言葉の最小単位は「事の場」

[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 14976 // 時刻: 2024/5/12(23:43)]

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10886. 言葉の最小単位は「事の場」

お名前: 道化師
投稿日: 2004/3/13(02:39)

------------------------------

たこ焼さん、こんばんはー、道化師です。
本当に、直にたこ焼さんとこうしてお話するのは、お久しぶりですねー。

たこ焼さんには、私、いっぱい宿題を抱えてるんですよね。
(松浦亜弥問題とか、その後の神々問題?とか・・・)
ずっと、たこ焼さんの「無意識論」について、
ポパーの「議論の有効性」って視点から考えているんですけれど、
なっかなかスッキリ考えがまとまらなくて。
でも、きっとその内、
「DKCは井上和香の夢を見る」って題で、レスしますねぇー。
(宗旨替えして、今は、井上和香のタラコ唇がお気に入り♪)

〉「香辛料が入ってないカレーライスなんて、美味しくない!」(^L^)←誰?
〉「寂しかったわん。NMS大丈夫かしら・・・」(*^^*)←誰?

〉さてさて、本題です。

はい。

〉実はですね・・・

〉たこ焼は道化師さんの考えに「大賛成!」

ありゃ、ありがとうございます。

〉おそらくは、同じことを考えていると思います。
〉そう、道化師さんの「予測能力」なるものを、
〉たこ焼は「言葉の最小単位は物語」と表現します。

なるほど。物語かぁ。
確かに、そうとも言えるなぁ。
「最小単位」をどう理解するかにもよると思いますが、
(言葉に「最小単位」という概念を持ち込んで良いのか?って事も含めて)
「最小単位」をそのまま使うとすれば、
私は「言葉の最小単位は事の場」だと思っています。

また、訳の解らん事言い出してって思われるでしょうから、
ちょっと説明しますね。

まっ、ちょっと駄洒落なんですが、
言葉→コトバ→コトのバ→事の場
って言う発想です。
「事」とは、「物事」という時に、「物」と対になる概念で、
「時の流れとともに移り行くプロセス、運動、思考等々」の総称です。
これに対して「物」は、時の流れとは関係なく、そこに在る状態です。
「事的存在論」と「物的存在論」とでも言いましょうか。
例えば、人間を「物的存在論」で言えば、たんぱく質が何%で、水分が何%、
骨がどういう構造になっていて、とか言うことになると思います。
「事的存在論」で言えば、人間は泣いて、笑って、怒って、恋をしたり、
子供を育てたり、信頼したり裏切ったり、そういう事ってことになります。

で、言葉って言うのは、きしくも、
そういう「事」の起きる「場」だと思うのです。
「場」と言うのは、そういう「事」を存在させる、
時間的、空間的、広がりとでも言いましょうか。
場の空気を読むとか、土壇場と言う時の「場」です。
(もうちょっと精密に定義しないといけないのでしょうけれど)
人と人と繋がりを支え、包んでいる何かだと思って下さい。

例えば、このSSSの掲示板も、空間的に限定はされないけれど、
ひとつの「場」である訳です。

よく論理の矛盾かいたずらを説明する時の例で、
「放たれた矢は止まっている」って言うのを聞きますよね?
弓から矢が放たれて飛んでいるように見えるけれど、
その時間を細かく切り刻んで分析していくと、
細かく時間を切れば切るほど、矢の移動している距離は短くなる、
じゃあ、時間の最小単位である「瞬間」には、
もはや矢は移動していないで、「静止」しているはずだ。
だとすると、その瞬間の積み重ねである「時間」の中で、
私たちが見ている飛んでいる矢は、静止している矢の累積なんだ
って言う論理です。

言葉に「最小単位」という概念を持ち込むのは、
この論理に近い気がするのです。
数ヶ月前に、顔の絵で、最小単位に触れた事がありますが、
あれも誤解を呼ぶ言い方でした。
あれも、単語と単語の関係性、つまり「場」の中で、どういう「事」かを
うまく伝えたいなぁって方便だったんですけれど。

それで、ある特定の人とある特定の人が語り合い、
(普遍的な人なんて、概念上の存在で、実際は人は全て、個別特定な存在です)
意志の疎通をする「場」が形成されて、
言い換えると、時や空間、思考、運動を包摂する「場」の共有が有って、
初めて「言葉」は通じる、意味が解る、理解される、と思うのです。

「あつい!」と発語して、
その時その言葉の受け取り手が、発語者と東京の湿度、温度、日差し、喧騒を
共有して初めて、その意味が伝わるって言う例で解るでしょうか。

それとも、こんな例の方がいいでしょうか。
先日、BSで、「市場対国家」と言う番組を2週に渡って放送していたんですね。
その中で、「オーストリー学派」とか「シカゴ学派」と言うのが出てきました。
ある特定の時、ある特定の場所で、突出した学者が輩出して名付けられた訳ですが、
何故こんな事が可能なのかを考えると、
そこには高効率な意思伝達率を支える、
別の言い方をすると、濃密なコミニュケーションを支える
「場」があったからなんじゃないかって思いました。

またまた別の例。
みかんを4,5個包んでいるネットがありますよね。
確かにネットは結節点とそこから伸びる糸で出来ているんですけれど、
だからと言って、みかんを包んでいるネットの一部を切り取っても、
その「みかんを包む」と言うネット本来の機能は失われてしまう。
みかんを包むネット全体と言う「場」があって初めて、ネットは機能する・・・。

とにかく、今の所、私は「コトバ」ってそんな感じのものじゃないかって、
仮定しているんです。
(あくまで、仮定と言う事で、いつでも変更可能な状態にしておきます。)

〉酒井先生の下記の投稿・・・

〉(((抜粋です)))

〉円〉〉「基本文例」は授業の最初に小テストもあるし、
〉円〉〉イヤでも外せないんでしょうし。

〉酒〉ほんとは基本文例なんかは覚えない方があとあと面倒がないのですよ。
〉酒〉それで思い出した! ぼくが学校英語を疑いはじめたきっかけは
〉酒〉修士論文を英語で書いていたときでした・・・
〉酒〉英語で書いていて、詰まる、抜け出せない、ということがあると、
〉酒〉どうもその直前に「英作文の公式」を使って書いた文が
〉酒〉あるということが何度も続きました。
〉酒〉つまり「基本文例」というやつに言いたいことを載せようとすると、
〉酒〉文が流れなくなって、その先が続けにくくなる・・・
〉酒〉思えばそう意識したことが「どうして英語が使えない?」に
〉酒〉繋がっていったのですね。
[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-yukkuri&c=e&id=809]
〉より一部抜粋。

