ちっちゃい、ちっちゃい、「私」の話。

[掲示板: 〈過去ログ〉SSS雑談の掲示板 -- 最新メッセージID: 3556 // 時刻: 2024/4/19(12:49)]

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1956. ちっちゃい、ちっちゃい、「私」の話。

お名前: はまこ
投稿日: 2007/6/4(16:15)

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たかちゃん、こんにちはー。

大丈夫なの?

いや、文面や行間から「精神的にハードな日々を過ごしててん」
っていう想いがひしひしと伝わってきたからさ。

私の気のせいだったらごめんしてねー。

この頃よく、といっても一日に3分ぐらいだけど、
頭の中でインドラの網がキラキラしているイメージを張り巡らせて、
「私、ここにいるよ。大丈夫だよー。」って網を揺らしてるの。
なんだかそうしたいからそうしてるんだけど、
今、ふんわりあったかいものも一緒に送ったよ。
あくまでイメージの中での出来事なんだけどね。
たかちゃんに届いてるといいなぁ。

そだ、回転してるバームクーヘン渦(もちろんほんまのバームクーヘンみたいに
中心が開いてるわけちゃうで。念の為)の中にあって、
体中であちこちに光ってるのが見えるって書いたよね?
今朝中心のチャクラ(7つあるやつね)のあたりを見てたら、
そのうちの一つのチャクラがビカッって光ってびっくりしてん。
今まで見えてたあちこちにある光は、白っぽく優しくピカピカと輝いてるのに
対して、「眩しっ」て目を一瞬閉じてしまうくらいの。

心が震えた。。。
人間の体の中からそれだけ眩しい光が発光してるねんで、すごいと思わん?
すごい、というか今まで生きてきて、そういうものだろうと理解してたものが
ひっくり返ってしまうぐらい。。。

今年の2月だっけ、ずっと自分の中で起こり続けている不思議な出来事って
何なのかなーって、スピリチュアルな本を何冊か読んでみた中で、
どうやら全ての人って魂同士で繋がってる(一つの大きな魂)らしい、
と一応理解してからは、道行く人を見ては「どうぞ、よろしく」なんて
ちょっと新しい気持ちと目で見てたんだけど、←けっこう勇気が要った。
今まで魂って、胸の中あたりにあると思ってて、その辺を意識して
「どうぞ、よろしく」って思ってたんだけど、ひょっとして魂って、
その人が持っているオーラの隅々まで全部を包み込んでるのかもね。
うーん、魂ってどこにあるのかなぁ、それは自分の内側にあって、
きっと胸の中あたりだろうなって思ってたんだけど、自分の肉体を通り越して
オーラの隅々までって思ったら結構大きいよね。
あ、でも魂が見える人によると体の中の奥の奥にあって、
どんな人であっても白く輝いている物体として存在しているらしい。
それが魂であるのではないかと。
と、Adamが書いてた。そう言えば「バーバの教え」の原題も
「Fire in the Heart」...
でも「中は外」かも知れへんし。。。

私も(も?)先々週、心が張り裂けてもうダメ、っていう日があったんだけど、
(冷静に心臓のあたりの渦を見てたら本当に張り裂けてたと思う。見んかったけど)
数日後、静かに自分の内面の内面を見てたら、ちっちゃい、ちっちゃい
「私」がいた。
普段私が「私とはこういうものだ、こういう感じだ」と評価している「私」
よりもその中にいる私。
うーん、例えばこの掲示板でなら、「比べるのは昨日の自分」っていう
台詞がよく出て来るでしょ?その「自分」もとっぱらったさらにその中を
見てみたら、"こんなことで一喜一憂して震えてる「私」がいるんだ。。。"
って。それを見た時ね、私のこのちっちゃさと比較して、人に対しては
「もっと寛大であって欲しい、もっと許して欲しい、もっと、もっと、、、」
って思ってたんだなぁ、なんて。
自分以外の人の大きさもきっとそんなに変わらないのに、自分の事は棚に上げて
相手にはものすごく多くを望んでたんだなぁ。
でもたぶん、あらゆる人が同じように渇望してる。自分への寛容、許し、
賛辞、優しさ、希望、何よりも自分がここにいることを喜んでもらえる事。

