Re: 結果オーライ

[掲示板: 〈過去ログ〉SSS雑談の掲示板 -- 最新メッセージID: 3556 // 時刻: 2024/6/3(02:09)]

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2996. Re: 結果オーライ

お名前: こるも
投稿日: 2008/10/26(09:00)

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akoさん、たかさん、こんばんは。

〉〉ドッペル*たか*こる*ゲンガーさん、おはようございます。
〉〉秘密戦隊所属、秘密調査員akoゲンガーです。

いろんな人がいるなあ。

〉〉戦死者数
〉〉 日清戦争→997人
〉〉 日露戦争→55,655人
〉〉(出典:国立公文書館アジア歴史資料センター)

〉〉脚気死者数
〉〉 日清戦争期→約4,000人
〉〉 日露戦争期→27,800人(患者数は20万人を超えたとの由)
〉〉(出典:『鴎外最大の悲劇』(坂内 正))

〉〉なので、日清か日露か?の部分は、日露戦争の時、ということになるようです。
〉〉たしかに戦死者総数からみて、脚気死者数が多すぎますね。

こんなに死んだの?
患者は、相当数いたんだろうね。
 
〉私の元ネタの本を引っぱり出してまいりました。
〉高橋秀実『素晴らしきラジオ体操』p.92〜

〉軍隊で「脚気」根絶の偉業を成し遂げたのは、海軍軍医総監、高木兼寛男爵であった。

〉何せ、このころ、病気で倒れる兵士が多かった。
〉日清戦争、全戦死者13,488人中、11,849人が病死している。
〉中でも脚気は深刻な「死病」で、全兵士の30%が冒されていた。

すごいね、これ。

〉陸軍医は脚気を「脚気病菌」による伝染病と断定し、「脚気病菌」の発見までしていた。
〉(「ないものもあると決めてかかれば見つかるものである。」高橋氏)

ここがね、面白い。
確かにないものが見つかったりするよね。

野口英世の「黄熱病菌」も、エクアドルで見つけたみたいだし。(本当は、ウイルス)
「野口ワクチン」も、エクアドルでは効いた。
でも、アフリカでは効かなかった。

〉ドイツ医学は「研究室医学」と呼ばれており、血液を採取してバイ菌を調べるのが医学だった。
〉ドイツには細菌学者が多く、その影響で、脚気も脚気病菌によるものと断定されたのだ。

あー、ロバート・コッホの影響だねえ。

〉が、海軍医の高木男爵は、脚気の原因は菌ではなく、栄養状態であると主張した。
〉留学したイギリスには脚気はなかった。「白米にタクアン」という偏った兵食が原因だろう、
〉タンパク質不足が脚気の原因であるに違いない、と考えた。

〉男爵は、軍艦で一種の人体実験を行なう。
〉大量に脚気患者を出した軍艦Aとまったく同じルートを軍艦Bに航海させ、
〉食事内容だけ変え、タンパク質を多く含む麦、パン、肉、野菜の兵食とした。
〉すると、脚気患者はほとんど出なかった。
〉(軍艦A:376名中169名 → 軍艦B:333名中14名(うち12名はきちんと兵食をとらなかった者))
〉脚気は菌ではなく、兵食の内容が原因であるという、高木男爵の説の正しさが証明された。

バランスいい食事が大事ってことだよね。
船の中は、どうしてもバランス不足になる。
壊血病も、そう。

〉ただし、のちのちわかったことだが、タンパク質が良かったのではなかった。
〉麦に含まれているビタミンが良かったのだ。それが不足することで起こるのが脚気。
〉しかし、結果オーライ。
〉「男爵は『病気を診ずして病人を診よ』の正しさを世に知らしめ、宿敵陸軍医にも勝利した。」

すごいねえ。かっこいい。

北里柴三郎も、東大とかにたてついた(?)ために後に研究所を取り上げられちゃったりするんだよ。
研究するのもいろいろ大変よね。
でも、自分で研究所を立ち上げ直したときに、もとの研究所にいた研究者が、こぞって移ってきたんだって。

そんではでは。


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2997. 超ド級

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/27(23:47)

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こるさん、こんばんは。

〉〉〉ドッペル*たか*こる*ゲンガーさん、おはようございます。
〉〉〉秘密戦隊所属、秘密調査員akoゲンガーです。

〉いろんな人がいるなあ。

ねー。ほんとに。

〉〉〉戦死者数
〉〉〉 日清戦争→997人
〉〉〉 日露戦争→55,655人
〉〉〉(出典:国立公文書館アジア歴史資料センター)