〉基本文例で覚えた文では、文章がうまく流れない・・・
〉こんなこと、普通の人は気付きませんよ。
〉う〜ん、やはり酒井先生って、「岡本太郎」ですよね。すごいです。

岡本太郎、好きです。この人のゲージツは解りませんが、
「ゲージツは爆発だ」に代表される「コトバ」は、
とっても共感します。

と、こんな事はさておき、
この場合の酒井先生は、相手とある「場」を共有していた訳です。
しかし、酒井先生が使おうとした「基本文例」は、
その「場」を共有しない「コトバ」です。
聞き手である相手にとっても、発話者である酒井先生にとっても、
その「場」を共有しない「基本文例」は、
伝えたい意味の伝達の不能、理解の不能な記号の羅列であった
という事だと思います。

〉個々の単語は、文の中にないと意味が決まらない
〉などと考えていましたが、
〉その個々の文すら、「物語」の中にないと意味が確定しない
〉のです。

確かに「物語」は、その中に独自の「場」を持っていると思います。
そして、読者は、読む事で、その独自の「場」に入って行き、
その「場」を共有する事で、「コトバ」を理解していく。
でも、その物語独自の「場」を共有出来る事の前提に、
私たちが既に存在している「場」と物語の「場」が重なっている必要が
あると思うのです。
例えばGRにもあるのですが、南の国の民間伝承の話なんかを読むと、
何かが何かに変化して、それがどうして、どうなったなんて言う話がありますが、
たしかに、その書いてある事自体はわかります。
でも、それがどうした?って言う感が拭えないんですね。
その話の意味が解らないし、それで結末かい?って感じで、
それが何故結末になるのかも解らない。
だから、民間伝承って事ですから、それを代々口伝してきた人々が居る訳で、
その人達が口伝してきたって事は、その話に何かを感じ、感動したから、
わざわざ口伝してきた訳なのに、その訳がわからない。
これなんかも、その民間伝承話の「場」と私の「場」が重なっていない
って事だと思うんです。
昨日か一昨日、みちるさんが消してしまわれた投稿の中で、
私が「予測能力」で推定しているのは、
古川さんが言う「背景知識」ではないかって書かれていたのですが、
「場」も「予測能力」も背景知識だけでは納まらない何かだと思うんです。
だって、その民間伝承に出てくる動物、例えば虎だって、蛇だって、蛙だって、
知識としては知っている訳ですから。

もう一つ。
さっき、やはりBSで、小津安二郎の「早春」って映画を見たんですね。
30代の夫婦の話で、夫が若い女性と浮気をしてしまって、
妻と険悪な状態になるけれど、夫の転勤を機によりを戻す。
話の筋はこれだけです。
これだけの話を2時間かけて、やってるんです。
でも面白い。
伝わってくるものがある。
決して、それは難しいものじゃない。
単純に、「ああ、そうだな」って思える。
でも、この小津作品が海を渡って、フランスなんかでも
高い評価を受けているらしいんですが、
その受け止められ方は、そういう単純なもんじゃないんですね。
一種のシュールな作品として、その抽象性が評価されてるんです。
結構、難しい映画理論かなんかで語られてたりしてるんです。
これなんかも、「日本人としての」私の「場」と、
フランス人との「場」の相違が原因だと思うんです。
彼らだって、夫が浮気して、妻が怒って、仲直りしてって事は、
すぐに解っているはずですから。
それでも、シュールに感じてしまう・・・。

〉文と文は「連想力」でつながっているのです。
〉「連想力」なき文の集合は、「物語」ではありません。
〉「連想力」とは、例えば、語のレベルで言えば、
〉「りんご」という語に対して、「赤」とか「歯ぐき」を思わず連想させるような力です。

これも、「りんご」からの連想と言うより、
日本で暮らしている私たちが普段目にしている「りんご」に紅が多くて、
デンターライオンのCMをみんなが見ていて、
記憶の何処かに「あなたはりんごを噛んでちがでませんか?」
って言うのを聞いた経験があって、
と言う「場」の共有性の話だと思うんです。

〉文のレベルで言うと、「これ、どうぞ。」に対して、「ありがとう。」とか。
〉あるいは、「愛してるわ・・・」に対して、いくつかの連想を経て、「さようなら。」とか。
〉まぁ、ごく単純な例しか挙げられませんが、このような力です。
〉そして、この「連想力」による「連想」には2種類あって、
〉連想自体が意識に上りやすい「浅い連想」と、
〉連想を意識できずに無意識の中にとどまる「深い連想」とがあります。
〉上記の例は、連想自体が意識に上りやすい「浅い連想」で、
〉「ああ、連想しているな」と思えるのですが、
〉連想など意識せずに文をつなげているときには
〉「深い連想」が大いに働いているのです。
〉道化師さんは、この「連想」の要素に注目して、「予測能力」という
〉表現を選ばれたのではないでしょうか?

読む者みんなに共通の「連想」を起こさせるのが「場」だし、
その「場」が、その「場」にいる参加者に共通に「連想」させる力を、
私は「予測能力」と呼んだ訳です。
ここで、大事なのは、「連想」を読む者がいかに「共通」の「連想」を
するかなんですね。
読む者が、ただ自分勝手に、自分の体験から連想していては、
やっぱり「何故、言語で(他人の書いた)文を読めるか」
に答えられなくなってしまう。

杏樹さんの「文章処理能力」に反応すると言う流れで、
多読で身に付くのは「予測能力」だって書いた訳ですが、
実は、その先に以上書いたような、
「多読によって読めるようになるのは、その場を共有するからだ」
って言う発想があったので、訂正した方がいいかもしれませんね。

〉言葉の最小単位ですので、「物語」を小さく切り刻んだ要素、
〉例えば、単語、孤立した文などはもはや言葉ではありません。
〉従って、これらをいくらインプットしても、脳の言語野は
〉それらを言葉としてなかなか認識しないのです。
〉ところがSSS的多読だと、「物語」そのものをインプットするので、
〉脳の言語野はちゃんと言葉として認識して、
〉言語野の成長が促進されるのではないでしょうか?

