Re: 終わりの話

[掲示板: 〈過去ログ〉SSS雑談の掲示板 -- 最新メッセージID: 3556 // 時刻: 2024/5/29(19:36)]

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[♪] 1311. Re: 終わりの話

お名前: 酒井@快読100万語!
投稿日: 2006/12/11(01:04)

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はまこさん、こんばんは!

たかぽん、たこ焼きさん、akoさん、杏樹さん、こんばんは!!

〉えー、この話は「英語という言語に、日本語の理論、理屈を挟まず
〉直接触れ続けること。」
〉「魂(または自己というのがいいのかなぁ。)が揺さぶられること」や

この二点、ぼくがいま書いている本のいちばん大きなテーマです!

〉「産む」ということの話し、
〉この世に男と女がいる意味の話、
〉存在する、ということ、
〉などなどを、今までの経験、最近体験した事を通して理解した事を
〉交えながら、書こうと思っていたのですが、
〉ここで終わろうと思います。

なぜ?

〉元々は、たこ焼さんとたかぽんさんが追いかけ続けている
〉「シンクロニシティ」や「因果律」や「宇宙」について、
〉女性の立場から、自分が体験した事を話すことによって、
〉何か参考になるといいな、と思ったのと、
〉自分自身が感覚的にわかっている事が
〉人と話していく中で、客観的に理解できるといいな、と思ったのと、
〉今自分自身に起こっている事が、とても貴重な事だと思うので、
〉誰かに伝えたい、という思いがあったので書き始めたのですが、
〉「感覚的にしかわかっていない」時点で、掲示板に書くのはいい事では無い
〉(あくまで私の場合です)、と思い直しました。

感覚的にしかわかっていない場合、
理性的なぶんしょうにしてしまうのはいいことではないでしょうが、
感覚的な文章にするのはよいことだとおもー。

〉何故、
〉「感覚的にしかわかっていない」時点で、掲示板に書くのはいい事では無い、
〉と判断したかというとですね、
〉過去2回同じ過ちを犯しているからです。
〉一度は、「私が英語の音を聞きながら、頭の中でどういう処理をしているか」
〉という事を具体的に、事細かく、膨大な量を話し、
〉その過程で、聞き手であった、ある大切なタドキストの方を、とても苦しめてしまいました。 

あ、そういうことがあったのか!
ぼくは鈍いので、そういう機微がどうもわからない・・・

〉もう一つはそれ以前に、私が始めて壁にぶつかった時に、掲示板で相談した事が
〉あったのですが、ある別のタドキストの方に、随分辛い事を書かれました。

これは覚えていますよ。

〉その時は受け取る側の私も未熟であったからなのですが。
〉そういう経緯があるので、今回も「誰かと話しながら考えがまとまると
〉いいなー」というスタンスでは、過去から何も学んでいない、という結果に
〉なるかもしれません。
〉掲示板ではさらっと軽やかな話だけしようと思います。
〉といって、掲示板以外で話すこともないのですが。

えー、それじゃあ掲示板がおもしろくなくなってしまうよ・・・

〉たかぽん、そういう訳で、まだ話していないことについても書きたかったのですが、
〉また機会があれば、どこかで話そうね。
〉akoさん、せっかく読んでくれてたのにごめんねー。
〉たこ焼さんも読んでくれてたのかな。またね。
〉どなたか、読んでたよー、という方、機会があれば、続きはその時にでも。

掲示板ではもうこの話はしないということなら、
いつか、どこかで話すときに、ぼくもまぜてねー!

お願いします。

〉ではでは。 

ではね・・・


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1316. 雑談ついでと言っては何ですが、酒井先生へ

お名前: はまこ
投稿日: 2006/12/12(11:36)

------------------------------

酒井先生こんにちは。
レスをいただき、ありがとうございました。

以下はめちゃ長っ!になってしまいました。
お忙しい時期でしょうに、申し訳ないです。
と言いながら、そのまま載せまーす。
  
  
〉感覚的にしかわかっていない場合、
〉理性的なぶんしょうにしてしまうのはいいことではないでしょうが、
〉感覚的な文章にするのはよいことだとおもー。

ここが難しいところですねぇ。
感覚は正確に伝わらない。。
先日の新聞の文化面で、「グレート・ギャツビー」を翻訳した村上春樹さんの話が載っていたのですが、
(神戸新聞社がメールで質問し、村上さんがメールで回答したもの)
—フィッツジェラルドの文章は、時間をかけ、経験を積み、じっくり丁寧に読んでいれば、何が言いたいのかは大体わかるんです。でもそれを実際に日本語の文章に置き換えようと思うと、これはもう至難の業になってしまいます。美しい音楽をそのまま言葉に置き換えるようなもので、やっているうちに恐ろしいくらいの無力感にとらわれていきます。こんな事とてもできっこないよなと思います。その自分なりの方法を見つけるために、随分時間がかかりました—
とありました。これは翻訳に際する村上さんの体験であり、そもそも私ごときが表現できないよー、という辛さに付いてこの記事を引用するのもおかしいのですが、この記事を読んだ時、しみじみと噛みしめたわけでして。
私のように熟考に熟考を重ねない(変な言い方ですが)人間が捉えた感覚など、そこここで見聞きする言葉を繋ぎ合わせて伝えればいいのではないか、とも思うのですが、その言葉すら大して持ってないんですね。
なので、只今真剣に集めだしたところです(笑)
  
 
  
■味読の話■
話は変わりますが、少し前に先生が多読3原則を守っていないことを間者猫さんにばらされましたよね。(にゃーさんだったよね?わしとちゃうでー、という声が聞こえんでもないけど。。違うかったらごめんねー)
その中で先生が本に線を引きまくる、という話をされてませんでしたか?
私も引きまくってます。そして内容をまとめて、感想文を書いて、chatの広場に投稿するために、何度も何度も読んでます。線を引くという行為は、別のところでやっぱりにゃーさんの質問に答えた時に言ってらした、「味読」に繋がりますよね。
あ、児童書には一切引きませんよ。そのうち子供たちが英語でも本を読むようになるかもしれないし。その時色分けされた線が引いてあったら申し訳ないし。(読んでくれないと本代がもったいない、と思ってしまう母。)

私がこの1年半で読んだ本は、chatの広場に載せた分と、2ヶ月前に書き終わったけど、広場に載せていない3冊だけなんですね。読んだ本の量が少ないのは、体調が思わしくなかったのと、引越しやいろいろな事があって、読む時間が取れなかったからなんですけど、それでも英語に対する理解はすごく深まってると思うのです。
 
 
  
■語数が英語の理解、自己を見つめる作業と正比例しない話■
掲示板に報告する人は(たぶんしてない人も)、「語数」って気になりますよね。
長く読んでいる内に語数は気にならなくなり、ただ本を読むだけ、と移行していくとは思うのですが、始めのうちは、一日に何語読まなきゃ、とか、1年間で何百万語も読んだ!と語数のプレッシャーと闘ったり、読んだ語数を誇ったり、という事はほとんどのタドキストが経験しているのではないでしょうか。

始めのうちはそれでもいいと思うのです。やがて自分でプレッシャーと闘うことに意味はない、語数を気にして、速く、速くとあせる読書に何の意味もない、と気づくものだと思うし。

私が心配するのはですね、既に実践しているタドキストではなく、「じゃあ、指導者のあなたは一体何万語読んだのか?」と語数で力を証明せよ、と敵意?を持って迫ってくる相手に対して、「量から質へと深まっていくものなのですよ」と説明をする時に、有効な言葉を先生はたくさん持ってらっしゃるのかしら。と言うことなんです。つい老婆心を(誰が老婆やー!)出してしまうんですね。

先日ぷらっと立ち寄った本屋さんで、手に取った本の中に、いろいろと参考になるのではないか、という内容が書いてありました。
「本の読み方—スロー・リーディングの実践」 平野啓一郎著 PHP新書
なのですが、いくつか書き出してみますね。
 
 
 この本の立場は、徹底してアンチ速読である(序p4より)。

 私たちは、日々、大量の情報を処理しなければならない現代において、本もまた、「できるだけ速く、たくさん読まなければいけない」という一種の強迫観念にとらわれている。「速読コンプレックス」と言い換えてもいいかもしれない。(p6より)
これって、語数を気にするタドキストにも当てはまりませんか。

 もちろん、単にゆっくり読めばいいというものではない。・・・読書にもやはりコツがある。決して難しいことではないが、そのコツさえ知っていれば、読書はもっと楽しく、もっと有意義で、それを知らずにがむしゃらに文字を追うよりも、はるかに多くのことを教えてくれ、人間的にも成長させてくれるだろう。(p7より)
 
