Re: 言語を理解する上で西欧思想の正確で実のある議論 (acha758さんへのお詫び付き)

[掲示板: 〈過去ログ〉多読と英語学習・試験に関する掲示板 -- 最新メッセージID: 1756 // 時刻: 2024/4/28(21:04)]

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268. Re: 言語を理解する上で西欧思想の正確で実のある議論 (acha758さんへのお詫び付き)

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/18(23:58)

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たかぼんさん、お返事ありがとう。
主観の新茶です。

私は、古代ギリシアから古代ローマ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパを経て、現代まで連綿と続く「法と道徳、法と正義の関係など」についての西欧の「客観的な歴史的評価」についての通説を書いたのです。

客観的事実としての歴史上の思想の把握=通説と、その好き嫌いを分けて、説明いただくと良いと思います。

歴史的には、法と正義、道徳についてさえ、「通説」と異なる見解を有する思想家は、古代ギリシア、古代ローマの思想家にもいましたが、たかぼんさんの指摘されるように、19世紀の法実証主義の人々も、法に正義(正義を通じて道徳を実現すると考えれば道徳でもよい。)という理念を包含させることを拒否しました。
法実証主義の人々は、「悪法もまた法である」と述べて、自然法思想を否定しました。
法実証主義の人々にとって、西欧の歴史としての理念は、通説のとおりだと認めざるを得ないとしても、上記の点で通説の見解には賛成できないと考え、理念の変更を主張しました。
しかし、西洋の理念の通説には、なれませんでした。

たかぼんさんは、現在の気持ちとしても、西欧の通説に、必ずしも賛同できないという見解でもあり、日本人には、結構、多いとされています。
たかぼんさんの基本理念は、西洋の通説と違います。

また、現代に視点を移すと、現代のように複雑な社会では、法と道徳がストレートに結びつかない分野が増加したという意識は、むしろ通説でしょう。
それは、西欧でも日本でも、言うまでもないことです。

しかし、ここでの問題は、脈々として生きている西洋の基本理念は何かを把握することです。

一般的に、西欧にいうところの道徳、正義及び法などについての「歴史」において、書籍で通説として説明されているのは、(1)西洋人は、法を、理念と見ていること、(2)理念とは、現実の世界で努力して実現すべき理想状態であるということ、(3)古代ギリシア、古代ローマ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパ、現代ヨーロッパの法の制定とその運用と人々の日常の法意識とを歴史的に調べていくと、西洋では、正義の実現が法そのものであり、道徳の昇華が法であると考えられてきたということです。

文献2をも、参考に読んでみて下さい。
たかぼんさんの疑問も、あらゆる意味で、氷解すると思います。

もし、たかぼんさんが、著書を読んだ上で、また、投稿されるのであれば、歓迎します。
たかぼんさんの基本理念が、通説に変更されるのであれば、・・・・・。

最後に、英語学習に関係ないと思われる方もいるかもしれないので、少し論考の主題を移しますが、たとえば、ホーソンの緋文字は、道徳=法=正義の強烈な精神的束縛を前提とする小説と理解することが可能であり、英語の小説を読む場合には、西洋の思想・理念の正確な把握が必要ともいえるでしょう。


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271. Re: 言語を理解する上で西欧思想の正確で実のある議論

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/19(01:27)

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主観の新茶さん、こんばんは。たかぽんです。

〉たかぼんさん、お返事ありがとう。
〉主観の新茶です。

〉私は、古代ギリシアから古代ローマ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパを経て、現代まで連綿と続く「法と道徳、法と正義の関係など」についての西欧の「客観的な歴史的評価」についての通説を書いたのです。

そうなんですか。
古代ギリシアから古代ローマ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパ、現代までって、
一貫しているわけではないと思いますし、それに大陸法、英米法など、地域でもずいぶん違うと思います。
特に中世から近代への転換期、啓蒙主義以後の考え方はガラッと変わっているのではないでしょうか。
私が学校で習ったところでも、近代法のひとつのメルクマールとして、「法と道徳との峻別」
というものがあったと思います。それは、近代主権国家というものの成立とともに、
「法の宗教離れ」が起こった結果ではないかと思います。

〉客観的事実としての歴史上の思想の把握=通説と、その好き嫌いを分けて、説明いただくと良いと思います。

はい、もちろんそうしているつもりです。
近代で法と道徳が分離されたはずなのに、法と道徳とがごっちゃになっているような考え方が、
今の西洋の法の考え方も説明する通説だとは、どうにも信じがたいのですが、
という疑問を呈しているだけです。

〉歴史的には、法と正義、道徳についてさえ、「通説」と異なる見解を有する思想家は、古代ギリシア、古代ローマの思想家にもいましたが、たかぼんさの指摘されるように、19世紀の法実証主義の人々も、法に正義(正義を通じて道徳を実現すると考えれば道徳でもよい。)という理念を包含させることを拒否しました。
〉法実証主義の人々は、「悪法もまた法である」と述べて、自然法思想を否定しました。
〉法実証主義の人々にとって、西欧の歴史としての理念は、通説のとおりだと認めざるを得ないとしても、上記の点で通説の見解には賛成できないと考え、理念の変更を主張しました。
〉しかし、西洋の理念の通説には、なれませんでした。

はい、ですから、前のレスでも申しましたように、近代法が宗教的権威から離れた結果、
何を正しい法とするかの拠り所を失ってしまい、それを「理性」や「一般意思」
などに求めたのだと思います。そして結局、「みんなで決めた」というところに
正当性の根拠を求めることになりますが、みんなで決めた以上は正しいのだからと、
それ以上の正当性の判断を放棄したのが、おそらく法実証主義で、それは
ワイマール憲法下のドイツにおいて採られていた考え方だったと思います。
しかし、第2次大戦後、ナチス支配の反省などから、あまりの価値相対主義、
法律万能主義はいかがなものかということになって、ドイツも実質的法治国家に移行した、
ということだと思います。つまり、みんなで作ったので一応正しいとするが、
憲法に照らして審査する余地を認める。
ですが、その際に、どういう法が正しい法か?の基準について、宗教的な道徳に
戻るという選択は行なわれていないと思います。戻れば中世に逆戻りです。
そうではなく、あくまでも根本的な「法」に照らすという行き方がとられていると思います。

〉たかぼんさんは、現在の気持ちとしても、西欧の通説に、必ずしも賛同できないという見解でもあり、日本人には、結構、多いとされています。
〉たかぼんさんの基本理念は、西洋の通説と違います。

いえ、そもそも、道徳と法を一緒くたにするというのが、西洋の通説であるというのが、
どうにも信じられないというか、ほんとですか?と思うだけです。

〉また、現代に視点を移すと、現代のように複雑な社会では、法と道徳がストレートに結びつかない分野が増加したという意識は、むしろ通説でしょう。
〉それは、西欧でも日本でも、言うまでもないことです。

あれ・・・
いや、現代だけでなく、中世から近代に移行する時点で、法と道徳を分ける、
というふうになったのではなかったでしょうか?

〉しかし、ここでの問題は、脈々として生きている西洋の基本理念は何かを把握することです。

もし、そのような法と道徳を同じとする基本理念があったとしても、
近代・現代には断絶した、ということになりそうですね。

〉一般的に、西欧にいうところの道徳、正義及び法などについての「歴史」において、書籍で通説として説明されているのは、(1)西洋人は、法を、理念と見ていること、(2)理念とは、現実の世界で努力して実現すべき理想状態であるということ、(3)古代ギリシア、古代ローマ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパ、現代ヨーロッパの法の制定とその運用と人々の日常の法意識とを歴史的に調べていくと、西洋では、正義の実現が法そのものであり、道徳の昇華が法であると考えられてきたということです。

正義の実現が法、とは言えると思いますが、その「正義」について、近代以降は少なくとも、
法的正義と道徳的正義は分けられる、とされてるんじゃないでしょうか。
道徳と法を直結させない、というのは、もう何百年前に克服された課題だと思います。

ちょっとここで、刑法ですが、昔使った教科書を引っ張り出してみます。
(前田雅英『刑法総論講義』第3版)

「西欧近代の刑法は,それ以前の旧体制下の刑法を乗り越える形で形成された.
中世の刑法の特色は,干渉性,恣意性,身分性,苛酷性の4点にまとめることができる。
まず,中世においては,法と宗教・道徳が未分離であったため,法律が個人の
内面生活にまで深く干渉していた.・・・」(p.17)

また、近代革命に非常に大きな影響を与えたとされるベッカリーアの『犯罪と刑罰』について、

「彼は啓蒙主義哲学を基本に,社会契約論により国家の刑罰権を基礎づける.
そして(1)社会・市民の利益の外形的な侵害のみが犯罪たり得るとして干渉性を批判し,・・・」(p.18)

そして、西欧近代の刑法理論の基礎を形成した学者の一人、カントについて、

「法は個人の道徳には干渉し得ないとして,刑罰の干渉性を厳しく排除した.
カントの刑法理論の第一の特色はこの刑罰の干渉性の排除から導かれる
法と倫理の峻別にある。」(同頁)

さらに、近代刑法学の父と称されるフォイエルバッハについて、

「彼はカントの「法と倫理の峻別」の考え方を受け継ぎ,権利侵害のみが犯罪であるとして
干渉性を批判した(権利侵害説).」(p.19)

このように、法と宗教・道徳との分離は、近代でとっくに終わっているのではないかと思います。

ただ、「道徳」を国家秩序維持のための倫理と読み替えるならば、
その倫理から法は生まれている、と見る余地もあると思います。
ヘーゲルについて、

「ヘーゲルの刑法理論の第二の特色は,カント,フォイエルバッハが重視した
個人の利益に代え,国家の利益を強調した点にある.国家を「理性と倫理そのもの」
と規定し,国家は刑罰を加えることにより法と正義を回復するとしたのである.」(p.20)

ただ、この場合の倫理も、近代国家を前提とした国家倫理であって、
宗教を基盤とした道徳とは違います。法から「干渉性」を排除するというのは、
共通認識であろうと思います。

〉文献2をも、参考に読んでみて下さい。
〉たかぼんさんの疑問も、あらゆる意味で、氷解すると思います。

はい、また、読む気が起きたら、読んでみたいと思います。

〉もし、たかぼんさんが、著書を読んだ上で、また、投稿されるのであれば、歓迎します。
〉基本理念が、通説に変更されるのであれば、・・・・・。

あ。いつ読むかわからないので、いま投稿してしまいます・・・
ほんとに通説なのかなぁ・・・(笑)
それとも、近代に法と道徳が分けられたっていうのは、日本の法学者だけが言ってる、
特殊な学説なのかなぁ。

〉最後に、英語学習に関係ないと思われる方もいるかもしれないので、少し論考の主題を移しますが、たとえば、ホーソンの緋文字は、道徳=法=正義の強烈な精神的束縛を前提とする小説と理解することが可能であり、英語の小説を読む場合には、西洋の思想・理念の正確な把握が必要ともいえるでしょう。