脳の言語野の働きは知りませんが、
(そういう名前の部分があるらしいって言うのは知っていますが)
そういう脳の機質の問題や、チョムスキーの生成文法のような話にしてしまうと、
「何故、コトバが伝わるのか、理解されるのか」は説明でいるんですけれど、
さっきの伝承や小津作品のように
「何故、伝わらないのか」が説明できなくなってしまう気がします。
だれでも、同じ脳の機能をもっているんだから、
伝わるはずじゃないかって、具合です。

〉いや、もう少し精密に表現すると、
〉「物語」のイメージが漂っている状態なら、
〉取り出した個々の語や文も、言葉として感じられるのです。
〉多読で覚えた語や表現が、生き生きとしているのは
〉そのような理由からではないでしょうか?

たとえ発話者にとって物語の中で自然に身に付いた表現だったとしても、
物語から離れて、今のギャルに
「野菊ような君なりき」
って褒め上げても、伝わらないんじゃないかなーって、思うんですが・・・。

以上くだくだといつものように、書いてきましたが、
転職してプロの言語学者になる訳でもないので、
うまく整理出来ていません。

後は、たこ焼さんと私に共通の「場」が存在するのを、
祈るばかりです・・・・。

ではであ。


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10896. すいません。もう寝ます。続きは起きてからです。

お名前: たこ焼
投稿日: 2004/3/13(04:25)

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こんばんはー、道化師さん。たこ焼です。

ええーと、
まず修正させていただきます。

〉〉たこ焼は道化師さんの考えに「大賛成!」
〉〉おそらくは、同じことを考えていると思います。
〉〉そう、道化師さんの「予測能力」なるものを、
〉〉たこ焼は「言葉の最小単位は物語」と表現します。

ですが、
下記のように言い換えた方がいいですね。

たこ焼は道化師さんの考えに「大賛成!」
おそらくは、同じことを考えていると思います。
同じこととは、「言葉の最小単位は物語」ということです。
道化師さんはこれを「予測能力」という言葉で巨視的に表現し、
たこ焼は「連想力」という言葉で微視的に表現しています。




さてさて、
今はもうかなり眠いので、道化師さんのこの投稿に
今の時点では
まともなレスは付けられないことを堪忍してください。
寝て起きてからちゃんと読んでレスをつけます。
今から寝るので、レスを付けられるのは遅いかも。


今、ボーっとした頭で、読んだかぎりは、
やはり同じことを考えているけど、表現形式が
たこ焼が微分形式なのに対し、道化師さんは積分形式のように思います。
すいません。理系の人しかピンとこないかも・・・。

道化師さんって、全体を強く意識する人なんだと思います。
最近の道化師さんの書き込み群を見ても強くそう思いますし、
「議論を楽しく」と本気で言える人は、やはり、おのれを無にして
全体を見れる人だと思います。
たこ焼も、全体を意識するのですが、やはり、
道化師さんに比べると弱いです。それに、
物事をむき出しにしてより微視的に見てやろう!
という意識がかなり強いように思います。
両者のこの差が、そのまま表現形式の差になっているようです。
まったくもって素晴らしいことですよ、これは!

例えるなら・・・
たこ焼が微視的なら、道化師さんは巨視的ということ。
微小な「連想力」の総和が、「予測能力」あるいは「場」?
微分に対して、積分?
何とかの定理の表現には、微分形式もあれば、積分形式もある?
物体の運動の記述には、微分方程式ma=Fもあれば、
軌道を記述する二次方程式もある?
北に進むには、手元のコンパスを見続ける方法もあれば、
北極星を目指す方法もある?
・・・
というようなイメージ(論理じゃないです)を、道化師さんの最初の投稿を拝見したとき、
感じました。だから、同じものを見ていると感じたんです。

ではでは〜♪ また明日。あっ、もう強化!あはははh。

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10931. アジの開き

お名前: 道化師
投稿日: 2004/3/13(23:51)

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たこ焼さん、こんばんは。道化師です。

本筋とは違うんですが、ちょっとタネあかし。

〉今、ボーっとした頭で、読んだかぎりは、
〉やはり同じことを考えているけど、表現形式が
〉たこ焼が微分形式なのに対し、道化師さんは積分形式のように思います。
〉すいません。理系の人しかピンとこないかも・・・。

すいません。まさに私がピンとこない人です・・・。

〉道化師さんって、全体を強く意識する人なんだと思います。
〉最近の道化師さんの書き込み群を見ても強くそう思いますし、
〉「議論を楽しく」と本気で言える人は、やはり、おのれを無にして
〉全体を見れる人だと思います。

「見れる」か見れないかの能力、可能性の問題はさておき、
「全体」を見てからって言うのは、かなり意識してます。
なぜかと言うと・・・・

〉例えるなら・・・
〉たこ焼が微視的なら、道化師さんは巨視的ということ。
〉微小な「連想力」の総和が、「予測能力」あるいは「場」?

こうならないと考えてるからなんです。

「部分の総和は全体ならず」

って、思うんです。

だから、言葉の最小単位って言う切り口にも、
ちょっと懐疑的だし、
(物語も、「場」の一部っていう側面がありますから)
最近の投稿で、切った刺身は元の魚には戻らないって言うのとか、
今日のKYOさんの「トップダウン」な読み方には、
とっても同意するんですね。

教育者としての酒井先生が、その方法論としてのとっかかりに
「部分」を取り上げていかなければならないって言うご事情もわかりますがね。

SSS多読の良いところも、古川さんが書かれている、
「短い文から長い文へ」と言う部分の積み重ねで全体へではなく、
「やさしい長い文から難しい長い文へ」と言う、
「全体から全体へ」的なところなのだと思っています。
イメージにすると、積み木の積み重ねを従来型とすれば、
多読は風船に空気を入れて膨らます感じでしょうか。
小さな全体から大きな全体へって事でしょうか。