 
趣味で英語の本を読んでいる人にせよ、ビジネスのために読む人にせよ、本を読む時は、内面の成長を期待しているのではないでしょうか。
特にビジネスマンは、人と違った視点、人間的な厚みを持つことによって、相手の信頼を得るだろうし、その結果が望んだ地位や報酬へとも結びつくんじゃないかなぁ、ビジネスマンこそ、少しづつでもじっくりと味読する読み方をした方がいいのではないかなぁ、と思っていたのですが、それをこの本の中で上手に説明してくれています。
この本はいろいろな意味で、一読されるのをお薦めします。

音読はあかんでー、とも書いてありますけど。(笑)そこは日本語と英語の違い。私も完全黙読を目指してはいるのですが、音とリズムを目で見て完全再現できるまで、もう少しかかるかな。
音、リズム、響きの威力を発揮するのは、形容詞の場合に、一番顕著に現われると思っています。音と文字のイメージが一致しないと、何故作者はそこにその文字を置いたのか、その文字がその場所にあることの必然性に、気がつかないと思うのですね。
それに音読しながら、じっくりと作品の世界を味わう、というのは本当に楽しいものなのですよ。
私が大好きなのは韻を踏んだ言葉なのですが、これも慣れると見ただけでわかるようになりますが、やっぱり声に出してこそ楽しいんですよねー。
 
 
 

■再び味読の話■
私も線を引きながら読んでいる、といいましたが、色分けして、本をじっくり読んで良かったな、と思った最初の作品は、“Memoirs of a Geisha”です。
私がこの作品の中で一番印象を受けたのは、「色」と「におい」の使い方なんですね。
この二つを使うことによって、主人公の置かれたその時々の立場、感情、時代背景などが、よく読み取れるようになっています。
この二つの使い方こそが、この作品の持つ特異性だと思うのですが、
なぜか作者は途中であまり効果的な使い方をしてないのですね、
その分作品も、中だるみの印象を受けました。
戦時中で「色」も「におい」も暗いものでしか表現できず、単調になったのでしょうが、やっぱり、惜しいな〜、と思いました。
その後また「色」と「におい」が効果的に使われるようになり、作品もクライマックスまで盛り上がりました。

このように、私が一番魅力を感じたのは、「色」と「におい」を効果的に使って、登場人物の機微までも表現したことなのですが、祇園の裏話だったり、興味のある話は他にもいろいろとあり、存分に作品を味読できました。
  
 
ですが、もしこの本を「あらすじ」だけ追って「速読」していたら、
「ある女の子が芸者になって、いろいろあった話。」で終わったのではないでしょうか。作者が書きたかったことにはほとんど気がつかなかったでしょうね。
「いずれはじっくりと読めるようになるための、飛ばし読み」ならいいのです。
この作品は残念ながら、後世まで残るような名作ではありません。
でも、いつもいつも「あらすじ読み」で、それで何万語読んだ!と語数を誇られても、はぁ、そうですか、ぐらいしか答えられないですよね。
やっぱり掲示板でみなさんが語っているような、英語にそのまま触れて、感動があってこその読書。こうでなくっちゃなー、と思うのです。

そうそう、ビジネスマンが英語の本を読むのに有益な点として、
理論的な思考が身につく、というのが一番に挙げられるのではないかと思うのですが、それよりも、日本語以外の言語を日本語の理論、理屈抜きに読んで揺さぶられること、のほうがよっぽど重要なんじゃないかと思います。
 
  
  
あぁ、いろいろと書き連ねているうちに、みにはまが起き出しそうです。
長い割りに中途半端に終わりますが、ごめんくださいませ〜。


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[♪] 1317. Re: 雑談ついでと言っては何ですが、酒井先生へ

お名前: 酒井@快読100万語!
投稿日: 2006/12/13(00:50)

------------------------------

はまこさ〜ん、こんばんわあ! (京都弁風・・・)

〉酒井先生こんにちは。
〉レスをいただき、ありがとうございました。

〉以下はめちゃ長っ!になってしまいました。
〉お忙しい時期でしょうに、申し訳ないです。
〉と言いながら、そのまま載せまーす。

長いと喜ばれる掲示板ですから・・・
  
〉〉感覚的にしかわかっていない場合、
〉〉理性的なぶんしょうにしてしまうのはいいことではないでしょうが、
〉〉感覚的な文章にするのはよいことだとおもー。

〉ここが難しいところですねぇ。
〉感覚は正確に伝わらない。。
〉先日の新聞の文化面で、「グレート・ギャツビー」を翻訳した村上春樹さんの話が載っていたのですが、
〉(神戸新聞社がメールで質問し、村上さんがメールで回答したもの)
〉—フィッツジェラルドの文章は、時間をかけ、経験を積み、じっくり丁寧に読んでいれば、何が言いたいのかは大体わかるんです。でもそれを実際に日本語の文章に置き換えようと思うと、これはもう至難の業になってしまいます。美しい音楽をそのまま言葉に置き換えるようなもので、やっているうちに恐ろしいくらいの無力感にとらわれていきます。こんな事とてもできっこないよなと思います。その自分なりの方法を見つけるために、随分時間がかかりました—
〉とありました。これは翻訳に際する村上さんの体験であり、そもそも私ごときが表現できないよー、という辛さに付いてこの記事を引用するのもおかしいのですが、この記事を読んだ時、しみじみと噛みしめたわけでして。
〉私のように熟考に熟考を重ねない(変な言い方ですが)人間が捉えた感覚など、そこここで見聞きする言葉を繋ぎ合わせて伝えればいいのではないか、とも思うのですが、その言葉すら大して持ってないんですね。
〉なので、只今真剣に集めだしたところです(笑)

おー、すごい!
ぼくとおなじに付箋をぺたぺた?
それとも、B6カードに採集していく?

〉■味読の話■
〉話は変わりますが、少し前に先生が多読3原則を守っていないことを間者猫さんにばらされましたよね。(にゃーさんだったよね?わしとちゃうでー、という声が聞こえんでもないけど。。違うかったらごめんねー)
〉その中で先生が本に線を引きまくる、という話をされてませんでしたか?
〉私も引きまくってます。そして内容をまとめて、感想文を書いて、chatの広場に投稿するために、何度も何度も読んでます。線を引くという行為は、別のところでやっぱりにゃーさんの質問に答えた時に言ってらした、「味読」に繋がりますよね。
〉あ、児童書には一切引きませんよ。そのうち子供たちが英語でも本を読むようになるかもしれないし。その時色分けされた線が引いてあったら申し訳ないし。(読んでくれないと本代がもったいない、と思ってしまう母。)

〉私がこの1年半で読んだ本は、chatの広場に載せた分と、2ヶ月前に書き終わったけど、広場に載せていない3冊だけなんですね。読んだ本の量が少ないのは、体調が思わしくなかったのと、引越しやいろいろな事があって、読む時間が取れなかったからなんですけど、それでも英語に対する理解はすごく深まってると思うのです。

結局多読のめざすところは味読なんじゃないかな?
好きな作家が夢中になって書いた文をそっくり味わう・・・
そのときにはもう多読三原則も何もないね。
ルールを守るなんていうことは全然頭にないものね。

(でもそうなるためには、ぼくみたいに辞書文法経由よりも、
多読経由の方がはるかに早く、無駄なく、深く、ぴったり
読めるようになると思う)

〉■語数が英語の理解、自己を見つめる作業と正比例しない話■
〉掲示板に報告する人は(たぶんしてない人も)、「語数」って気になりますよね。
〉長く読んでいる内に語数は気にならなくなり、ただ本を読むだけ、と移行していくとは思うのですが、始めのうちは、一日に何語読まなきゃ、とか、1年間で何百万語も読んだ!と語数のプレッシャーと闘ったり、読んだ語数を誇ったり、という事はほとんどのタドキストが経験しているのではないでしょうか。

〉始めのうちはそれでもいいと思うのです。やがて自分でプレッシャーと闘うことに意味はない、語数を気にして、速く、速くとあせる読書に何の意味もない、と気づくものだと思うし。

はは、そうそう! 
速く、速くとあせる読書のほかにもいろいろあってね。
早く、早くというのもあるし、お勉強読書もあるし、
受験読書もあるし、点数読書もあるしね。

純粋な読書の楽しみというのもそうしてみると贅沢なものですなあ・・・

〉私が心配するのはですね、既に実践しているタドキストではなく、「じゃあ、指導者のあなたは一体何万語読んだのか?」と語数で力を証明せよ、と敵意?を持って迫ってくる相手に対して、「量から質へと深まっていくものなのですよ」と説明をする時に、有効な言葉を先生はたくさん持ってらっしゃるのかしら。と言うことなんです。つい老婆心を(誰が老婆やー!)出してしまうんですね。

