Re: たまには役立つ横レス

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2994. Re: たまには役立つ横レス

お名前: ako
投稿日: 2008/10/26(00:55)

------------------------------

ドッペル*たか*こる*ゲンガーさん、おはようございます。
秘密戦隊所属、秘密調査員akoゲンガーです。

たまには世界史クラブがお役に立とうと思います。
(日本も世界の中に入る)

〉それは脚気。当時、脚気の原因がわかっておらず、森鴎外は、間違った説にこだわった。
〉なまじ口が立つし、地位もあったので、森鴎外の説が採用されて、その結果、
〉兵士たちが脚気でバタバタと倒れ、命を落とすこととなる。
〉日清(日露?)戦争では、敵にやられた兵士よりも、脚気で亡くなった兵士のほうが多いぐらい。
〉のちに、他の人の「麦のタンパク質が脚気によい」との説が採用されて、兵士は麦を摂るようになり、
〉それで脚気で倒れる人が激減した。タンパク質ではなく、麦のビタミンB1が効いたのだが。

戦死者数
 日清戦争→997人
 日露戦争→55,655人
(出典:国立公文書館アジア歴史資料センター)

脚気死者数
 日清戦争期→約4,000人
 日露戦争期→27,800人(患者数は20万人を超えたとの由)
(出典:『鴎外最大の悲劇』(坂内 正))

なので、日清か日露か?の部分は、日露戦争の時、ということになるようです。
たしかに戦死者総数からみて、脚気死者数が多すぎますね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  

〉そうそう。勉強教えてあげるからデートして、ってね。いやいや…

そうだったのかーーーーーー。


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2995. 結果オーライ

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/26(03:15)

------------------------------

akoさん、こんばんは。

〉ドッペル*たか*こる*ゲンガーさん、おはようございます。
〉秘密戦隊所属、秘密調査員akoゲンガーです。

〉たまには世界史クラブがお役に立とうと思います。
〉(日本も世界の中に入る)

ありがとうございます。

〉〉それは脚気。当時、脚気の原因がわかっておらず、森鴎外は、間違った説にこだわった。
〉〉なまじ口が立つし、地位もあったので、森鴎外の説が採用されて、その結果、
〉〉兵士たちが脚気でバタバタと倒れ、命を落とすこととなる。
〉〉日清(日露?)戦争では、敵にやられた兵士よりも、脚気で亡くなった兵士のほうが多いぐらい。
〉〉のちに、他の人の「麦のタンパク質が脚気によい」との説が採用されて、兵士は麦を摂るようになり、
〉〉それで脚気で倒れる人が激減した。タンパク質ではなく、麦のビタミンB1が効いたのだが。

〉戦死者数
〉 日清戦争→997人
〉 日露戦争→55,655人
〉(出典:国立公文書館アジア歴史資料センター)

〉脚気死者数
〉 日清戦争期→約4,000人
〉 日露戦争期→27,800人(患者数は20万人を超えたとの由)
〉(出典:『鴎外最大の悲劇』(坂内 正))

〉なので、日清か日露か?の部分は、日露戦争の時、ということになるようです。
〉たしかに戦死者総数からみて、脚気死者数が多すぎますね。
 
 
データをありがとうございます。
が、日清戦争の戦死者が少ないような・・・

私の元ネタの本を引っぱり出してまいりました。
高橋秀実『素晴らしきラジオ体操』p.92〜

軍隊で「脚気」根絶の偉業を成し遂げたのは、海軍軍医総監、高木兼寛男爵であった。

何せ、このころ、病気で倒れる兵士が多かった。
日清戦争、全戦死者13,488人中、11,849人が病死している。
中でも脚気は深刻な「死病」で、全兵士の30%が冒されていた。

軍医界で権威を持っていたのは陸軍医だった。
今の東大医学部を出て、ドイツに留学し、陸軍医になるのがエリートコース。
(森鴎外がまさにこれ。)

陸軍医は脚気を「脚気病菌」による伝染病と断定し、「脚気病菌」の発見までしていた。
(「ないものもあると決めてかかれば見つかるものである。」高橋氏)

ドイツ医学は「研究室医学」と呼ばれており、血液を採取してバイ菌を調べるのが医学だった。
ドイツには細菌学者が多く、その影響で、脚気も脚気病菌によるものと断定されたのだ。

が、海軍医の高木男爵は、脚気の原因は菌ではなく、栄養状態であると主張した。
留学したイギリスには脚気はなかった。「白米にタクアン」という偏った兵食が原因だろう、
タンパク質不足が脚気の原因であるに違いない、と考えた。

男爵は、軍艦で一種の人体実験を行なう。
大量に脚気患者を出した軍艦Aとまったく同じルートを軍艦Bに航海させ、
食事内容だけ変え、タンパク質を多く含む麦、パン、肉、野菜の兵食とした。
すると、脚気患者はほとんど出なかった。
(軍艦A:376名中169名 → 軍艦B:333名中14名(うち12名はきちんと兵食をとらなかった者))
脚気は菌ではなく、兵食の内容が原因であるという、高木男爵の説の正しさが証明された。