〉というようなイメージ(論理じゃないです)を、道化師さんの最初の投稿を拝見したとき、
〉感じました。だから、同じものを見ていると感じたんです。

同じものを見ていると信じています。
ただ、たこ焼さんの場合は名文家なのに対し、
私のはアジなので、その浸透力に差があるんですね。

アジのネタ開きでした。


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10981. 話のつづきは、いずれまた・・・

お名前: たこ焼
投稿日: 2004/3/14(21:28)

------------------------------

最初にお断りしときますが、たこ焼は
今回の古川さんの処置を支持します。

「楽しい議論」はもちろん望みますが、
それがとてもできない状態から、「楽しい議論」ができる状態へと
変えることは難しく、おそらく、「議論」によって変えることはできないでしょう。
しかし、普段やっている「対話」ならこれができると思いますので、
「議論」をいったんシャットダウンする今回の荒療治に賛成するのです。

ただ、そうなると
この「言葉の最小単位は物語」シリーズ、
たこ焼はしばらく書けなくなります。

古川さんは「一連の議論」の中に、このシリーズを
おそらくは入れていないでしょう。そして
「一連の議論」には関係ないと主張することはできます。
しかし、
このシリーズには「関連の議論」に含まれるような内容と意図がある、
と指摘されれば、反論はしないつもりです。
(微妙な言い回しで申し訳ない。)

などと、誤解されやすいことを言いながら、
古川さんの処置に少しでも抵触することを恐れての、
自主規制では決してありませんと強く主張しときます。
主要な問題は
「たこ焼が満足するようには書けない」
ということです。

他の人にはどう見えるのか知りませんが、このシリーズ、
自分の能力ギリギリのところで書いているつもりなのです。
自分の心の奥にじっと耳をかたむけ、
小さな声やかすかなイメージを拾い出すのは結構エネルギーが要ります。
この手の話題は、
連想の海の中で自由を感じながらでないと、たこ焼には満足に書けません。
今までも掲示板には「制限」がありましたが、それを受け入れて、
その中で自由を感じて、のびのびと書いていたのです。
この「制限」が変わった今、急には慣れることができません。
こころを総動員して書いていたのが、「制限」が揺らいで、
こころの一部が使用不能あるいは失われたような感覚です。

この「言葉の最小単位は物語」は、
たこ焼にとっては宝物なんです。
満足できるように表現したいと思うわけです。
何を大げさに・・・と思われるかもしれませんが、堪忍してください。
わがままを言っているという自覚はあるのですが、申し訳ないです。

もちろん、だからといって、
今、道化師さんが「言葉の最小単位は物語」や「事の場」についてのご意見を
投稿する自由をどうこうしようとは思っておりません。
これは道化師さんのご自由です。
しかし、今の時点ではたこ焼からのまともなレスは期待できないということです。
すんませんが。

新たなガイドラインが示され、それに慣れた頃には、また書けると思います。
その時には、この道化師さんの投稿への本格的なレスも書けるでしょう。

まぁ、もう少しお気楽な話題でしたら
ノープロブレム! 今でもどんどん書けますです、ハイ。(笑)
ご一緒に、しばらくはお気楽モードでいきませんか?

〉後は、たこ焼さんと私に共通の「場」が存在するのを、
〉祈るばかりです・・・・。

実は内心、かなり共通しているのではと思っております。(いろいろとね)(^^)

ではでは〜♪

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11002. たこ焼さん、ありがとうございました。

お名前: 道化師
投稿日: 2004/3/15(00:04)

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たこ焼さん、こんばんは。道化師です。

せっかくのたこ焼さんの「物語」でしたが、
あいにく、私の問題提起(?)の枝からに位置していたのが、
心苦しく思います。

私も古川さんの主旨を尊重し、
このツリーでの発言を差し控えようと思います。

私の駄文を精査され、「全身全霊」でお相手いただいた事に感謝します。

それでは、また、別の場所で。


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11042. 道化師さん、ありがとうございました

お名前: たこ焼
投稿日: 2004/3/15(23:24)

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道化師さん、こんばんはー。たこ焼です。

〉あいにく、私の問題提起(?)の枝からに位置していたのが、
〉心苦しく思います。

いえいえ、そういうわけではないです。
心苦しく・・・などと仰られると、こちらが心苦しくなります。

ほんと、申し訳ないです。
道化師さんも、いろいろと考えておられたでしょうに、
たこ焼が一方的に中断しちゃって・・・。

〉それでは、また、別の場所で。

はい、は〜い ♪

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10972. Re: 言葉の最小単位は「事の場」

お名前: たこ焼
投稿日: 2004/3/14(15:11)

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道化師さん、こんばんはー。たこ焼です。

〉本当に、直にたこ焼さんとこうしてお話するのは、お久しぶりですねー。

ほんと、お久しぶりですねー。(^^)

〉たこ焼さんには、私、いっぱい宿題を抱えてるんですよね。

ええっ! 宿題!?

〉(松浦亜弥問題とか、その後の神々問題?とか・・・)

松浦亜弥問題! あははっははh。
ん!? 神々問題・・・って、何? 

〉ずっと、たこ焼さんの「無意識論」について、
〉ポパーの「議論の有効性」って視点から考えているんですけれど、
〉なっかなかスッキリ考えがまとまらなくて。

ポパーの「議論の有効性」ですか!
ううう、なんかおそろしいなぁ。道化師さんは怖いからなぁ。(笑)
(ホーバークラフトのごとく、
議論が中に浮いているイメージを連想しちゃいました。)

ええーとですね、
たこ焼は、「論理の人」ではなくて、「イメージの人」なので
議論が有効な構造をしているか否かとか、ほとんど意識してないです。
用語の統一性もかなりいい加減です。
この辺、おそらくは「論理の人」である道化師さんは、
かなりイライラされるのかもしれません。
たこ焼は、誤魔化しているつもりはないです。
ただ、イメージから論理へと翻訳する際に、誤訳することが多いです。
論理の積み上げではなくて、「像」ですので、途中でコロッと変化させることも
平気でやっちゃいます。

あっ、
「無意識」についての考察は、客観的な検出がかなり困難なものを仮定して
話をつくらざるをえないので、議論にならないといえば、ならないと思いますよ。
どうぞ、お手柔らかにね。

〉でも、きっとその内、
〉「DKCは井上和香の夢を見る」って題で、レスしますねぇー。
〉(宗旨替えして、今は、井上和香のタラコ唇がお気に入り♪)

あはっははっは〜♪
井上和香といいますと、
最近やたらとお写真を目にするおねえさんかな?
う〜ん、たこ焼はもう少し年齢を重ねたかたが好みです。
「TKYは森田美由紀の夢を見たい!」という題で、
レスを付け返そうかしらん。(^^)

〉〉「香辛料が入ってないカレーライスなんて、美味しくない!」(^L^)←誰?
〉〉「寂しかったわん。NMS大丈夫かしら・・・」(*^^*)←誰?