うーん、有効な言葉をいくらでも持っている、ともいえるし、
相手によっては一つも持っていない、ともいえるな。

つまり相手次第なのだよ・・・

そして不幸なことに、
すぐにわかる人向けにはいくらでも持っているけど、
すぐに分からない人にはそれがぜーんぶ有効ではない・・・

結局「とにかく読んでみたら」というしかないもんなあ・・・

あ、有効と思われる言葉を今書いている本で並べてるんだけどね、
だれに、どこまで有効なのか・・・

〉先日ぷらっと立ち寄った本屋さんで、手に取った本の中に、いろいろと参考になるのではないか、という内容が書いてありました。
〉「本の読み方—スロー・リーディングの実践」 平野啓一郎著 PHP新書
〉なのですが、いくつか書き出してみますね。
〉 
〉 
〉 この本の立場は、徹底してアンチ速読である(序p4より)。

〉 私たちは、日々、大量の情報を処理しなければならない現代において、本もまた、「できるだけ速く、たくさん読まなければいけない」という一種の強迫観念にとらわれている。「速読コンプレックス」と言い換えてもいいかもしれない。(p6より)
〉これって、語数を気にするタドキストにも当てはまりませんか。

もちろん当てはまります。

けれども、当てはまらない場合が二つあると思うな。
一つは多読開始直後の動機付けとして利用している場合。
これはいままで学校英語で苦労してきた人が、
自分なりの、ほかの人とくらべるのではない尺度として
利用する場合ですね。ほかの人と比べるのに使っては
「語数コンプレックス」と呼ぶしかないことになってしまう。

もう一つは100万語過ぎたあとも数えて、目安にしている人たち。
もうほとんどゲームの感覚だと思うな。決して「語数稼ぎ」という
強迫観念ではないと思う。

最後に一つ、速読反対論について・・・
なにもかも速読しようというのでなければ速読してもちっとも
かまわないと思う。というより、あるものは速読して、
あるものはゆっくり読んでと使い分けているなら、
「速読コンプレックス」とはいわないのではないかな?

だれも新聞記事を「味読」しようとは思わないでしょ?
そういうものはさっと「速読」するしかないもの。

もっともぼくは新聞そのものを読まなくなっていて、
大体3分あれば新聞は用なしになるから、新聞のことを
例に出すのはよくないかもしれない。(新聞はとらなくてもいいと
思っているのだけれど、いしいひさいちの大ファンなので、
それだけで購読している)

〉 もちろん、単にゆっくり読めばいいというものではない。・・・読書にもやはりコツがある。決して難しいことではないが、そのコツさえ知っていれば、読書はもっと楽しく、もっと有意義で、それを知らずにがむしゃらに文字を追うよりも、はるかに多くのことを教えてくれ、人間的にも成長させてくれるだろう。(p7より)

なんだ、ぼくとおなじことを言ってるわけですか・・・
(しかしこう書いてあると、ちょっと教養的すぎるとぼくは思うけど)

〉趣味で英語の本を読んでいる人にせよ、ビジネスのために読む人にせよ、本を読む時は、内面の成長を期待しているのではないでしょうか。
〉特にビジネスマンは、人と違った視点、人間的な厚みを持つことによって、相手の信頼を得るだろうし、その結果が望んだ地位や報酬へとも結びつくんじゃないかなぁ、ビジネスマンこそ、少しづつでもじっくりと味読する読み方をした方がいいのではないかなぁ、と思っていたのですが、それをこの本の中で上手に説明してくれています。
〉この本はいろいろな意味で、一読されるのをお薦めします。

〉音読はあかんでー、とも書いてありますけど。(笑)そこは日本語と英語の違い。私も完全黙読を目指してはいるのですが、音とリズムを目で見て完全再現できるまで、もう少しかかるかな。
〉音、リズム、響きの威力を発揮するのは、形容詞の場合に、一番顕著に現われると思っています。音と文字のイメージが一致しないと、何故作者はそこにその文字を置いたのか、その文字がその場所にあることの必然性に、気がつかないと思うのですね。
〉それに音読しながら、じっくりと作品の世界を味わう、というのは本当に楽しいものなのですよ。
〉私が大好きなのは韻を踏んだ言葉なのですが、これも慣れると見ただけでわかるようになりますが、やっぱり声に出してこそ楽しいんですよねー。

音読はねえ・・・
お勉強としてやるのは絶対意味ないよ。
音読が楽しいなら、それは絶対やるべきだよね、なにしろ楽しいんだから。
でも、お勉強としてやる音読はぼくには「奴隷根性」のように思える。

〉■再び味読の話■
〉私も線を引きながら読んでいる、といいましたが、色分けして、本をじっくり読んで良かったな、と思った最初の作品は、“Memoirs of a Geisha”です。
〉私がこの作品の中で一番印象を受けたのは、「色」と「におい」の使い方なんですね。
〉この二つを使うことによって、主人公の置かれたその時々の立場、感情、時代背景などが、よく読み取れるようになっています。
〉この二つの使い方こそが、この作品の持つ特異性だと思うのですが、
〉なぜか作者は途中であまり効果的な使い方をしてないのですね、
〉その分作品も、中だるみの印象を受けました。
〉戦時中で「色」も「におい」も暗いものでしか表現できず、単調になったのでしょうが、やっぱり、惜しいな〜、と思いました。
〉その後また「色」と「におい」が効果的に使われるようになり、作品もクライマックスまで盛り上がりました。

この辺がはまこさん独特の感じ方で、
ひょっとしたら作者にそのことを書いてやったら
大感激するかもしれないよ!

〉このように、私が一番魅力を感じたのは、「色」と「におい」を効果的に使って、登場人物の機微までも表現したことなのですが、祇園の裏話だったり、興味のある話は他にもいろいろとあり、存分に作品を味読できました。
〉  
〉 
〉ですが、もしこの本を「あらすじ」だけ追って「速読」していたら、
〉「ある女の子が芸者になって、いろいろあった話。」で終わったのではないでしょうか。作者が書きたかったことにはほとんど気がつかなかったでしょうね。
〉「いずれはじっくりと読めるようになるための、飛ばし読み」ならいいのです。

その通りです。飛ばし読みは「いつか味読」できるための
いちばんまっすぐな道だとぼくは思っています。

〉この作品は残念ながら、後世まで残るような名作ではありません。

ここもよいなあ・・・

〉でも、いつもいつも「あらすじ読み」で、それで何万語読んだ!と語数を誇られても、はぁ、そうですか、ぐらいしか答えられないですよね。
〉やっぱり掲示板でみなさんが語っているような、英語にそのまま触れて、感動があってこその読書。こうでなくっちゃなー、と思うのです。

感動あっての「あらすじ読み」もぼくはあると思うな。
あらすじ読みを続けていると、かならず味読になっていくよ。
それは大丈夫。

〉そうそう、ビジネスマンが英語の本を読むのに有益な点として、
〉理論的な思考が身につく、というのが一番に挙げられるのではないかと思うのですが、それよりも、日本語以外の言語を日本語の理論、理屈抜きに読んで揺さぶられること、のほうがよっぽど重要なんじゃないかと思います。

ははは、これも「はまこ節」ね。
ぼくはだいさんせー!

日本語の理論、理屈抜きで読むことをすすめるためにいまの本を
書いています。たのしみにしていてね!

〉あぁ、いろいろと書き連ねているうちに、みにはまが起き出しそうです。
〉長い割りに中途半端に終わりますが、ごめんくださいませ〜。

はい、みにはまちゃんにも、こはまちゃんにも、
まいくろはまちゃん(?)、ぎゅーしてやってください、
酒井さんからだよって!


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[喜] 1318. Re: 雑談ついでと言っては何ですが、酒井先生へ

お名前: はまこ
投稿日: 2006/12/13(11:35)

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〉はまこさ〜ん、こんばんわあ! (京都弁風・・・)

へぇ、こんばんわぁ。寒なりましたなぁ。(同じ関西でも、京都弁は難しいわぁ)
 
 
〉〉なので、只今真剣に集めだしたところです(笑)

〉おー、すごい!
〉ぼくとおなじに付箋をぺたぺた?
〉それとも、B6カードに採集していく?

線引いてるだけ・・・(集めてると言わないな。。えへ。気が向いたら採集します)
 
 
昨日、思いつくままにダーっと書いたのですが、
先生に丁寧に返事をしてもらったのを読むと、
あんまり深く考えてなかったなー、と気づいて反省。
それと言葉も足りませんでしたね。
やっぱりよく考えてから意見は述べないと。
でも考えてたらきっと書くチャンスを逃しちゃうし。
と、今日もさして考えもせず書いてます(^^)
だってお兄ちゃんたちがいなくて、ちびはまが寝てる間しか書けないもん。
 
 

〉〉私がこの1年半で読んだ本は、chatの広場に載せた分と、2ヶ月前に書き終わったけど、広場に載せていない3冊だけなんですね。

書き落としてました。
絵本はたくさん読んでます。読まない日もたくさんありますが。
聞く方は日々、主に音楽を聞いて歌ってスイングしてます(相変わらずですね)
 
 
〉結局多読のめざすところは味読なんじゃないかな?
〉好きな作家が夢中になって書いた文をそっくり味わう・・・
〉そのときにはもう多読三原則も何もないね。
〉ルールを守るなんていうことは全然頭にないものね。

ですよね(*^^*)
味読っていい言葉ですね。先生の発明でしょうか?
 
