Re: 物語を通して言葉に出会う

[掲示板: 〈過去ログ〉SSS雑談の掲示板 -- 最新メッセージID: 3556 // 時刻: 2024/5/17(23:13)]

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1737. Re: 物語を通して言葉に出会う

お名前: たかぽん
投稿日: 2007/3/26(23:03)

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Ryotasanさん、こんばんは。たかぽんです。

〉みなさんのやりとりを興味深く拝見してきました。その中で核心部分だと僕が思うのは、このあたりです。

〉重要なのは、辞書に載っていない意味・用法だから多読や多聴で学ぶしかないということより、物語を読むという仮想体験の中で生きた言葉に出会うことだと思います。現実の生活の場ではなくても、読者にとって意味のある状況で言葉に出会ったり、その言葉と一緒に物語世界を旅すること、冒険することで、より深くその言葉を吸収・獲得できるのです。

まったく、おっしゃるとおりだと思います。
「物語」(1冊でも、1行でも、1フレーズでも「物語」たり得ますが、)
の中の言葉が「生きた言葉」であって、「物語」の中で出会った言葉こそ、
深く吸収・獲得できるんだと思います。

いま、タイタニックに関する本を読んでいるのですが、こんな文がありました。
救命ボートを下ろすシーンです。

Lifeboat No.7, the first one to depart, slowly creaks some fifty feet
down the side of the Titanic to the sea.

creakは、いわゆる「きしむ」だと思うんですが、まだ4月、
暗くて寒い真夜中の北大西洋で、巨大豪華船がじりじりと沈んでいくなか、
幾ばくかの人を乗せた救命ボートが、ゆっくりゆっくりとロープで下ろされていくさまが、
「creaks down」なんですよね。

〉理解ではなく「吸収」という表現を使ったのは、言葉の定義や例文を即座に示したり、文法的な理論にしたがって分類できるといった能力、あるいは知識の習得とは性質が違うからです。

そうですね。
結果的にそういうことができる(定義・分類ができたりする)ということはあるかもしれませんが、
もっと、イメージ的なもの、血や肉をともなったもの、という感じでしょうかね。

〉辞書は地図のようなもので、選び方や使い方によっては、そういう旅の手引きとなる可能性もあります。その辞書がどういう手順で作られたのかも考えておく必要があります。

そうですね。
英英辞書の例文はよくできていることが多くて、場面が浮かびやすくて、
ひとつの「物語」になっているなぁと感心します。
うまく使えば生きた言葉の獲得に大いに役立つものだろうなと思います。


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1743. 追伸 Re: 物語を通して言葉に出会う

お名前: たかぽん
投稿日: 2007/3/27(02:49)

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Ryotasanさん、夜更けに更にこんばんは。たかぽんです。

やっぱり、英語と日本語では、ある言葉の「物語」が、かなり異なることが多いですよね。

あ、ここで「物語」と言いますのは、その単語・フレーズ・文にまつわる、
個人的、集団的なイメージ、思い、のこととしておきます。

たとえば、前にも挙げた「猫」の例だと、"cat"とは、まつわるものが違いますよね。
"cat"と言うと、妖艶な女性や、いたずら好き、気まぐれ、しぶとく生きる、
などのイメージが湧いてくるんだと思います。「猫」だと、必ずしもそうではないですよね。

(もっとも、"cat"のイメージが普及することで、「猫」のイメージと接近して来ているとは思います。)

以前から、ずいぶんと違うなーと思っていたのは、"fish"と「魚」ですね。
"fish"は、あんまりいいイメージじゃないようです。今日のおかずは"fish"だよと言われると、
たいがい「エー…」と文句言いたげな感じがします。"fishy"なんて、有名な悪態ですよね。

(もっとも、日本でも「魚」が昔ほど喜ばれなくなっていたり、raw fishを乗せたsushiが外国で喜ばれたりと、
イメージは微妙に変わっているようですが。)

前の投稿で"creak"を挙げましたが、うっかりこれは「きしむ」だと言ってしまいましたが、
"creak"と「きしむ」も、ずいぶんとまつわるものが違うような気がします。
なんとなくですが、"creak"と言うと、haunted houseとか、地下室とか、
暗くてじめじめした古い建物のドアなんかがギーーーッとか、床がギシギシ、
というようなイメージがあります。何か出てきそうな怖い感じ。
必ずしもそういう場面ばかりではありませんが、"creak"の代表的な使われ方だと思います。