(^L^) = (♂)
(*^^*) = (♀)
参考投稿
[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-f-g&c=e&id=10701]
[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-f-g&c=e&id=10824]


さてさて、本題です。

〉〉たこ焼は道化師さんの考えに「大賛成!」

〉ありゃ、ありがとうございます。

あははっはっはh!! 「ありゃ」ですか!
持論を真っ向からぶつけ合う「議論」を
道化師さんは期待してたのでしょうね。(ニヤニヤ)
道化師さんさん自身、今はまだ???状態で、
論がぶつかっているのか、ぶつかっていないのか
よくわからない・・・という感じなのでは?
まぁ、無理して、対立点を見つけるのではなく、
対象について語り合う「対話」も、たまには
いいのではないかとたこ焼は思いますよ。
もちろん、論がぶつかると明確になったところに関しては、
「議論」に即移行して、遠慮なくやりますが・・・。

〉〉おそらくは、同じことを考えていると思います。
〉〉そう、道化師さんの「予測能力」なるものを、
〉〉たこ焼は「言葉の最小単位は物語」と表現します。

〉なるほど。物語かぁ。
〉確かに、そうとも言えるなぁ。

でしょ? そういう感覚がありますよね。

〉「最小単位」をどう理解するかにもよると思いますが、
〉(言葉に「最小単位」という概念を持ち込んで良いのか?って事も含めて)

「持ち込んで良いのか?」という疑問は、たこ焼もよくわかります。
「言葉とは何か?」という問題意識なら、
この疑問は無視できないです。

〉「最小単位」をそのまま使うとすれば、
〉私は「言葉の最小単位は事の場」だと思っています。

〉また、訳の解らん事言い出してって思われるでしょうから、
〉ちょっと説明しますね。

あははっはは。「また」をつけましたか!

〉まっ、ちょっと駄洒落なんですが、
〉言葉→コトバ→コトのバ→事の場
〉って言う発想です。
〉「事」とは、「物事」という時に、「物」と対になる概念で、
〉「時の流れとともに移り行くプロセス、運動、思考等々」の総称です。
〉これに対して「物」は、時の流れとは関係なく、そこに在る状態です。
〉「事的存在論」と「物的存在論」とでも言いましょうか。
〉例えば、人間を「物的存在論」で言えば、たんぱく質が何%で、水分が何%、
〉骨がどういう構造になっていて、とか言うことになると思います。
〉「事的存在論」で言えば、人間は泣いて、笑って、怒って、恋をしたり、
〉子供を育てたり、信頼したり裏切ったり、そういう事ってことになります。

「物」とは、物質とか物体とか、
「事」とは、情報とか精神とか・・・
みたいな捉え方でいいのでしょうか?

〉で、言葉って言うのは、きしくも、
〉そういう「事」の起きる「場」だと思うのです。
〉「場」と言うのは、そういう「事」を存在させる、
〉時間的、空間的、広がりとでも言いましょうか。
〉場の空気を読むとか、土壇場と言う時の「場」です。
〉(もうちょっと精密に定義しないといけないのでしょうけれど)
〉人と人と繋がりを支え、包んでいる何かだと思って下さい。

精神がよって立っている「足場」・・・
いや、「足場」だと局所的な感じがしますね。
全体的な、もっと広いひろがりですね。
精神が活動している「広場」というか・・・。
でこぼこがたくさんある場所もあれば、だだっ広いグラウンドもあり、
ジャングルジムもあれば、滑り台もある、などなど。
いろんな要素がこの「広場」にあるんですね。
「精神」は、でこぼこのところでは、
くねくねと走ったり、ピョコンピョコンと飛び跳ね、
だだっ広いグラウンドでは、ダーッと直線に走り、
ジャングルジムではぶら下がり、滑り台ではすっと滑る・・・。
ひとつの「場」とまた別の「場」との違いは、
「広場」の要素の違いではないでしょうか?
数が違ったり、種類が違ったり、配置が違ったり、です。

どうでしょうか。道化師さんの「場」を
なんとなく、理解できていると思うのですが。

〉例えば、このSSSの掲示板も、空間的に限定はされないけれど、
〉ひとつの「場」である訳です。

バーチャルリアリティ空間みたいな観点からすると、
SSSの掲示板もやはり空間的に限定された「場」ということですね。

〉よく論理の矛盾かいたずらを説明する時の例で、
〉「放たれた矢は止まっている」って言うのを聞きますよね?
〉弓から矢が放たれて飛んでいるように見えるけれど、
〉その時間を細かく切り刻んで分析していくと、
〉細かく時間を切れば切るほど、矢の移動している距離は短くなる、
〉じゃあ、時間の最小単位である「瞬間」には、
〉もはや矢は移動していないで、「静止」しているはずだ。
〉だとすると、その瞬間の積み重ねである「時間」の中で、
〉私たちが見ている飛んでいる矢は、静止している矢の累積なんだ
〉って言う論理です。

〉言葉に「最小単位」という概念を持ち込むのは、
〉この論理に近い気がするのです。

そのとおりだと思います。
「言葉とは何か?」という問題意識が第1なら、まさにそうです。
「言葉」とは、なんかとても不可解なものであり、この「不可解さ」が
実は大事な属性なのではないかとも思います。ですから、
定義づけや、最小単位などで明確にしようなどとすればするほど、
「言葉」の本質から離れるような気もします。
道化師さんの例での「時間」をふまえますと、
動いている「言葉」の瞬間を捉えて明快にして「不可解さ」をなくせば、
それはもう静止した「言葉の死骸」であり、「言葉」の本質とはかけ離れている・・・
ということでしょうか。

