Re: 複雑な英文を読むための方法論を欠いたSSS

[掲示板: 〈過去ログ〉過去ログ2(英語教育についての論争) -- 最新メッセージID: 983 // 時刻: 2024/4/29(22:58)]

管理用 HELP LOGIN    :    :



上へ上へ | 前のメッセージへ前のメッセージへ | 次のメッセージへ次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む返答を書き込む | 訂正する訂正する | 削除する削除する

430. Re: 複雑な英文を読むための方法論を欠いたSSS

お名前: SSS学習法研究会 河手真理子
投稿日: 2002/2/16(00:01)

------------------------------

呂 奉先様

ご意見ありがとうございます。

「小説をいくら読んだところで、論説文や評論文は決して
読めない」ということは、ごく当たり前の事実である。

というのは本当に事実でしょうか。
国語の点数が悪いと嘆く子に、小・中・高の国語の先生は、「本をたくさん読みなさい」と言います。何人もの先生にそう言われてきました。
だったら、英語も同じだと思うんです。

小説と言っても内容やレベルはいろいろあります。
わたしは、ふつうの文学作品をたくさん読んでいれば、論説文や評論文も読めると思います。
もちろん、使われる語彙は違うでしょう。
そのときは、キーワードとなるような、言葉を調べれば文章を理解するという意味では読めると思います。
ある程度文章を読めるようになったら、むしろ一般的な論説文のほうが易しいということはありませんか?
「一般的な」とつけたのは、「専門書」ではなく、という意味です。

子供に本を読ませるときに、最初に文の構造などは教えません。
ただ、ひたすら字を読んで内容を楽しませるだけです。そういう読み方をしていても、小学校高学年以上、
中学、高校になれば、その年齢にあった論説文、評論文は読めるようになります。
もちろん、内容と読む人の知的レベルが合致していることを条件に話しています。

子供たちや、ここで多読を始めようと思う好奇心の旺盛な大人たちは、ある程度、文章が軽快なリズムをもって
本を読めるようになると、自分の好奇心を満足させようと、いろいろな内容、分野の本に手をだしたくなるでしょう。
自分の読みたい分野の本があって、英語の文字に対する拒否感がなくなっていれば、いくつかのキーワードを辞書でひくことによって、その本は読めるようになると思います。

Greaded Reader を段階的にたくさん読もうというのは、そういうことができるようになるための、最初のステップとしてお薦めの方法であるという主張です。
一見時間がかかりそうですが、一番近道の方法であると思っています。
英語の本がすらすら読めるようになるには時間がかかるものだと思います。
もちろん、わたしたちのお薦めする方法が、すべてであるというふうに押しつけてはいません。
ほかに本が読めるようになる方法も多数あることでしょう。


上へ上へ | 前のメッセージへ前のメッセージへ | 次のメッセージへ次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む返答を書き込む | 訂正する訂正する | 削除する削除する

440. Re: 複雑な英文を読むための方法論を欠いたSSS

お名前: 呂 奉先
投稿日: 2002/2/16(16:30)

------------------------------

〉「小説をいくら読んだところで、論説文や評論文は決して
〉 読めない」ということは、ごく当たり前の事実である。

〉というのは本当に事実でしょうか。
〉国語の点数が悪いと嘆く子に、小・中・高の国語の先生は、「本をたくさん読みなさい」と言います。何人もの先生にそう言われてきました。
〉だったら、英語も同じだと思うんです。

私は、上記内容(自分の発言)は事実であると思っている。
実際、小学生や中学生の時期に「国語が得意」と言っている
子供たちが、高校の国語の授業で行き詰まる様を、何度も
見ている。
高校国語とそれまでの国語の違いは、扱われる文章の違い
すなわち、評論,論説文を中心に扱うか、小説を中心に扱うか
の違いである。
実際、評論文における作者の意図の読み取りは、小説における
主人公の気持ちの読み取りとは、全く質の違うものであり、
高等国語教育では、そういった質の違う読み取り方を教える
ことも重要だと感じている。

無論、本をたくさん読むことにより、絶対的な文章読解能力は
向上するのは間違い無い。ただ、その「絶対的能力」だけでは
どうにもならない壁にぶつかってしまう、ということである。
その壁を破るために、日本語の場合、語彙的,文法的な説明を
要すると申し上げているのである。

この部分で全く違う意見をお持ちであれば、これ以上の議論は
成立しない。あくまでもこれは、私の考えで絶対的なものでは
ないとは思っている。

ただ、たった1つ断言できることがある。
それは、日本語も英語も同じ言語であるということ。
つまり、日本語能力の向上に役立つことは、英語でも役立ち、
そのまた逆も真である。
その能力向上の1つの方法として、多読は大きな力をもっている
ことは間違いないはずである。

以上、お騒がせいたしました。


タイトル一覧へ(返答順)(B)

タイトル一覧へ(日付順)


Maintenance: SSS 事務局
KINOBOARDS/1.0 R7.3: Copyright © 1995-2000 NAKAMURA, Hiroshi.