友は野末陳平の脇の下

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8063. 友は野末陳平の脇の下

お名前: 道化師
投稿日: 2003/11/22(04:43)

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杏樹さん、こんばんは。
真夜中に子供のゲロ騒動で叩き起こされて、目が冴えてしまって眠れない道化師です。

〉こちらこそとことん相手にしてくださってありがとうございます。

とことんお付き合いしたいのですが、どうやら私の元から浅い教養が底をついて来たようです。(悲)

〉今度は石の下に埋めてしまいました。(一応聞きますが、もとネタわかりますよね?)

ごめんなさい。解りません。本当に解りません。
秋男さんのように知ってて知らぬふりじゃありません。
私、そんな事しません。
(知らないのに知ってるふりはしますが←恥)
ここは、聞かぬは一生の恥で、お願いします。
「おせーて!」

〉道化師さんの夢を壊さないよう隠れておきます。

先程から杏樹さんについての「夢」が出来上がりました。
上でまりあさんが「美女と野獣」となぞらえたので、
「やや?」と思い、杏樹さんに対する人物評をあちらこちらで探し読みしてきました。
どうやら、「大阪」「ツッコミ」の文字上のイメージで上沼恵美子を想像してたんですが、だいぶ違うと言う事が解りました。
「美女」なんですね?
(美女マニア心をくすぐるなぁ。恋しそう!!)

因みに私は多分、文字上のイメージとおりです。
「野獣」じゃないでしょ?
(ねっ、東京の皆さん!)

以上、本当に書きたい事はここまでで、後は余談です。

〉アメリカから守ってもらわなかったらどうするんだとか…。ソ連の脅威がなくなったら「北朝鮮がテポドンを撃ってきたらどうするんだ」と言うようになったし。

やっぱり、そうか。

〉当時のドイツは第一次大戦の補償金で経済が行き詰まって極端のインフレに悩まされ、国民の間に不満が広がっていました。そういう時、「敵」を作って注意をそらせるというのは為政者がよくやることです。ブッシュも9.11テロのショックを受けたアメリカ国民をなだめるために「敵」を攻撃しなくてはならなかったのです。それに引っかかる方も愚かなのは確かですけれど。

「愚か」なふりですね。
「愚か者」を装うのは、性質の悪い「知恵者」のよくやる手です。
愚か者を装い、引っかかったふりをして、抜け目なく立ち回り、ほくそ笑む。
多分、ロスチャイルドなどはその類でしょう。
日本で言えば・・・おっと、これを言っては東京湾に沈められてしまう。

〉知らなかった、というのは確かに贖罪にはならないでしょう。しかし当時のものの見方、考え方からすると、現代人と同じ「良心」を持てといっても難しい面があったとは思うのです。ただ、それを言い訳にするのではなく過去に起こしたことを「過ち」であることを認め、二度と起こさないよう意識を変えていく努力をするのが贖罪になると思います。その「過ち」すら認めないで「知らなかった」「当時の情勢からすると仕方がなかった」と逃げを打っている人がたくさんいるのは悲しいことです。

今から50年後の人達が、「あの当時では仕方なかった」と言うかも知れない、
今、現在、ここで「知らない」で済ましている私の「過ち」が何なのか?
環境への無配慮か?資源の浪費か?我が子への心ない言葉か?
それは「今」は、解りませんが、将来「仕方なかった」と逃げを打つ事はしたくないものです。

〉どの民族も多かれ少なかれ自画自賛しますからね。「中華の民」はもちろん、「日いづる国」「日ノ本」とか、「朝日のように鮮やかな」とか。自国、民族に誇りを持つのはけっこうですが、差別につながるのが困りもの。

