Re: 読みやすさレベル:どこまでこだわる必要があるのだろう?

[掲示板: 〈過去ログ〉YL・語数・書評システム情報 -- 最新メッセージID: 1253 // 時刻: 2024/5/10(06:08)]

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342. Re: 読みやすさレベル:どこまでこだわる必要があるのだろう?

お名前: 杏樹
投稿日: 2004/7/19(23:58)

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appleさん、こんにちは。

〉シャドウイングレベル、という話をし始めて、色々考えて、
〉「読みやすさレベルにどこまでこだわる必要があるのだろう?」と感じてきました。

こだわるのはよくないかもしれませんが、レベル分けは無かったら困ります。

〉もちろん、いきなり難しい本は読めない。
〉易しい本からという方針には賛成です。
〉が・・・ただの「レベル」から「読みやすさレベル」へと細かく分かれ、
〉低い本が読めないからこの本は絶対無理だとか思ったりするうちに、
〉思い出したのは、大学受験のときの「偏差値」でした。

〉偏差値を上げる努力は、ある意味で、
〉読みやすさレベルの高い本を読めるようになるための積み重ねに似ているかもしれない。
〉やらなきゃ伸びない。
〉でも・・・
〉読みやすさレベルの0.1の差が、偏差値の1の差くらいに、
〉そのときの体調や、本(大学)との相性のようなもので、
〉簡単に変化してしまうことも事実な気がして。

GRのように語数や文法に制限があるものはレベルが決めやすいですが、児童書はそれほど細かいレベルに分けられないのも事実です。もちろん、GRでもレベルの低いものが必ずしも読みやすいとは限りませんが。

〉大学入試は、試験日が同じ学校を受けることは出来ないけど、
〉本は一度読めなかったからと言って、ずっと読めないわけじゃない。
〉そう思うと。

〉背伸びして読んでみたっていいじゃないか!
〉  無理だったらまたあとまわしすればいいだけさ。

〉たまにはゆっくりやさしいのをよんだっていいじゃないか!
〉  そのうち、難しいのが読んでみたくもなるさ。

〉偏差値は息抜きしすぎると下がるけど、語数は減らない。
〉読もうとした本をあとまわししたって、人生がひっくり返るものでもない。

ごもっとも。
でもその境地に達するまでにはやはり語数や年月の積み重ねが必要です。
読みにくい本ばかり続いてしまったら、多読そのものに挫折する原因にもなります。今はレベル3ぐらいで100万語通過が標準とされていますが、そのあたりのレベルですと、2と4ではかなり読みやすさに開きを感じます。そうするとやはりレベル2〜3を中心に本を選ぶことが必要になります。
多読では「キリン読み」も推奨されています。レベルが上だから読めない、と思わないで、興味を惹かれる本はのぞいてみる、という方法もありますから、「読めないと思わなくてもいい」というアドバイスは必要かもしれません。

〉おおよその目安は必要だけど、人間の感覚だって人によって違う。
〉昔の「レベル」か、せめて「レベル2の上のほう」とかいうような、
〉おおざっぱなくくりでもいいのかもしれない・・・とも思えてきた。

それはappleさんがレベルにこだわらない境地に達したからではないでしょうか。
自分がこだわりたくない境地に達したら、レベルは考えないで本を選べばいいでしょう。「目安になる人もいる」ぐらいに気楽に考えればいかがでしょう。


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345. Re: 読みやすさレベル:どこまでこだわる必要があるのだろう?

お名前: apple http://www.geocities.co.jp/Bookend-Hemingway/5353/
投稿日: 2004/7/22(22:17)

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杏樹さん、こんばんは。
遅くなってしまって申し訳ありません。

私が書きたかったことは、レベルわけそのものの完全否定ではありません。
やはりレベル0から始めるというのは大切なことだと思いますし、
今のところにたどり着くまでにも何となく順番は意識していましたから。

読みやすさレベルが細分化されたことで、
どこか心の中で、例えば今自分がレベル2を読んでいるとしたら、
「読みやすさレベルが2.0の本→2.2の本→2.4の本→・・・」
のような順位付けで読む、という意識を持ってしまった気がするのです。
あるいは、セットを買うときに、
「読みやすさレベル2.0〜2.4のセットを、2.5〜2.8のセットより先に買う」
のような感じ? でしょうか。
そこでどこかでつまずくと、ずっとつまずいたままになってしまっていました。
逆に、書評を書く側になると、この読みやすさレベルの判定が難しく、
GRや児童書でもレベル分けのされているものはまだやりやすいのですが、
そうでないものは本当にアタマが痛く、
現在の書評システムが複数の意見を取り入れて読みやすさレベルを決める、
となったときに「これはありがたい、書きやすくなった」と思いました。

しかし、書評システムを今まさに利用して読んでいるレベルのタドキストには、
書評システムのレビューを書く、ということは書き込みにくいというか、
ハードルの高さを感じているかたが多いように感じるのです。
「先輩タドキストの決めてくださった読みやすさレベルに異を唱えにくい」
という感じのようです。

一番いいのは今まさに読むのにちょうどいいレベルの人の意見が反映できれば、
ということなのかもしれないけれども、なんか難しいなー、と感じてしまいました。

もっとも、先輩タドキストという表現も、
どういう理由で先輩後輩を分けるのか難しいので、変かもしれませんが。
#語数?始めた時期?読んだ本のバラエティさ?

ごめんなさい、やはり、モヤモヤしています・・・。


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