自分の内面と思っていた更にその内面を見つめるって、
かなーり辛くもあったけど、
なんだかねぇ、ちっちゃい、ちっちゃい私を見つけた時、
なんだかほっとして、愛しくなったのよ。
何となく「人類?の共通の意識」みたいなのを見た、気もした。
そしてね、見つけたからには、与えて慈しみながら育てようって
思ったの。自分の事も、自分以外の人の事も。

できるかな、できるかもって思うのは、ある体験があったから。
先月の初めの頃、近所の同年代の人たち(同年代で、子育て世代の一帯になってるんだけど)に、私の悪口を言ってる人がいる(しかも我が家の斜め前に住んでる)っていう話を聞いたのね。
その悪口という話があったのは一年ほど前で引越ししたてのころの事で、
しかもその悪口を言ってる人って、「近所の人全員の悪口を言ってるで。
私も言われてる、私も言われてる。今もきっと家の監視カメラで私たちのこと
見てるで」(近所ではその家にだけ監視カメラが付いてるの)
その話を聞いた時、近所にはいい人しかいないと思ってたから、
動悸が激しくなったし、いい気はしなかったけど、まぁ、ええか、と思ったの。
家に入って冷静に考えてみたんだけど、
・その人の見方や考え方を私は変えられない。
・私はその人を見たいように見られる。
・じゃあ、「好き」って目で見てみよう。
と思ったのね。次の日の朝洗濯を干していたら当の本人がやってきて
普段はその時間帯には挨拶程度しかしないのに、長々と喋ってくるの。
どうやら本当に監視カメラで近所の人たちが集まってて何か話してるのを
見てたらしくて、その内容が自分の悪口ではないかと気にしてたらしいの。
で、私はその人を「好き」って目で見て話したの。
ほんとに嫌いじゃなかったし。私の中に何のわだかまりもなかったら、
二人の間に流れる空気に何の淀みも生まれなかった。
その後2〜3日は、「こんなにノーガードでいいのかなぁ。やっぱり身構えて
おかないと、思わないところから傷つけられるんじゃないかな」って
ちょっと心配だったけど、思い切ってノーガードのままで過ごしたらね、
もう本当に普通に穏やかなままだった。
最初にその人の事について教えてくれた人たちに対しても、それ以上は
何も聞かなかったし、何も言わなかったし、胸に秘めてますって態度も
なく過ごしてね、「あぁ、自分の見たいように世の中は見えるんだなぁ」って
心底体感したの。
「あなたが私のこと嫌いなら、私もあなたのこと嫌いっ」じゃ
こうはなってなかったなぁ、と。
以前私の悪口をいってた人にしても、他の人にしても、これからも私の事が
嫌い、って人が出てくるかもしれないけど、いいや、私は好きやから
それでいいや。人の気持ちはすぐ変わるもん、って思えるようになったの。
いままでは「いいよ。気にしない」と思ってても、その人の事を一生懸命
意識の外に追い出そうと闘ってたもん。今はない。
 
 
何の話してたっけ?最初は人って内側から光り輝いているんやでって
いうのも言いたかったんだけど、
たかちゃんには

You are wonderful.
I really think so.
そんでもって、
すきー。ぎゅうぅ。

って言いたかったの。

またねー。


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2006. Re: ちっちゃい、ちっちゃい、「私」の話。

お名前: たかぽん
投稿日: 2007/6/25(01:16)

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はまちゃん、こんにちはー。
いったいいつの話やねんて感じで、いやー、申し訳ないねー。

別に「精神的にハードな日々を過ごしててん」ではなかったんやけど、
うん、そうやな、いろいろあったかな。
でもまぁ、いろいろあるときのほうが、いろいろ学べるというか、
否応なしに心の鍛錬になりますわな。当たり前田ですが。
それなりのレッスンが、うまい具合にプログラムされてますわ。
いやー、抽象的な話。(笑)

〉今、ふんわりあったかいものも一緒に送ったよ。
〉あくまでイメージの中での出来事なんだけどね。
〉たかちゃんに届いてるといいなぁ。

いつとはなしに、なんか来たような気がしますわ。
ありがとう。

そうそう。結婚式の引き出物のね、バームクーヘン食べたよ。(笑)