困った事に、人間の集団は、結局排除(=差別)される者があって、はじめて確立されると言う構造を持っていると思います。
「○○ではない私達」と言うことで、繋がり合うのです。「○○でない」事に誇りを持つのです。
異端分子があって、はじめて同質性が維持されるのです。
だから常に「○○な者」を認識出来る程度に手近に置いておく必要があるのです。
歴史的には杏樹さんが詳しく書かれたユダヤ人がヨーロッパでその役割を担ったのでしょうし、開国前の日本が被差別部落を村の周辺に置き、近代日本が朝鮮を差別的に扱ったのも、この構造があるからだと思うのです。
アメリカが建国以来、常に「敵」を持ってきたのも、「移民による他民族国家」と言う性質上、自らが「国家」としてまとまる上で必要だったからだと思います。
(と、この理屈は今をさること十数年前の私の卒論のテーマでした。進歩が無いなぁ)
あっ、誤解が無いように付け加えますが、だから「差別の構造」は必要悪なのだと言いたい訳では無いのです。いかに必要悪をゼロに近づけていくかを考えなければならないと言うことに本意があります。

〉ただ、第二次大戦では無差別爆撃が平気で行われていましたが、アフガニスタンやイラクへの攻撃では民間人や民間施設を爆撃すると即世界中に報道され非難の声があがりました。50年前ならアメリカもバグダードを大々的に空爆して焼き尽くして制圧したと思います。しかし民間人に配慮しなければならない時代になったのでそれができなかった。少しは人類も進歩したのかなと思います。

でも、その前は戦争とは兵士同士の闘いであり、戦闘の横で農民は黙々と農作業をしていた時代があり、その前は、こんどは兵士と一般人の区別も無く、負けた国の民はみな殺されるか奴隷にされた時代がありと、行ったり来たりにも感じます。
現に、湾岸戦争当時より今回のイラク戦争では遙かに情報統制が行き届いていて、また戦争の実態が解りにくくなりました。

〉私はアメリカ人が「原爆のおかげで戦争が終わった」という評価に異議を唱えるためにも、原爆が落とされる以前に日本中が空襲で焼き尽くされていたことを伝えることは意義のあることだと思います。アメリカ人は突然落ちてきた原爆に驚いた日本が慌てて降参した、みたいなイメージを持っているんじゃないでしょうか。日本が無条件降伏を受け入れたのはソ連の侵攻があったためでもありますが、きっとそれも知らないんですよ。だから原爆の功績を必要以上に美化するんです。

なるほど。杏樹さんの意図はそこにあるのですね。納得です。

〉確かに日本も戦争がうまくいっていたら同じようなことをしたでしょう。しかし日本はボロボロになって負けました。だからこそ戦争は悲惨なもの、というインプットができあがりました。アメリカは戦争に負けたことがなく、自分の住んでいる町が爆撃されて一般市民が炎の中を逃げるような経験をしたことがないため、いつまでたっても戦争に対してダーティーなイメージよりも栄光とか勝利とかのイメージを抱いてしまいます。そしていつまでも「アメリカン・ドリーム」を夢見てる。日本は「大日本帝国」の夢から覚めてよかったと思います。二度と見ないようにするために、国民一人一人が気をつけなくてはいけません。

アメリカも南北戦争という悲惨な国内戦をやって、その反省の上に建国した筈なのですが、その記憶も英雄伝説のようになってしまい風化したんでしょうね。
杏樹さんの言われる日本のインプットも、だいぶ賞味期限が切れて来ているようです。戦争体験者が現役の一戦にいた30年前では、イラク派兵なんて決して可決されていなかったでしょう。

〉それはもっともです。しかし戦争責任はやはりはっきりさせなくてはなりません。一般の国民が完全に無実だとは言えないとしても、民間人と為政者の罪は同等にはならないと思います。「私の反省」は必要ですが、しかしそれで終わらせることは出来ません。戦争を起こしたもの、起こそうとするものに対して厳しい目を向けていかなくてはいけません。民間人同士で謝罪してるのに政府は知らんぷり、ということも起こるわけで。南京にある大虐殺記念館では日本人が千羽鶴やたくさんのお便りを寄せて謝罪を表明しているのに、日本の首相は毎年靖国神社への参拝を欠かしません。