このように、言葉には、定義や辞書的な説明だけでは表しきれない、その語にまつわる
「集団的(・個人的)な『物語』」があるように思います。
なので、まつわるものが全然違う場合が多い英語・日本語の一対一対応だと、
その語にまつわるものをつかめないし、また、英英辞書だけでも、その雰囲気をつかみきれない、
ということなのだと思います。

(ただ、英日単語帳的に覚えて、あとで多読などによって修正していくことが、
絶対にいけないかどうかは私にはわかりません。自分も中高と英語を勉強したので、
そうしてきたことになるし。。。 でも、多読以降に獲得した言葉のほうが
自分の中でピチピチしている感じがして、一方、訳語がポンと浮かぶような古参の単語は
なんだかどうも血が通わない、生き生きとしてこない、という感じがする。。。
しかし、個人差もあるだろうから、この問題については保留。)

で、その言葉の「物語」ですが、やはりその「原体験」的なものをつかむのがいいのであって、
その「原体験」があるのは、やはり子ども本の中なのだと思います。
あるいは、マザーグースなどの歌に。
そういったところに、言うに言われぬ、英語の「物語」の原型のようなものがあって、
それが生々しく忠実に表現されているということなのだと思います。

(大人の本だと、その「物語」を前提として、変形させたり、解体してみたりと意匠をこらします。)

したがって、子どもの本から読む、ということは、「簡単なものから読む」というよりも、
その言語の生々しい「物語」に触れるため、という意味があるのかもしれません。

(このあたりのことは、たこ焼さんがかなり前におっしゃってました。思い出しました…)

Ryotasanさんの好刺激によって、いろいろ考えてしまいます。(笑)
ではでは〜。


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1804. Re: 追伸 Re: 物語を通して言葉に出会う

お名前: Ryotasan
投稿日: 2007/3/30(08:30)

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〉Ryotasanさん、夜更けに更にこんばんは。たかぽんです。

たかぽん、さらにおはようございます。

〉やっぱり、英語と日本語では、ある言葉の「物語」が、かなり異なることが多いですよね。

〉あ、ここで「物語」と言いますのは、その単語・フレーズ・文にまつわる、
〉個人的、集団的なイメージ、思い、のこととしておきます。

言葉の背後にある物語でしょうか。

〉たとえば、前にも挙げた「猫」の例だと、"cat"とは、まつわるものが違いますよね。
〉"cat"と言うと、妖艶な女性や、いたずら好き、気まぐれ、しぶとく生きる、
〉などのイメージが湧いてくるんだと思います。「猫」だと、必ずしもそうではないですよね。

英語では dog を男性名詞、cat を女性名詞として扱うこともあるんです。ちなみに dog の女性形は b_tch です。(こういう辞書的な知識を暗記する必要は無いです。文章を読んでいて、こういう言葉を使っているときの感情を何となく察知できれば充分です。) それから cat は lion や tiger なども含みます。

〉(もっとも、"cat"のイメージが普及することで、「猫」のイメージと接近して来ているとは思います。)

〉以前から、ずいぶんと違うなーと思っていたのは、"fish"と「魚」ですね。
〉"fish"は、あんまりいいイメージじゃないようです。今日のおかずは"fish"だよと言われると、
〉たいがい「エー…」と文句言いたげな感じがします。"fishy"なんて、有名な悪態ですよね。

日本語では「生魚」と「刺身」を使い分けています。僕たち日本語の「ネイティヴ・スピーカー」は、その使い分けを無意識に行なっています。これを品詞に分類したり、定義したりできる人もいますが、それは学校などで勉強した結果であり、母語だからではないです。

〉(もっとも、日本でも「魚」が昔ほど喜ばれなくなっていたり、raw fishを乗せたsushiが外国で喜ばれたりと、
〉イメージは微妙に変わっているようですが。)

日本も含めてアジアの食文化は豊かで、食べ物に関する日本語の語彙は英語より豊富だと思います。ですから、その豊かな感じを英米の人も分かるような英語で表現するのは難しいです。