 
〉(でもそうなるためには、ぼくみたいに辞書文法経由よりも、
〉多読経由の方がはるかに早く、無駄なく、深く、ぴったり
〉読めるようになると思う)

これは、もう先生に感謝しても感謝し切れません。
ありがとうございます〜。うるうる。
私が多読を始めたのは、辞書文法とは10年ぐらい縁が切れた後からでしたから。
学生時代も、追試、補習、ペナルティをこなしただけで、あんまり縁なかったし。
 
 
あ、話は変わりますが、この間、TOEICを来年の春か、夏に受けようかなぁ、と思い、
アマゾンで問題集を取り寄せたんです。
配達してもらった箱を受け取って、開けもせずに放って、時々箱を眺めてました。
で、何日かたって開けようとすると、持ってるだけで何故か、左の瞼が痙攣しだしたんですぅ。
その後3日続いたので、よし、受けるはのやめよう、と思ったのですが、
その後も1週間左眼の周りが痙攣しっぱなしでした。
去年の春にDSで「英語漬け」をしたら「S」だったんですね。調子に乗り、
公式問題集を買って、CDだけ聞いたら、拍子抜けするほど簡単だなー(眼前にみえるはエベレストかチョモランマ!…一緒だっけ…ぐらい難しいはず、と思ってたので)
と気楽になってたはずなのですが。
この時は妊娠中で、試験が2時間もあると知ったのと、
次の試験では臨月に入ってるので、受けるのを辞めたんですけど。
問題集も結局読まなかったし。
多読でこんなに英語と仲良くなったのに、「試験」がよっぽど嫌いなんですねぇ。
 
 
 
〉純粋な読書の楽しみというのもそうしてみると贅沢なものですなあ・・・

そうですねぇ・・・
ありがたいことです。
 
 
 
〉〉私が心配するのはですね、既に実践しているタドキストではなく、「じゃあ、指導者のあなたは一体何万語読んだのか?」と語数で力を証明せよ、と敵意?を持って迫ってくる相手に対して、「量から質へと深まっていくものなのですよ」と説明をする時に、有効な言葉を先生はたくさん持ってらっしゃるのかしら。と言うことなんです。つい老婆心を(誰が老婆やー!)出してしまうんですね。

〉うーん、有効な言葉をいくらでも持っている、ともいえるし、
〉相手によっては一つも持っていない、ともいえるな。

〉つまり相手次第なのだよ・・・

・・・根深い問題なんでしょうね。
  
 
〉そして不幸なことに、
〉すぐにわかる人向けにはいくらでも持っているけど、
〉すぐに分からない人にはそれがぜーんぶ有効ではない・・・

〉結局「とにかく読んでみたら」というしかないもんなあ・・・

うーん・・・
歯がゆいというか、しょうがないというか。。
学習法、としてならいろいろあるし、その中で3原則を使った多読も選択肢の一つですよね。
その選択肢が大勢の人に支持されれば、疑ってばかりで(でも興味は持ってるんでしょ?)行動に出ない人も、やってみようという気になるでしょうね。
で、やってみて、これは単なる学習法という枠には収まらない、と気づく。

  
 
〉あ、有効と思われる言葉を今書いている本で並べてるんだけどね、
〉だれに、どこまで有効なのか・・・

誰かにとって、なにかしら有効なら、それが波及して、やがて多くの人にとって有効、となるのでしょうね。そんな気が。

新しい本を楽しみにしてます(^^)
多聴多読マガジンも今日注文しまーす(^^)/
 
 
 

〉〉「本の読み方—スロー・リーディングの実践」 平野啓一郎著 PHP新書
〉〉なのですが、いくつか書き出してみますね。
〉〉 
〉〉 
〉〉 この本の立場は、徹底してアンチ速読である(序p4より)。

〉〉 私たちは、日々、大量の情報を処理しなければならない現代において、本もまた、「できるだけ速く、たくさん読まなければいけない」という一種の強迫観念にとらわれている。「速読コンプレックス」と言い換えてもいいかもしれない。(p6より)
〉〉これって、語数を気にするタドキストにも当てはまりませんか。

〉もちろん当てはまります。

〉けれども、当てはまらない場合が二つあると思うな。
〉一つは多読開始直後の動機付けとして利用している場合。
〉これはいままで学校英語で苦労してきた人が、
〉自分なりの、ほかの人とくらべるのではない尺度として
〉利用する場合ですね。ほかの人と比べるのに使っては
〉「語数コンプレックス」と呼ぶしかないことになってしまう。

あぁ、引用の仕方がおかしかった!
もちろん、「多読開始直後の動機付けとして利用している場合。」を
指して「コンプレックスだ」(悪い意味で)と言いたかったのではありません。
お許しを〜〜〜(いろんな方に向けて言ってます)
 
 
〉もう一つは100万語過ぎたあとも数えて、目安にしている人たち。
〉もうほとんどゲームの感覚だと思うな。決して「語数稼ぎ」という
〉強迫観念ではないと思う。

はいはい。これもよくわかってます。
「この二つのことを指しているのではありません」とちゃんと
書いておくべきでした。猛烈に反省!
 
 
 
〉最後に一つ、速読反対論について・・・
〉なにもかも速読しようというのでなければ速読してもちっとも
〉かまわないと思う。というより、あるものは速読して、
〉あるものはゆっくり読んでと使い分けているなら、
〉「速読コンプレックス」とはいわないのではないかな?

〉だれも新聞記事を「味読」しようとは思わないでしょ?
〉そういうものはさっと「速読」するしかないもの。
 
 
はい。これも書き足りてない部分でした。
この本の中でも、

—端的に言って、速読とは、「明日のための読書」である。翌日の会議のために速読術で大量の資料を読みこなし、今日の話題のために、慌しい朝の時間に新聞をざっと斜め読みする。
それに対して、スロー・リーディングは、「五年後、十年後のための読書である」(以下省略)

とありまして、何でもかんでも速読はダメ!と言っているわけではないのです。
まぁ、新聞もスロー・リーディングを、と進めていますが。ここも省略します。
 
 
〉もっともぼくは新聞そのものを読まなくなっていて、
〉大体3分あれば新聞は用なしになるから、新聞のことを
〉例に出すのはよくないかもしれない。(新聞はとらなくてもいいと
〉思っているのだけれど、いしいひさいちの大ファンなので、
〉それだけで購読している)

あはは。相変わらずなのですね。
 
 
〉〉 もちろん、単にゆっくり読めばいいというものではない。・・・読書にもやはりコツがある。決して難しいことではないが、そのコツさえ知っていれば、読書はもっと楽しく、もっと有意義で、それを知らずにがむしゃらに文字を追うよりも、はるかに多くのことを教えてくれ、人間的にも成長させてくれるだろう。(p7より)

〉なんだ、ぼくとおなじことを言ってるわけですか・・・
〉(しかしこう書いてあると、ちょっと教養的すぎるとぼくは思うけど)

まぁ、教養的過ぎると言えばそうなのですが、
熱い、です。この方は。(小説の方は読んだ事がないのですが。)

—そして何よりも、ゆっくり時間をかけさえすれば、読書は楽しい。私が伝えたいことは、これに尽きると言っていい。(序より)

これが言いたかったんですねぇ。
 
本の内容としては、 
作家の視点から、本はこう読むと楽しいんだよー。
書き手はみんな、自分の本をスロー・リーディングしてもらう前提でかいてるんだよー。
私も長年、「速読」に憧れてたんだけど、間違ってたって気づいたんだよー。

という反省の念をこめ、「速読」の欠点を洗い出し、スローリーディングの魅力を語り、最後は実践編で、具体例を示してます。
実は実践編には8冊の本を使っているのですが、まだ2冊目の森 鴎(漢字が出なかった)外 『高瀬舟』までしか読んでません(^^)>"


〉〉それに音読しながら、じっくりと作品の世界を味わう、というのは本当に楽しいものなのですよ。
〉〉私が大好きなのは韻を踏んだ言葉なのですが、これも慣れると見ただけでわかるようになりますが、やっぱり声に出してこそ楽しいんですよねー。

〉音読はねえ・・・
〉お勉強としてやるのは絶対意味ないよ。
〉音読が楽しいなら、それは絶対やるべきだよね、なにしろ楽しいんだから。
〉でも、お勉強としてやる音読はぼくには「奴隷根性」のように思える。

私は英語のやり直しをしよう、と思った時、「絶対、音読」から入りました。
つまんないので1ヶ月でやめましたが。でも、「文法は気にしない」と書いてあったおかげで、文法を勉強することなく、多読にたどり着きました。感謝。
   
   
  
〉〉■再び味読の話■
〉〉私も線を引きながら読んでいる、といいましたが、色分けして、本をじっくり読んで良かったな、と思った最初の作品は、“Memoirs of a Geisha”です。
〉〉私がこの作品の中で一番印象を受けたのは、「色」と「におい」の使い方なんですね。
〉〉この二つを使うことによって、主人公の置かれたその時々の立場、感情、時代背景などが、よく読み取れるようになっています。
〉〉この二つの使い方こそが、この作品の持つ特異性だと思うのですが、
〉〉なぜか作者は途中であまり効果的な使い方をしてないのですね、
〉〉その分作品も、中だるみの印象を受けました。
〉〉戦時中で「色」も「におい」も暗いものでしか表現できず、単調になったのでしょうが、やっぱり、惜しいな〜、と思いました。
〉〉その後また「色」と「におい」が効果的に使われるようになり、作品もクライマックスまで盛り上がりました。

〉この辺がはまこさん独特の感じ方で、
〉ひょっとしたら作者にそのことを書いてやったら
〉大感激するかもしれないよ!