うーん。
ツッコミの杏樹さんにツッコミを入れるのは恐い気がするのですが、はまこさんの書き込みに「どんどん入れて」とあるので、入れますが・・・。
それに所詮、東京から離れた事の無い人間に本当の「ツッコミ」が解る筈も無いので、ご容赦を願って・・・。
(5.6人まとめてかかっても、投げ飛ばしていただけるようなので)
「戦争責任」と言うのは、言葉として存在しても、実態の無い言葉の典型だと思うのです。為政者の「戦争責任」と言う時、それは「敗戦責任」なんですね。勝てば決して責任は問われない。それは東京裁判でもニュールンベルグ裁判でもそうでした。チャーチルだって、トルーマンだって、スターリンだって戦争責任は問われなかったのです。更に、国民が為政者に問う物ではなく、戦勝国が敗戦国に突きつけるものです。戦争に勝ったか負けたかでどちらに転ぶか解らない責任を問うというのは、はなはだ矛盾に満ちているのです。確か東京裁判でも、インドの判事(パール判事と言ったかな?)が「国際法上、戦争は責任が問えるのか?」と同様の主旨の事を問うていたと思います。
じゃあ、既存の「戦争責任」に実態が無いのならば、国民が為政者に問う「戦争責任」が実態として作れるのかと言うと、これも難しい。もし、勝って国に利益をもたらし、国民生活が豊かになった時、それでも国民は為政者に責任をとれと言えるのか?と思うのです。やはり「戦争を起こして負けて、こんな悲惨な目に遭わせた責任を取れ」と言う「敗戦責任」になってしまうと思うのです。となると、次の論理の展開は「戦争は負けない戦争であれば責任は問われない」となり、弱小国への侵略となって行くと思うのです。
私が「反省」と言わず、多分に形而上的に「罪」と言うのはこの点なのです。「反省」は、どうすれば次は失敗しないか、どうすれば「負けないか」に繋がりかねないのです。贖罪されない「罪」を背負い、それでも、それを贖っていこうとする姿と自ずと違うと思うのです。
責任と反省は失敗しない道を歩ませ、罪はより良き道を歩ませると思うのです。随分と宗教的な言い方ですが、人間一人一人が自らの内にある「罪」を意識しない限り、他者への寛容、譲歩、共感は生まれないと思うのです。この考え方は、「りんごを食べてエデンの園を追われて以来、人間が抱える原罪」というキリスト教の発想に似ているかも知れません。が、このキリスト教の「原罪」という意識を「弱者のルサンチマンである」として否定し、「力への意志」を説いたニーチェの哲学は、ハイデカーを経由して間違いなくナチス・ドイツの思想へと繋がったのです。
良く言われる事に「犯罪」としての殺人より、「正義」の為の殺人の方がはるかに大規模で残虐であると言うのがありますが、真実であると思います。
犯罪としての殺人は殺人者に「罪の意識」がありますから、最小限の殺人に留まりますが、「正義の殺人」は「正義」のより完全な実現の為に最大限の殺人を行います。
「戦争責任」を裁く側に「罪」の意識無く「責任」を取らせるという「正義」を振りかざした時、それは戦争に一歩近づいた事になると思うのです。
そして「罪」を考えた時、それは為政者と一般国民にその軽重があるとは思えないのです。これは為政者の立場にある人の罪を軽くすると言うのではなく、一般国民の罪もまた為政者と同じ重さであると思うのです。そのくらいの「罪の重さ」を感じて初めて真剣に為政者の、いや国の戦争への道を厳しい目で監視し、阻止出来るのではないでしょうか。

〉まさしくそうです。歴史の解釈や見方はどんどん変わっていきます。絶対的な歴史的事実というものはないといってもいいです。歴史をどう解釈するか、ということは、現在自分がどのように生きるか、世界をどのように見るか、ということに深くかかわってきます。

今の私は、真夜中にガキのゲロ世話して生きています。トホホ。
でも、そんな日常から見えてくる世界もまたあります。

〉〉ガクッ・・・。
〉〉以上杏樹さんの腕に抱かれながら、往生際の台詞でした。
〉〉(うーん、ミュージカルのように往生際が悪い)

〉瀕死なのに歌を歌ってるとか?