〉前の投稿で"creak"を挙げましたが、うっかりこれは「きしむ」だと言ってしまいましたが、
〉"creak"と「きしむ」も、ずいぶんとまつわるものが違うような気がします。
〉なんとなくですが、"creak"と言うと、haunted houseとか、地下室とか、
〉暗くてじめじめした古い建物のドアなんかがギーーーッとか、床がギシギシ、
〉というようなイメージがあります。何か出てきそうな怖い感じ。
〉必ずしもそういう場面ばかりではありませんが、"creak"の代表的な使われ方だと思います。

そのとおりです。一つの単語を見ただけで spooky な場面まで連想してしまう、たかぽんも凄いですね。

〉このように、言葉には、定義や辞書的な説明だけでは表しきれない、その語にまつわる
〉「集団的(・個人的)な『物語』」があるように思います。
〉なので、まつわるものが全然違う場合が多い英語・日本語の一対一対応だと、
〉その語にまつわるものをつかめないし、また、英英辞書だけでも、その雰囲気をつかみきれない、
〉ということなのだと思います。

そうですね。わざとそういう背景を切り捨ててある辞書も存在するようです。客観的な立場をとったつもりなのでしょう。利用者としては、あくまで地図にすぎないと割り切った方が良いこともあります。

〉(ただ、英日単語帳的に覚えて、あとで多読などによって修正していくことが、
〉絶対にいけないかどうかは私にはわかりません。自分も中高と英語を勉強したので、
〉そうしてきたことになるし。。。 でも、多読以降に獲得した言葉のほうが
〉自分の中でピチピチしている感じがして、一方、訳語がポンと浮かぶような古参の単語は
〉なんだかどうも血が通わない、生き生きとしてこない、という感じがする。。。
〉しかし、個人差もあるだろうから、この問題については保留。)

善悪は別として、深いか浅いかの違いはあるかもしれません。深い方が記憶に残り、結果的に短期間で覚えられると僕は思います。日本語で説明するにしても、せめて午前一時が morning であることや、more than が「以上」ではなく不等号(>)であることなどを明記してくれれば良いのですが。

〉で、その言葉の「物語」ですが、やはりその「原体験」的なものをつかむのがいいのであって、
〉その「原体験」があるのは、やはり子ども本の中なのだと思います。
〉あるいは、マザーグースなどの歌に。
〉そういったところに、言うに言われぬ、英語の「物語」の原型のようなものがあって、
〉それが生々しく忠実に表現されているということなのだと思います。

そうですね。長い間語り継がれてきた民話や童話には、短くても深い物語がありますね。

〉(大人の本だと、その「物語」を前提として、変形させたり、解体してみたりと意匠をこらします。)

〉したがって、子どもの本から読む、ということは、「簡単なものから読む」というよりも、
〉その言語の生々しい「物語」に触れるため、という意味があるのかもしれません。

それは面白い視点ですね。特に子どもを対象にした作品でなくても、そういう物語は存在すると僕は考えています。神話や伝承バラッドがそうです。ただし、非常に昔の作品には言葉の障壁もあるので、子供用の方から入る方が実際的ですね。

〉(このあたりのことは、たこ焼さんがかなり前におっしゃってました。思い出しました…)

〉Ryotasanさんの好刺激によって、いろいろ考えてしまいます。(笑)
〉ではでは〜。

僕も色々と考えさせていただきました。どうもありがとう。


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1813. Re: 追伸 Re: 物語を通して言葉に出会う

お名前: たかぽん
投稿日: 2007/3/31(01:22)

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Ryotasanさん、こんばんは! たかぽんです。
丁寧なお返事ありがとうございました。
とても充実したお話ができて嬉しいです。

嬉しがってるわりには大幅にカットいたします。
すみません…

〉〉前の投稿で"creak"を挙げましたが、うっかりこれは「きしむ」だと言ってしまいましたが、
〉〉"creak"と「きしむ」も、ずいぶんとまつわるものが違うような気がします。
〉〉なんとなくですが、"creak"と言うと、haunted houseとか、地下室とか、
〉〉暗くてじめじめした古い建物のドアなんかがギーーーッとか、床がギシギシ、
〉〉というようなイメージがあります。何か出てきそうな怖い感じ。
〉〉必ずしもそういう場面ばかりではありませんが、"creak"の代表的な使われ方だと思います。

〉そのとおりです。一つの単語を見ただけで spooky な場面まで連想してしまう、たかぽんも凄いですね。

あ、ありがとうございます。
しかし、こどもの本からたくさん多読してきた(または多聴してきた)人なら、
creaksで、こういう感覚を持つ人は多いんじゃないかと思います。
ふつうにそういう人たちが出てくるところが、多読の凄いところだと思います。
多読が凄い!