〉心が震えた。。。
〉人間の体の中からそれだけ眩しい光が発光してるねんで、すごいと思わん?
〉すごい、というか今まで生きてきて、そういうものだろうと理解してたものが
〉ひっくり返ってしまうぐらい。。。

やっぱり、人間は光なんだなぁ。
うすうす気づいていたけれど。実際に見たとは、すごいなぁ。

(まったくの余談なんやけど、「どっちの料理ショー」の後番組の旅番組で、
加賀百万石に行ってはって、「金箔パック」をしてはったのだ。
顔、ツタンカーメンみたいに金箔パック。で、その金箔は洗い流すのではなく、
なんと、肌に擦り込んでいくのだ!!
マッサージしていくうちに、どんどん金が無くなっていって、最後は完全に消える。
顔の肌の中に入っていったとのことだが、マッサージの人の指の中に消えてのかも
しれないな・・・。
あるいは、金箔ってものすごく薄いものだから、塊になったらものすごく小さくて、
非常に小粒な金が店側に残るのかもしれない。疑り深い私・・・。
ほんとに余談でした。)

そういえば、「塊」と「魂」という字は似ている。
So what? (selfつっこみ)
体の中に魂があるかと思いきや、実は魂の中に体があるてな話はよく聞くねぇ。
朝の電車なんかすごいことになっとるんだろうなといつも思う。

〉道行く人を見ては「どうぞ、よろしく」なんて
〉ちょっと新しい気持ちと目で見てたんだけど、←けっこう勇気が要った。

それが、「ナマステ」だね。(笑)

〉でも「中は外」かも知れへんし。。。

中外一如 と、でっち上げの格言を挙げておきます。

〉数日後、静かに自分の内面の内面を見てたら、ちっちゃい、ちっちゃい
〉「私」がいた。

ちっちゃい、ちっちゃい、で思い出したが、ちっちゃい、ちっちゃい仏様っていはるよね。
あ、これは仏像という意味ですが。
なぜか仏像を、ちっちゃくちっちゃく作るってことがありますよね。
かわいいかわいい仏様。
(たしか、米粒を削って仏像作ってた人がいたな。)

そういえば、「仏」と「私」って、似た字ですね。「仏」に「一人」が加われば「私」だ。
あー、なんだかもっともらしいこじつけだ。(笑)
そもそも「仏」って「佛」だしね。

〉"こんなことで一喜一憂して震えてる「私」がいるんだ。。。"

ふと、富岡多恵子の「女道楽」って短篇を思い出した。
「女道楽」というのは、女遊びという意味でなくて、女性の芸人さんぐらいの意味ね。
なんてことない話なんだけど、なぜかいたく感動したおぼえがある。
べつに読まなくていいけど。(どないや)

〉なんだかねぇ、ちっちゃい、ちっちゃい私を見つけた時、
〉なんだかほっとして、愛しくなったのよ。
〉何となく「人類?の共通の意識」みたいなのを見た、気もした。
〉そしてね、見つけたからには、与えて慈しみながら育てようって
〉思ったの。自分の事も、自分以外の人の事も。

いいねぇ。このあたり。
それでいいんじゃないかねぇ。

〉「あぁ、自分の見たいように世の中は見えるんだなぁ」って心底体感したの。

そうだねぇ。
自分について思うに、そうだわ。

〉何の話してたっけ?最初は人って内側から光り輝いているんやでって
〉いうのも言いたかったんだけど、

これ、わかるねー。 (実体験してるはまちゃんはすごいねー。)
人間は誰でも、やっぱすごいんだよね。
光らせるには、「愛」とか「光」とか「喜楽」とか(これらは全て同じですが)を
注ぎ込むしかないんだろうなと思う。
人間は可愛い。 (宇宙人らしい発言か…)

〉たかちゃんには

〉You are wonderful.
〉I really think so.
〉そんでもって、
〉すきー。ぎゅうぅ。

〉って言いたかったの。

あー。ありがとう。
私もすきよ。ぎゅうぅ。

〉またねー。

うん。ありがつお。
またねー。


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