうしていいかわからずいらいらします。ただいんちき多読といんちきシャドウイングでお茶を濁しています。

これは日本語でもそうですが、面白い本を読むと、夢中になってどんどん進んで止まらなくなって一気に読んでしまって「あー、面白かった」という満足感を感じます。しかし課題や何かで読まなくてはならない本をムリヤリ読むと、なかなか内容が頭に入らなかったり読むのに時間がかかっててこずったりします。
英語の本もそうです。「おもしろい」と思える本を読むと早く読めて内容がしっかりつかめます。ですから面白くない本を読むのは効率が悪く、面白い本を読む方が効率がいいのです。
「あー、面白かった」と心底思える本に出会ったら多読の本当の効果がわかると思います。私にとってそのきっかけになったのはロアルド・ダールの本でした。でも誰もがダールの本を読んだらそう感じるとは限りません。

多読で一番努力を必要とするのは実はそこなんです。自分が面白いと思う本は何か、自分が興味のあることを見つめなおすことです。他人のお勧め本はあくまでも目安です。自分が面白いと感じるのはどんなことか、自分が興味を引かれるのはどんなことかを自分の感覚でつかむことです。その感覚に従って面白い本を探すのが大切です。


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2593. Re: 「投げる」というよりも

お名前: 極楽トンボ
投稿日: 2008/5/16(20:21)

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杏樹さん、こんにちは!
メッセージありがとうございます!

〉〉SSS三原則の3番目、「つまらなくなったらやめる」のことですね。辞書を引かずに、わかるところをつなげて読み、それで読むのがつまらない本は、読むのをやめるということです。こういう洋書の読み方は、勉強法としては、それほど一般的ではないと思います。

〉3原則の3番目はそのときによって「つまらない本は後回し」「つまらない本はやめる」という風に言われます。「投げる」だと表現が過激ではないかという意見もあり、「つまらない本は後回し」という言い方が普通になっているはずです。

無責任な書き込みをしておりますわたしもさすがにここは、慎重を期してSSSホームページを確認して書き込みました。「投げ技」という言葉でタドキストの間で一般的に呼び習わされていて、わたしもこれまでの投稿でこの言葉を使ってきました。その「本を投げる」という原則にかんして、主観の新茶さんが疑問をお持ちになったという経緯があります。それで、こういう会話を掲示板上でしております。決して「投げる」という言葉で神聖なる多読三原則を揶揄するつもりはありません。うーん、弁解すればするほどおかしな感じが漂うのは何故?つまり、他意はありません。

〉〉それが証拠に?、多くのタドキストの人々は、読んで楽しくないのに、その本を投げることができないのは、英語を学習するという気分が抜けないまま多読をしていることの証拠のようにみなすことが多いように思います。タドキストの人たちのように、英語の書物を楽しく読むことが習慣となっている人たちにとっては「本を投げること」など当たり前のことで、(不射の射じゃないけど)達人になると意識すらしていないかもしれません。

〉つまらない本をやめるのは、けっこう難しいです。もう少し読んだら面白くなるかもしれない、せっかくここまで読んだのにやめるのは惜しい、などなど、思い切りよくやめるのにはけっこう葛藤があるものです。

すいません、勝手に架空のタドキスト像をこしらえて一般化して論じたりして。私もタドキスト、風上には置けないとは思いますが、そのはしくれでありました。三原則って人によってどれか難しかったり易しかったりするんですよね。わたしも辞書の説明を読まないことだけ得意です。用例を見るのは好きですが。あ、でもそれは中国語の場合です。