〉〉(ただ、英日単語帳的に覚えて、あとで多読などによって修正していくことが、
〉〉絶対にいけないかどうかは私にはわかりません。自分も中高と英語を勉強したので、
〉〉そうしてきたことになるし。。。 でも、多読以降に獲得した言葉のほうが
〉〉自分の中でピチピチしている感じがして、一方、訳語がポンと浮かぶような古参の単語は
〉〉なんだかどうも血が通わない、生き生きとしてこない、という感じがする。。。
〉〉しかし、個人差もあるだろうから、この問題については保留。)

〉善悪は別として、深いか浅いかの違いはあるかもしれません。深い方が記憶に残り、結果的に短期間で覚えられると僕は思います。日本語で説明するにしても、せめて午前一時が morning であることや、more than が「以上」ではなく不等号(>)であることなどを明記してくれれば良いのですが。

morning。そうですよね。
夜中の0時を過ぎたらmorningだというのは、私は「雨に唄えば」で知りました。
今日何月何日は僕のラッキーデーだ、みたいなことをジーン・ケリー言うと、
いや、もう午前1時何分で次の日だよ、と言われて、「Good Mornin'」の歌が始まるんです。
おー!1時でGood morningなんやー!と思いましたね。

それに関して、おかしいなと思うのですが、NHKのニュースなんかで、
夜の0時を過ぎると、前日のことは全て「昨日・昨夜」になるのが違和感あります。
0時のニュースで、「昨夜11時59分ごろ火事が発生し…」などと言うわけです。
今日になっても燃えつづけています、と言うのでしょうか? 何かおかしくありません?

まぁ、「昨日」と言うのは仕方ないにしても、「昨夜」と言うのは納得いきません。
日本語の「昨夜」は、夜中の0時で区切られないような気がするからです。
日本語の「夜」は、日が沈んで暗くなってから、明けるまでが、ひとまとまりだと思います。
「今夜は飲み明かすぞ!」というのは、0時でお開きということではありません。
「今夜は二人っきりで…」と言ってて、0時でさようならではムードが台無しです。
午前1時に帰ってきた夫に向かって、「ゆうべはどこに行ってたの?」と尋ねる妻はいません。
(その前の晩のことを尋ねているなら別ですが。)

なんだか、NHK(他の局もでしょうか?)の「今夜」「昨夜」の使い方は、
杓子定規すぎるというか、日本語の使い方として間違いではないか?とさえ思われるのですが、
Ryotasanさんにこんなに熱く文句を言っても仕方ないということに今気がつきました。(笑)

〉〉で、その言葉の「物語」ですが、やはりその「原体験」的なものをつかむのがいいのであって、
〉〉その「原体験」があるのは、やはり子ども本の中なのだと思います。
〉〉あるいは、マザーグースなどの歌に。
〉〉そういったところに、言うに言われぬ、英語の「物語」の原型のようなものがあって、
〉〉それが生々しく忠実に表現されているということなのだと思います。

〉そうですね。長い間語り継がれてきた民話や童話には、短くても深い物語がありますね。

〉〉(大人の本だと、その「物語」を前提として、変形させたり、解体してみたりと意匠をこらします。)

〉〉したがって、子どもの本から読む、ということは、「簡単なものから読む」というよりも、
〉〉その言語の生々しい「物語」に触れるため、という意味があるのかもしれません。

〉それは面白い視点ですね。特に子どもを対象にした作品でなくても、そういう物語は存在すると僕は考えています。神話や伝承バラッドがそうです。ただし、非常に昔の作品には言葉の障壁もあるので、子供用の方から入る方が実際的ですね。