〉〉〉脚気死者数
〉〉〉 日清戦争期→約4,000人
〉〉〉 日露戦争期→27,800人(患者数は20万人を超えたとの由)
〉〉〉(出典:『鴎外最大の悲劇』(坂内 正))

〉〉〉なので、日清か日露か?の部分は、日露戦争の時、ということになるようです。
〉〉〉たしかに戦死者総数からみて、脚気死者数が多すぎますね。

〉こんなに死んだの?
〉患者は、相当数いたんだろうね。

そのようですね。

〉〉私の元ネタの本を引っぱり出してまいりました。
〉〉高橋秀実『素晴らしきラジオ体操』p.92〜

〉〉軍隊で「脚気」根絶の偉業を成し遂げたのは、海軍軍医総監、高木兼寛男爵であった。

〉〉何せ、このころ、病気で倒れる兵士が多かった。
〉〉日清戦争、全戦死者13,488人中、11,849人が病死している。
〉〉中でも脚気は深刻な「死病」で、全兵士の30%が冒されていた。

〉すごいね、これ。

でしょ。
原因がわかってしまえばきわめて簡単なことだったのに、というのは後知恵ですが。

〉〉陸軍医は脚気を「脚気病菌」による伝染病と断定し、「脚気病菌」の発見までしていた。
〉〉(「ないものもあると決めてかかれば見つかるものである。」高橋氏)

〉ここがね、面白い。
〉確かにないものが見つかったりするよね。

〉野口英世の「黄熱病菌」も、エクアドルで見つけたみたいだし。(本当は、ウイルス)
〉「野口ワクチン」も、エクアドルでは効いた。
〉でも、アフリカでは効かなかった。

一種のプラシボか?
でも、現代の医療でもそういう面もあると思う。先生の人柄とか。

〉〉ドイツ医学は「研究室医学」と呼ばれており、血液を採取してバイ菌を調べるのが医学だった。
〉〉ドイツには細菌学者が多く、その影響で、脚気も脚気病菌によるものと断定されたのだ。

〉あー、ロバート・コッホの影響だねえ。

コッホコッホって、いかにも細菌学者って感じの名前だけど、別にそういう意味じゃないよね。

〉〉が、海軍医の高木男爵は、脚気の原因は菌ではなく、栄養状態であると主張した。
〉〉留学したイギリスには脚気はなかった。「白米にタクアン」という偏った兵食が原因だろう、
〉〉タンパク質不足が脚気の原因であるに違いない、と考えた。

〉〉男爵は、軍艦で一種の人体実験を行なう。
〉〉大量に脚気患者を出した軍艦Aとまったく同じルートを軍艦Bに航海させ、
〉〉食事内容だけ変え、タンパク質を多く含む麦、パン、肉、野菜の兵食とした。
〉〉すると、脚気患者はほとんど出なかった。
〉〉(軍艦A:376名中169名 → 軍艦B:333名中14名(うち12名はきちんと兵食をとらなかった者))
〉〉脚気は菌ではなく、兵食の内容が原因であるという、高木男爵の説の正しさが証明された。

〉バランスいい食事が大事ってことだよね。
〉船の中は、どうしてもバランス不足になる。
〉壊血病も、そう。

なんか、中国の明の時代に鄭和(ていわ)って人が大船団組んで航海したんだけど、
壊血病を防ぐために、船の甲板に土を敷いて、野菜を作ってたんだってさ。
そうしない場合は、じゃがいもとか積んどくといいのかなぁ。

そうそう。軍艦で思い出した話なんですが、「超ド級」って言葉がありますやんか。
あれって、軍艦の名前から来た言葉なんだってね。
1890年代からイギリスとドイツで軍艦建造競争が盛んになるわけですが、
1906年、イギリスで、ドレッドノートっていう、とんでもない巨艦ができた。
それはもう、当時の軍艦の常識を打ち破るものだった。
で、その後、軍艦の規模を表すのに、ド級艦、超ド級艦、などといわれるようになった。
そしてまた、ずばぬけてめっちゃすごいこと一般に、超ド級、というようになった。

私はそんないわれとも知らず、「超弩級」の「弩」が難しいからカタカナにしてるだけだと思ってた。
逆だ。「ドレッドノート」を表すのに「弩」を字を当てていただけだった。

ちなみに、約30年後に作られた日本の戦艦大和は、排水量(船の重量)も
ドレッドノートの3倍を超え、優に超超弩級艦といえた。
大和は全長263メートル。排水量69,000トン。乗組員2,300人(戦争末期は3,300人以上)。
前代未聞の直径46センチの主砲は、仰角45度で発射すると、マッハ2のスピードで飛び出し、
高度約12,000メートルの上空を通って、わずか90秒後に42キロ先に着弾。
最強の戦艦といえたが、その性能をいかんなく発揮することはできず、
戦況悪化で、海上特攻への使用が決まり、片道燃料を積んで沖縄に赴く途中、
敵機約380機の徹底爆撃をうけ、沈没した。
(参考:河合敦『教科書から消えた日本史』)