そうそう。私が見たことのあるミュージカルは、
テレビで宝塚の「ベルバラ」だけなんです。
オスカルもアンドレも、往生際が悪かったなぁ。

〉イタコにでもなって霊を呼び出したりして。

子供げろに呼び出されるよりは、イタコに呼び出される方がましですね(笑)
さて、杏樹さんの胸に抱かれる夢を見ながら、もう一眠りします。


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8131. ここは元投稿を離れて何百里・・・

お名前: 杏樹
投稿日: 2003/11/23(00:58)

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道化師さん、こんにちは。

ここのところ遊んでもらって多読のお邪魔をしてすみません。お子さんの世話もしなくてはいけないのに…。

〉〉こちらこそとことん相手にしてくださってありがとうございます。

〉とことんお付き合いしたいのですが、どうやら私の元から浅い教養が底をついて来たようです。(悲)

そんなご謙遜を。どんどん話が展開していくのでおもしろいです。

〉〉今度は石の下に埋めてしまいました。(一応聞きますが、もとネタわかりますよね?)

〉ごめんなさい。解りません。本当に解りません。
〉秋男さんのように知ってて知らぬふりじゃありません。
〉私、そんな事しません。
〉(知らないのに知ってるふりはしますが←恥)
〉ここは、聞かぬは一生の恥で、お願いします。
〉「おせーて!」

あちゃー。通じてなかったんですねー。
「ここはお国を何百里離れて遠き満州の…」
って軍歌、知りません?
長い歌らしくて全部は知らないんですけど…。
「赤い夕日に照らされて友は野末の石の下」
とか
「しっかりせよと抱き起こし仮包帯も弾の中」
とかいう歌詞があるんです。

〉先程から杏樹さんについての「夢」が出来上がりました。
〉上でまりあさんが「美女と野獣」となぞらえたので、
〉「やや?」と思い、杏樹さんに対する人物評をあちらこちらで探し読みしてきました。
〉どうやら、「大阪」「ツッコミ」の文字上のイメージで上沼恵美子を想像してたんですが、だいぶ違うと言う事が解りました。
〉「美女」なんですね?
〉(美女マニア心をくすぐるなぁ。恋しそう!!)

そういう「夢」が出来上がってしまったら、ますます道化師さんの前に出られなくなってしまう…。上沼恵美子よりはおとなしくて静かです。

〉因みに私は多分、文字上のイメージとおりです。
〉「野獣」じゃないでしょ?
〉(ねっ、東京の皆さん!)

魔法が解けて王子様に戻った野獣なんですね。

〉以上、本当に書きたい事はここまでで、後は余談です。

では余談のお相手を。

〉今から50年後の人達が、「あの当時では仕方なかった」と言うかも知れない、
〉今、現在、ここで「知らない」で済ましている私の「過ち」が何なのか?
〉環境への無配慮か?資源の浪費か?我が子への心ない言葉か?
〉それは「今」は、解りませんが、将来「仕方なかった」と逃げを打つ事はしたくないものです。

複雑な問題です。「仕方がなかった」のは事実、でもそれで終わらせるのではなく、これからは「仕方がなかった」ことが起こらないよう心がけるべきではないかと。

〉歴史的には杏樹さんが詳しく書かれたユダヤ人がヨーロッパでその役割を担ったのでしょうし、開国前の日本が被差別部落を村の周辺に置き、近代日本が朝鮮を差別的に扱ったのも、この構造があるからだと思うのです。
〉アメリカが建国以来、常に「敵」を持ってきたのも、「移民による他民族国家」と言う性質上、自らが「国家」としてまとまる上で必要だったからだと思います。
〉(と、この理屈は今をさること十数年前の私の卒論のテーマでした。進歩が無いなぁ)