無意識の領域が、個人個人→英語日本語仏語など各言語→すべての言語に共通、というように、
層が何層にもなってて、深くなるほど普遍的になってくるもの、だとすれば、
神話というものは、深〜いところを呼び覚ますものなんだろうなぁと思います。
たとえば、ギリシャ神話のアーキタイプが、日本人にも感銘を与えるものであったり。
究極的には、「神話の力」を使った多読法みたいなものが有効なのかなぁと思ったりしますが、
ぼんやりと想像しているだけです。(笑)

(こんな話を、むかし掲示板で、たこ焼さんという方としてたんです。)

〉〉Ryotasanさんの好刺激によって、いろいろ考えてしまいます。(笑)
〉〉ではでは〜。

〉僕も色々と考えさせていただきました。どうもありがとう。

いえいえ。ありがとうございます。
好き勝手しゃべりましたけど…
では〜


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1802. Re: 物語を通して言葉に出会う

お名前: Ryotasan
投稿日: 2007/3/30(07:50)

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〉Ryotasanさん、こんばんは。たかぽんです。

たかぽん、おはようございます。仕事でしばらく席を外していました。

〉〉みなさんのやりとりを興味深く拝見してきました。その中で核心部分だと僕が思うのは、このあたりです。

〉〉重要なのは、辞書に載っていない意味・用法だから多読や多聴で学ぶしかないということより、物語を読むという仮想体験の中で生きた言葉に出会うことだと思います。現実の生活の場ではなくても、読者にとって意味のある状況で言葉に出会ったり、その言葉と一緒に物語世界を旅すること、冒険することで、より深くその言葉を吸収・獲得できるのです。

〉まったく、おっしゃるとおりだと思います。
〉「物語」(1冊でも、1行でも、1フレーズでも「物語」たり得ますが、)
〉の中の言葉が「生きた言葉」であって、「物語」の中で出会った言葉こそ、
〉深く吸収・獲得できるんだと思います。

物語や生活を通して吸収した言葉を使う人がいて、物語を堪能することで言葉を吸収してきた人が読み手・聴き手であれば、1フレーズの背後に物語をこめたり、1フレーズから物語を読み取ることも可能です。ただ、物語の真髄は長編にあると僕は思っています。短編では、短い分だけ言葉やメッセージの比重が大きくなり、その分だけ背景知識や辞書的な知識に頼らざるを得ない面が大きくなります。

〉いま、タイタニックに関する本を読んでいるのですが、こんな文がありました。
〉救命ボートを下ろすシーンです。

〉Lifeboat No.7, the first one to depart, slowly creaks some fifty feet
〉down the side of the Titanic to the sea.

〉creakは、いわゆる「きしむ」だと思うんですが、まだ4月、
〉暗くて寒い真夜中の北大西洋で、巨大豪華船がじりじりと沈んでいくなか、
〉幾ばくかの人を乗せた救命ボートが、ゆっくりゆっくりとロープで下ろされていくさまが、
〉「creaks down」なんですよね。

僕は最近やっと『タイタニック』のDVDを観ました。ああいう状況でこういう言葉が使われると、印象の深さも違いますね。

〉〉理解ではなく「吸収」という表現を使ったのは、言葉の定義や例文を即座に示したり、文法的な理論にしたがって分類できるといった能力、あるいは知識の習得とは性質が違うからです。

〉そうですね。
〉結果的にそういうことができる(定義・分類ができたりする)ということはあるかもしれませんが、
〉もっと、イメージ的なもの、血や肉をともなったもの、という感じでしょうかね。

〉〉辞書は地図のようなもので、選び方や使い方によっては、そういう旅の手引きとなる可能性もあります。その辞書がどういう手順で作られたのかも考えておく必要があります。

〉そうですね。
〉英英辞書の例文はよくできていることが多くて、場面が浮かびやすくて、
〉ひとつの「物語」になっているなぁと感心します。
〉うまく使えば生きた言葉の獲得に大いに役立つものだろうなと思います。

辞書の編纂者・執筆者がどのように言葉と出会ってきたのかが大いに気になるところです。辞書によって差があることに気づくのはどういう読者でしょうか。

これまでどんな辞書にも載っていなかった単語や用法が初めて辞書に載るとき、辞書の執筆者はその単語をどうやって理解し、どうやって定義や例文を書くのか考えてみると良いです。

ではまた。


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