しかし、たこ焼の問題意識は、そしておそらくSSSでの問題意識は、
「言葉とは何か?」という問題意識が第1ではないと思うんです。
「言葉の習得とは?」が第1ではないでしょうか? だとすると、つまり、
「習得のための最小単位は?」という問題意識へつなげるために
「最小単位」という概念は非常に有効だと思いますよ。

「言葉」には、「語」「文」だけでなく、これらに付随する「連想力」が
とても大事な要素だと思うんです。
この「連想力」をもインプットするには、「物語」という枠組みが最小
だと考えているわけです。

〉数ヶ月前に、顔の絵で、最小単位に触れた事がありますが、
〉あれも誤解を呼ぶ言い方でした。
〉あれも、単語と単語の関係性、つまり「場」の中で、どういう「事」かを
〉うまく伝えたいなぁって方便だったんですけれど。

そうそう、関係性!
たこ焼のいう「連想力」とは、まさに「関係性の最小単位」のことですよ。

〉それで、ある特定の人とある特定の人が語り合い、
〉(普遍的な人なんて、概念上の存在で、実際は人は全て、個別特定な存在です)
〉意志の疎通をする「場」が形成されて、
〉言い換えると、時や空間、思考、運動を包摂する「場」の共有が有って、
〉初めて「言葉」は通じる、意味が解る、理解される、と思うのです。

〉「あつい!」と発語して、
〉その時その言葉の受け取り手が、発語者と東京の湿度、温度、日差し、喧騒を
〉共有して初めて、その意味が伝わるって言う例で解るでしょうか。

例えば、
「キリン疲れには、パンダですね。」
という文は、
SSS外の人には、???で、意味不明ですが、
SSSという「場」を共有している人には、
「キリン読みで疲れたら、パンダ読みがいいですね。」
という意味として理解できる、
ということですよね。
こうした理解が可能なのは、「キリン・パンダ」という語の連想力が
「キリン読み・パンダ読み」という語を引き寄せるからなんです。
つまり、SSS の人たちは、SSS外の人が持たない連想力を持っているんです。
この連想力をどうして得られたかというと、
SSSでの投稿(これらは全て「物語」です)をたくさん読んだり、
自分で経験(これも全て「物語」です)したからなんです。

〉それとも、こんな例の方がいいでしょうか。
〉先日、BSで、「市場対国家」と言う番組を2週に渡って放送していたんですね。
〉その中で、「オーストリー学派」とか「シカゴ学派」と言うのが出てきました。
〉ある特定の時、ある特定の場所で、突出した学者が輩出して名付けられた訳ですが、
〉何故こんな事が可能なのかを考えると、
〉そこには高効率な意思伝達率を支える、
〉別の言い方をすると、濃密なコミニュケーションを支える
〉「場」があったからなんじゃないかって思いました。

つまり、
たこ焼が上で挙げたような例文を使って、
道化師さんと高効率な意思伝達ができるのは、
SSSという濃密なコミニュケーションを支える「場」があったから、
ということですよね。
これを「連想力」で説明すれば、道化師さんとたこ焼は、
共有している「連想力」が多いということです。

〉またまた別の例。
〉みかんを4,5個包んでいるネットがありますよね。
〉確かにネットは結節点とそこから伸びる糸で出来ているんですけれど、
〉だからと言って、みかんを包んでいるネットの一部を切り取っても、
〉その「みかんを包む」と言うネット本来の機能は失われてしまう。
〉みかんを包むネット全体と言う「場」があって初めて、ネットは機能する・・・。

うんうん、
やはり、「場」という考えは、「部分」ではなくて
「全体」という意味を持つんですね。

〉とにかく、今の所、私は「コトバ」ってそんな感じのものじゃないかって、
〉仮定しているんです。
〉(あくまで、仮定と言う事で、いつでも変更可能な状態にしておきます。)

なるほど、
道化師さんの「場」という考え、
たこ焼はなんとか理解できていると思うのですが・・・。

〉〉酒井先生の下記の投稿・・・

〉〉(((抜粋です)))

〉〉円〉〉「基本文例」は授業の最初に小テストもあるし、
〉〉円〉〉イヤでも外せないんでしょうし。

〉〉酒〉ほんとは基本文例なんかは覚えない方があとあと面倒がないのですよ。
〉〉酒〉それで思い出した! ぼくが学校英語を疑いはじめたきっかけは
〉〉酒〉修士論文を英語で書いていたときでした・・・
〉〉酒〉英語で書いていて、詰まる、抜け出せない、ということがあると、
〉〉酒〉どうもその直前に「英作文の公式」を使って書いた文が
〉〉酒〉あるということが何度も続きました。
〉〉酒〉つまり「基本文例」というやつに言いたいことを載せようとすると、
〉〉酒〉文が流れなくなって、その先が続けにくくなる・・・
〉〉酒〉思えばそう意識したことが「どうして英語が使えない?」に
〉〉酒〉繋がっていったのですね。
〉〉[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-yukkuri&c=e&id=809]
〉〉より一部抜粋。

〉〉基本文例で覚えた文では、文章がうまく流れない・・・
〉〉こんなこと、普通の人は気付きませんよ。
〉〉う〜ん、やはり酒井先生って、「岡本太郎」ですよね。すごいです。

〉岡本太郎、好きです。この人のゲージツは解りませんが、
〉「ゲージツは爆発だ」に代表される「コトバ」は、
〉とっても共感します。

あはっはははは。

〉と、こんな事はさておき、
〉この場合の酒井先生は、相手とある「場」を共有していた訳です。
〉しかし、酒井先生が使おうとした「基本文例」は、
〉その「場」を共有しない「コトバ」です。
〉聞き手である相手にとっても、発話者である酒井先生にとっても、
〉その「場」を共有しない「基本文例」は、
〉伝えたい意味の伝達の不能、理解の不能な記号の羅列であった
〉という事だと思います。

この辺の解釈は、たこ焼と少し違うかもしれません。
酒井先生は「相手に伝えられなかった」とは仰っていません。
「言葉をスラスラと出せなかった」と仰っているのだと思います。
修士論文のアイデア自体は既に完成されていても、
英語で表現しようとしたときに、基本文例で覚えた文の後では
「語」や「文」が次々に浮かんでこなかった、
ということだと思います。