そうなんですか。
「罪と罰」なんかはどうなんでしょうね。

それでは。
ありがとうございました。


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275. 分かり易く言えば

お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/19(15:06)

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新茶さん、
お久しぶりです。

科学における法則も、
議会で決める法律も、
英語では "law" と言います。

一般的な理解としては、
わざわざ別の名称をつける必要はなく、
同じようなことを言っているのだから同じ "law" で支障がないわけです。
通説とはそういう意味でしょう。

Nathaniel Hawthorne の The Scarlet Letter について論文を書くなら、
新茶さんのような解釈は学会で評価されそうですね。
それはそれで結構なことですが、
一般的には、
もっと簡単に考えても構わないと思います。
長期的な単身赴任に行っている夫からの連絡が途絶えた後、
若妻が妊娠してしまった話として理解しても構わないんじゃないでしょうか。


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278. The Scarlet Letter

お名前: こるも
投稿日: 2008/10/19(22:14)

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Ryotasanさん、お久しぶりです。
新茶さん、こんにちは。
よこです、すみません。

The Scarlet Letter
〉長期的な単身赴任に行っている夫からの連絡が途絶えた後、
〉若妻が妊娠してしまった話として理解しても構わないんじゃないでしょうか。

わたしは、「女って、強え」って話だと思っていました。

失礼しました。


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315. Re: The Scarlet Letter

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(10:06)

------------------------------

 こるもさん。新茶です。

〉新茶さん、こんにちは。
〉よこです、すみません。

 依然私に投稿した際の、haveは1つのこるもさん、いや、横ヤリのこるもさん、ではなくて、横レスのこるもさん。
 ご投稿、感謝。

 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。

 こるもさん、隗より始めよで、こるもさんが、まず、haveが1つの理由を示しましょう。
 皆の知見に役立つことだから。

 haveを抜かした以降の単語の並びから考える、か。
 それを、haveしている、と考える。
 そうすれば、1つ、とか。

〉The Scarlet Letter
〉わたしは、「女って、強え」って話だと思っていました。
〉失礼しました。

 こるもさんが、この前まで、のめりこんでいたかのような「田山花袋の蒲団」は、上記のこるもさん流でいうと、「女って、強え」というより、「カノ女って、手強え」って話だということになりますか?

 柳父さんの「翻訳語成立事情」の最後の項目である「彼と彼女」の項目に、「田山花袋の蒲団」が引用されていることを見てくれると、いいんだけど。


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318. Re: The Scarlet Letter

お名前: こるも
投稿日: 2008/10/25(10:37)

------------------------------

新茶さんだ。
こんにちはー。

〉 依然私に投稿した際の、haveは1つのこるもさん、いや、横ヤリのこるもさん、ではなくて、横レスのこるもさん。

はあ、すみません。
気分を害したのであれば、以後慎みます。

〉 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。

よく覚えてはりますねえ。
本人たちも忘れてましたわ。

〉 こるもさん、隗より始めよで、こるもさんが、まず、haveが1つの理由を示しましょう。
〉 皆の知見に役立つことだから。

〉 haveを抜かした以降の単語の並びから考える、か。
〉 それを、haveしている、と考える。
〉 そうすれば、1つ、とか。

イメージです。

頭悪いんで、これ以上は、無理です。ご容赦を。

〉〉The Scarlet Letter
〉〉わたしは、「女って、強え」って話だと思っていました。
〉〉失礼しました。

〉 こるもさんが、この前まで、のめりこんでいたかのような「田山花袋の蒲団」は、上記のこるもさん流でいうと、「女って、強え」というより、「カノ女って、手強え」って話だということになりますか?

いやあ。読んだことないんで。

〉 柳父さんの「翻訳語成立事情」の最後の項目である「彼と彼女」の項目に、「田山花袋の蒲団」が引用されていることを見てくれると、いいんだけど。

はあ。
まず「蒲団」から読まないと。

どうもありがとうございました。


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319. Re: The Scarlet Letter

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(10:53)

------------------------------

こるもさんへ。新茶です。こんにちは。

〉〉 依然私に投稿した際の、haveは1つのこるもさん、いや、横ヤリのこるもさん、ではなくて、横レスのこるもさん。

〉はあ、すみません。
〉気分を害したのであれば、以後慎みます。

冗談めかして、言ったにすぎません。横レス歓迎。

〉〉 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。

〉よく覚えてはりますねえ。
〉本人たちも忘れてましたわ。

忘れていないでしょう。

〉〉 こるもさん、隗より始めよで、こるもさんが、まず、haveが1つの理由を示しましょう。
〉〉 皆の知見に役立つことだから。

〉〉 haveを抜かした以降の単語の並びから考える、か。
〉〉 それを、haveしている、と考える。
〉〉 そうすれば、1つ、とか。

〉イメージです。

〉頭悪いんで、これ以上は、無理です。ご容赦を。

残念です。
ちなみに、どんなイメージですか?

〉〉〉The Scarlet Letter
〉〉〉わたしは、「女って、強え」って話だと思っていました。
〉〉〉失礼しました。

〉〉 こるもさんが、この前まで、のめりこんでいたかのような「田山花袋の蒲団」は、上記のこるもさん流でいうと、「女って、強え」というより、「カノ女って、手強え」って話だということになりますか?

〉いやあ。読んだことないんで。

〉〉 柳父さんの「翻訳語成立事情」の最後の項目である「彼と彼女」の項目に、「田山花袋の蒲団」が引用されていることを見てくれると、いいんだけど。

〉はあ。
〉まず「蒲団」から読まないと。

〉どうもありがとうございました。

柳父さん、有益だよ。


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321. Re: The Scarlet Letter

お名前: こるも
投稿日: 2008/10/25(11:21)

------------------------------

こるです。

〉〉〉 依然私に投稿した際の、haveは1つのこるもさん、いや、横ヤリのこるもさん、ではなくて、横レスのこるもさん。
〉〉はあ、すみません。
〉〉気分を害したのであれば、以後慎みます。
〉冗談めかして、言ったにすぎません。横レス歓迎。

そうですか。じゃ、遠慮なく。
わーい。

〉〉〉 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。
〉〉よく覚えてはりますねえ。
〉〉本人たちも忘れてましたわ。
〉忘れていないでしょう。

まあ、忘れてはいませんけど。

〉〉〉 こるもさん、隗より始めよで、こるもさんが、まず、haveが1つの理由を示しましょう。
〉〉イメージです。
〉〉頭悪いんで、これ以上は、無理です。ご容赦を。
〉残念です。
〉ちなみに、どんなイメージですか?

だから、haveの。

〉〉〉 柳父さんの「翻訳語成立事情」の最後の項目である「彼と彼女」の項目に、「田山花袋の蒲団」が引用されていることを見てくれると、いいんだけど。
〉〉まず「蒲団」から読まないと。
〉柳父さん、有益だよ。

そうですか。
じゃあ、ちょっと、気にしてみます。

ではでは。


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324. Butman

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/25(12:33)

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横からすみません。
こるもさん。

〉〉〉〉 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。
〉〉〉よく覚えてはりますねえ。
〉〉〉本人たちも忘れてましたわ。
〉〉忘れていないでしょう。
〉まあ、忘れてはいませんけど。

「しのび返しの法的意味」「But me no butsの文法構造」等につき、
説明をしませんで、大変申し訳ございませんでした。
いまだに説明する気はありません。(笑)
あしからず。

それではでは。


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325. まあまあ。

お名前: こるも
投稿日: 2008/10/25(13:19)

------------------------------

たかさん。

〉横からすみません。
〉こるもさん。

〉〉〉〉〉 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。
〉〉〉〉よく覚えてはりますねえ。
〉〉〉〉本人たちも忘れてましたわ。
〉〉〉忘れていないでしょう。
〉〉まあ、忘れてはいませんけど。

〉「しのび返しの法的意味」「But me no butsの文法構造」等につき、
〉説明をしませんで、大変申し訳ございませんでした。
〉いまだに説明する気はありません。(笑)
〉あしからず。

そりゃあ、言い過ぎってもんです。
説明しろなんて、少なくともわたしはここでは、言ってない。

新茶さん。

以上のことは、まあここでわざわざ蒸し返す必要のない話題だと思います。
あのときはあのときで、「なんで?」と思って質問しましたが、
たかぽんさんにはべつに答える義務はありません。
少なくともわたしは義務があるとは思っていません。

と、いうわけで、この話題はこれで終わりにしてください。
お願いします。


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327. Re: まあまあ。

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/25(13:43)

------------------------------

こるもさん、こんにちは。

〉たかさん。

〉〉横からすみません。
〉〉こるもさん。

〉〉〉〉〉〉 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。
〉〉〉〉〉よく覚えてはりますねえ。
〉〉〉〉〉本人たちも忘れてましたわ。
〉〉〉〉忘れていないでしょう。
〉〉〉まあ、忘れてはいませんけど。

〉〉「しのび返しの法的意味」「But me no butsの文法構造」等につき、
〉〉説明をしませんで、大変申し訳ございませんでした。
〉〉いまだに説明する気はありません。(笑)
〉〉あしからず。

〉そりゃあ、言い過ぎってもんです。
〉説明しろなんて、少なくともわたしはここでは、言ってない。

そうですよね。
ちゃんと説明する自信もないです。あーよかった。(笑)

それにしても、新茶さんって、私の過去ログもよく読んでくださってるんですね。
たいへんうれしく思いました。ありがとうございます。


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329. Re: まあまあ。

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(14:13)

------------------------------

たかぽんさんへ。新茶です。

「But me no butsの文法構造」は、数行書いた、たかぽんさんとは、別の本がある。文法の本ではない。それは、よければ、紹介してよいが、どうですか。不要なことですか。簡単に言えば、文法を考えるまでもなく、字の配列から、そうなるだろうというだけ。また、たかぽんさんは、今も使われているかどうか、疑問を呈しているが、その本は、1999年に改訂された本で、今も使われていると述べている。皆さんの役に立ちますか。

「しのび返しの法的意味」は、前回、たかぽんさんが言及した本に書いてあるのではないか。一寸見ればよいと思った。

〉それにしても、新茶さんって、私の過去ログもよく読んでくださってるんですね。
〉たいへんうれしく思いました。ありがとうございます。

相手の主張をよく理解することが、まず、前提として、相手に敬意を表することだと思われる。


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330. あのー。

お名前: こるも
投稿日: 2008/10/25(14:14)

------------------------------

たかさん、新茶さん。

〉「But me no butsの文法構造」は、数行書いた、たかぽんさんとは、別の本がある。文法の本ではない。それは、よければ、紹介してよいが、どうですか。不要なことですか。簡単に言えば、文法を考えるまでもなく、字の配列から、そうなるだろうというだけ。また、たかぽんさんは、今も使われているかどうか、疑問を呈しているが、その本は、1999年に改訂された本で、今も使われていると述べている。皆さんの役に立ちますか。

〉「しのび返しの法的意味」は、前回、たかぽんさんが言及した本に書いてあるのではないか。一寸見ればよいと思った。

お願いですから、やめてください。


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332. Re: まあまあ。

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/25(15:38)