何を専攻なさってたんでしょう?
ともかく人間の集団は被差別民を常に作り出しておく構造になっていたわけですね。

〉あっ、誤解が無いように付け加えますが、だから「差別の構造」は必要悪なのだと言いたい訳では無いのです。いかに必要悪をゼロに近づけていくかを考えなければならないと言うことに本意があります。

わかりますよ。むしろ被差別民を作り出して結束を固めるようなことは、なくしていくべきです。

〉〉ただ、第二次大戦では無差別爆撃が平気で行われていましたが、アフガニスタンやイラクへの攻撃では民間人や民間施設を爆撃すると即世界中に報道され非難の声があがりました。50年前ならアメリカもバグダードを大々的に空爆して焼き尽くして制圧したと思います。しかし民間人に配慮しなければならない時代になったのでそれができなかった。少しは人類も進歩したのかなと思います。

〉でも、その前は戦争とは兵士同士の闘いであり、戦闘の横で農民は黙々と農作業をしていた時代があり、その前は、こんどは兵士と一般人の区別も無く、負けた国の民はみな殺されるか奴隷にされた時代がありと、行ったり来たりにも感じます。
〉現に、湾岸戦争当時より今回のイラク戦争では遙かに情報統制が行き届いていて、また戦争の実態が解りにくくなりました。

アルジャジーラの放送でも見ることができたら見方も変わってくるかもしれません。アメリカの情報は一種の「大本営発表」の面もありますから。

〉〉私はアメリカ人が「原爆のおかげで戦争が終わった」という評価に異議を唱えるためにも、原爆が落とされる以前に日本中が空襲で焼き尽くされていたことを伝えることは意義のあることだと思います。アメリカ人は突然落ちてきた原爆に驚いた日本が慌てて降参した、みたいなイメージを持っているんじゃないでしょうか。日本が無条件降伏を受け入れたのはソ連の侵攻があったためでもありますが、きっとそれも知らないんですよ。だから原爆の功績を必要以上に美化するんです。

〉なるほど。杏樹さんの意図はそこにあるのですね。納得です。

納得してくださってありがとうございます。
付け加えるなら、空襲の被害を訴えることはアメリカを糾弾することではなく戦争の悲惨さを訴えるものであるべきだと思います。糾弾するのではなくただこういう事実があったことを知って欲しい。日本には今でも空襲の記憶をとどめている人がいることを。日本はそういう戦争を経験したからこそ憲法9条を守っているのだと。

〉アメリカも南北戦争という悲惨な国内戦をやって、その反省の上に建国した筈なのですが、その記憶も英雄伝説のようになってしまい風化したんでしょうね。

南北戦争は内戦でしたから。特に北部の人にとっては奴隷解放の輝かしい戦争でした。勝った方には反省は起こらないんですね。

〉〉それはもっともです。しかし戦争責任はやはりはっきりさせなくてはなりません。一般の国民が完全に無実だとは言えないとしても、民間人と為政者の罪は同等にはならないと思います。「私の反省」は必要ですが、しかしそれで終わらせることは出来ません。戦争を起こしたもの、起こそうとするものに対して厳しい目を向けていかなくてはいけません。民間人同士で謝罪してるのに政府は知らんぷり、ということも起こるわけで。南京にある大虐殺記念館では日本人が千羽鶴やたくさんのお便りを寄せて謝罪を表明しているのに、日本の首相は毎年靖国神社への参拝を欠かしません。

〉うーん。
〉ツッコミの杏樹さんにツッコミを入れるのは恐い気がするのですが、はまこさんの書き込みに「どんどん入れて」とあるので、入れますが・・・。
〉それに所詮、東京から離れた事の無い人間に本当の「ツッコミ」が解る筈も無いので、ご容赦を願って・・・。
〉(5.6人まとめてかかっても、投げ飛ばしていただけるようなので)
〉「戦争責任」と言うのは、言葉として存在しても、実態の無い言葉の典型だと思うのです。為政者の「戦争責任」と言う時、それは「敗戦責任」なんですね。勝てば決して責任は問われない。それは東京裁判でもニュールンベルグ裁判でもそうでした。チャーチルだって、トルーマンだって、スターリンだって戦争責任は問われなかったのです。更に、国民が為政者に問う物ではなく、戦勝国が敗戦国に突きつけるものです。戦争に勝ったか負けたかでどちらに転ぶか解らない責任を問うというのは、はなはだ矛盾に満ちているのです。確か東京裁判でも、インドの判事(パール判事と言ったかな?)が「国際法上、戦争は責任が問えるのか?」と同様の主旨の事を問うていたと思います。