ただし、のちのちわかったことだが、タンパク質が良かったのではなかった。
麦に含まれているビタミンが良かったのだ。それが不足することで起こるのが脚気。
しかし、結果オーライ。
「男爵は『病気を診ずして病人を診よ』の正しさを世に知らしめ、宿敵陸軍医にも勝利した。」

(ここから男爵の人生は興味深い展開を見せるのだが、それについては本を参照してください。)
 
 
〉〉そうそう。勉強教えてあげるからデートして、ってね。いやいや…

〉そうだったのかーーーーーー。

ありませんよ。そんないいこと。

ではでは〜


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2996. Re: 結果オーライ

お名前: こるも
投稿日: 2008/10/26(09:00)

------------------------------

akoさん、たかさん、こんばんは。

〉〉ドッペル*たか*こる*ゲンガーさん、おはようございます。
〉〉秘密戦隊所属、秘密調査員akoゲンガーです。

いろんな人がいるなあ。

〉〉戦死者数
〉〉 日清戦争→997人
〉〉 日露戦争→55,655人
〉〉(出典:国立公文書館アジア歴史資料センター)

〉〉脚気死者数
〉〉 日清戦争期→約4,000人
〉〉 日露戦争期→27,800人(患者数は20万人を超えたとの由)
〉〉(出典:『鴎外最大の悲劇』(坂内 正))

〉〉なので、日清か日露か?の部分は、日露戦争の時、ということになるようです。
〉〉たしかに戦死者総数からみて、脚気死者数が多すぎますね。

こんなに死んだの?
患者は、相当数いたんだろうね。
 
〉私の元ネタの本を引っぱり出してまいりました。
〉高橋秀実『素晴らしきラジオ体操』p.92〜

〉軍隊で「脚気」根絶の偉業を成し遂げたのは、海軍軍医総監、高木兼寛男爵であった。

〉何せ、このころ、病気で倒れる兵士が多かった。
〉日清戦争、全戦死者13,488人中、11,849人が病死している。
〉中でも脚気は深刻な「死病」で、全兵士の30%が冒されていた。

すごいね、これ。

〉陸軍医は脚気を「脚気病菌」による伝染病と断定し、「脚気病菌」の発見までしていた。
〉(「ないものもあると決めてかかれば見つかるものである。」高橋氏)

ここがね、面白い。
確かにないものが見つかったりするよね。

野口英世の「黄熱病菌」も、エクアドルで見つけたみたいだし。(本当は、ウイルス)
「野口ワクチン」も、エクアドルでは効いた。
でも、アフリカでは効かなかった。

〉ドイツ医学は「研究室医学」と呼ばれており、血液を採取してバイ菌を調べるのが医学だった。
〉ドイツには細菌学者が多く、その影響で、脚気も脚気病菌によるものと断定されたのだ。

あー、ロバート・コッホの影響だねえ。

〉が、海軍医の高木男爵は、脚気の原因は菌ではなく、栄養状態であると主張した。
〉留学したイギリスには脚気はなかった。「白米にタクアン」という偏った兵食が原因だろう、
〉タンパク質不足が脚気の原因であるに違いない、と考えた。

〉男爵は、軍艦で一種の人体実験を行なう。
〉大量に脚気患者を出した軍艦Aとまったく同じルートを軍艦Bに航海させ、
〉食事内容だけ変え、タンパク質を多く含む麦、パン、肉、野菜の兵食とした。
〉すると、脚気患者はほとんど出なかった。
〉(軍艦A:376名中169名 → 軍艦B:333名中14名(うち12名はきちんと兵食をとらなかった者))
〉脚気は菌ではなく、兵食の内容が原因であるという、高木男爵の説の正しさが証明された。

バランスいい食事が大事ってことだよね。
船の中は、どうしてもバランス不足になる。
壊血病も、そう。

〉ただし、のちのちわかったことだが、タンパク質が良かったのではなかった。
〉麦に含まれているビタミンが良かったのだ。それが不足することで起こるのが脚気。
〉しかし、結果オーライ。
〉「男爵は『病気を診ずして病人を診よ』の正しさを世に知らしめ、宿敵陸軍医にも勝利した。」

すごいねえ。かっこいい。

北里柴三郎も、東大とかにたてついた(?)ために後に研究所を取り上げられちゃったりするんだよ。
研究するのもいろいろ大変よね。
でも、自分で研究所を立ち上げ直したときに、もとの研究所にいた研究者が、こぞって移ってきたんだって。

そんではでは。


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2997. 超ド級

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/27(23:47)

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こるさん、こんばんは。

〉〉〉ドッペル*たか*こる*ゲンガーさん、おはようございます。
〉〉〉秘密戦隊所属、秘密調査員akoゲンガーです。

〉いろんな人がいるなあ。

ねー。ほんとに。

〉〉〉戦死者数
〉〉〉 日清戦争→997人
〉〉〉 日露戦争→55,655人
〉〉〉(出典:国立公文書館アジア歴史資料センター)