------------------------------

主観の新茶さん、こんにちは。
(こるもさん、失礼します。)

〉「But me no butsの文法構造」は、数行書いた、たかぽんさんとは、別の本がある。文法の本ではない。それは、よければ、紹介してよいが、どうですか。不要なことですか。簡単に言えば、文法を考えるまでもなく、字の配列から、そうなるだろうというだけ。また、たかぽんさんは、今も使われているかどうか、疑問を呈しているが、その本は、1999年に改訂された本で、今も使われていると述べている。皆さんの役に立ちますか。

どうなんでしょう。

〉「しのび返しの法的意味」は、前回、たかぽんさんが言及した本に書いてあるのではないか。一寸見ればよいと思った。

そうですね。刑法の教科書の正当防衛のところに載ってます。
興味のある方は、本屋さん等で読まれればいいのではないかと思います。

〉〉それにしても、新茶さんって、私の過去ログもよく読んでくださってるんですね。
〉〉たいへんうれしく思いました。ありがとうございます。

〉相手の主張をよく理解することが、まず、前提として、相手に敬意を表することだと思われる。

そうですね。
そしてまた、和やかに掲示板を進める配慮も必要でしょうね。自戒もこめて。


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317. Re: 分かり易く言えば

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(10:17)

------------------------------

Ry0tasanさんへ。主観の新茶です。

〉新茶さん、
〉お久しぶりです。

おひさしぶりです。

〉科学における法則も、
〉議会で決める法律も、
〉英語では "law" と言います。

〉一般的な理解としては、
〉わざわざ別の名称をつける必要はなく、
〉同じようなことを言っているのだから同じ "law" で支障がないわけです。
〉通説とはそういう意味でしょう。

もう少し詳しく書かれると、意図が分かるのですが、次のような意味でしょうか。
この短い文章を読むと、次のように解釈されますが(下記(1))、それでいいのでしょうか。

また、次のような点(下記(2)以下)は、どう理解しているのでしょうか。

すわなち、

Ry0tasanの理解によると、
(1) 私とたかぼんさんが、西洋思想の基本の一つの思想の通説か否かを述べていた、その通説とは、「英語のlawは、科学における法則と、議会で決める法律の2つであること、そして、科学における法則と、議会で決める法律とは、lawということでは同じである、ということだ」と理解されて、上記文章を書かれたのでしょうか。

(2)ach758さんとたかぼんさんの「スポーツと英文法の規則(ルール)の異同論争」でも、同じようなことを書いており(番号2169)、そこでは、「科学の法則」ではなく、「自然の法則」と書いていますが、上記投稿の「自然の法則」を「法律」と比較しているということは、「自然の法則」とは、「自然科学の法則」を指すという意味で、書かれたのでしょうか

(3)社会科学の法則という概念は、どのように理解されていますか。

(4)法律は、社会科学の法則という理解ですか。 

(5)日本語の「法則」の定義は、何であると理解されていますか。

(6)英語でlawのみ、法則と翻訳する言葉ですか。

(7)ach758さんのところで、英文法は、せいぜい「作法」であると主張していますが、ここで日本語の「作法」とは、作法にいろいろある意味のうち、「礼儀作法」という意味ですか。


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320. Re: 分かり易く言えば

お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/25(11:19)

------------------------------

以前にも、
新茶さんから尋問というか、
質問ぜめにされた記憶があります。

一つ一つ丁寧にお答えしたつもりですが、
あまり実のあるやりとりに発展した記憶がありません。
新茶さんご自身も、
消耗されているようでした。

今回はどうなのでしょう?
同じような結果になるなら、
辞退するつもりです。

どういう意図で沢山の質問をなさるのか、
明確にしていただければ、
もう少し前向きになれる可能性はあります。

With respect.


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322. Re: 分かり易く言えば

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(12:36)

------------------------------

Ry0tasanさんへ。新茶です。

〉以前にも、
〉新茶さんから尋問というか、
〉質問ぜめにされた記憶があります。

尋問とか、質問責めとは、言いすぎでしょう。

〉一つ一つ丁寧にお答えしたつもりですが、
〉あまり実のあるやりとりに発展した記憶がありません。
〉新茶さんご自身も、
〉消耗されているようでした。

きちんとした返答がないので。
たとえば、今回でいえば、用語の意味。
それによって、文章の意味が違ってくるでしょう。

〉今回はどうなのでしょう?
〉同じような結果になるなら、
〉辞退するつもりです。

同じ結果になりません。

〉どういう意図で沢山の質問をなさるのか、
〉明確にしていただければ、
〉もう少し前向きになれる可能性はあります。

基本的な事項だからです。
Ry0tasanの主張が、一般的な意見なのか、独自の説なのか、検証したいからです。
それが、SSSのほかの人にとっても、Ry0tasanの説の適否を判断する助けになると思うから。

〉With respect.

これは、どういう意味ですか?

意味が明確ではないが、推測して答えます。

ここでは、皆が、対等な関係です。
そうではないのですか。

上記7点は、質問の形態を採用しているが、Ry0tasanが、本来、述べたときに、説明しておくことだったと思います。


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334. Re: 分かり易く言えば

お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/26(09:28)

------------------------------

〉Ry0tasanさんへ。新茶です。

おはようございます。
新茶さん。
西洋思想について深い知識をお持ちの新茶さんから学べることも沢山あると思うので、
もうしばらくおつきあいします。

〉〉以前にも、
〉〉新茶さんから尋問というか、
〉〉質問ぜめにされた記憶があります。

〉尋問とか、質問責めとは、言いすぎでしょう。

すみませんがこれは正直な気持ちです。
一人の方から同時に4っつ以上の質問を受けると、
僕は心的な負担を感じるようなのです。

〉〉一つ一つ丁寧にお答えしたつもりですが、
〉〉あまり実のあるやりとりに発展した記憶がありません。
〉〉新茶さんご自身も、
〉〉消耗されているようでした。

〉きちんとした返答がないので。

きちんとした返答は一つも無かったという意味ですか?
それはまた手厳しいですね。
いくつかお答えできなかった質問があることは認めます。

1回の質問が三つ以内で、
僕からの回答に何らかのお返事をいただければ、
次のご質問も受け付けることにします。

〉たとえば、今回でいえば、用語の意味。
〉それによって、文章の意味が違ってくるでしょう。

用語については、
一般向けの国語辞典か、
学習者向け英英辞典でご確認ください。
そこに載っている定義や用法から外れた使い方を僕がしていると判断されたら、
1回に三つまでの範囲でご質問も歓迎します。

〉〉今回はどうなのでしょう?
〉〉同じような結果になるなら、
〉〉辞退するつもりです。

〉同じ結果になりません。

〉〉どういう意図で沢山の質問をなさるのか、
〉〉明確にしていただければ、
〉〉もう少し前向きになれる可能性はあります。

〉基本的な事項だからです。
〉Ry0tasanの主張が、一般的な意見なのか、独自の説なのか、検証したいからです。
〉それが、SSSのほかの人にとっても、Ry0tasanの説の適否を判断する助けになると思うから。

英語の "law" という単語については、
辞書で確認すれば済むと思います。
辞書に全てが載っているわけではありませんが、
少なくとも辞書に載っていることは、
一般的な認識と考えるのが妥当です。

〉〉With respect.

〉これは、どういう意味ですか?

〉意味が明確ではないが、推測して答えます。

〉ここでは、皆が、対等な関係です。
〉そうではないのですか。

英語における "respect" という単語は、
対等な関係と矛盾しません。
お互いに、
自分と違う意見に対して、
一定の respect を払うというのが、
一般的なありかただと認識しています。
(日本では違うという反論はありえますが。)

〉上記7点は、質問の形態を採用しているが、Ry0tasanが、本来、述べたときに、説明しておくことだったと思います。

ここは大学のゼミ室でもないし、
学会のフォーラムでもありません。
多読について興味のある人なら、
誰でも気楽に発言できることの方が重要だと思います。
説明不足でも構わないと僕は思っています。
疑問をお感じであれば、
1回に三つまではお答えします。

最後に、
公私ともに忙しい時期には、
数日間にわたって掲示板に書き込みできないこともあります。
それでもスレッドはどんどん下の方へ流れて行きます。
僕が質問を見落としているばあいは、
再質問してくださっても結構です。

Happy reading!


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326. Re: 分かり易く言えば(2)

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(13:39)

------------------------------

Ry0tasanさんへ。主観の新茶です。

今回のRy0tasanの以下のレスは、私の理解が正確でなければ、それに答えても、「意味が違っています」と答えられてしまうでしょう。
Ry0tasanは、以前にも、相手の返答に、、「意味が違っています」と答えているのを、一度ならず見ましたが、私も、Ry0tasanの見解を、その相手の人と同じように受け取るのが、文面上相当だと思ったことがありました。

しかし、そんなことを言っていても始まらないので、Ry0tasanの見解を検証し、推測してみます。
その検証・推測が、正確でないと、私のレスの答えが、でないでしょう。
見ている人も、Ry0tasanのレスの意味がわからないか、誤解すると思います。

〉〉科学における法則も、
〉〉議会で決める法律も、
〉〉英語では "law" と言います。

〉〉一般的な理解としては、
〉〉わざわざ別の名称をつける必要はなく、
〉〉同じようなことを言っているのだから同じ "law" で支障がないわけです。
〉〉通説とはそういう意味でしょう。

〉もう少し詳しく書かれると、意図が分かるのですが、次のような意味でしょうか。
〉この短い文章を読むと、次のように解釈されますが(下記(1))、それでいいのでしょうか。

〉また、次のような点(下記(2)以下)は、どう理解しているのでしょうか。

〉すわなち、

〉Ry0tasanの理解によると、
〉(1) 私とたかぼんさんが、西洋思想の基本の一つの思想の通説か否かを述べていた、その通説とは、「英語のlawは、科学における法則と、議会で決める法律の2つであること、そして、科学における法則と、議会で決める法律とは、lawということでは同じである、ということだ」と理解されて、上記文章を書かれたのでしょうか。

Ry0tasanは、上記理解をしたものと判断した。
もし、わたしのその判断が正しければ、わたしとたかぼんさんの意見交換の内容とは、まったく異なった次元のことを、Ry0tasanは、述べている。
もし、その判断が違っているのなら、意見交換の内容と、Ry0tasanの主張は、どういう結びつきがあるのだろう。

〉(2)ach758さんとたかぼんさんの「スポーツと英文法の規則(ルール)の異同論争」でも、同じようなことを書いており(番号2169)、そこでは、「科学の法則」ではなく、「自然の法則」と書いていますが、上記投稿の「自然の法則」を「法律」と比較しているということは、「自然の法則」とは、「自然科学の法則」を指すという意味で、書かれたのでしょうか