〉〉しかし楽しい英語体験というのも抽象的でよくわからないし、一方で効率を求める気持ちも強く、どうしていいかわからずいらいらします。

〉これは日本語でもそうですが、面白い本を読むと、夢中になってどんどん進んで止まらなくなって一気に読んでしまって「あー、面白かった」という満足感を感じます。

面白くて、夢中になってどんどん進んでとまらなくなって一気にと読んでしまって「あー、面白かった」という満足感ですか!そんなの何十年もごぶさたしているような気がします。面白くてつい一気に読んでしまうというのはたまにありますよ。プロ野球の歴代の名選手を比較する本とか、要するに読まなくてもいいようなどうでもよい本でしか最近はそういう経験はありません。でも、読後は「あーまたくだらないの読んじゃった」という悔恨を感じます。昔はこうじゃなかったような気がするんですけどねー。どうしてこうなっちゃったんでしょうねえ。情けない限りです。

最近、VOAスペシャルでルー・ゲーリックの特集がありました。わたしは多聴三原則を堅く守っておりますので、内容は理解しないようにしているし、実際ほとんどの番組は理解できないのですが、こういう番組だけはどうしても聴いてわかってしまいます。

しかし課題や何かで読まなくてはならない本をムリヤリ読むと、なかなか内容が頭に入らなかったり読むのに時間がかかっててこずったりします。
〉英語の本もそうです。「おもしろい」と思える本を読むと早く読めて内容がしっかりつかめます。ですから面白くない本を読むのは効率が悪く、面白い本を読む方が効率がいいのです。

おっしゃるとおりです。わたしは効率を重んじておりますから、面白い本を求めております。

〉「あー、面白かった」と心底思える本に出会ったら多読の本当の効果がわかると思います。私にとってそのきっかけになったのはロアルド・ダールの本でした。でも誰もがダールの本を読んだらそう感じるとは限りません。

ダールはとってもおもしろいと思いました。まだチョコファクとエノーマス・クロコダイルと、マジック・フィンガーとお化け桃の冒険しか読んでいませんが、今後網羅的に読もうと思っています。悪い子を改悛させようとか、弱者を保護してやろうとか、動物や昆虫の命より人間の命が大事とかいうそぶりをまったく見せない児童書というのはかなりウルトラCなんじゃないかと思います。70万語くらいでチョコファクが楽しく読めた時にはシメタ!と思ったんですけどねえ。

〉多読で一番努力を必要とするのは実はそこなんです。自分が面白いと思う本は何か、自分が興味のあることを見つめなおすことです。他人のお勧め本はあくまでも目安です。自分が面白いと感じるのはどんなことか、自分が興味を引かれるのはどんなことかを自分の感覚でつかむことです。その感覚に従って面白い本を探すのが大切です。

杏樹さんのおっしゃることはいつも一貫していて説得力もあると思います。そのとおりだと思います。でも本当のことを言うと、本を読んで心の底から楽しい経験なんて、一生にそうはないでしょ?そんなに面白い本なんてそこらにころがってるわけないんですよ。杏樹さんは本を楽しく読む才能に恵まれているという意味で幸福なんですよ。わたしは、ほんのちょっと楽しいぐらいで妥協したいと思います。自分は本当にこの本を楽しんでいるのかなんて、判断するのにすごい難しい問題だと思いますよ。本を読んでいる時にそういうことを考え出すと、いつもわたしは自縄自縛に陥りそうになります。

そのうえわたしの場合、最近ORTを読んでてつくづく思ったんですけど、面白そうだなと思うとすぐ、わが心の英文和訳マシーンが発動してしまうんです。しかも不気味なことに、多読を始めてから翻訳マシーンの性能も上がってきたような気もするんです。こわいよー。英文和訳マシーンが発動しないように読む方法をいろいろ試しましたが、結局むりやり速く読むことぐらいしか適当な方法がないようです(といっても分速150語くらいです)。すると、うわすべりしてしまうんです。マシーンがついてこれない程度には速く読まなくてはならないし、一方で上滑りしない程度にゆっくり読まないといけないんです。これは苦しいです。速く読めば細部の理解を犠牲にしなくてはならないし、楽しく読もうと思うと自分ではなくてマシーンが読み始めてしまうのですから。