ありがとうございます(^^)
でも、ファンレターを書くなら、読み直さなくっちゃ。。
何年後か、また気が向いた時にでも。。。
   
   
〉〉「いずれはじっくりと読めるようになるための、飛ばし読み」ならいいのです。

〉その通りです。飛ばし読みは「いつか味読」できるための
〉いちばんまっすぐな道だとぼくは思っています。

ですよねー。
この作品も結構、飛ばし読みしました。でも楽しめたもん。
それよりもっと飛ばしまくったのが、クリスティの6作品です。
内容をまとめた文を書くときも、わかってないところがいっぱいあったけど、
あらすじを書くならここら辺だろう、とわかってないまま書きました(笑)
でも、そんなに間違ってはないと思う〜(期待)
それでもって、「味読」出来ました(^^)
 
 
そうそう、クリスティの作品のあらすじをまとめ、感想を書いているうちに、
自分が書く感想文がどんどん難しい文体になってきて、
書いてる本人がよくわからなくなってきたので、しばらく読むのを辞めたんですね。
当時は娯楽作品だったんでしょうが、やっぱり昔の英語だからか、
ちょっととっつきにくいところがあって。

でも、9月から少しづつスー・グラフトンを読み出してみて、わかったんですが、
心理描写の仕方の格が違う!
うー、クリスティを味読(一応したつもり)した後に読むと、
ほんとに物足りなくって。3冊読んだんですが、3冊目の"C is for Corpse"
では、あらすじを書いた時点で、もういいや〜、となってしまいました(--)
本の余白には感想も書きまくってるんですど。
まぁ、今は本を読む時間はほとんど取れないので、ちょっと余裕が出来たら、
またクリスティを読んでみようかな。

と、あれこれ考えられるのも贅沢な楽しみですよね(^^)
 
 
〉〉この作品は残念ながら、後世まで残るような名作ではありません。

〉ここもよいなあ・・・

そうだ、"Memoirs of a Geisha" の話をしている途中でした。
脱線しまくりですね(^^)>"
 
 
 
〉〉でも、いつもいつも「あらすじ読み」で、それで何万語読んだ!と語数を誇られても、はぁ、そうですか、ぐらいしか答えられないですよね。
〉〉やっぱり掲示板でみなさんが語っているような、英語にそのまま触れて、感動があってこその読書。こうでなくっちゃなー、と思うのです。

〉感動あっての「あらすじ読み」もぼくはあると思うな。
〉あらすじ読みを続けていると、かならず味読になっていくよ。
〉それは大丈夫。

ですよね。心強いです。一安心。
  
  
〉〉そうそう、ビジネスマンが英語の本を読むのに有益な点として、
〉〉理論的な思考が身につく、というのが一番に挙げられるのではないかと思うのですが、それよりも、日本語以外の言語を日本語の理論、理屈抜きに読んで揺さぶられること、のほうがよっぽど重要なんじゃないかと思います。

〉ははは、これも「はまこ節」ね。
〉ぼくはだいさんせー!

ねー(^^)/


〉日本語の理論、理屈抜きで読むことをすすめるためにいまの本を
〉書いています。たのしみにしていてね!

楽しみに待ってます♪
 
 
〉〉あぁ、いろいろと書き連ねているうちに、みにはまが起き出しそうです。
〉〉長い割りに中途半端に終わりますが、ごめんくださいませ〜。

〉はい、みにはまちゃんにも、こはまちゃんにも、
〉まいくろはまちゃん(?)、ぎゅーしてやってください、
〉酒井さんからだよって!

改名したんです。今思いついたんですけど。
じゅにはま(こはまといってましたが、長男なので)
ちびはま
みにはま
です。まいくろはちっちゃすぎ?(笑)
酒井先生の分もぎゅーっしますね(^^)

先生もお体にはくれぐれも気を付けて。
ご自愛くださいませませ。
では〜(^^)/


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1319. 味読について

お名前: Ryotasan
投稿日: 2006/12/13(13:23)

------------------------------

はまこさんと酒井先生のやりとり、興味深く拝読しています。非常に次元の高い内容に感心しています。

世の中には、何度読み返しても飽きない本や、読み返すたびに新しい発見の得られる本もあります。そういう本を何度も読んでいるうちに、一読では思いもよらなかったような深い解釈が得られることもあります。こういう読み方を僕は味読と呼びます。

味読した本は全体像も頭に入っており、本を開いて特にお気に入りの箇所を見つけ出す作業も瞬時にできるようになります。下線を引いたり、本に書き込んだり、付箋をはったり、ノートやカードに書き出す作業も不要です。

一方、宿題として感想文を書くために本を読まなければいけない学生さんや、仕事で報告書を作成するために本を読む社会人のばあい、何度も読んでいる時間は無いので、下線や付箋が必要なこともあります。図書館で借りた本などは期限もあるので、ノートやカードに記録しておきたいこともあります。

職業柄、本を書くために本を読むことが習慣になっている人のばあい、鉛筆を片手に持たないと本を読めないという人もいます。

本に下線を引いてしまうと、読み返したときも下線の影響を受け、偏った読み方や固定的な読み方になる可能性が高いです。偏った読み方が必ずしも間違った読み方ではないし、それが正しい解釈である場合も多いとは思いますが、新しい発見が得られることは少ないように思います。でも、そういう読み方が楽しいと感じられるばあいもあるでしょう。

本にはさまざまな読み方があって良いはずですから、どちらが良くてどちらが悪いとか申し上げるつもりはありません。どちらも必要なのでしょう。ただ、このスレッドを読んでいる皆さんは、この二つを区別された方が良いよいに思いました。


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[喜] 1324. Re: 味読について

お名前: はまこ
投稿日: 2006/12/14(09:32)

------------------------------

Ryotasan、こんにちは。はじめまして。はまこです。
 
 
〉はまこさんと酒井先生のやりとり、興味深く拝読しています。非常に次元の高い内容に感心しています。

ありがとうございます。
酒井先生のお話は、もちろん非常に次元が高く、
一方の私の話は、地面すれすれ、超低空飛行であったにもかかわらず、
そのように言って下さり、お心遣いに感謝しています。
 
 
〉世の中には、何度読み返しても飽きない本や、読み返すたびに新しい発見の得られる本もあります。そういう本を何度も読んでいるうちに、一読では思いもよらなかったような深い解釈が得られることもあります。こういう読み方を僕は味読と呼びます。

味読の名付け親?はRyotasanだったようですね。
とても素敵な名前ですね(^^)


〉味読した本は全体像も頭に入っており、本を開いて特にお気に入りの箇所を見つけ出す作業も瞬時にできるようになります。下線を引いたり、本に書き込んだり、付箋をはったり、ノートやカードに書き出す作業も不要です。

これは英語の本を読んだ場合も含めて、おっしゃっていますね。
私もいつか、このような読み方ができるといいのですが。憧れます。

Ryotasanの投稿は10月以降でしたか、いくつか読ませてもらった事があります。
本をたくさん読んでいて、しかも教養がとても高そう、
それでもって優しそうな方だなぁ、という印象を持ったのを覚えています。
実は今回、酒井先生宛てに書いている途中、Ryotasanのことがふと頭に浮かんだんですね。
まさか声を掛けて貰えるとは思いもせず、とても嬉しく思っています(^^)
(どちらかと言うと、私以外へのメッセージとして書かれたのでしょうが、
いいの。嬉しかったから。)
 
 
〉一方、宿題として感想文を書くために本を読まなければいけない学生さんや、仕事で報告書を作成するために本を読む社会人のばあい、何度も読んでいる時間は無いので、下線や付箋が必要なこともあります。図書館で借りた本などは期限もあるので、ノートやカードに記録しておきたいこともあります。