〉〉〉脚気死者数
〉〉〉 日清戦争期→約4,000人
〉〉〉 日露戦争期→27,800人(患者数は20万人を超えたとの由)
〉〉〉(出典:『鴎外最大の悲劇』(坂内 正))

〉〉〉なので、日清か日露か?の部分は、日露戦争の時、ということになるようです。
〉〉〉たしかに戦死者総数からみて、脚気死者数が多すぎますね。

〉こんなに死んだの?
〉患者は、相当数いたんだろうね。

そのようですね。

〉〉私の元ネタの本を引っぱり出してまいりました。
〉〉高橋秀実『素晴らしきラジオ体操』p.92〜

〉〉軍隊で「脚気」根絶の偉業を成し遂げたのは、海軍軍医総監、高木兼寛男爵であった。

〉〉何せ、このころ、病気で倒れる兵士が多かった。
〉〉日清戦争、全戦死者13,488人中、11,849人が病死している。
〉〉中でも脚気は深刻な「死病」で、全兵士の30%が冒されていた。

〉すごいね、これ。

でしょ。
原因がわかってしまえばきわめて簡単なことだったのに、というのは後知恵ですが。

〉〉陸軍医は脚気を「脚気病菌」による伝染病と断定し、「脚気病菌」の発見までしていた。
〉〉(「ないものもあると決めてかかれば見つかるものである。」高橋氏)

〉ここがね、面白い。
〉確かにないものが見つかったりするよね。

〉野口英世の「黄熱病菌」も、エクアドルで見つけたみたいだし。(本当は、ウイルス)
〉「野口ワクチン」も、エクアドルでは効いた。
〉でも、アフリカでは効かなかった。

一種のプラシボか?
でも、現代の医療でもそういう面もあると思う。先生の人柄とか。

〉〉ドイツ医学は「研究室医学」と呼ばれており、血液を採取してバイ菌を調べるのが医学だった。
〉〉ドイツには細菌学者が多く、その影響で、脚気も脚気病菌によるものと断定されたのだ。

〉あー、ロバート・コッホの影響だねえ。

コッホコッホって、いかにも細菌学者って感じの名前だけど、別にそういう意味じゃないよね。

〉〉が、海軍医の高木男爵は、脚気の原因は菌ではなく、栄養状態であると主張した。
〉〉留学したイギリスには脚気はなかった。「白米にタクアン」という偏った兵食が原因だろう、
〉〉タンパク質不足が脚気の原因であるに違いない、と考えた。

〉〉男爵は、軍艦で一種の人体実験を行なう。
〉〉大量に脚気患者を出した軍艦Aとまったく同じルートを軍艦Bに航海させ、
〉〉食事内容だけ変え、タンパク質を多く含む麦、パン、肉、野菜の兵食とした。
〉〉すると、脚気患者はほとんど出なかった。
〉〉(軍艦A:376名中169名 → 軍艦B:333名中14名(うち12名はきちんと兵食をとらなかった者))
〉〉脚気は菌ではなく、兵食の内容が原因であるという、高木男爵の説の正しさが証明された。

〉バランスいい食事が大事ってことだよね。
〉船の中は、どうしてもバランス不足になる。
〉壊血病も、そう。

なんか、中国の明の時代に鄭和(ていわ)って人が大船団組んで航海したんだけど、
壊血病を防ぐために、船の甲板に土を敷いて、野菜を作ってたんだってさ。
そうしない場合は、じゃがいもとか積んどくといいのかなぁ。

そうそう。軍艦で思い出した話なんですが、「超ド級」って言葉がありますやんか。
あれって、軍艦の名前から来た言葉なんだってね。
1890年代からイギリスとドイツで軍艦建造競争が盛んになるわけですが、
1906年、イギリスで、ドレッドノートっていう、とんでもない巨艦ができた。
それはもう、当時の軍艦の常識を打ち破るものだった。
で、その後、軍艦の規模を表すのに、ド級艦、超ド級艦、などといわれるようになった。
そしてまた、ずばぬけてめっちゃすごいこと一般に、超ド級、というようになった。

私はそんないわれとも知らず、「超弩級」の「弩」が難しいからカタカナにしてるだけだと思ってた。
逆だ。「ドレッドノート」を表すのに「弩」を字を当てていただけだった。

ちなみに、約30年後に作られた日本の戦艦大和は、排水量(船の重量)も
ドレッドノートの3倍を超え、優に超超弩級艦といえた。
大和は全長263メートル。排水量69,000トン。乗組員2,300人(戦争末期は3,300人以上)。
前代未聞の直径46センチの主砲は、仰角45度で発射すると、マッハ2のスピードで飛び出し、
高度約12,000メートルの上空を通って、わずか90秒後に42キロ先に着弾。
最強の戦艦といえたが、その性能をいかんなく発揮することはできず、
戦況悪化で、海上特攻への使用が決まり、片道燃料を積んで沖縄に赴く途中、
敵機約380機の徹底爆撃をうけ、沈没した。
(参考:河合敦『教科書から消えた日本史』)