こうなったら、多聴三原則を流用して、できるだけ内容を理解しないように脳内音読するという方法もいいかもしれませんね。読まずに読むなんて、不射の射なみにかっこいいよね。ルー・ゲーリックの伝記だったら、もしかしたら可能かもしれない。中国語を読む時はこんなにひどくないんですけどねえ。


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2599. Re: 「投げる」というよりも

お名前: 杏樹
投稿日: 2008/5/17(00:45)

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極楽トンボさん、こんにちは。

〉ダールはとってもおもしろいと思いました。まだチョコファクとエノーマス・クロコダイルと、マジック・フィンガーとお化け桃の冒険しか読んでいませんが、今後網羅的に読もうと思っています。悪い子を改悛させようとか、弱者を保護してやろうとか、動物や昆虫の命より人間の命が大事とかいうそぶりをまったく見せない児童書というのはかなりウルトラCなんじゃないかと思います。70万語くらいでチョコファクが楽しく読めた時にはシメタ!と思ったんですけどねえ。

そうですか。それはけっこう有望です。ダールの本は広いレベルに渡ってありますから、まだまだ楽しめると思います。やはり「いい子」の建前を吹き飛ばすようなところがいいですね。

〉〉多読で一番努力を必要とするのは実はそこなんです。自分が面白いと思う本は何か、自分が興味のあることを見つめなおすことです。他人のお勧め本はあくまでも目安です。自分が面白いと感じるのはどんなことか、自分が興味を引かれるのはどんなことかを自分の感覚でつかむことです。その感覚に従って面白い本を探すのが大切です。

〉杏樹さんのおっしゃることはいつも一貫していて説得力もあると思います。そのとおりだと思います。でも本当のことを言うと、本を読んで心の底から楽しい経験なんて、一生にそうはないでしょ?そんなに面白い本なんてそこらにころがってるわけないんですよ。杏樹さんは本を楽しく読む才能に恵まれているという意味で幸福なんですよ。わたしは、ほんのちょっと楽しいぐらいで妥協したいと思います。自分は本当にこの本を楽しんでいるのかなんて、判断するのにすごい難しい問題だと思いますよ。本を読んでいる時にそういうことを考え出すと、いつもわたしは自縄自縛に陥りそうになります。

確かに夢中になって止まらない、というのはそうたびたびはありません。だからこそ、自分が何を「楽しい」と思うのかを追求する必要があるんです。大人になって世間のアカもついてしまうと、単純に「楽しいこと」を考えたりするのができなくなってきます。世の中はそんな甘いもんじゃないとか、楽しいもんじゃないとか、ネガティブな考えを「賢い」世渡りだと思うようにもなってきます。そこをひっくり返して「楽しいこと」を追求しようというと、素直に実行できないものです。

私が多読を始めたころはまだ人数も少なくて、紹介されている本も少なくて、だからこそ誰もが「がまくんとかえるくん」「おさるのジョージ」を読んでいることを前提に話が出来ました。いいトシして真剣にがまくんのあそこがおもしろい、ここが感動した、などと話し合ったものです。
今は本が多すぎて、レベルもさまざまで、なかなかそういう話で盛り上がることがなくなってきたようです。でもそのころは本当に多くのタドキストが真剣に「がまくんとかえるくん」を楽しんでいたのです。今の状況ですと、そういう気持ちになるのは難しいかもしれません。しかし自分にとって楽しいこと、好きなこと、興味のあることを追求していくのは大切です。しかしそれが多読の一番大切なことですが、一番難しいことなのかもしれません。少しずつでいいですから、自分にとって「楽しい」ことを探していってください。

さて、和訳についてはあまり気にしないでいいと思います。もし直訳ではない「翻訳」になっているのなら、なおさら気にしなくてもいいと思います。ずいぶん高性能なマシーンのようですから、無理に停止させるのはむずかしそうですので、ほっときましょう。やはり本を読むならちゃんと理解できるものを読んだほうがいいです。「読まずに読む」もおもしろい方法ですので、わかるものを読むのと平行して進めて行けばいいと思います。