Ry0tasanの答えは、YESと判断した。

〉(3)社会科学の法則という概念は、どのように理解されていますか。

Ry0tasanは、社会科学の法則という概念は、認めないと考えておられる可能性が高いと思われる。

〉(4)法律は、社会科学の法則という理解ですか。

上記(3)を前提とすると、Ry0tasanは、法律は、社会科学の法則ではないと考えていると思われる。 

〉(5)日本語の「法則」の定義は、何であると理解されていますか。

不明。ここは、重要な点。

〉(6)英語でlawのみ、法則と翻訳する言葉ですか。

おそらく、Yesと考えておられると思われるが、NOの可能性もある。
ここも、かなり重要。

〉(7)ach758さんのところで、英文法は、せいぜい「作法」であると主張していますが、ここで日本語の「作法」とは、作法にいろいろある意味のうち、「礼儀作法」という意味ですか。

 Yesと考えておられると判断する。
 ただし、礼儀作法の内容は、明確ではない。
 ここも、重要。

 私は、ちなみに、英文法は、礼儀作法も含むが、大前提として、法則であると思っている。


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341. まずは三つお答えします。

お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/26(16:28)

------------------------------

主観の新茶さんがもうご自身で回答をお書きになっており、
僕からの回答をお望みなのか分かりませんが、
とりあえず最初の三つにお答えしておきます。

〉Ry0tasanさんへ。主観の新茶です。

〉〉新茶さん、
〉〉お久しぶりです。

〉おひさしぶりです。

〉〉科学における法則も、
〉〉議会で決める法律も、
〉〉英語では "law" と言います。

〉〉一般的な理解としては、
〉〉わざわざ別の名称をつける必要はなく、
〉〉同じようなことを言っているのだから同じ "law" で支障がないわけです。
〉〉通説とはそういう意味でしょう。

〉もう少し詳しく書かれると、意図が分かるのですが、次のような意味でしょうか。
〉この短い文章を読むと、次のように解釈されますが(下記(1))、それでいいのでしょうか。

〉また、次のような点(下記(2)以下)は、どう理解しているのでしょうか。

〉すわなち、

〉Ry0tasanの理解によると、
〉(1) 私とたかぼんさんが、西洋思想の基本の一つの思想の通説か否かを述べていた、その通説とは、「英語のlawは、科学における法則と、議会で決める法律の2つであること、そして、科学における法則と、議会で決める法律とは、lawということでは同じである、ということだ」と理解されて、上記文章を書かれたのでしょうか。

科学における法則と議会で決める法律の二つだけではないかもしれません。
単に代表的な二つを挙げただけで、
ほかにも存在する可能性は否定しません。
いずれにしても、
この二つは実質的に同じものとして認識されていると思います。

〉(2)ach758さんとたかぼんさんの「スポーツと英文法の規則(ルール)の異同論争」でも、同じようなことを書いており(番号2169)、そこでは、「科学の法則」ではなく、「自然の法則」と書いていますが、上記投稿の「自然の法則」を「法律」と比較しているということは、「自然の法則」とは、「自然科学の法則」を指すという意味で、書かれたのでしょうか

そうです。
自然の法則も自然科学の法則も実質的には同じと考えております。

〉(3)社会科学の法則という概念は、どのように理解されていますか。

最初はこの質問が漠然としていて答えにくかったんですが、
新茶さんご自身の推測をもとに判断すると、
社会科学の法則が存在することを僕が認めるかどうかということらしいですね。
これは存在すると思います。
西欧の一般人がどう認識しているかは分からないし、
自然科学の法則より発見や証明が難しいと思いますが、
きっと存在するだろうと個人的には考えております。
社会現象の根底にある法則とか、
社会を動かしている法則と言った方が、
僕としては理解し易いです。

今回はここまでにします。
返事を強要すべきでないというご指摘も上の方で出ておりますが、
もともと新茶さんからの要請に僕が答えているという経緯に鑑み、
この投稿に対するお返事をいただいてから、
4番以降にお答えするつもりです。
(ソレイユさん、ごめんなさい。)

ちゃんとした返事ではないと判断されたばあいでも、
せめて「読みました」ぐらいのお返事をいただけると嬉しいです。
(義務ではありません。)

こちらとしては急ぎませんが、
日数が経ったばあいは、
新しいトピックにしていただけると、
助かります。

以上。

〉(4)法律は、社会科学の法則という理解ですか。 

〉(5)日本語の「法則」の定義は、何であると理解されていますか。

〉(6)英語でlawのみ、法則と翻訳する言葉ですか。

〉(7)ach758さんのところで、英文法は、せいぜい「作法」であると主張していますが、ここで日本語の「作法」とは、作法にいろいろある意味のうち、「礼儀作法」という意味ですか。


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351. 補足

お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/28(07:56)

------------------------------

返事を強要すべきでないというご指摘がソレイユさんと管理人さんから出ているので、
それにそった補足をします。

主観の新茶さんから出された七つの質問に対して、
三つまでお答えしました。

これに対して新茶さんからのお返事がなくても、
僕は一向に気にしません。
悲しんだり、
怒ったりもしません。
三つまでならそんなに多くの質問でもないと思うので。

四つ目以降の質問に対しては、
新茶さんのお返事があれば、
できるだけお答えするようにします。
決してお返事を要求しているわけではありません。
新茶さんの方で拒否なさる権利は保証いたします。

お返事いただければ望外の幸せですが、
お返事いただけなくても全く問題ないです。

もし気分が乗って時間があれば、
お返事がなくても、
僕の方で勝手に、
四つ目以降の質問にお答えする可能性もあります。
答えるかもしれないし、
答えないかもしれないという意味です。

この補足に対しても、
ご気分がのらないとか、
お忙しいとか、
ちゃんとした補足でないと判断されるばあい、
お返事は不要です。

以上
Happy reading!


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382. Re: まずは三つお答えします。

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/1(20:43)

------------------------------

Ry0tasan さんへ。主観の新茶です。

返事したくなかったわけではありません。

Ry0tasan の方法で、英書を読む方法として、採用できる範囲及び方法、適合できる人の範囲等を検討したいのです。

10年間程度の学習が必要であると近時述べておられるが、これは、たとえば、1日6時間くらいは、いや、もっと、英語に没頭できる環境だっだのではないかなどと考えます。

Ry0tasan の情報を収集しているが、情報が不足しているので、残りの点も、お答え願いたいと思います。


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392. Re: まずは三つお答えします。

お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/11/2(09:19)

------------------------------

〉Ry0tasan さんへ。主観の新茶です。

〉返事したくなかったわけではありません。

お元気ですか?
お互いに、
書き込みできない日が続くことはあるでしょう。

〉Ry0tasan の方法で、英書を読む方法として、採用できる範囲及び方法、適合できる人の範囲等を検討したいのです。

僕が78年から80年代に実践し、
大人むけの英書を読めるようになった方法について書いているばあい、
単にそういうことをしていたという事実をお知らせしているだけで、
みなさんにお勧めするつもりもありません。
SSSのような団体も無かったし、
具体的にどこから手をつけたら良いのかを日本語で詳しく解説した本も見つかりませんでした。
手探りの試行錯誤でした。
参考になる部分もあるし、
反面教師的に受け止めてくださった方が良いばあいもあるでしょう。

〉10年間程度の学習が必要であると近時述べておられるが、これは、たとえば、1日6時間くらいは、いや、もっと、英語に没頭できる環境だっだのではないかなどと考えます。

英語を訳さず、
習うより慣れろ式で大量に摂取する方法を始めて、
最初の9ヶ月間ぐらいは確かに没頭していました。
そのあとは、
大学生同士で雑談したり、
オーケストラの練習に出席したり、
家庭教師や廃品回収のアルバイトをしたりで、
英語を読む時間は細切れでした。
近所にあるコーヒー店で読むことが多かったです。
テレビは見なかったので、
その時間を読書にあてることはできました。

習うより慣れろ式を始めてから、
Lady Chatterley's Lover を読み通せるようになるまで、
3年はかかっていません。

10年かかったのは、
受験のために訳語と対応させて暗記した1000語で、
この訳語がポップアップしてこなくなるまでに要した unlearning の歳月のことかもしれませんね。
もっと基本的で出現頻度の高い単語は、
子どもむけ英英辞典などでやり直したし、
もっと難しい単語は英英辞典を何冊か読み比べて理解するようにしていました。
ですから、
おおむね本は読めていたと思います。
訳語の出てくる単語でときどき引っかかっていたというところですね。
読む速度をもっと上げて、
英語を聴く行為との隙間を埋めたかったのです。

適用範囲については、
大都市の大きな書店や図書館へ定期的に出かけて行くことができる環境に居ることが、
必要条件だと思っています。

それから、
絵の多い本や子ども向けの本は絶対に読みたくないという人には、
適用が難しいでしょうね。

〉Ry0tasan の情報を収集しているが、情報が不足しているので、残りの点も、お答え願いたいと思います。

僕がどういう人物かを調べるより、
まりあさんの新しい本を読まれた方が、
本格的な英書を読めるようになるまでの道のりとしては速いかと思いますが、
そう簡単に納得していただけないだろうとも思います。

質問の6まではお答えしました。
7番目も近いうちにお答えするつもりです。

Happy reading!


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390. 回答4から6です

お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/11/2(07:41)

------------------------------

お待たせしました。
それでは質問の4番目から6番目のところをご覧ください。

〉Ry0tasanさんへ。主観の新茶です。

〉〉新茶さん、
〉〉お久しぶりです。

〉おひさしぶりです。

〉〉科学における法則も、
〉〉議会で決める法律も、
〉〉英語では "law" と言います。

〉〉一般的な理解としては、
〉〉わざわざ別の名称をつける必要はなく、
〉〉同じようなことを言っているのだから同じ "law" で支障がないわけです。
〉〉通説とはそういう意味でしょう。

〉もう少し詳しく書かれると、意図が分かるのですが、次のような意味でしょうか。
〉この短い文章を読むと、次のように解釈されますが(下記(1))、それでいいのでしょうか。

〉また、次のような点(下記(2)以下)は、どう理解しているのでしょうか。

〉すわなち、

〉Ry0tasanの理解によると、
〉(1) 私とたかぼんさんが、西洋思想の基本の一つの思想の通説か否かを述べていた、その通説とは、「英語のlawは、科学における法則と、議会で決める法律の2つであること、そして、科学における法則と、議会で決める法律とは、lawということでは同じである、ということだ」と理解されて、上記文章を書かれたのでしょうか。

〉(2)ach758さんとたかぼんさんの「スポーツと英文法の規則(ルール)の異同論争」でも、同じようなことを書いており(番号2169)、そこでは、「科学の法則」ではなく、「自然の法則」と書いていますが、上記投稿の「自然の法則」を「法律」と比較しているということは、「自然の法則」とは、「自然科学の法則」を指すという意味で、書かれたのでしょうか

〉(3)社会科学の法則という概念は、どのように理解されていますか。

〉(4)法律は、社会科学の法則という理解ですか。 

いいえ。
個人的な見解としては、
別だと考えています。
英語文化圏の庶民が、
両者を似通ったものとして日常的に認識しているとは思いますが、
実際に社会科学の研究をしている人も、
立法の仕事をする人も、
この両者を同一視してはいないと思います。