〉〉ただし、のちのちわかったことだが、タンパク質が良かったのではなかった。
〉〉麦に含まれているビタミンが良かったのだ。それが不足することで起こるのが脚気。
〉〉しかし、結果オーライ。
〉〉「男爵は『病気を診ずして病人を診よ』の正しさを世に知らしめ、宿敵陸軍医にも勝利した。」

〉すごいねえ。かっこいい。

〉北里柴三郎も、東大とかにたてついた(?)ために後に研究所を取り上げられちゃったりするんだよ。
〉研究するのもいろいろ大変よね。
〉でも、自分で研究所を立ち上げ直したときに、もとの研究所にいた研究者が、こぞって移ってきたんだって。

へえ〜。偉大なお方だねぇ。
たしか、日本の公衆衛生が改善されたのは、北里氏のおかげなんだよね。

ほんではでは。


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2998. あ、まちがえた。

お名前: こるも
投稿日: 2008/10/28(16:10)

------------------------------

ぽんさん。
まちがえたよ。

〉〉野口英世の「黄熱病菌」も、エクアドルで見つけたみたいだし。(本当は、ウイルス)
〉〉「野口ワクチン」も、エクアドルでは効いた。
〉〉でも、アフリカでは効かなかった。

〉一種のプラシボか?

一体野口がエクアドルで見つけたものは、何だったんだろうね?

〉でも、現代の医療でもそういう面もあると思う。先生の人柄とか。

そうだね。病気を治すのは、本人だから。

〉〉あー、ロバート・コッホの影響だねえ。

ここ。
ロバートじゃなくて、ロベルト。
ドイツ人だから。

〉コッホコッホって、いかにも細菌学者って感じの名前だけど、別にそういう意味じゃないよね。

ああ、いかにも結核って感じよね。(ちがうでしょう)
コッホは結核菌の研究でノーベル賞を取った。
ツベルクリンも、最初は治療薬として用いようとしたが、診断薬にしか使えなかった。

〉なんか、中国の明の時代に鄭和(ていわ)って人が大船団組んで航海したんだけど、
〉壊血病を防ぐために、船の甲板に土を敷いて、野菜を作ってたんだってさ。

これもすごいねえ。
そういえば、南極の基地でも野菜を作っているらしいね。(うろ覚え)

〉そうしない場合は、じゃがいもとか積んどくといいのかなぁ。

じゃがいもは、お役立ちだね。
でもその頃じゃがいもあったの?(歴史に弱い)

〉そうそう。軍艦で思い出した話なんですが、「超ド級」って言葉がありますやんか。
〉あれって、軍艦の名前から来た言葉なんだってね。
〉1890年代からイギリスとドイツで軍艦建造競争が盛んになるわけですが、
〉1906年、イギリスで、ドレッドノートっていう、とんでもない巨艦ができた。
〉それはもう、当時の軍艦の常識を打ち破るものだった。
〉で、その後、軍艦の規模を表すのに、ド級艦、超ド級艦、などといわれるようになった。
〉そしてまた、ずばぬけてめっちゃすごいこと一般に、超ド級、というようになった。

〉私はそんないわれとも知らず、「超弩級」の「弩」が難しいからカタカナにしてるだけだと思ってた。
〉逆だ。「ドレッドノート」を表すのに「弩」を字を当てていただけだった。

ほほう。

〉ちなみに、約30年後に作られた日本の戦艦大和は、排水量(船の重量)も
〉ドレッドノートの3倍を超え、優に超超弩級艦といえた。
〉大和は全長263メートル。排水量69,000トン。乗組員2,300人(戦争末期は3,300人以上)。
〉前代未聞の直径46センチの主砲は、仰角45度で発射すると、マッハ2のスピードで飛び出し、
〉高度約12,000メートルの上空を通って、わずか90秒後に42キロ先に着弾。
〉最強の戦艦といえたが、その性能をいかんなく発揮することはできず、
〉戦況悪化で、海上特攻への使用が決まり、片道燃料を積んで沖縄に赴く途中、
〉敵機約380機の徹底爆撃をうけ、沈没した。
〉(参考:河合敦『教科書から消えた日本史』)

ほほほう。

〉へえ〜。偉大なお方だねぇ。
〉たしか、日本の公衆衛生が改善されたのは、北里氏のおかげなんだよね。

へー。そうなんだ。知らなかった。

では。


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2999. Re: 横レス more

お名前: ako
投稿日: 2008/10/28(23:46)

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たかぽん、おはよう!(芸能人事務所モード)

〉〉〉日清(日露?)戦争では、敵にやられた兵士よりも、脚気で亡くなった兵士のほうが多いぐらい。

〉〉戦死者数
〉〉 日清戦争→997人
〉〉 日露戦争→55,655人
〉〉(出典:国立公文書館アジア歴史資料センター)