〉職業柄、本を書くために本を読むことが習慣になっている人のばあい、鉛筆を片手に持たないと本を読めないという人もいます。

読み方も人によって、時と場合によって、いろいろありますね。
 
 
〉本に下線を引いてしまうと、読み返したときも下線の影響を受け、偏った読み方や固定的な読み方になる可能性が高いです。偏った読み方が必ずしも間違った読み方ではないし、それが正しい解釈である場合も多いとは思いますが、新しい発見が得られることは少ないように思います。でも、そういう読み方が楽しいと感じられるばあいもあるでしょう。

私は日本語で書いてある小説には、線は引かないのですが、
英語の場合は何分ヒヨッコのピヨピヨ歩きでして、
線を引かないことには、ぼやけてしまうのです。

それと、お気づきだろうとは思うのですが、
私が線を引くのは、書評を書きたいからなんです。
私、多読を始めてからずっと、読後の感想が
「音とリズムと響きが楽しかった」だけだったんですね。
たぶん音読をしているせいでしょうね。
読んでいる間は、イメージとしてカラーで立体的に見ていて、
物語の世界を存分に楽しんでいるのですが。
さらに眠りに入るとき、その日に読んだ内容を、五千語ぐらいまででしたら、
自分が読んでいる声と、見た文字がセットになり、再現しながらもう一度読む、
という日々を過ごしてまして、
内容は理解しているのだから、何とか感想文を書きたいなぁ、
まぁ、初心者だから焦らなくても、そのうちできるだろうけど、
いつかなぁ、などとずーっと思っていたんです。

あるとき、そろそろPBを読んでみよう、ということになり、
10代の頃ハヤカワミステリで全巻読んだ、クリスティを原書で読むことにした
のですが、その時初めて線を引いてみました。
そうしてみると、英語でなら内容をまとめて、感想を書く事ができるということに
気づき(もちろん書いた英語はデタラメです。とんでもなく変です)、
それ以降、数冊しか読んでませんが、読む時は線を引くことにしています。

自分の感想を書くときも、本の文章を参考にしますから、
以前に読み終わった本もあちこちひっくり返したりして。
そういうことも、私にとってはとても楽しいのです。
今の私には、PBは小説であり、教科書であり、きっと将来、このたどたどしさを
懐かしく、いとおしく振り返るであろう宝物だったりするのです。
 
 
酒井先生へのレスの中に、絵本や児童書には線を引かない、
子供たちが読むようになった時に邪魔になるから、
というような事を書きましたが、自分のためにも引きません。
何度も何度も読み返すものもあれば、その内また読むだろう、というのもあり、
そのたびに自由に読みたいと思うからです。
Ryotasanなら、英語の本はどの分野もそういう読み方ができるのでしょうが、
私にとってはそのレベルが絵本と児童書という訳です(^^)
 
 
〉本にはさまざまな読み方があって良いはずですから、どちらが良くてどちらが悪いとか申し上げるつもりはありません。どちらも必要なのでしょう。ただ、このスレッドを読んでいる皆さんは、この二つを区別された方が良いよいに思いました。

Ryotasanなら、私の投稿を読んで、指摘したいところだらけだっただろうな(^^;)
と思いつつ、的確なアドバイスを下さり、感謝しています。
本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
ではでは。


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1329. Re: 味読について

お名前: Ryotasan
投稿日: 2006/12/14(17:32)

------------------------------

はまこさんへ

またまた非常に興味深い返答をありがとうございます。

〉ありがとうございます。
〉酒井先生のお話は、もちろん非常に次元が高く、
〉一方の私の話は、地面すれすれ、超低空飛行であったにもかかわらず、
〉そのように言って下さり、お心遣いに感謝しています。
 
単なる英語学習の枠を超えた多読について論じているところ、「高い」というよりは「深い」お話と言うべきかもしれませんね。

〉味読の名付け親?はRyotasanだったようですね。

言葉の意味って、使う人や状況に左右されること、変わることがしばしばあります。それで、自分は味読という言葉をどう理解しているかを申し上げたのです。ミドクちゃんという同じ名前の子どもがあちこちに何人もいて、そのうち一人の名付け親が僕だと感じです。

〉私は日本語で書いてある小説には、線は引かないのですが、
〉英語の場合は何分ヒヨッコのピヨピヨ歩きでして、
〉線を引かないことには、ぼやけてしまうのです。

なるほど。森鴎外の小説には線を引かないのですね。

〉それと、お気づきだろうとは思うのですが、
〉私が線を引くのは、書評を書きたいからなんです。
〉私、多読を始めてからずっと、読後の感想が
〉「音とリズムと響きが楽しかった」だけだったんですね。
〉たぶん音読をしているせいでしょうね。
〉読んでいる間は、イメージとしてカラーで立体的に見ていて、
〉物語の世界を存分に楽しんでいるのですが。

「音とリズムと響きが楽しかった」というところが、宇宙とつながった深い理解に基づく感想なのだと思います。その本の作者たちは、音とリズムの響きが楽しさを保つように努力しながら書いているのだと思います。一つの物語全体を通してそういう楽しさを保つのは大変な作業です。

〉さらに眠りに入るとき、その日に読んだ内容を、五千語ぐらいまででしたら、
〉自分が読んでいる声と、見た文字がセットになり、再現しながらもう一度読む、
〉という日々を過ごしてまして、

凄いですね。これは味読した内容をすぐに引用できるのと同じです。

〉あるとき、そろそろPBを読んでみよう、ということになり、
〉10代の頃ハヤカワミステリで全巻読んだ、クリスティを原書で読むことにした
〉のですが、その時初めて線を引いてみました。

なるほど。これも納得です。Agatha Christie の探偵小説は、通読したあとで内容をまとめにくいのです。人物や謎解きは面白いけれど、あらすじや肝心の箇所を忘れてしまう人が多いという話を雑誌で読んだことがあるし、僕自身も同じ経験をしました。

〉自分の感想を書くときも、本の文章を参考にしますから、
〉以前に読み終わった本もあちこちひっくり返したりして。
〉そういうことも、私にとってはとても楽しいのです。
〉今の私には、PBは小説であり、教科書であり、きっと将来、このたどたどしさを
〉懐かしく、いとおしく振り返るであろう宝物だったりするのです。

書評を書く作業とそのための取材が楽しいとおっしゃるのは分かります。宇宙と繋がった深い理解やスロー・リーディングによる味読とは少し違うような気はするんですが(^-^;)。

〉酒井先生へのレスの中に、絵本や児童書には線を引かない、
〉子供たちが読むようになった時に邪魔になるから、
〉というような事を書きましたが、自分のためにも引きません。
〉何度も何度も読み返すものもあれば、その内また読むだろう、というのもあり、
〉そのたびに自由に読みたいと思うからです。

なるほど。素材や目的に応じて方法を変えているわけですね。こういう使い分けができる人はやはり次元が高いと思います。

〉Ryotasanなら、英語の本はどの分野もそういう読み方ができるのでしょうが、
〉私にとってはそのレベルが絵本と児童書という訳です(^^)

僕が示した味読の方法は、一冊の本を何度も通読しないとできないので時間がかかります。自分でもこれができる本の数は限られています。ほ

読んだ本の内容や感想を文章でまとめるのは、読み方とは別の技術かもしれません。これが上手になるには練習も必要です。ある段階まで行ったら文法を学んだり辞書を使うことにも肯定的な意義が生じるのと同じように、読んだことを文章でまとめる技術にも意義が生じるのかもしれません。

本当に、勉強になりました。感謝もうしあげます。


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[脱帽] 1337. Re: 雑談ついでと言っては何ですが、酒井先生へ

お名前: 酒井@快読100万語!
投稿日: 2006/12/14(22:51)

------------------------------

はまこさん、こんばんは! (関東風です!!)

〉〉はまこさ〜ん、こんばんわあ! (京都弁風・・・)

〉へぇ、こんばんわぁ。寒なりましたなぁ。(同じ関西でも、京都弁は難しいわぁ)
〉 
〉 
〉〉〉なので、只今真剣に集めだしたところです(笑)

〉〉おー、すごい!
〉〉ぼくとおなじに付箋をぺたぺた?
〉〉それとも、B6カードに採集していく?

〉線引いてるだけ・・・(集めてると言わないな。。えへ。気が向いたら採集します)

いえいえ、別に最終までしなくてもいいですよ。
それはRyotasanやぼくにまかせといてください!