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2604. 訂正その他

お名前: 極楽トンボ
投稿日: 2008/5/18(16:00)

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杏樹さん、こんにちは
ちょっと前便の訂正その他です。

〉確かに夢中になって止まらない、というのはそうたびたびはありません。だからこそ、自分が何を「楽しい」と思うのかを追求する必要があるんです。大人になって世間のアカもついてしまうと、単純に「楽しいこと」を考えたりするのができなくなってきます。世の中はそんな甘いもんじゃないとか、楽しいもんじゃないとか、ネガティブな考えを「賢い」世渡りだと思うようにもなってきます。そこをひっくり返して「楽しいこと」を追求しようというと、素直に実行できないものです。

ちょっと意地悪な言い方をしてすいませんでした。どうかお気になさらず。わたし、楽しくなくても退屈してても平気な方なので、がんばって楽しくしないと駄目かな、とわたしも思います。

〉私が多読を始めたころはまだ人数も少なくて、紹介されている本も少なくて、だからこそ誰もが「がまくんとかえるくん」「おさるのジョージ」を読んでいることを前提に話が出来ました。いいトシして真剣にがまくんのあそこがおもしろい、ここが感動した、などと話し合ったものです。
〉今は本が多すぎて、レベルもさまざまで、なかなかそういう話で盛り上がることがなくなってきたようです。でもそのころは本当に多くのタドキストが真剣に「がまくんとかえるくん」を楽しんでいたのです。今の状況ですと、そういう気持ちになるのは難しいかもしれません。しかし自分にとって楽しいこと、好きなこと、興味のあることを追求していくのは大切です。しかしそれが多読の一番大切なことですが、一番難しいことなのかもしれません。少しずつでいいですから、自分にとって「楽しい」ことを探していってください。

『がまくんとかえるくん』のこと、すっかり忘れていたので、思い出させてくださり、ありがとうございます。あれは、多読を開始して間もないころだと思いますが、がまくんとかえるくんのシリーズとカセットを購入して、カセットを通勤時間に熱心に聴いていました。本は、カセットで聴いてだいたいわかるようになったら読もうと思って読まずにとってありました。一ヶ月くらい毎日聴いて、やっと一つ目のお話がわかりました。二つ目のお話も一生懸命聴いたのですが、3週間くらい聴き続けたところで、息切れしてやめてしまいました。それで、本はそのままどっかいってしまっし、カセットもその後、MP3プレーヤーに移行したので聴かなくなってしまったのです。ちょっと探してまた聴いてみます。いまならちょっとはわかるようになったかなあ?でも、物語って耳で聴いてわかるのすっごく難しいからなあ。

そんなわけで、がまくんとかえるくん、聴くだけで疲れきってしまって楽しむどころではありませんでした。その後、三木卓訳を読んでみました。まりあさんのいうところの「もこもこ感」がしました。別に悪い訳だとはおもいませんが。原作のほうが簡潔で引き締まっていると思いました。その点、おさるのジョージの日本語訳は簡潔でいいと思いました。

〉さて、和訳についてはあまり気にしないでいいと思います。もし直訳ではない「翻訳」になっているのなら、なおさら気にしなくてもいいと思います。ずいぶん高性能なマシーンのようですから、無理に停止させるのはむずかしそうですので、ほっときましょう。やはり本を読むならちゃんと理解できるものを読んだほうがいいです。「読まずに読む」もおもしろい方法ですので、わかるものを読むのと平行して進めて行けばいいと思います。

ちょっと気になって、あれから上滑りしない程度に遅く、翻訳マシーンがついてこれない程度に速い読速を計りなおしてみたら、だいたい分速130語くらいだということがわかりました。訂正します。


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