〉〉脚気死者数
〉〉 日清戦争期→約4,000人
〉〉 日露戦争期→27,800人(患者数は20万人を超えたとの由)
〉〉(出典:『鴎外最大の悲劇』(坂内 正))

〉データをありがとうございます。
〉が、日清戦争の戦死者が少ないような・・・

そうよね。。。。。そう思って、もう少し調べてました。
といっても、目下、私生活上、ちーーーっと事情もあり、
ネットでザザーと歴史愛好家のサイトを見る程度の範囲、だけど。

日清戦争関係だけ拾ってみた感じでは、
たかぽん引用の高橋氏の本と同様、戦死は約13,000人台でだいたい同じ。(100の位以下が、皆さん、微妙に違う)
ちょっと詳しいところで、その約13,000人台の内訳(戦死、戦病死、病死、変死)まで出しているところもあって、
その内訳でも病死が約12,000人。
たかぽん引用の本の数字と一致した脚気死者と思われる。
ウィキペディアも同様の数字。
で、ウィキの記載では、全戦死者から病死を引いた戦死者数が1,417人。

それでもまだ公文書館の数字が少ないので、わたしには「???」
なのでここが愛好家の限界か〜、くっそ〜ってことで、
もう少し時間をかけてさらに調査続行します。

というのは、日露戦争の死者に関しても、
118,000人の記載が多いが、88,000人もある。
55,655人はやはり少なすぎる。
病死は24,000人台と27,800人との数字が見つかり、
複数箇所でおよそ一致しているんだけど。
なんでこんなに違うのー。アタイが言ってはいけないのか…。

ちょと思ったのは、国家の認定する戦死者というのは、
遺族への年金支給の問題があるから厳密に算定するのかも、と思ったり、
戦死者の定義というのも知る必要があるみたいです。

…というところで、中間報告でした。

で、こういうの調べてて思ったのは、数字調べ以外にいろいろ読む過程で、
ほんとに戦争っていうものの足元というか、
実際の戦場の環境というのがリアルに感じられてねえ…、
203高地の場面とか思いだしたりしましたけど、
それに加えて思い出したのは、なんと!多読で読んだ子供向けの世界史の本!

別に、無理やり多読に結び付けてるわけでもなくて、
世界史クラブってことで読んできた英語本You Wouldn't want to シリーズというのがあって、
その中に、イギリスとスペインの海戦や、
ヨーロッパ同士の戦争で捕虜がつかまる牢獄の話ってのがあって、
その中でやはり壊血病のような、栄養障害で起きる病気のことが出てくる場面などがあるわけですねー。
そういうのをカラーイラストの洋書で読んでいるので、映像で思い浮かんだりするのがまたリアル。

なんというか、多読の英語とは関係ないと思っていた日頃の自分の関心事と、
多読で出会った英語で読んだものがしっかりリンクしているというか。
それがなんか楽しくてねー。充実の調査活動でしたのね。

なので、雑談ってのは、すごくいいねーと思って。
公文書館の数字のこと、わかったらまたお知らせします。
果たして私に調べきれるかどうかわからないけど挑戦するー!

〉私の元ネタの本を引っぱり出してまいりました。
〉高橋秀実『素晴らしきラジオ体操』p.92〜

これ! 紹介ありがと〜、面白かったー!
権威になってしまうと硬直化するんですね。。。
必要な修正もできなくなって最悪の事態を招くというか。
戦死数のことを調べてる中に、脚気死者の軍別の内訳も見ましたが、
陸軍で海軍で全然ちがうのでびっくり。
なにしろ一万人以上と、何百人の違いだから。。。
いまや脚気で亡くなる人などいない時代になったけれど、
それほど遠くないはずの父祖の時代を思いまする。。。

〉「男爵は『病気を診ずして病人を診よ』の正しさを世に知らしめ、宿敵陸軍医にも勝利した。」

〉(ここから男爵の人生は興味深い展開を見せるのだが、それについては本を参照してください。)

あーい。
 
〉〉〉そうそう。勉強教えてあげるからデートして、ってね。いやいや…

〉〉そうだったのかーーーーーー。

〉ありませんよ。そんないいこと。

ふふん(笑)


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3000. Re: 横レス more and more

お名前: 杏樹
投稿日: 2008/10/29(00:21)

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たかぽん、akoさん

全然調べてないので間違ってるかもしれませんけど、日清戦争は日露戦争よりも戦闘がそれほどひどくなくてけっこうあっさり勝負がついたから戦死者が少ないのかも知れません。
日露戦争は、日本とロシアが戦争するのに中国の大地を戦場にして、兵隊を送り込んで相当ひどい戦闘が繰り広げられました。そして勝負も簡単につかないで、判定勝ちのような「辛勝」でした。


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3007. 「君死にたまふこと勿れ」の君は長生きした

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/29(22:42)