〉昨日、思いつくままにダーっと書いたのですが、
〉先生に丁寧に返事をしてもらったのを読むと、
〉あんまり深く考えてなかったなー、と気づいて反省。
〉それと言葉も足りませんでしたね。
〉やっぱりよく考えてから意見は述べないと。
〉でも考えてたらきっと書くチャンスを逃しちゃうし。
〉と、今日もさして考えもせず書いてます(^^)
〉だってお兄ちゃんたちがいなくて、ちびはまが寝てる間しか書けないもん。

はい、よく考えずにまずは書いてみて、書いているうちに
なんとかまとまってくるってこともよくあるのでね。
ぼくなんかいつもそれだ・・・
いっつもオンラインで返事書いていますよ。

〉〉〉私がこの1年半で読んだ本は、chatの広場に載せた分と、2ヶ月前に書き終わったけど、広場に載せていない3冊だけなんですね。

〉書き落としてました。
〉絵本はたくさん読んでます。読まない日もたくさんありますが。
〉聞く方は日々、主に音楽を聞いて歌ってスイングしてます(相変わらずですね)
〉 
〉 
〉〉結局多読のめざすところは味読なんじゃないかな?
〉〉好きな作家が夢中になって書いた文をそっくり味わう・・・
〉〉そのときにはもう多読三原則も何もないね。
〉〉ルールを守るなんていうことは全然頭にないものね。

〉ですよね(*^^*)
〉味読っていい言葉ですね。先生の発明でしょうか?

えー、Ryotasanが書いているように、味読って言う言葉は
前からあったんですよ。ただ、ゆっくりじっくり味わうのと、
昔からあるお勉強の「精読」っていうのとは違うっていうことで、
Ryotasanが味読を言い出したのではないかな?

〉〉(でもそうなるためには、ぼくみたいに辞書文法経由よりも、
〉〉多読経由の方がはるかに早く、無駄なく、深く、ぴったり
〉〉読めるようになると思う)

〉これは、もう先生に感謝しても感謝し切れません。
〉ありがとうございます〜。うるうる。
〉私が多読を始めたのは、辞書文法とは10年ぐらい縁が切れた後からでしたから。
〉学生時代も、追試、補習、ペナルティをこなしただけで、あんまり縁なかったし。
〉 
〉 
〉あ、話は変わりますが、この間、TOEICを来年の春か、夏に受けようかなぁ、と思い、
〉アマゾンで問題集を取り寄せたんです。
〉配達してもらった箱を受け取って、開けもせずに放って、時々箱を眺めてました。
〉で、何日かたって開けようとすると、持ってるだけで何故か、左の瞼が痙攣しだしたんですぅ。
〉その後3日続いたので、よし、受けるはのやめよう、と思ったのですが、
〉その後も1週間左眼の周りが痙攣しっぱなしでした。

うん、このへんがね、はまこさんの鋭いところだよね。
でも、そういう感じは「まともな感覚」の持ち主なら
多かれ少なかれ、感じると思うな。
問題集を手にすると知らないうちに方に力が入っているとか、
まなじりがきっとけわしくなるとかね。
まずまちがいなく問題集でにこにこする人っていうのはいないでしょ?

気持ちが緊張すると体も緊張すると思うな。

〉去年の春にDSで「英語漬け」をしたら「S」だったんですね。調子に乗り、
〉公式問題集を買って、CDだけ聞いたら、拍子抜けするほど簡単だなー(眼前にみえるはエベレストかチョモランマ!…一緒だっけ…ぐらい難しいはず、と思ってたので)
〉と気楽になってたはずなのですが。
〉この時は妊娠中で、試験が2時間もあると知ったのと、
〉次の試験では臨月に入ってるので、受けるのを辞めたんですけど。
〉問題集も結局読まなかったし。
〉多読でこんなに英語と仲良くなったのに、「試験」がよっぽど嫌いなんですねぇ。

いいぞ、いいぞ、「試験」なんか、一生嫌ってやってください!

ぼくはときどき言うんです。文法や辞書や試験の好きな人が
先生になる。(試験で淘汰されるからね)だから生徒にそういうものを
押しつける。自分が勉強ヲタクだっていうことを意識してないのですね。
哀れなものだ・・・

〉〉純粋な読書の楽しみというのもそうしてみると贅沢なものですなあ・・・

〉そうですねぇ・・・
〉ありがたいことです。
〉 
〉 
〉 
〉〉〉私が心配するのはですね、既に実践しているタドキストではなく、「じゃあ、指導者のあなたは一体何万語読んだのか?」と語数で力を証明せよ、と敵意?を持って迫ってくる相手に対して、「量から質へと深まっていくものなのですよ」と説明をする時に、有効な言葉を先生はたくさん持ってらっしゃるのかしら。と言うことなんです。つい老婆心を(誰が老婆やー!)出してしまうんですね。

〉〉うーん、有効な言葉をいくらでも持っている、ともいえるし、
〉〉相手によっては一つも持っていない、ともいえるな。

〉〉つまり相手次第なのだよ・・・

〉・・・根深い問題なんでしょうね。
〉  
〉 
〉〉そして不幸なことに、
〉〉すぐにわかる人向けにはいくらでも持っているけど、
〉〉すぐに分からない人にはそれがぜーんぶ有効ではない・・・

〉〉結局「とにかく読んでみたら」というしかないもんなあ・・・

〉うーん・・・
〉歯がゆいというか、しょうがないというか。。
〉学習法、としてならいろいろあるし、その中で3原則を使った多読も選択肢の一つですよね。
〉その選択肢が大勢の人に支持されれば、疑ってばかりで(でも興味は持ってるんでしょ?)行動に出ない人も、やってみようという気になるでしょうね。
〉で、やってみて、これは単なる学習法という枠には収まらない、と気づく。

このあたりね、「学習法という枠に収まるかどうか」で、
見解の相違が結構出てくるんですよ。そりゃもうさまざまな考えが
あるのであります。

で、ぼくは学習法という枠に収まらない」道を切り開くことにした!
もういままでの考え方をひきずっていたらぼくの持っている時間では
とても間に合わないからね。どんどん先へ行ってしまう・・・

あれ、話がずれてきた・・・

〉〉あ、有効と思われる言葉を今書いている本で並べてるんだけどね、
〉〉だれに、どこまで有効なのか・・・

〉誰かにとって、なにかしら有効なら、それが波及して、やがて多くの人にとって有効、となるのでしょうね。そんな気が。

〉新しい本を楽しみにしてます(^^)
〉多聴多読マガジンも今日注文しまーす(^^)/
〉 
〉 
〉 

〉〉〉「本の読み方—スロー・リーディングの実践」 平野啓一郎著 PHP新書
〉〉〉なのですが、いくつか書き出してみますね。
〉〉〉 
〉〉〉 
〉〉〉 この本の立場は、徹底してアンチ速読である(序p4より)。

〉〉〉 私たちは、日々、大量の情報を処理しなければならない現代において、本もまた、「できるだけ速く、たくさん読まなければいけない」という一種の強迫観念にとらわれている。「速読コンプレックス」と言い換えてもいいかもしれない。(p6より)
〉〉〉これって、語数を気にするタドキストにも当てはまりませんか。

〉〉もちろん当てはまります。

〉〉けれども、当てはまらない場合が二つあると思うな。
〉〉一つは多読開始直後の動機付けとして利用している場合。
〉〉これはいままで学校英語で苦労してきた人が、
〉〉自分なりの、ほかの人とくらべるのではない尺度として
〉〉利用する場合ですね。ほかの人と比べるのに使っては
〉〉「語数コンプレックス」と呼ぶしかないことになってしまう。

〉あぁ、引用の仕方がおかしかった!
〉もちろん、「多読開始直後の動機付けとして利用している場合。」を
〉指して「コンプレックスだ」(悪い意味で)と言いたかったのではありません。
〉お許しを〜〜〜(いろんな方に向けて言ってます)

大丈夫だよ、はまこさん。
みなさん心が寛いんだ、この掲示板は。

〉〉もう一つは100万語過ぎたあとも数えて、目安にしている人たち。
〉〉もうほとんどゲームの感覚だと思うな。決して「語数稼ぎ」という
〉〉強迫観念ではないと思う。

〉はいはい。これもよくわかってます。
〉「この二つのことを指しているのではありません」とちゃんと
〉書いておくべきでした。猛烈に反省!

猛烈に反省はやめてね。
掲示板がつまらなくなってしまうから。

〉〉最後に一つ、速読反対論について・・・
〉〉なにもかも速読しようというのでなければ速読してもちっとも
〉〉かまわないと思う。というより、あるものは速読して、
〉〉あるものはゆっくり読んでと使い分けているなら、
〉〉「速読コンプレックス」とはいわないのではないかな?

〉〉だれも新聞記事を「味読」しようとは思わないでしょ?
〉〉そういうものはさっと「速読」するしかないもの。
〉 
〉 
〉はい。これも書き足りてない部分でした。
〉この本の中でも、

〉—端的に言って、速読とは、「明日のための読書」である。翌日の会議のために速読術で大量の資料を読みこなし、今日の話題のために、慌しい朝の時間に新聞をざっと斜め読みする。
〉それに対して、スロー・リーディングは、「五年後、十年後のための読書である」(以下省略)

〉とありまして、何でもかんでも速読はダメ!と言っているわけではないのです。
〉まぁ、新聞もスロー・リーディングを、と進めていますが。ここも省略します。

新聞をスローリーディングとは、変わった人ですね!