全くその通りです。東京裁判を認めない日本人もいます。結局は勝者が敗者を裁くだけ。「敗戦責任」にすぎません。
だからこそ日本人は連合国の決定に唯々諾々と従うだけではなく、戦争を起こした大本の原因を追求するべきだったんです。戦争体験といえば空襲や物不足で窮乏した話、大陸からの引き上げの苦労話、赤紙で召集された兵士が戦地でどれだけひどい目にあったか、そういう話ばかりです。では一体どうしてそういうことが起きたのか。そこを追求することがまさしく本当の「反省」を生み出すことだと思います。

〉じゃあ、既存の「戦争責任」に実態が無いのならば、国民が為政者に問う「戦争責任」が実態として作れるのかと言うと、これも難しい。もし、勝って国に利益をもたらし、国民生活が豊かになった時、それでも国民は為政者に責任をとれと言えるのか?と思うのです。やはり「戦争を起こして負けて、こんな悲惨な目に遭わせた責任を取れ」と言う「敗戦責任」になってしまうと思うのです。となると、次の論理の展開は「戦争は負けない戦争であれば責任は問われない」となり、弱小国への侵略となって行くと思うのです。

それももっともです。しかし日本はボロ負けに負けたからこそ「戦争=悪」の図式が出来上がったわけですし、だからこそ負けた経験のないアメリカのような国に唯々諾々と従うのではなく、世界に向かって戦争の罪悪を訴えていく務めがあるのではないかと思います。負けたからこそアフガニスタンで、イラクで、犠牲になっていく人々の立場に立って戦争を糾弾することができるんです。
またヨーロッパでは連合国側、つまり勝者側になった国でもナチスの支配を受けたり空襲の経験があったりします。そこがアメリカと違うところで、戦勝国とは言っても、戦争に反対する気持ちはアメリカよりずっと強いはずです。

〉私が「反省」と言わず、多分に形而上的に「罪」と言うのはこの点なのです。「反省」は、どうすれば次は失敗しないか、どうすれば「負けないか」に繋がりかねないのです。贖罪されない「罪」を背負い、それでも、それを贖っていこうとする姿と自ずと違うと思うのです。
〉責任と反省は失敗しない道を歩ませ、罪はより良き道を歩ませると思うのです。随分と宗教的な言い方ですが、人間一人一人が自らの内にある「罪」を意識しない限り、他者への寛容、譲歩、共感は生まれないと思うのです。この考え方は、「りんごを食べてエデンの園を追われて以来、人間が抱える原罪」というキリスト教の発想に似ているかも知れません。が、このキリスト教の「原罪」という意識を「弱者のルサンチマンである」として否定し、「力への意志」を説いたニーチェの哲学は、ハイデカーを経由して間違いなくナチス・ドイツの思想へと繋がったのです。
〉良く言われる事に「犯罪」としての殺人より、「正義」の為の殺人の方がはるかに大規模で残虐であると言うのがありますが、真実であると思います。
〉犯罪としての殺人は殺人者に「罪の意識」がありますから、最小限の殺人に留まりますが、「正義の殺人」は「正義」のより完全な実現の為に最大限の殺人を行います。

チャプリンが「殺人狂時代」で言っていることですね。一人殺せば犯罪者、何万人殺せば英雄。

〉「戦争責任」を裁く側に「罪」の意識無く「責任」を取らせるという「正義」を振りかざした時、それは戦争に一歩近づいた事になると思うのです。

責任とか正義を振りかざすと道を誤ります。「責任を取れ」ではなくて、なぜそういうことが起きたのか調査し分析することです。罪人を見つけて裁くのではなく、原因をきちんと究明しておくことです。今の日本人に罪が残っているとするならば、原因の追求をしてこなかったことです。