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杏樹さん、こんばんは。

〉全然調べてないので間違ってるかもしれませんけど、日清戦争は日露戦争よりも戦闘がそれほどひどくなくてけっこうあっさり勝負がついたから戦死者が少ないのかも知れません。

なるほど。
日露の激戦はよく聞きますけど、日清はあまり聞きませんもんね。
日本は清国にあざ笑われるほどの海軍力しか無かったけれど、
わずかの期間で、生糸の生産を急激に伸ばし、そのおかげの軍事力で
清国に勝ったとか、確か「ああ野麦峠」の本で読みました。

〉日露戦争は、日本とロシアが戦争するのに中国の大地を戦場にして、兵隊を送り込んで相当ひどい戦闘が繰り広げられました。そして勝負も簡単につかないで、判定勝ちのような「辛勝」でした。

「203高地」は、詳しい話は知らないんですが、壮絶なものだったと聞きますね。
司馬遼太郎氏の影響で、乃木将軍が無能だったように評価されている、とか聞いたんですが、
いやいやそんなことは無いのだという再評価の声が近年上がっているようですね。
バルチック艦隊を撃破できたのも、陸軍が十分に働いてくれたからである、とか。
(よく知りませんが。)

あの戦争で負けていたら、今ごろ私はマトリョーシカを作ってたでしょうね。
(というか、存在していなかったかも。歴史に「たられば」は無しですが。)

だいたい日本は、長期戦になれば負けるとわかっていたので、
何かの戦いで勝ったところで講和する、という方針を初めから立てていたようですね。
早くからアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領にあっせんを依頼していたようです。
いわば「勝ち逃げ」。杏樹さんがおっしゃるように「辛勝」に過ぎなかったので、
賠償金なんかは取れなかった。「辛勝」との事情を知らない日本国民は、
こんなに犠牲を出して勝ったのになんで賠償金が取れないんだ!と怒り、
「日比谷焼き打ち事件」が起こったんですね。

あ、ところでタイトルの件ですが、与謝野晶子の有名な詩
「君死にたまふこと勿れ」によまれた弟ですが、日露戦争から無事に帰還しました。
その後、3子をもうけ、昭和19年まで長生きされたとのこと。
(河合敦著『早わかり日本史』p.298)

歴史は興味深い。もっと知りたいなぁと思います。
それではそれでは。


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3018. へぇー

お名前: 杏樹
投稿日: 2008/10/30(22:31)

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たかぽんぽん、こんにちは。

〉「203高地」は、詳しい話は知らないんですが、壮絶なものだったと聞きますね。
〉司馬遼太郎氏の影響で、乃木将軍が無能だったように評価されている、とか聞いたんですが、
〉いやいやそんなことは無いのだという再評価の声が近年上がっているようですね。
〉バルチック艦隊を撃破できたのも、陸軍が十分に働いてくれたからである、とか。
〉(よく知りませんが。)

乃木大将というと偉い人、というイメージがあるんですが、そうでもありませんか。司馬遼太郎の影響は大きいですね。

〉あの戦争で負けていたら、今ごろ私はマトリョーシカを作ってたでしょうね。
〉(というか、存在していなかったかも。歴史に「たられば」は無しですが。)

そんなこはないと思いますよ。日本だってロシアの領地を手に入れたわけではありませんし。あれは中国の植民地争奪戦ですから、負けてたら中国から手を引くことになったんじゃないかと思います。

〉あ、ところでタイトルの件ですが、与謝野晶子の有名な詩
〉「君死にたまふこと勿れ」によまれた弟ですが、日露戦争から無事に帰還しました。
〉その後、3子をもうけ、昭和19年まで長生きされたとのこと。
〉(河合敦著『早わかり日本史』p.298)

へぇー。ちゃんと帰ってきたんですね。知らなかった…。


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3006. Re: 横レス more

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/29(22:05)

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akoさん、こんばんは。

〉たかぽん、おはよう!(芸能人事務所モード)

芸能界では、なぜいつも「おはよう」と言うのか?
桃井かおりさんはこれになじめず、「なんで朝でもないのに『おはよう』って言うわけ? わっけわかんない」
などと若手のころからおっしゃってたそうだ。

ところで、日本の和歌というのは、夜の歌が多い。
そして夜から朝にかけての時間をあらわす言葉が多い。
あんまり昼の歌というのは少ない。
白洲正子さんの百人一首の本に書いてたんで、あ、そういえば、と思った。

〉〉〉〉日清(日露?)戦争では、敵にやられた兵士よりも、脚気で亡くなった兵士のほうが多いぐらい。

〉〉〉戦死者数
〉〉〉 日清戦争→997人
〉〉〉 日露戦争→55,655人
〉〉〉(出典:国立公文書館アジア歴史資料センター)

〉〉〉脚気死者数
〉〉〉 日清戦争期→約4,000人
〉〉〉 日露戦争期→27,800人(患者数は20万人を超えたとの由)
〉〉〉(出典:『鴎外最大の悲劇』(坂内 正))