〉(5)日本語の「法則」の定義は、何であると理解されていますか。

これについては国語辞典をご覧ください。

〉(6)英語でlawのみ、法則と翻訳する言葉ですか。

いいえ、
英語にも同意語は沢山あるし、
翻訳者の判断次第で、
「法則」と表現されることもありえます。

7番目はまたの機会にさせていただきます。

〉(7)ach758さんのところで、英文法は、せいぜい「作法」であると主張していますが、ここで日本語の「作法」とは、作法にいろいろある意味のうち、「礼儀作法」という意味ですか。


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403. 回答7

お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/11/3(07:31)

------------------------------

お待たせしました。
7番目の回答は、
この投稿の一番下をご覧ください。

〉Ry0tasanさんへ。主観の新茶です。

〉〉新茶さん、
〉〉お久しぶりです。

〉おひさしぶりです。

〉〉科学における法則も、
〉〉議会で決める法律も、
〉〉英語では "law" と言います。

〉〉一般的な理解としては、
〉〉わざわざ別の名称をつける必要はなく、
〉〉同じようなことを言っているのだから同じ "law" で支障がないわけです。
〉〉通説とはそういう意味でしょう。

〉もう少し詳しく書かれると、意図が分かるのですが、次のような意味でしょうか。
〉この短い文章を読むと、次のように解釈されますが(下記(1))、それでいいのでしょうか。

〉また、次のような点(下記(2)以下)は、どう理解しているのでしょうか。

〉すわなち、

〉Ry0tasanの理解によると、
〉(1) 私とたかぼんさんが、西洋思想の基本の一つの思想の通説か否かを述べていた、その通説とは、「英語のlawは、科学における法則と、議会で決める法律の2つであること、そして、科学における法則と、議会で決める法律とは、lawということでは同じである、ということだ」と理解されて、上記文章を書かれたのでしょうか。

〉(2)ach758さんとたかぼんさんの「スポーツと英文法の規則(ルール)の異同論争」でも、同じようなことを書いており(番号2169)、そこでは、「科学の法則」ではなく、「自然の法則」と書いていますが、上記投稿の「自然の法則」を「法律」と比較しているということは、「自然の法則」とは、「自然科学の法則」を指すという意味で、書かれたのでしょうか

〉(3)社会科学の法則という概念は、どのように理解されていますか。

〉(4)法律は、社会科学の法則という理解ですか。 

〉(5)日本語の「法則」の定義は、何であると理解されていますか。

〉(6)英語でlawのみ、法則と翻訳する言葉ですか。

〉(7)ach758さんのところで、英文法は、せいぜい「作法」であると主張していますが、ここで日本語の「作法」とは、作法にいろいろある意味のうち、「礼儀作法」という意味ですか。

あえて言えば "no" です。重なる部分もありますが、重ならない部分もあります。全く同一とは言えません。文法的な表現でも礼儀としてお薦めできないことはあります。このほかに、「作法」という表現を使った理由は二つあります。

1. いわゆる "English grammar" というのは、単語をつなげて英文を作る方法、つまり英文作成法です。そういう意味で作法と言えます。

2. どういう文が文法的かは、一部は合理性に基づくばあいもありますが、社会的に決定されることもあります。たとえば "go" の過去形には "goed" という合理的・規則的な形もありましたが、社会的に認められていないので、文法的な表現として認識されていません。本来 "wend" の過去形だったはずの "went" が使われているというわけです。

以上です。


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446. Re: 回答7

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/8(21:28)

------------------------------

新茶です。
お忙しいところ、非常に感謝です。

私の考えと同じ思想の持ち主は、いないものかと思っていました。

捜し求めていたわけではないのですが、たまたま読書するうちに、私の考えと、同趣旨の本を見つけました。

内田義彦「読書と社会科学」岩波新書 黄色版 288
2007年版で、35刷りです。
大学の経済学の老先生ですね。

これを読んでもらえると助かります。
互いの概念の統一のため。
お互いに違った概念で話していても、仕方がありません。

この本は、社会科学を超えた一般的内容です。
一般人の読書会で講演した内容をも、基礎としています。

「ウェーバーを読むとは、ウェーバーのように考えることのできる読み方」
「本を読んで楽しいの意味」
は、私とまったく同じ考え方です。

「法則」については、160ページ以下。
「勉強」については、117ページ以下。
ここも、私が、昔から、習っていた事柄と同じです。

勉強の概念及び学問との関係は、ryOtasanさんも、ネットで書かれていますね。

今までのお答えについては、よく読んでいますが、完全には分かりにくい説明もあり、隔靴掻痒の感もありますが、今回は、お聞きする項目は、なしです。

                             それでは


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451. Re: 回答7

お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/11/9(07:29)

------------------------------

〉新茶です。
〉お忙しいところ、非常に感謝です。

主観の新茶さん、
お元気そうでなによりです。

〉私の考えと同じ思想の持ち主は、いないものかと思っていました。

〉捜し求めていたわけではないのですが、たまたま読書するうちに、私の考えと、同趣旨の本を見つけました。

〉内田義彦「読書と社会科学」岩波新書 黄色版 288
〉2007年版で、35刷りです。
〉大学の経済学の老先生ですね。

有名な学者ですね。
僕は読んだことが無いですが。

〉これを読んでもらえると助かります。
〉互いの概念の統一のため。
〉お互いに違った概念で話していても、仕方がありません。

国語辞典に載っている定義とは違う意味合いで僕たちが日本語を使っているようなら、
ご指摘ください。
新茶さんご自身が国語辞典とは違うお考えをお持ちなら、
新茶さんによる定義をお願いします。

勿論、
国語辞典が100パーセント正しいとは限らないし、
社会科学における定義の方が正しいばあいだって、
あるかもしれません。

〉この本は、社会科学を超えた一般的内容です。
〉一般人の読書会で講演した内容をも、基礎としています。

〉「ウェーバーを読むとは、ウェーバーのように考えることのできる読み方」
〉「本を読んで楽しいの意味」
〉は、私とまったく同じ考え方です。

〉「法則」については、160ページ以下。
〉「勉強」については、117ページ以下。
〉ここも、私が、昔から、習っていた事柄と同じです。

こういうばあいも、
まずは新茶さんご自身による定義を説明をいただけると、
助かります。
法則については既にご意見を伺っているので、
勉強の方だけで結構です。
それを拝見してから、
内田先生の岩波新書を読もうと思います。

〉勉強の概念及び学問との関係は、ryOtasanさんも、ネットで書かれていますね。

あれもそんなに非常識な考えではないと思いますが、
ある程度の説明は必要だと思って書きました。

〉今までのお答えについては、よく読んでいますが、完全には分かりにくい説明もあり、隔靴掻痒の感もありますが、今回は、お聞きする項目は、なしです。

〉                             それでは

質問が形になるまで日数がかかることもあるでしょう。
こちらとしても全てをご説明もうしあげたわけではありません。
いずれまたの機会とさせていただきます。


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459. Re: 回答7

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/16(13:04)

------------------------------

新茶です。

勉強の定義は、直ぐに書けますが、正確にするために、出典を示すと長くなるし、少し時間を下さい。

追伸:追伸を書くのも変かもしれませんが、今週の回答は、困難かもしれません。悪しからず。11月16日、記。


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488. Re: 勉強の定義 漢詩による由来 内田義彦著「読書と社会科学」等

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/24(20:54)

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 Ry0tasanさんへ。こんにちは。
 主観の新茶です。

第1 勉強の定義等

1 勉強の定義

 勉強とは、「自らを強いて励まし、楽しみを得るべく、行動すること」である。
 勉強とは、「楽しみは、少し無理をして努力しても享受すべきこと」をいう、と言って同義である。
 同じく、勉強とは、「人生、短いのだから、機会を見つけ、無理をしてでも楽しむべし、の意」である。
 
2 内田義彦 「読書と社会科学」

  私の見解は、上記内田著「読書と社会科学」P117〜P132と同趣旨である。
  意の足りない点は、上記内田著を参照されたい。
  上記著書に、漢詩3つが引用されているので、第2に記す。
  いずれも、勉強の語の由来として代表的な詩である。

第2 漢詩の出典

1 白楽天 『東城に春を尋ぬ』

 老色、日に面に上り、歓情、日に心を去る。
 今、既に昔に如かず。後、当に今に如かざるべし。
 
 今なお、未だ甚だしくは衰えず。事毎に、力、任うべし。
 花時、なお、出づるを愛し、酒後、なお、よく吟ず。

 ただ恐る。かくの如き趣も、また日に随って消沈せんことを
 東城の春、老いんと欲す、勉強して、一たび来尋す。

 (句読点を付与)

2 欧陽脩 『酔翁亭の記』

 造化は、無情、物を選ばず。春色、また至る、深山の中。
 山桃、渓杏、意思少なきも、自ずから、時節を逐いて、春風に開く。

 花を看る遊女は、醜さを知らず。古粧、野態、花の紅と争う。
 人生の行楽、勉強にあり。酒あらば、そむくなかれ、瑠璃の盃に。

 主人、笑うなかれ、花と娘と。
 ああ、汝、自ずから、これ、花前の翁なり。

 (句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)

 原文

 豊楽亭小飲  欧陽修

 造化無情不択物 春色亦到深山中
 山桃渓杏少意思 自趁時節開春風
 看花遊女不知醜 古粧野態争花紅
 人生行楽在勉強 有酒莫負瑠璃鍾  
 主人勿笑花與女 嗟爾自是花前翁

3 陶淵明 『雑詩』

 人生、根帯なし。飄として、陌上の塵の如し。
 分散して、風を逐いて転ず。これ、已に常の身にあらず。

 地に落ちて、兄弟となる。何ぞ、必ずしも骨肉の親のみならんや。
 歓楽を得ては当に楽しみを作すべし。斗酒、比隣を集む。

 盛年、重ねて来たらず。一日、再び晨になり難し。
 時に及びては、当に勉励すべし。歳月、人を待たず。

(句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)

第3 その他

1 漢詩における「勉強」等の意味

 第1の白楽天、勉強とは、「人生は、短いのだから、適当にする行動するという怠け者根性は捨てて、真の楽しみは勉強にあることを再三経験することにある。」という意味である。

 第2の欧陽脩、勉強とは、「人生の楽しみは、応分に、ほどほどに、などといわず、無理やりにでも享受すべきである。酒に背を向けるな。田舎の娘も、存分、春を楽しみ、今を盛りと咲き誇る花と、美しさを競う。お前も、一個の存在として、人生を楽しむべきだ。」という意味である。一海知義氏・漢学者による。

 第3の陶淵明、勉励とは、「勉強と同じ意味であり、学問や仕事を一生懸命することだけせよと述べているのではなく、それも大事だが、朝は、二度と来ないの例えどおり、機会を逃さず、自分のやりたい楽しみを尽くせ」という意味である。稲田孝氏・漢学者による。

 同稲田孝氏に依拠すると、勉励は、「努力」と同じ言葉であり、第3の詩は、夫が妻に送った蘇武の漢詩「努力して春華を愛せよ。歓楽の時を忘るることなかれ」と同じ心境であると説明する。