〉そして「罪」を考えた時、それは為政者と一般国民にその軽重があるとは思えないのです。これは為政者の立場にある人の罪を軽くすると言うのではなく、一般国民の罪もまた為政者と同じ重さであると思うのです。そのくらいの「罪の重さ」を感じて初めて真剣に為政者の、いや国の戦争への道を厳しい目で監視し、阻止出来るのではないでしょうか。

ただ、安全なところにいる人が決定を下して、実際に被害に遭うのは一般市民や下級兵士、ということがありますので、そういう人たちが決定を下すのに対して厳しい目をむけて置かなくてはならないと思います。
アメリカは民主主義の国のはずですが、軍隊には黒人やヒスパニックなどのマイノリティーや貧困層が多く、特にイラクへ送られる兵士の中には、国政にあずかる議員さんたちの子弟はほとんどいないそうです。そういう人たちによってアメリカ人とイラク人が殺し合いをすることになるのは理不尽です。近代戦はずっとこういう理不尽に覆われているのです。

〉今の私は、真夜中にガキのゲロ世話して生きています。トホホ。
〉でも、そんな日常から見えてくる世界もまたあります。

〉〉〉ガクッ・・・。
〉〉〉以上杏樹さんの腕に抱かれながら、往生際の台詞でした。
〉〉〉(うーん、ミュージカルのように往生際が悪い)

〉〉瀕死なのに歌を歌ってるとか?

〉そうそう。私が見たことのあるミュージカルは、
〉テレビで宝塚の「ベルバラ」だけなんです。
〉オスカルもアンドレも、往生際が悪かったなぁ。

それを「ミュージカル」と言われるとちょっと…。
あれはやりすぎですねえ。何発撃たれたか数えた人がいるとか。「まだ死なんー」って。
「ウエストサイド物語」ぐらいにしておいてほしい。

〉〉イタコにでもなって霊を呼び出したりして。

〉子供げろに呼び出されるよりは、イタコに呼び出される方がましですね(笑)
〉さて、杏樹さんの胸に抱かれる夢を見ながら、もう一眠りします。

さすがにプレイボーイ道化師さん。幻想を広げすぎですよ。奥様に悪いので、別の夢を見たほうがいいのでは…。


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8159. 進軍ラッパなる度に・・・

お名前: 道化師
投稿日: 2003/11/23(22:24)

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こんばんは、杏樹さん。
バナナさんご推薦の「ゼウスガーデン衰亡史」を読んで気宇壮大になっている道化師です。

〉ここのところ遊んでもらって多読のお邪魔をしてすみません。お子さんの世話もしなくてはいけないのに…。

私の多読は、必要性とか確固たる目的意識のあるものではなく、
純然たる楽しみですから、他に楽しい事があれば、和書読みでも、
こうした会話であれ、どんどん楽しい事のほうにシフトして良しとしています。
子供の世話は「親は無くても子は育つ」と言いますが、
昨今では「親があっても子は育つ」と言うそうです。
小子化や経済的豊かさが親の子供への過干渉をもたらし、
子供の自立していく精神の発達の阻害になるそうですから、
親は親で、「子供の成長だけが楽しみで」などと言わず、
親自身の人生を楽しむべしと言うことなのでしょう。
(と、杏樹さんとのやりとりが楽しいだけなのに、
 そこにこんな言い訳を入れてしまう素直じゃない私・・・。)

〉そんなご謙遜を。どんどん話が展開していくのでおもしろいです。

いや、謙遜じゃなく、全知全能をかけてお相手させて頂いています。

〉〉〉今度は石の下に埋めてしまいました。(一応聞きますが、もとネタわかりますよね?)
〉あちゃー。通じてなかったんですねー。
〉「ここはお国を何百里離れて遠き満州の…」
〉って軍歌、知りません?
〉長い歌らしくて全部は知らないんですけど…。
〉「赤い夕日に照らされて友は野末の石の下」
〉とか
〉「しっかりせよと抱き起こし仮包帯も弾の中」
〉とかいう歌詞があるんです。