〉〉データをありがとうございます。
〉〉が、日清戦争の戦死者が少ないような・・・

〉そうよね。。。。。そう思って、もう少し調べてました。
〉といっても、目下、私生活上、ちーーーっと事情もあり、
〉ネットでザザーと歴史愛好家のサイトを見る程度の範囲、だけど。

お調べになりましたなぁ。

〉日清戦争関係だけ拾ってみた感じでは、
〉たかぽん引用の高橋氏の本と同様、戦死は約13,000人台でだいたい同じ。(100の位以下が、皆さん、微妙に違う)
〉ちょっと詳しいところで、その約13,000人台の内訳(戦死、戦病死、病死、変死)まで出しているところもあって、
〉その内訳でも病死が約12,000人。
〉たかぽん引用の本の数字と一致した脚気死者と思われる。
〉ウィキペディアも同様の数字。
〉で、ウィキの記載では、全戦死者から病死を引いた戦死者数が1,417人。

〉それでもまだ公文書館の数字が少ないので、わたしには「???」
〉なのでここが愛好家の限界か〜、くっそ〜ってことで、
〉もう少し時間をかけてさらに調査続行します。

はあ。まあ、これだけわかれば、私はどっちでもいいんですけど…
akoさんの興味の範囲で、どうぞ。

〉というのは、日露戦争の死者に関しても、
〉118,000人の記載が多いが、88,000人もある。
〉55,655人はやはり少なすぎる。
〉病死は24,000人台と27,800人との数字が見つかり、
〉複数箇所でおよそ一致しているんだけど。
〉なんでこんなに違うのー。アタイが言ってはいけないのか…。

えらい違いますねぇ。

〉ちょと思ったのは、国家の認定する戦死者というのは、
〉遺族への年金支給の問題があるから厳密に算定するのかも、と思ったり、
〉戦死者の定義というのも知る必要があるみたいです。

たぶん定義の問題でしょうね。国家は狭いめに定義するんじゃないでしょうか。
原爆症の認定とかも、いろいろあるみたいですが。選挙の前に変わったり。

〉…というところで、中間報告でした。

はい。ごくろうさまでした。

〉で、こういうの調べてて思ったのは、数字調べ以外にいろいろ読む過程で、
〉ほんとに戦争っていうものの足元というか、
〉実際の戦場の環境というのがリアルに感じられてねえ…、
〉203高地の場面とか思いだしたりしましたけど、
〉それに加えて思い出したのは、なんと!多読で読んだ子供向けの世界史の本!

〉別に、無理やり多読に結び付けてるわけでもなくて、
〉世界史クラブってことで読んできた英語本You Wouldn't want to シリーズというのがあって、
〉その中に、イギリスとスペインの海戦や、
〉ヨーロッパ同士の戦争で捕虜がつかまる牢獄の話ってのがあって、
〉その中でやはり壊血病のような、栄養障害で起きる病気のことが出てくる場面などがあるわけですねー。
〉そういうのをカラーイラストの洋書で読んでいるので、映像で思い浮かんだりするのがまたリアル。

〉なんというか、多読の英語とは関係ないと思っていた日頃の自分の関心事と、
〉多読で出会った英語で読んだものがしっかりリンクしているというか。
〉それがなんか楽しくてねー。充実の調査活動でしたのね。

あー。よかったね、それは。

〉なので、雑談ってのは、すごくいいねーと思って。
〉公文書館の数字のこと、わかったらまたお知らせします。
〉果たして私に調べきれるかどうかわからないけど挑戦するー!

はい。まぁ、てきとうに。

〉〉私の元ネタの本を引っぱり出してまいりました。
〉〉高橋秀実『素晴らしきラジオ体操』p.92〜

〉これ! 紹介ありがと〜、面白かったー!
〉権威になってしまうと硬直化するんですね。。。
〉必要な修正もできなくなって最悪の事態を招くというか。
〉戦死数のことを調べてる中に、脚気死者の軍別の内訳も見ましたが、
〉陸軍で海軍で全然ちがうのでびっくり。
〉なにしろ一万人以上と、何百人の違いだから。。。
〉いまや脚気で亡くなる人などいない時代になったけれど、
〉それほど遠くないはずの父祖の時代を思いまする。。。

戦後の話ですけど、私の親父はよくランニングをしてたからか、脚気になりかけたそうです。
それで、薬とかもらってたそうですけど、まだよくわかってなかったのかな?
田舎で、玄米や米ぬか(B1豊富)はいっぱいあったのに、特にそれを食べたわけでもなく。

〉〉「男爵は『病気を診ずして病人を診よ』の正しさを世に知らしめ、宿敵陸軍医にも勝利した。」

〉〉(ここから男爵の人生は興味深い展開を見せるのだが、それについては本を参照してください。)

〉あーい。

特に興味わいたらで、いいです。

〉〉〉〉そうそう。勉強教えてあげるからデートして、ってね。いやいや…

〉〉〉そうだったのかーーーーーー。

〉〉ありませんよ。そんないいこと。

〉ふふん(笑)