〉〉もっともぼくは新聞そのものを読まなくなっていて、
〉〉大体3分あれば新聞は用なしになるから、新聞のことを
〉〉例に出すのはよくないかもしれない。(新聞はとらなくてもいいと
〉〉思っているのだけれど、いしいひさいちの大ファンなので、
〉〉それだけで購読している)

〉あはは。相変わらずなのですね。

そう、相変わらずのひさいちファン!
もう登場人物全部好き!
みなさん注目してないかもしれないけれど、
藤原先生も、月子も、月子のおかあさんも、
それから、つい最近ののちゃんおおかあさんが
とんでもない人かもしれないというのがちらっと出てきたでしょ?
もう、ほんとに好きなんだよね、いしいひさいち!

〉〉〉 もちろん、単にゆっくり読めばいいというものではない。・・・読書にもやはりコツがある。決して難しいことではないが、そのコツさえ知っていれば、読書はもっと楽しく、もっと有意義で、それを知らずにがむしゃらに文字を追うよりも、はるかに多くのことを教えてくれ、人間的にも成長させてくれるだろう。(p7より)

〉〉なんだ、ぼくとおなじことを言ってるわけですか・・・
〉〉(しかしこう書いてあると、ちょっと教養的すぎるとぼくは思うけど)

〉まぁ、教養的過ぎると言えばそうなのですが、
〉熱い、です。この方は。(小説の方は読んだ事がないのですが。)

〉—そして何よりも、ゆっくり時間をかけさえすれば、読書は楽しい。私が伝えたいことは、これに尽きると言っていい。(序より)

〉これが言いたかったんですねぇ。
〉 
〉本の内容としては、 
〉作家の視点から、本はこう読むと楽しいんだよー。
〉書き手はみんな、自分の本をスロー・リーディングしてもらう前提でかいてるんだよー。
〉私も長年、「速読」に憧れてたんだけど、間違ってたって気づいたんだよー。

〉という反省の念をこめ、「速読」の欠点を洗い出し、スローリーディングの魅力を語り、最後は実践編で、具体例を示してます。
〉実は実践編には8冊の本を使っているのですが、まだ2冊目の森 鴎(漢字が出なかった)外 『高瀬舟』までしか読んでません(^^)>"


〉〉〉それに音読しながら、じっくりと作品の世界を味わう、というのは本当に楽しいものなのですよ。
〉〉〉私が大好きなのは韻を踏んだ言葉なのですが、これも慣れると見ただけでわかるようになりますが、やっぱり声に出してこそ楽しいんですよねー。

そうです。今度の本には翻訳論(!)も出てくるのだけれど、
ぼくの翻訳論の中心は朗読なのですよ! いよいよ楽しみでしょ!!

〉〉音読はねえ・・・
〉〉お勉強としてやるのは絶対意味ないよ。
〉〉音読が楽しいなら、それは絶対やるべきだよね、なにしろ楽しいんだから。
〉〉でも、お勉強としてやる音読はぼくには「奴隷根性」のように思える。

〉私は英語のやり直しをしよう、と思った時、「絶対、音読」から入りました。
〉つまんないので1ヶ月でやめましたが。でも、「文法は気にしない」と書いてあったおかげで、文法を勉強することなく、多読にたどり着きました。感謝。
〉   
〉   
〉  
〉〉〉■再び味読の話■
〉〉〉私も線を引きながら読んでいる、といいましたが、色分けして、本をじっくり読んで良かったな、と思った最初の作品は、“Memoirs of a Geisha”です。
〉〉〉私がこの作品の中で一番印象を受けたのは、「色」と「におい」の使い方なんですね。
〉〉〉この二つを使うことによって、主人公の置かれたその時々の立場、感情、時代背景などが、よく読み取れるようになっています。
〉〉〉この二つの使い方こそが、この作品の持つ特異性だと思うのですが、
〉〉〉なぜか作者は途中であまり効果的な使い方をしてないのですね、
〉〉〉その分作品も、中だるみの印象を受けました。
〉〉〉戦時中で「色」も「におい」も暗いものでしか表現できず、単調になったのでしょうが、やっぱり、惜しいな〜、と思いました。
〉〉〉その後また「色」と「におい」が効果的に使われるようになり、作品もクライマックスまで盛り上がりました。

〉〉この辺がはまこさん独特の感じ方で、
〉〉ひょっとしたら作者にそのことを書いてやったら
〉〉大感激するかもしれないよ!

〉ありがとうございます(^^)
〉でも、ファンレターを書くなら、読み直さなくっちゃ。。
〉何年後か、また気が向いた時にでも。。。

はい、いつでも気が向いたときにでも・・・ね。

〉〉〉「いずれはじっくりと読めるようになるための、飛ばし読み」ならいいのです。

〉〉その通りです。飛ばし読みは「いつか味読」できるための
〉〉いちばんまっすぐな道だとぼくは思っています。

〉ですよねー。
〉この作品も結構、飛ばし読みしました。でも楽しめたもん。
〉それよりもっと飛ばしまくったのが、クリスティの6作品です。
〉内容をまとめた文を書くときも、わかってないところがいっぱいあったけど、
〉あらすじを書くならここら辺だろう、とわかってないまま書きました(笑)
〉でも、そんなに間違ってはないと思う〜(期待)
〉それでもって、「味読」出来ました(^^)
〉 
〉 
〉そうそう、クリスティの作品のあらすじをまとめ、感想を書いているうちに、
〉自分が書く感想文がどんどん難しい文体になってきて、
〉書いてる本人がよくわからなくなってきたので、しばらく読むのを辞めたんですね。
〉当時は娯楽作品だったんでしょうが、やっぱり昔の英語だからか、
〉ちょっととっつきにくいところがあって。

〉でも、9月から少しづつスー・グラフトンを読み出してみて、わかったんですが、
〉心理描写の仕方の格が違う!
〉うー、クリスティを味読(一応したつもり)した後に読むと、
〉ほんとに物足りなくって。3冊読んだんですが、3冊目の"C is for Corpse"
〉では、あらすじを書いた時点で、もういいや〜、となってしまいました(--)
〉本の余白には感想も書きまくってるんですど。
〉まぁ、今は本を読む時間はほとんど取れないので、ちょっと余裕が出来たら、
〉またクリスティを読んでみようかな。

〉と、あれこれ考えられるのも贅沢な楽しみですよね(^^)
〉 
〉 
〉〉〉この作品は残念ながら、後世まで残るような名作ではありません。

〉〉ここもよいなあ・・・

〉そうだ、"Memoirs of a Geisha" の話をしている途中でした。
〉脱線しまくりですね(^^)>"

ぼくも脱線しまくりだ・・・
だれも読んでくれないような気がする。

〉〉〉でも、いつもいつも「あらすじ読み」で、それで何万語読んだ!と語数を誇られても、はぁ、そうですか、ぐらいしか答えられないですよね。
〉〉〉やっぱり掲示板でみなさんが語っているような、英語にそのまま触れて、感動があってこその読書。こうでなくっちゃなー、と思うのです。

〉〉感動あっての「あらすじ読み」もぼくはあると思うな。
〉〉あらすじ読みを続けていると、かならず味読になっていくよ。
〉〉それは大丈夫。

〉ですよね。心強いです。一安心。
〉  
〉  
〉〉〉そうそう、ビジネスマンが英語の本を読むのに有益な点として、
〉〉〉理論的な思考が身につく、というのが一番に挙げられるのではないかと思うのですが、それよりも、日本語以外の言語を日本語の理論、理屈抜きに読んで揺さぶられること、のほうがよっぽど重要なんじゃないかと思います。

〉〉ははは、これも「はまこ節」ね。
〉〉ぼくはだいさんせー!

〉ねー(^^)/


〉〉日本語の理論、理屈抜きで読むことをすすめるためにいまの本を
〉〉書いています。たのしみにしていてね!

〉楽しみに待ってます♪
〉 
〉 
〉〉〉あぁ、いろいろと書き連ねているうちに、みにはまが起き出しそうです。
〉〉〉長い割りに中途半端に終わりますが、ごめんくださいませ〜。

〉〉はい、みにはまちゃんにも、こはまちゃんにも、
〉〉まいくろはまちゃん(?)、ぎゅーしてやってください、
〉〉酒井さんからだよって!

〉改名したんです。今思いついたんですけど。
〉じゅにはま(こはまといってましたが、長男なので)
〉ちびはま
〉みにはま
〉です。まいくろはちっちゃすぎ?(笑)
〉酒井先生の分もぎゅーっしますね(^^)

ありがとー! 三人全部にぎゅーっしてね!!!

〉先生もお体にはくれぐれも気を付けて。
〉ご自愛くださいませませ。
〉では〜(^^)/

はーい、きょうはそろそろねます・・・
あした早く起きて原稿書くつもり・・・

ではね!  Happy reading!!


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