〉〉ただし、のちのちわかったことだが、タンパク質が良かったのではなかった。
〉〉麦に含まれているビタミンが良かったのだ。それが不足することで起こるのが脚気。
〉〉しかし、結果オーライ。
〉〉「男爵は『病気を診ずして病人を診よ』の正しさを世に知らしめ、宿敵陸軍医にも勝利した。」

〉すごいねえ。かっこいい。

〉北里柴三郎も、東大とかにたてついた(?)ために後に研究所を取り上げられちゃったりするんだよ。
〉研究するのもいろいろ大変よね。
〉でも、自分で研究所を立ち上げ直したときに、もとの研究所にいた研究者が、こぞって移ってきたんだって。

へえ〜。偉大なお方だねぇ。
たしか、日本の公衆衛生が改善されたのは、北里氏のおかげなんだよね。

ほんではでは。


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2998. あ、まちがえた。

お名前: こるも
投稿日: 2008/10/28(16:10)

------------------------------

ぽんさん。
まちがえたよ。

〉〉野口英世の「黄熱病菌」も、エクアドルで見つけたみたいだし。(本当は、ウイルス)
〉〉「野口ワクチン」も、エクアドルでは効いた。
〉〉でも、アフリカでは効かなかった。

〉一種のプラシボか?

一体野口がエクアドルで見つけたものは、何だったんだろうね?

〉でも、現代の医療でもそういう面もあると思う。先生の人柄とか。

そうだね。病気を治すのは、本人だから。

〉〉あー、ロバート・コッホの影響だねえ。

ここ。
ロバートじゃなくて、ロベルト。
ドイツ人だから。

〉コッホコッホって、いかにも細菌学者って感じの名前だけど、別にそういう意味じゃないよね。

ああ、いかにも結核って感じよね。(ちがうでしょう)
コッホは結核菌の研究でノーベル賞を取った。
ツベルクリンも、最初は治療薬として用いようとしたが、診断薬にしか使えなかった。

〉なんか、中国の明の時代に鄭和(ていわ)って人が大船団組んで航海したんだけど、
〉壊血病を防ぐために、船の甲板に土を敷いて、野菜を作ってたんだってさ。

これもすごいねえ。
そういえば、南極の基地でも野菜を作っているらしいね。(うろ覚え)

〉そうしない場合は、じゃがいもとか積んどくといいのかなぁ。

じゃがいもは、お役立ちだね。
でもその頃じゃがいもあったの?(歴史に弱い)

〉そうそう。軍艦で思い出した話なんですが、「超ド級」って言葉がありますやんか。
〉あれって、軍艦の名前から来た言葉なんだってね。
〉1890年代からイギリスとドイツで軍艦建造競争が盛んになるわけですが、
〉1906年、イギリスで、ドレッドノートっていう、とんでもない巨艦ができた。
〉それはもう、当時の軍艦の常識を打ち破るものだった。
〉で、その後、軍艦の規模を表すのに、ド級艦、超ド級艦、などといわれるようになった。
〉そしてまた、ずばぬけてめっちゃすごいこと一般に、超ド級、というようになった。

〉私はそんないわれとも知らず、「超弩級」の「弩」が難しいからカタカナにしてるだけだと思ってた。
〉逆だ。「ドレッドノート」を表すのに「弩」を字を当てていただけだった。

ほほう。

〉ちなみに、約30年後に作られた日本の戦艦大和は、排水量(船の重量)も
〉ドレッドノートの3倍を超え、優に超超弩級艦といえた。
〉大和は全長263メートル。排水量69,000トン。乗組員2,300人(戦争末期は3,300人以上)。
〉前代未聞の直径46センチの主砲は、仰角45度で発射すると、マッハ2のスピードで飛び出し、
〉高度約12,000メートルの上空を通って、わずか90秒後に42キロ先に着弾。
〉最強の戦艦といえたが、その性能をいかんなく発揮することはできず、
〉戦況悪化で、海上特攻への使用が決まり、片道燃料を積んで沖縄に赴く途中、
〉敵機約380機の徹底爆撃をうけ、沈没した。
〉(参考:河合敦『教科書から消えた日本史』)

ほほほう。

〉へえ〜。偉大なお方だねぇ。
〉たしか、日本の公衆衛生が改善されたのは、北里氏のおかげなんだよね。

へー。そうなんだ。知らなかった。

では。


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