ほんとにない。
テストがあるから勉強教えてくれ、と女の子に頼まれることはよくあったが、
テストに通ってもらわねばならんので、デートなどという気分は無い。真剣に教える。
そして、いつも、テストどうだったかという事後報告が無い。。。
テストがダメだったのか?恩に着るのがイヤなのか?何かを要求されると思ったのか?
いまだに考え続けている。(いや、忘れてましたが)

ではでは。


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3008. 本当に、無駄レス

お名前: こるも
投稿日: 2008/10/29(23:16)

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akoさん、たかさん、すみません。
すっごいよこです。

〉〉たかぽん、おはよう!(芸能人事務所モード)

〉芸能界では、なぜいつも「おはよう」と言うのか?
〉桃井かおりさんはこれになじめず、「なんで朝でもないのに『おはよう』って言うわけ? わっけわかんない」
〉などと若手のころからおっしゃってたそうだ。

一説には「おはよう」は朝の挨拶に限っているわけではないとか。

〉テストがあるから勉強教えてくれ、と女の子に頼まれることはよくあったが、
〉テストに通ってもらわねばならんので、デートなどという気分は無い。真剣に教える。
〉そして、いつも、テストどうだったかという事後報告が無い。。。
〉テストがダメだったのか?恩に着るのがイヤなのか?何かを要求されると思ったのか?
〉いまだに考え続けている。(いや、忘れてましたが)

ちょっと思い出したんだけど、わたし数学がものすごく苦手なのね。
大学の頃、みんなに教えてもらっていた。
で、テスト前に、ある男の子に教えてもらったの。
わたしは通ったんだけど、なぜか彼が落ちていた。
(そんで次の年にもう一度取り直していた)
南無。


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3015. 雑談に無駄無し(or全部無駄)

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/30(00:47)

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こるさん、こんばんは。

〉akoさん、たかさん、すみません。
〉すっごいよこです。

Be my guest.

〉〉〉たかぽん、おはよう!(芸能人事務所モード)

〉〉芸能界では、なぜいつも「おはよう」と言うのか?
〉〉桃井かおりさんはこれになじめず、「なんで朝でもないのに『おはよう』って言うわけ? わっけわかんない」
〉〉などと若手のころからおっしゃってたそうだ。

〉一説には「おはよう」は朝の挨拶に限っているわけではないとか。

ほほう。
たしかに、何をもって「早い」と言うのか。基準によりますもんね。
朝の「早い」か、始業の「早い」か。
朝から始まる仕事の場合は、朝の「おはよう」と仕事始まりの「おはよう」が一致する。
が、芸能界など、仕事始まりが朝とは限らない場合は、それが一致しない。
仕事場だから、仕事始まりの「おはよう」、ということになる。
それは一つの、私たちは遊んでるんじゃない、仕事なんだ、生活なんだ、という
プライドのあらわれかもしれない。
桃井さんの場合は、そういう、勤め人のような「仕事」って意識が無くて、
もっと自由な感覚なので、なんで「仕事」みたいに「おはようございます」って言うの?
という疑問があったのかもしれない。そんな「挨拶」でプライド持つ必要はなくて、
要は中身なんじゃないの?みたいな。(まったくの憶測で言ってます。)
実際、桃井かおりほど仕事に厳しい、こだわる女優さんはいないそうだ。

ちょっと違うんですが、プロ野球選手が移動のときなどに、スーツ着てること多いですよね。
スーツ着る必要は無いのに。
あれは一つの、これは「仕事」なんだという、プライドのあらわれなんじゃないかと思ってます。
ちなみにイチローは、移動のときはなるべくリラックスできるように、楽な格好をしてる、
と言ってはりました。「形」にこだわらない、彼の合理性を感じたなぁ。
(今はどうしてはるか知りませんけど。)

〉〉テストがあるから勉強教えてくれ、と女の子に頼まれることはよくあったが、
〉〉テストに通ってもらわねばならんので、デートなどという気分は無い。真剣に教える。
〉〉そして、いつも、テストどうだったかという事後報告が無い。。。
〉〉テストがダメだったのか?恩に着るのがイヤなのか?何かを要求されると思ったのか?
〉〉いまだに考え続けている。(いや、忘れてましたが)

〉ちょっと思い出したんだけど、わたし数学がものすごく苦手なのね。
〉大学の頃、みんなに教えてもらっていた。
〉で、テスト前に、ある男の子に教えてもらったの。
〉わたしは通ったんだけど、なぜか彼が落ちていた。
〉(そんで次の年にもう一度取り直していた)
〉南無。

テスト前に、ひとに教えてもらって要領よくポイントつかんだほうが良い場合が多い。
自分ひとりでガリガリやるより、複数の人から情報集めて、あーここが大事なんだなと
つかんでしまうほうがいいってことが、学生のころはよくあった。
ノート主が落ちた、ということも、けっこうあった。
南無。


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