2 一部の場面に変容して使用される現代の勉強の意味

 「市場で主婦が八百屋に値段の勉強を迫る」「親が子供に学校の勉強をせよと迫る」などの「勉強」には、漢詩の意と同じく、最小限、「強いる」という意味で、由来に忠実であるが、その余の意味は、忠実ではないという指摘は、上記内田著に記載されているとおりである。

3 仕事における勉強という言葉の現代の使われ方

 仕事で、勉強という言葉は、悪い意味で使われることはないし、意識して使われることもないが、自然に「この点を勉強しよう」などという使い方は、当然なされる。
 つまり、勉強は、自発的に自ら強いて行うという本来の意味で使用している。
 他から指示される場合も、これを自分の為にもなると置き換えて、自ら強いて行うという本来の意味で使用している。

 高校までの学校勉強の意味に使われることはないし、暗記勉強の意味に使われることもない。

 暗記で対処できる分野は、勉強する範囲が狭いといっていいだろう。

 覚えることも多く、また、覚えただけでは仕事はできず、応用力及び判断力を求められる勉強は、暗記では対処できないが、これが、大学における勉強、さらに、社会における勉強である。

4 「お勉強」の意味

 私は、「お勉強」という言い方は、SSSの投稿を見るまで、知らなかった。
 この言い方が、いつごろ出現したかは、知らない。

 しかし、最近、竹中平蔵氏が、「お勉強」という用語を使用しているのを発見したが、同氏は、「お勉強とは、高校までの暗記を主体とする英語・数学等の学校勉強、または社会に出てからの学校勉強に近似する暗記主体の英語等の学校類似勉強」という内容の定義を述べており、「このような『お勉強』も、一部必要である」という見解を開陳されている。

 第1の漢詩の訳及び解説は、上記内田著を、第2及び第3の漢詩の訳及び解説は、漢詩一日一首、中国の故事と名言500選、いずれも平凡社を、それぞれ参照した。

                               以 上


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490. Re: 勉強の定義 漢詩による由来 内田義彦著「読書と社会科学」等

お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/11/27(20:42)

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〉 Ry0tasanさんへ。こんにちは。
〉 主観の新茶です。

詳しい解説をありがとうございます。
『読書と社会科学』の勉強に関する箇所を読んでみました。

〉第1 勉強の定義等

〉1 勉強の定義

〉 勉強とは、「自らを強いて励まし、楽しみを得るべく、行動すること」である。
〉 勉強とは、「楽しみは、少し無理をして努力しても享受すべきこと」をいう、と言って同義である。
〉 同じく、勉強とは、「人生、短いのだから、機会を見つけ、無理をしてでも楽しむべし、の意」である。

すみませんが部分と全体を混同してらっしゃいませんか。

〉 
〉2 内田義彦 「読書と社会科学」

〉  私の見解は、上記内田著「読書と社会科学」P117〜P132と同趣旨である。
〉  意の足りない点は、上記内田著を参照されたい。
〉  上記著書に、漢詩3つが引用されているので、第2に記す。
〉  いずれも、勉強の語の由来として代表的な詩である。

この本に引用された三つの詩句が勉強の「由来」であると書いてあるのは、
何頁ですか?

〉第2 漢詩の出典

〉1 白楽天 『東城に春を尋ぬ』

〉 老色、日に面に上り、歓情、日に心を去る。
〉 今、既に昔に如かず。後、当に今に如かざるべし。
〉 
〉 今なお、未だ甚だしくは衰えず。事毎に、力、任うべし。
〉 花時、なお、出づるを愛し、酒後、なお、よく吟ず。

〉 ただ恐る。かくの如き趣も、また日に随って消沈せんことを
〉 東城の春、老いんと欲す、勉強して、一たび来尋す。

〉 (句読点を付与)

『読書と社会科学』よれば、
上記の詩における「勉強して」というのは、
「ちょっと無理をして」という意味ですよね。(p. 125)

〉2 欧陽脩 『酔翁亭の記』

〉 造化は、無情、物を選ばず。春色、また至る、深山の中。
〉 山桃、渓杏、意思少なきも、自ずから、時節を逐いて、春風に開く。

〉 花を看る遊女は、醜さを知らず。古粧、野態、花の紅と争う。
〉 人生の行楽、勉強にあり。酒あらば、そむくなかれ、瑠璃の盃に。

〉 主人、笑うなかれ、花と娘と。
〉 ああ、汝、自ずから、これ、花前の翁なり。

〉 (句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)

〉 原文

〉 豊楽亭小飲  欧陽修

〉 造化無情不択物 春色亦到深山中
〉 山桃渓杏少意思 自趁時節開春風
〉 看花遊女不知醜 古粧野態争花紅
〉 人生行楽在勉強 有酒莫負瑠璃鍾  
〉 主人勿笑花與女 嗟爾自是花前翁

この詩で使われている「勉強」も、
『読書と社会科学』によれば、
「無理をして」とか「努力」という意味ですね。(p. 125, 127)
「怠けもの根性をすてて」という説明もあります。(p. 125)

それから、
学問をすることではないとも言っていますね。(p. 125)

〉3 陶淵明 『雑詩』

〉 人生、根帯なし。飄として、陌上の塵の如し。
〉 分散して、風を逐いて転ず。これ、已に常の身にあらず。

〉 地に落ちて、兄弟となる。何ぞ、必ずしも骨肉の親のみならんや。
〉 歓楽を得ては当に楽しみを作すべし。斗酒、比隣を集む。

〉 盛年、重ねて来たらず。一日、再び晨になり難し。
〉 時に及びては、当に勉励すべし。歳月、人を待たず。

〉(句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)

この詩で使われている「勉励」も、
『読書と社会科学』では、
「怠け者根性をすてて」となりますね。(p. 128)

〉第3 その他

〉1 漢詩における「勉強」等の意味

〉 第1の白楽天、勉強とは、「人生は、短いのだから、適当にする行動するという怠け者根性は捨てて、真の楽しみは勉強にあることを再三経験することにある。」という意味である。

〉 第2の欧陽脩、勉強とは、「人生の楽しみは、応分に、ほどほどに、などといわず、無理やりにでも享受すべきである。酒に背を向けるな。田舎の娘も、存分、春を楽しみ、今を盛りと咲き誇る花と、美しさを競う。お前も、一個の存在として、人生を楽しむべきだ。」という意味である。一海知義氏・漢学者による。

〉 第3の陶淵明、勉励とは、「勉強と同じ意味であり、学問や仕事を一生懸命することだけせよと述べているのではなく、それも大事だが、朝は、二度と来ないの例えどおり、機会を逃さず、自分のやりたい楽しみを尽くせ」という意味である。稲田孝氏・漢学者による。

ここでも単語の意味と詩句全体の意味を混同されていますね。

〉 同稲田孝氏に依拠すると、勉励は、「努力」と同じ言葉であり、第3の詩は、夫が妻に送った蘇武の漢詩「努力して春華を愛せよ。歓楽の時を忘るることなかれ」と同じ心境であると説明する。

ようするに、
漢文では「勉強」でも「勉励」でも、
「努力」とか「無理をする」という意味なのでしょう。
諸橋轍次の『大漢和辞典』も調べてみました。
漢文の用例と一緒に示されている定義は、
「力を尽くしてつとめる。精を出す」だけでした。(p. 1470)
[旧漢字は新漢字に置き換えてあります。]
目的が楽しみであれ何であれ、
漢文における「勉強」とは、
努力することや無理をすることなのでしょう。
楽しみを追求するための努力という文脈で「勉強」を使うこともあるというのが、
『読書と社会科学』における「勉強」の箇所の主旨だと思います。
「勉強」という単語(熟語?)自体に楽しみを追求するという意味が入っているわけではないと思います。

〉2 一部の場面に変容して使用される現代の勉強の意味

〉 「市場で主婦が八百屋に値段の勉強を迫る」「親が子供に学校の勉強をせよと迫る」などの「勉強」には、漢詩の意と同じく、最小限、「強いる」という意味で、由来に忠実であるが、その余の意味は、忠実ではないという指摘は、上記内田著に記載されているとおりである。

たしかに漢文における「勉強」からは変質していますね。
外来語でこういう変化は良くあることです。

〉3 仕事における勉強という言葉の現代の使われ方

〉 仕事で、勉強という言葉は、悪い意味で使われることはないし、意識して使われることもないが、自然に「この点を勉強しよう」などという使い方は、当然なされる。
〉 つまり、勉強は、自発的に自ら強いて行うという本来の意味で使用している。
〉 他から指示される場合も、これを自分の為にもなると置き換えて、自ら強いて行うという本来の意味で使用している。

「自律的」を「自発的」に書き換えると、
「無理をする」という原義が消えてしまいませんか?

〉 高校までの学校勉強の意味に使われることはないし、暗記勉強の意味に使われることもない。

この箇所はどういう根拠でおっしゃっているのでしょうか?

〉 暗記で対処できる分野は、勉強する範囲が狭いといっていいだろう。

この点には大賛成です。

〉 覚えることも多く、また、覚えただけでは仕事はできず、応用力及び判断力を求められる勉強は、暗記では対処できないが、これが、大学における勉強、さらに、社会における勉強である。

この点も同感です。

『日本国語大辞典』では、
「気がすすまないことを、しかたなしにすること」という定義も載っています。

〉4 「お勉強」の意味

〉 私は、「お勉強」という言い方は、SSSの投稿を見るまで、知らなかった。
〉 この言い方が、いつごろ出現したかは、知らない。

〉 しかし、最近、竹中平蔵氏が、「お勉強」という用語を使用しているのを発見したが、同氏は、「お勉強とは、高校までの暗記を主体とする英語・数学等の学校勉強、または社会に出てからの学校勉強に近似する暗記主体の英語等の学校類似勉強」という内容の定義を述べており、「このような『お勉強』も、一部必要である」という見解を開陳されている。

「お勉強」と言うと子どもの勉強のような感じがしますが、
これについては僕も詳しいことを知りません。
70年代に多胡輝先生の本で見た様な記憶はあります。

〉 第1の漢詩の訳及び解説は、上記内田著を、第2及び第3の漢詩の訳及び解説は、漢詩一日一首、中国の故事と名言500選、いずれも平凡社を、それぞれ参照した。

最後に確認しておきます。
「人生の行楽は勉強にあり」という詩句における「勉強」は、
「学問をする」という意味ではないと言うわけですね。


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1617. 貴君の主張をつぶさに検討したが,「勉強の定義」を訂正すべき点は全くない。

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2015/1/4(00:08)

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1 貴君の主張をつぶさに検討したが,訂正すべき点は全くない。
 貴君は,私が物事(勉強の定義)を混同していると論難(=誤りがあると指摘し非難)したのであるけれども,貴君の批判は,該当しない。