「基本文例」の集まりは物語ではありません。
個々の文と文の間に連想力によるつながりがないからです。
ですから、覚えた「基本文例」は「連想力」を付随していないのです。

この投稿にしてもそうですが、人がこうして文章を書いているとき、
流れよく次から次へと「語」や「文」が浮かぶのは、
それまでに書いた・読んだ「語」や「文」の「連想力」の働きによるのです。
ですから、「連想力」を付随しない「基本文例」の後では、スラスラとは
浮かんでこない・・・ということだと思います。

〉〉個々の単語は、文の中にないと意味が決まらない
〉〉などと考えていましたが、
〉〉その個々の文すら、「物語」の中にないと意味が確定しない
〉〉のです。

〉確かに「物語」は、その中に独自の「場」を持っていると思います。
〉そして、読者は、読む事で、その独自の「場」に入って行き、
〉その「場」を共有する事で、「コトバ」を理解していく。
〉でも、その物語独自の「場」を共有出来る事の前提に、
〉私たちが既に存在している「場」と物語の「場」が重なっている必要が
〉あると思うのです。

そのとおりですね。これは、
「キリン疲れには、パンダですね。」の例と同じことですね。

〉例えばGRにもあるのですが、南の国の民間伝承の話なんかを読むと、
〉何かが何かに変化して、それがどうして、どうなったなんて言う話がありますが、
〉たしかに、その書いてある事自体はわかります。
〉でも、それがどうした?って言う感が拭えないんですね。
〉その話の意味が解らないし、それで結末かい?って感じで、
〉それが何故結末になるのかも解らない。
〉だから、民間伝承って事ですから、それを代々口伝してきた人々が居る訳で、
〉その人達が口伝してきたって事は、その話に何かを感じ、感動したから、
〉わざわざ口伝してきた訳なのに、その訳がわからない。
〉これなんかも、その民間伝承話の「場」と私の「場」が重なっていない
〉って事だと思うんです。

そのとおりだと思います。
彼らが持つ「連想力」のセットのすべてを
我われが持つわけではないということです。

先ほどの例に従えば、
「パンダとキリン、どっちが好き?」
という文は、
SSS外の人には、
「パンダという動物とキリンという動物、どっちが好き?」
という意味にしか理解できませんが、
しかし、SSS内の人には、
「パンダという動物とキリンという動物、どっちが好き?」
の他に、
「パンダ読みとキリン読み、どっちが好き?」
という理解もできます。

「パンダとキリン、どっちが好き?」という文が持つ「連想力」のセットと
受け手が持つ「連想力」のセットの重なり具合によっては、
上記のような理解・解釈の差も出てくるわけです。

〉昨日か一昨日、みちるさんが消してしまわれた投稿の中で、
〉私が「予測能力」で推定しているのは、
〉古川さんが言う「背景知識」ではないかって書かれていたのですが、
〉「場」も「予測能力」も背景知識だけでは納まらない何かだと思うんです。
〉だって、その民間伝承に出てくる動物、例えば虎だって、蛇だって、蛙だって、
〉知識としては知っている訳ですから。

「背景知識」といったときの「知識」は、個々の「知識」の間の
関係性が切れてしまっていることが多いと思います。
また、「知識」を整理するために、因果関係で記述されたりするのですが、
「連想」はこういう因果関係を超えてますから・・・。

〉もう一つ。
〉さっき、やはりBSで、小津安二郎の「早春」って映画を見たんですね。
〉30代の夫婦の話で、夫が若い女性と浮気をしてしまって、
〉妻と険悪な状態になるけれど、夫の転勤を機によりを戻す。
〉話の筋はこれだけです。
〉これだけの話を2時間かけて、やってるんです。
〉でも面白い。
〉伝わってくるものがある。
〉決して、それは難しいものじゃない。
〉単純に、「ああ、そうだな」って思える。
〉でも、この小津作品が海を渡って、フランスなんかでも
〉高い評価を受けているらしいんですが、
〉その受け止められ方は、そういう単純なもんじゃないんですね。
〉一種のシュールな作品として、その抽象性が評価されてるんです。
〉結構、難しい映画理論かなんかで語られてたりしてるんです。
〉これなんかも、「日本人としての」私の「場」と、
〉フランス人との「場」の相違が原因だと思うんです。
〉彼らだって、夫が浮気して、妻が怒って、仲直りしてって事は、
〉すぐに解っているはずですから。
〉それでも、シュールに感じてしまう・・・。

なるほど、「場」の微妙な相違が
想像の差を生みだし、シュールに感じてしまうのでしょうね。

またまた先ほどの例に従えば、
「中国産のパンダはやさしい性格だけど、アフリカ産のキリンは気難しい。」
という文は、
SSS外の人には、
「中国産のパンダという動物はやさしい性格だけど、
アフリカ産のキリンという動物は気難しい。」
という意味にしか理解できません。
しかし、SSS内の人も、正確には、同じく
「中国産のパンダという動物はやさしい性格だけど、
アフリカ産のキリンという動物は気難しい。」
という理解しかできないのですが、
「ニヤッ」と笑みを浮かべるイメージが湧くことがあるのです。
(パンダ読みはやさしいけど、キリン読みは難しい。)
(中国語はパンダ読みしやすくって、スワヒリ語はキリン読みが難しい。)
(パンダ読みは中国人の発明で、キリン読みはアフリカ人の発明。)
などなど。
シュールだと思いませんか・・・?
これらのイメージは、「キリン・パンダ」という語の連想力が
「キリン読み・パンダ読み」という語を引き寄せ、
他の「語」もそれぞれが「連想力」により、「中国語」とか「アフリカ人」という
新しい「語」を引き寄せた結果です。

〉〉文と文は「連想力」でつながっているのです。
〉〉「連想力」なき文の集合は、「物語」ではありません。
〉〉「連想力」とは、例えば、語のレベルで言えば、
〉〉「りんご」という語に対して、「赤」とか「歯ぐき」を思わず連想させるような力です。