2 すなわち,私は,これまで,勉強とは,漢文=中国古代文化において,「少し無理をしてでも楽しもうという」意味である,現代にも,同じ意味に使うべきであると主張しているところ,これを訂正する点は,全くない。
 貴君は,「勉強とは,無理をする以外の意味はない。無理をして,楽しい場合もあれば,楽しくない場合もある。したがって,楽しむという付加が付いていることは,混同に当たる。」と主張している。
 しかし,私は,混同していない。
 私は,中国古代文化=いわゆる漢文において,楽しくない場合には,勉強という言葉は,使用していないといって良いと考えている。
 これすなわち,勉強は,内在的に,楽しいという意味を包含する所以である。
 私の考えは,一海知義氏の著書を見て考えたのであり,根拠を有する(漢語の知識7頁:岩波ジュニア新書)。
 一海氏は,勉強という言葉自体,敢えていえば,無理をして楽しもうという意味があると述べている。
 私は,この説に賛同した。
 この著書を見て,なおも,貴君が自分の意見が正しく,私の見解が,混同しているというのであれば,最早,貴君の意見は,牽強付会(こじつけという意味)にすぎないというべきであろう。

3 さて,貴君は,私が,言葉の使い方を「混同した」と主張するのである。
 貴君は,「勉強」という言葉は,本来,楽しむ・楽しまないとは関係がない無色の言葉で,単に「無理をする」という意味である,しかるに,私が引用した詩は,勉強を楽しむという文脈で使用している,この詩で,「無理して楽しむ」という意味が出てくるのは,詩の内容からであって,勉強という言葉の本来の意味ではない,したがって,貴君の指摘は,楽しむという限定解釈を施した私の見解は,「今回の詩の内容で使われる勉強の意味と,勉強という語句そのものの意味とを混同している」という趣旨である。

4 再度,結論をいうと,私は,混同をしていない。
 混同しているという貴君の主張は,揚げ足取り(=言葉尻にいちゃもんを付けていること)である。

5 まず,非限定で「無理をする」場合と,限定概念である「楽しんで」「無理をする」とは,前者を○とすると,後者は,その○の中に○を書いた,つまり,◎の内側の丸になる。
 包含関係である。
 貴君の言わんとする「混同」は,比喩で言えば,蛇足(=余分なこと)である。「蛇足=楽しいという意味が付加しているのは,余分なこと」である。

6 ところで,混同とは,(1)AとBは,異なる概念であることを前提として,AをBと間違えるという意味と,(2)AとBを混和して,Cとなすという2つの意味がある。
 私は,仕事上,(2)の意味も使う。
 しかし,(2)の意味は,一般には,馴染みがない。
 貴君は,(1)の意味で「混同」を使用しているのは,明らかである。
 混同とは,一般には,例えば,公私混同のように,公と私という異なる概念を前提として,これを混同しているという使い方をするのである。
 私は,Aを,Aと異なるBと間違えたのではない。
 AとBは,「楽しむ」が付加されるかどうか,包含関係(=包摂関係)にある。
 別の言い方をすると,AとBは,大は小を兼ねるという拡大概念又は縮小概念の関係にある。
 異なる概念ではない。
 貴君は,A=部分=「勉強」という語句そのものを,B=全体=詩句の中の意味と間違えたのだから,混同であるというのである。
 しかし,間違えたことが,すべて「混同」という概念になるのではない。
 「楽しまないで≒苦しんで,無理をする」という概念が,限定がない無色の「無理をする」という概念に包摂されるという問題である。
 包摂するか,包摂されるかという関係の相違は,「混同」とはいわない。
 2つの概念が,良く似た類似概念で異なる場合には,取り間違えたときに,混同したと表現しても良いかもしれない。
 しかし,貴君は,包含関係ないし包摂関係にある場合,言い換えると,大は小を兼ねる場合に,大を小と間違えたという意味で,混同したと表現したのである。
 貴君の使い方は,まあ,大目に見て,百歩譲れば,完全に間違った日本語の使い方だと,切って捨てることは,できないかも知れないな。
 しかし,貴君は,「混同」という日本語を,少なくとも,適切には,使っていない。
 貴君は,私のみならず,大学で,学生相手に,間違っているというときに,「混同している」という言い方を多用されるものと思われる。

7 第2に,貴君は,漢和辞典のみを見て,言葉の定義を論ずるという弊を犯している。
 貴君は,かねがね,1979年(昭和54年)という貴君が19歳のころから辞典に頼らず英語を,とくに,主として小説に特化して読もうという主義を貫徹し,翻訳物は読まず,新聞とテレビを知識のよりどころとし,さらに,基本的に各種分野の専門書・啓蒙書等は読まないというやり方で,大学の英語の先生をしているところである。
 辞典を見て,勉強の定義を云々するのは,辞書を見ないという貴君の主義に反しているのではないだろうか。
 勉強というような昔からある言葉で,現在も使われている言葉は,権威ある漢和辞典を調べたことを以てのみ,定義を論ずるのは,軽率のそしりを免れないであろう。

8 第3に,貴君は,以下の区別を,明確にしていない。
 勉強など漢字熟語は,(1)漢文=中国古典語,(2)現代中国語,(3)明治前の日本語,(4)現代日本語=漢語の4種類を混同しないで,区別しなければならない。
 (1)は,これまで私が述べた定義のみ存在する。
 (2)の現代中国語は,「無理をする」という無色の意味しかない。
 貴君の掲げる定義である。
 (3)は,(1)の意味で使用するほか,勉強=学問の意味も,少なくとも,江戸末期ころには,使われるようになったと思われる。
 (4)は,(3)に付加すること,(ア)「嫌々義務教育の学習をさせられる」,(イ)「物の値段をまけて安くする」(ウ)「失敗したが,良い経験になった」「成功し,良い経験になった」などという意味などにも使用する。

 私は,(1)の意味は,現代の日本(4)でも,通用しているし,仮に間違った使い方をしている者にも教えて,通用させなければならないと主張しているのである。
 追加すると,現代日本語としての勉強は,学問という意味も,もちろん,ある。
 勉強は,「強いて何々する」という意味もあるが,その場合には,勉強は,もちろん,学問の意味ではないが,勉強の対象となるものには,学問が含まれる。
 「強いて学問をする」という言い方の場合は,「学問を勉強する」という言い方が,できるのである。

9 第4に,貴君は,当時の状況を無視し,方向違いの「あさって」の論述をして,私の意見を,くさ(腐)している。
 私は,この投稿のころ,当時大学の英語の教師であったtadokuの酒井さんを含め,投稿者の多くの人が,「世間には,親から無理に嫌々強制されて学習した人が多い」から,「親から無理に嫌々強制されて学習した」ことが,「勉強」であって,勉強という言葉は,使わないようにしようとか,勉強しないで英語をやろう,そもそも,勉強はしないでおこうとか強く主張しており,そのため,投稿において勉強という言葉を使う投稿者がいると,勉強はダメだなどと指摘するなどという発言があったから,私は,そういう状況を憂い,「勉強」という言葉を使わないという態度は,狭量であって,間違っているということを言わんがために投稿したのである。
 そんなことくらいさえ,貴君は,読み取れなかったのか。情けないね。
 私は,勉強という言葉が,辞書によっては,単に「無理して行うこと」と書いてあり,「楽しんで無理すること」とまで書いてないものがあることくらい知っていた。
 しかし,勉強という言葉が,「強」という言葉に引きずられるのか,酒井さんをはじめ,投稿者が,「嫌々強制される」という意味で,「勉強」という言葉を用いている状況を間違っていると指摘し,正しく改めたほうが良いと指摘するいう意味で,投稿したのである。
 私の定義に従えば,当時,酒井さんをはじめ多くの投稿者は,勉強していたのである。
 もちろん,今も,勉強しているのである。
 貴君の投稿は,こういう私のもくろみを台無しにするような場違いな発言であった。

10 ところで,貴君は,勉強という言葉は,外来語であるところ,外来語は,在来語=土着語(日本語の場合は,和語=大和言葉が,在来語である)に比較し,意味の変容が多いと述べている。
 しかし,外来語であろうが,土着語であろうが,意味の変容の確率に,差異があるという証拠(=学問成果)は,ないと思われる。
 貴君の根拠のない偏見であろう。

11 勉強は,もはや,日本語になっている。
 日本人が使っている勉強という言葉=漢語は,日本語なのである(日本語になっている中国語を漢語と呼ぶ)。
 貴君は,勉強という言葉が,日本語であると思っていないのではないか。
 確かに勉強という言葉は,中国からの外来語=借用語であるが,外来語であるとか,借用語であるとか,必要性もないのに,持ち出すべきではない。
 しかし,貴君は,大学の英語の教師であるところ,英語において,ラテン語経由やギリシア語経由やフランス語経由などの外来語は,元々の英語ではない,元々の英語を学ぶべきであると主張しているから,区別したがるのだろうね。
 貴君の主張は,英語らしい英語は,ラテン語経由など外来の英語ではなく,元々のゲルマン語の土着語の英語であるというのである。
 だから,私が,かつてラテン語など経由の英語の語源の話をしたら,貴君は,私とのやりとりの末,最後には,私に対し,そんな英語の知識習得の態度なら,英語の勉強なんか辞めてしまえなどと,くさ(腐)したんだね。
 しかし,英語らしい英語などという発想をすること自体が,不要な差別だね。ラテン語経由の英語だって,りっぱに,英語らしい英語さ。
 日本語だって,同じさ。大和言葉=和語が,漢語に比べ,美しいなんて主張している人がいるね。差別だね。
 英語も,ラテン語やギリシア語を巧みに使える人が,ゲルマン土着英語の巧みな使い手でもあった。
 漢語も,たとえば,使い方によって,雄渾な美しさがあるさ。大和言葉も,たとえば,使い方によって,たおやかな美しさがある。
 そして,古来,人の心に染み入るような漢語の使い手であってこそ,おなじく,人の心に染み入るような大和言葉が,使えたのさ。
 これは,歴史の示すところである。
 使い方によって,漢語も和語も,美しくも美しくなくもなるさ。この場合,単に美しいとか美しくないというのは,偏見だね。
 たおやかとか,雄渾なとか,少なくとも,ひとこと,形容があるべきだろうね。
 昔の言葉で残っている大和言葉の文章は,漢文の巧みな使い手でもあった。漢文を巧みに使えないで,和語を巧みに使えないのさ。
 貴君の意見は,日本語の中で,漢語より,和語=やまとことばの方が,より日本語らしいという一部の人の見解と,同じようなものだね。
 私の見解は,漢語もやまとことばも,同じ価値を持って,日本語らしいという考えだ。

ヒマではないが,積年,気になっていたことが,やっと書けた。
 
ネットで,「勉強の定義」を見ると,昔は,私の上記投稿は,1位だった。
 今は,約140万件中,3位だ。

 きちんとしたものを書いて良かったと思う。

個別の解答は,以下に補足して記載する。

"Ry0tasan"さんは[url:kb:490]で書きました:
〉〉 Ry0tasanさんへ。こんにちは。
〉〉 主観の新茶です。

〉詳しい解説をありがとうございます。
〉『読書と社会科学』の勉強に関する箇所を読んでみました。

〉〉第1 勉強の定義等

〉〉1 勉強の定義

〉〉 勉強とは、「自らを強いて励まし、楽しみを得るべく、行動すること」である。
〉〉 勉強とは、「楽しみは、少し無理をして努力しても享受すべきこと」をいう、と言って同義である。
〉〉 同じく、勉強とは、「人生、短いのだから、機会を見つけ、無理をしてでも楽しむべし、の意」である。

〉すみませんが部分と全体を混同してらっしゃいませんか。

 混同していない。
 答えは,上記のとおりである。
 
 「すみませんが」「らっしゃいませんか」など,敬語の使い方が,慇懃無礼かつ変である。

〉〉 
〉〉2 内田義彦 「読書と社会科学」

〉〉  私の見解は、上記内田著「読書と社会科学」P117〜P132と同趣旨である。
〉〉  意の足りない点は、上記内田著を参照されたい。
〉〉  上記著書に、漢詩3つが引用されているので、第2に記す。
〉〉  いずれも、勉強の語の由来として代表的な詩である。

〉この本に引用された三つの詩句が勉強の「由来」であると書いてあるのは、
〉何頁ですか?

 この本に,「由来」と書いてあろうがなかろうが,関係がない。
 3つの詩句は,客観的に,勉強という言葉の由来なのであるから。
 再度くまなく読んだわけではないが,おそらく,内田さんの本に,「由来」ということは,書いてないと思う。

〉〉第2 漢詩の出典

〉〉1 白楽天 『東城に春を尋ぬ』

〉〉 老色、日に面に上り、歓情、日に心を去る。
〉〉 今、既に昔に如かず。後、当に今に如かざるべし。
〉〉 
〉〉 今なお、未だ甚だしくは衰えず。事毎に、力、任うべし。
〉〉 花時、なお、出づるを愛し、酒後、なお、よく吟ず。

〉〉 ただ恐る。かくの如き趣も、また日に随って消沈せんことを
〉〉 東城の春、老いんと欲す、勉強して、一たび来尋す。

〉〉 (句読点を付与)

〉『読書と社会科学』よれば、
〉上記の詩における「勉強して」というのは、
〉「ちょっと無理をして」という意味ですよね。(p. 125)

〉〉2 欧陽脩 『酔翁亭の記』

〉〉 造化は、無情、物を選ばず。春色、また至る、深山の中。
〉〉 山桃、渓杏、意思少なきも、自ずから、時節を逐いて、春風に開く。

〉〉 花を看る遊女は、醜さを知らず。古粧、野態、花の紅と争う。
〉〉 人生の行楽、勉強にあり。酒あらば、そむくなかれ、瑠璃の盃に。

〉〉 主人、笑うなかれ、花と娘と。
〉〉 ああ、汝、自ずから、これ、花前の翁なり。

〉〉 (句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)

〉〉 原文

〉〉 豊楽亭小飲  欧陽修

〉〉 造化無情不択物 春色亦到深山中
〉〉 山桃渓杏少意思 自趁時節開春風
〉〉 看花遊女不知醜 古粧野態争花紅
〉〉 人生行楽在勉強 有酒莫負瑠璃鍾  
〉〉 主人勿笑花與女 嗟爾自是花前翁

〉この詩で使われている「勉強」も、
〉『読書と社会科学』によれば、
〉「無理をして」とか「努力」という意味ですね。(p. 125, 127)
〉「怠けもの根性をすてて」という説明もあります。(p. 125)

〉それから、
〉学問をすることではないとも言っていますね。(p. 125)

〉〉3 陶淵明 『雑詩』

〉〉 人生、根帯なし。飄として、陌上の塵の如し。
〉〉 分散して、風を逐いて転ず。これ、已に常の身にあらず。

〉〉 地に落ちて、兄弟となる。何ぞ、必ずしも骨肉の親のみならんや。
〉〉 歓楽を得ては当に楽しみを作すべし。斗酒、比隣を集む。

〉〉 盛年、重ねて来たらず。一日、再び晨になり難し。
〉〉 時に及びては、当に勉励すべし。歳月、人を待たず。

〉〉(句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)

〉この詩で使われている「勉励」も、
〉『読書と社会科学』では、
〉「怠け者根性をすてて」となりますね。(p. 128)

〉〉第3 その他

〉〉1 漢詩における「勉強」等の意味

〉〉 第1の白楽天、勉強とは、「人生は、短いのだから、適当にする行動するという怠け者根性は捨てて、真の楽しみは勉強にあることを再三経験することにある。」という意味である。

〉〉 第2の欧陽脩、勉強とは、「人生の楽しみは、応分に、ほどほどに、などといわず、無理やりにでも享受すべきである。酒に背を向けるな。田舎の娘も、存分、春を楽しみ、今を盛りと咲き誇る花と、美しさを競う。お前も、一個の存在として、人生を楽しむべきだ。」という意味である。一海知義氏・漢学者による。

〉〉 第3の陶淵明、勉励とは、「勉強と同じ意味であり、学問や仕事を一生懸命することだけせよと述べているのではなく、それも大事だが、朝は、二度と来ないの例えどおり、機会を逃さず、自分のやりたい楽しみを尽くせ」という意味である。稲田孝氏・漢学者による。

〉ここでも単語の意味と詩句全体の意味を混同されていますね。

 
 混同していない。この回答は,上記のとおりである。
 ここまで読んで,貴君の混同とは,何を意味するかが,わかった。
 それまで,混同? 何を混同? 
 訳分からんこと言ってるな,という感じであった。

〉〉 同稲田孝氏に依拠すると、勉励は、「努力」と同じ言葉であり、第3の詩は、夫が妻に送った蘇武の漢詩「努力して春華を愛せよ。歓楽の時を忘るることなかれ」と同じ心境であると説明する。

〉ようするに、
〉漢文では「勉強」でも「勉励」でも、
〉「努力」とか「無理をする」という意味なのでしょう。
〉諸橋轍次の『大漢和辞典』も調べてみました。
〉漢文の用例と一緒に示されている定義は、
〉「力を尽くしてつとめる。精を出す」だけでした。(p. 1470)
〉[旧漢字は新漢字に置き換えてあります。]
〉目的が楽しみであれ何であれ、
〉漢文における「勉強」とは、
〉努力することや無理をすることなのでしょう。
〉楽しみを追求するための努力という文脈で「勉強」を使うこともあるというのが、
〉『読書と社会科学』における「勉強」の箇所の主旨だと思います。
〉「勉強」という単語(熟語?)自体に楽しみを追求するという意味が入っているわけではないと思います。

 貴君は,結局,「勉強」という言葉自体に,楽しみを追求するという意味が入っているわけではないと主張したかったのですね。
 だったら,最初から,そう言えば良いのに。

 すみませんが混同していらっしゃるなどというから,何だろうと思って,おかしくなるんだよ。

 他人に対し,「混同している」という反論の言い方は,よっぽどの根拠のある大事なことでない限り,侮辱というか,失礼に当たるんですよ。

〉〉2 一部の場面に変容して使用される現代の勉強の意味

〉〉 「市場で主婦が八百屋に値段の勉強を迫る」「親が子供に学校の勉強をせよと迫る」などの「勉強」には、漢詩の意と同じく、最小限、「強いる」という意味で、由来に忠実であるが、その余の意味は、忠実ではないという指摘は、上記内田著に記載されているとおりである。

〉たしかに漢文における「勉強」からは変質していますね。
〉外来語でこういう変化は良くあることです。

 考えが間違っている,大変問題のある記載です。
 貴君の「外来語でこういう変化は良くあることです。」から見ると,外来語ではない本来語は,意味の変化は,外来語に比較し,多くないとしか,読み取れない。
 本来語も外来語も,意味の変化という点では,どちらが多いかというようなことは,言えないというのが,正しい答えであると思います。

〉〉3 仕事における勉強という言葉の現代の使われ方

〉〉 仕事で、勉強という言葉は、悪い意味で使われることはないし、意識して使われることもないが、自然に「この点を勉強しよう」などという使い方は、当然なされる。
〉〉 つまり、勉強は、自発的に自ら強いて行うという本来の意味で使用している。
〉〉 他から指示される場合も、これを自分の為にもなると置き換えて、自ら強いて行うという本来の意味で使用している。

〉「自律的」を「自発的」に書き換えると、
〉「無理をする」という原義が消えてしまいませんか?

 原義は,消えません。
 貴君の主張は,意味不明です。
 自律と自発の貴君の定義は,おそらく独自であって,私と違うことから,貴君独特の発言が出てくるのでしょう。

〉〉 高校までの学校勉強の意味に使われることはないし、暗記勉強の意味に使われることもない。

〉この箇所はどういう根拠でおっしゃっているのでしょうか?

 「私について」という主体表現を,わざと抜かした文章です。

〉〉 暗記で対処できる分野は、勉強する範囲が狭いといっていいだろう。

〉この点には大賛成です。

 賛同いただけて,ありがとう。
 しかし,貴君と私では,生きてきた分野が違うから,同床異夢,呉越同舟のたぐいである。

〉〉 覚えることも多く、また、覚えただけでは仕事はできず、応用力及び判断力を求められる勉強は、暗記では対処できないが、これが、大学における勉強、さらに、社会における勉強である。

〉この点も同感です。

〉『日本国語大辞典』では、
〉「気がすすまないことを、しかたなしにすること」という定義も載っています。

〉〉4 「お勉強」の意味

〉〉 私は、「お勉強」という言い方は、SSSの投稿を見るまで、知らなかった。
〉〉 この言い方が、いつごろ出現したかは、知らない。

〉〉 しかし、最近、竹中平蔵氏が、「お勉強」という用語を使用しているのを発見したが、同氏は、「お勉強とは、高校までの暗記を主体とする英語・数学等の学校勉強、または社会に出てからの学校勉強に近似する暗記主体の英語等の学校類似勉強」という内容の定義を述べており、「このような『お勉強』も、一部必要である」という見解を開陳されている。

〉「お勉強」と言うと子どもの勉強のような感じがしますが、
〉これについては僕も詳しいことを知りません。
〉70年代に多胡輝先生の本で見た様な記憶はあります。

〉〉 第1の漢詩の訳及び解説は、上記内田著を、第2及び第3の漢詩の訳及び解説は、漢詩一日一首、中国の故事と名言500選、いずれも平凡社を、それぞれ参照した。

〉最後に確認しておきます。
〉「人生の行楽は勉強にあり」という詩句における「勉強」は、
〉「学問をする」という意味ではないと言うわけですね。

 
 この場合の勉強は,ちょっと無理をしてでも楽しむのであって,学問をすることを含む。
 ちょっと無理をしてでも楽しむことであれば,基本的には,何でも良いのであって,学問を除外しない。

 ただ,この時代の勉強は,人民のために良い世の中を実現する施策を考えたり議論したり,また,詩歌を楽しんだりすることである。
 この時代の勉強は,現実には,何でも良かったわけではない。

 また勉強は,現代用語としては,学問をも意味する。
 


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