〉これも、「りんご」からの連想と言うより、
〉日本で暮らしている私たちが普段目にしている「りんご」に紅が多くて、
〉デンターライオンのCMをみんなが見ていて、
〉記憶の何処かに「あなたはりんごを噛んでちがでませんか?」
〉って言うのを聞いた経験があって、
〉と言う「場」の共有性の話だと思うんです。

「共有性」! まさに、そうです。
「りんご」から「赤」への連想は古来からあるのでしょうが、
「歯ぐき」への連想は現代だけですよね。
そしてこれらの「赤」「歯ぐき」への連想は、日本という枠でのことです。
他の国では、まず「歯ぐき」はないでしょう。(笑)
「apple」という語の持つ連想力は、「red」を強く引き寄せるのか、
はたして「green」なのか、たこ焼は知りません。

言葉の体系が異なると、「連想力」のセットも違ってきます。
もちろん、共通の部分も多いのですが、違う部分もあるのでしょう。
だからこそ、「英単語に日本語訳」という方法は、マズイのです。
その英単語の連想力のセットを正しくインプットできず、
日本語には訳せるけど、理解できない・・・ということが起こるでしょう。
また、英語にはないけれど日本語にある「連想力」に引きずられて、
誤読・誤解する可能性もあるわけです。

〉〉文のレベルで言うと、「これ、どうぞ。」に対して、「ありがとう。」とか。
〉〉あるいは、「愛してるわ・・・」に対して、いくつかの連想を経て、「さようなら。」とか。
〉〉まぁ、ごく単純な例しか挙げられませんが、このような力です。
〉〉そして、この「連想力」による「連想」には2種類あって、
〉〉連想自体が意識に上りやすい「浅い連想」と、
〉〉連想を意識できずに無意識の中にとどまる「深い連想」とがあります。
〉〉上記の例は、連想自体が意識に上りやすい「浅い連想」で、
〉〉「ああ、連想しているな」と思えるのですが、
〉〉連想など意識せずに文をつなげているときには
〉〉「深い連想」が大いに働いているのです。
〉〉道化師さんは、この「連想」の要素に注目して、「予測能力」という
〉〉表現を選ばれたのではないでしょうか?

〉読む者みんなに共通の「連想」を起こさせるのが「場」だし、
〉その「場」が、その「場」にいる参加者に共通に「連想」させる力を、
〉私は「予測能力」と呼んだ訳です。
〉ここで、大事なのは、「連想」を読む者がいかに「共通」の「連想」を
〉するかなんですね。
〉読む者が、ただ自分勝手に、自分の体験から連想していては、
〉やっぱり「何故、言語で(他人の書いた)文を読めるか」
〉に答えられなくなってしまう。

そうなんです。
「共有」が大事なんです。
だから、英語ができるようになるには、
英語の「連想力」をインプットして、英語圏の人たちと「共有」する必要があるのです。
英語の「連想力」をそのままインプットできる最小単位が「物語」なんです。

〉杏樹さんの「文章処理能力」に反応すると言う流れで、
〉多読で身に付くのは「予測能力」だって書いた訳ですが、
〉実は、その先に以上書いたような、
〉「多読によって読めるようになるのは、その場を共有するからだ」
〉って言う発想があったので、訂正した方がいいかもしれませんね。

日本語にしろ、英語にしろ、
「日本語の場」や「英語の場」を共有するから意味が伝わるんですよね。
たこ焼が言うとすれば、
「日本語の連想力のセット」や「英語の連想力のセット」を共有するから意味が伝わる、
ということです。

〉〉言葉の最小単位ですので、「物語」を小さく切り刻んだ要素、
〉〉例えば、単語、孤立した文などはもはや言葉ではありません。
〉〉従って、これらをいくらインプットしても、脳の言語野は
〉〉それらを言葉としてなかなか認識しないのです。
〉〉ところがSSS的多読だと、「物語」そのものをインプットするので、
〉〉脳の言語野はちゃんと言葉として認識して、
〉〉言語野の成長が促進されるのではないでしょうか?

〉脳の言語野の働きは知りませんが、
〉(そういう名前の部分があるらしいって言うのは知っていますが)
〉そういう脳の機質の問題や、チョムスキーの生成文法のような話にしてしまうと、
〉「何故、コトバが伝わるのか、理解されるのか」は説明でいるんですけれど、
〉さっきの伝承や小津作品のように
〉「何故、伝わらないのか」が説明できなくなってしまう気がします。
〉だれでも、同じ脳の機能をもっているんだから、
〉伝わるはずじゃないかって、具合です。

まさに、「場」の違い、「連想力」のセットの違いだと思います。
脳には「連想力」をインプットする機能があるのに、
それを利用してこなかった、いや、「連想力」を無視していたのが、
従来の英語学習法だと思います。

〉〉いや、もう少し精密に表現すると、
〉〉「物語」のイメージが漂っている状態なら、
〉〉取り出した個々の語や文も、言葉として感じられるのです。
〉〉多読で覚えた語や表現が、生き生きとしているのは
〉〉そのような理由からではないでしょうか?

〉たとえ発話者にとって物語の中で自然に身に付いた表現だったとしても、
〉物語から離れて、今のギャルに
〉「野菊ような君なりき」
〉って褒め上げても、伝わらないんじゃないかなーって、思うんですが・・・。

それは、今のギャルのなかに、その「物語」がないからですよ。
それにしても・・・
ギャルをそんな言葉で褒め上げる・・・
そのような経験を道化師さんはしているのですね?(大笑)

〉以上くだくだといつものように、書いてきましたが、
〉転職してプロの言語学者になる訳でもないので、
〉うまく整理出来ていません。

たこ焼もプロの言語学者になるつもり全くないです。(笑)
プロから見れば、用語の使い方とかめちゃくちゃなのかもしれませんが、
たこ焼はぜんぜん気にしません。
他人の言葉で語るより、自分の言葉で語った方が楽しいですからね。

〉後は、たこ焼さんと私に共通の「場」が存在するのを、
〉祈るばかりです・・・・。

たこ焼はますます一緒だと確信しました。
いや、もっと精密に表現すれば、
道化師さんの「場」をたこ焼の「連想力の総和」でかなりうまく近似できる
ということです。この辺のことは、もう一方のレスに書きます。

〉ではであ。

ではでは〜♪

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