ああ、なるほど。知ってます。言われてみれば、上の歌詞すべてメロディ付きで歌えます。
でも「野末の石の下」は、完全に抜けていました。

〉そういう「夢」が出来上がってしまったら、ますます道化師さんの前に出られなくなってしまう…。上沼恵美子よりはおとなしくて静かです。

「上沼恵美子よりおとなしくて静か」と言うことが、おとなしくて静かと言うことになるのか、判断に悩む所ですねぇ(笑)

〉魔法が解けて王子様に戻った野獣なんですね。

魔法が解けても、やっぱり「野獣」であることには変わりないと言うことか?
(確かに、可愛い子羊が目の前に居ると、狼に変身してしまいたくなりますが)

〉〉歴史的には杏樹さんが詳しく書かれたユダヤ人がヨーロッパでその役割を担ったのでしょうし、開国前の日本が被差別部落を村の周辺に置き、近代日本が朝鮮を差別的に扱ったのも、この構造があるからだと思うのです。
〉〉アメリカが建国以来、常に「敵」を持ってきたのも、「移民による他民族国家」と言う性質上、自らが「国家」としてまとまる上で必要だったからだと思います。
〉〉(と、この理屈は今をさること十数年前の私の卒論のテーマでした。進歩が無いなぁ)

〉何を専攻なさってたんでしょう?

法学部です。ゼミが「法哲学ゼミ」でした。

〉ともかく人間の集団は被差別民を常に作り出しておく構造になっていたわけですね。

国と言わず、民族、村落集団と言わず、この原型は学校のクラス、友達グループ、
と何の集団でも見受けられます。
例えば、学校の校内暴力は生徒が生徒集団としてのアイデンティティーを保持するために教師を排除の対象にした時の形であり、
教師側がこれに反して、内申書や徹底した管理と言った手段で生徒を押さえ込んだ結果、他に排除の対象を求めざる得なくなった生徒集団が仲間内にその対象を求めた結果が「イジメ」という形になって現れました。
日本の「村落」に於いては、排除の対象は「部落民」「村八分」「よそ者」と3種類ありましたが、その排除の形が違っていました。村落の集団を確立する為の他者として「部落民」が必要とされ、村落集団の掟を破って集団構成員を外された者が「村八分」であり、この両者は「生かさず殺さず」の排除がされましたが、流れ者や落ち武者と言った完全なる他者は「落ち武者狩り」に見られるような完全な抹殺がされました。

〉〉〉ただ、第二次大戦では無差別爆撃が平気で行われていましたが、アフガニスタンやイラクへの攻撃では民間人や民間施設を爆撃すると即世界中に報道され非難の声があがりました。50年前ならアメリカもバグダードを大々的に空爆して焼き尽くして制圧したと思います。しかし民間人に配慮しなければならない時代になったのでそれができなかった。少しは人類も進歩したのかなと思います。

〉アルジャジーラの放送でも見ることができたら見方も変わってくるかもしれません。アメリカの情報は一種の「大本営発表」の面もありますから。

そうですね。でも、アラビア語まで手を伸ばすのは、さすがに厳しいなぁ。
せめて、「日本語による情報統制」を避ける為にも、インターネットというより統制されにくいメディアを利用する為にも、多読で英語が「読める」ようになることは大切だと思っています。
(杏樹さんのように、英語に留まらず、より他言語に通ずるようになるのが理想ですが)

〉付け加えるなら、空襲の被害を訴えることはアメリカを糾弾することではなく戦争の悲惨さを訴えるものであるべきだと思います。糾弾するのではなくただこういう事実があったことを知って欲しい。日本には今でも空襲の記憶をとどめている人がいることを。日本はそういう戦争を経験したからこそ憲法9条を守っているのだと。

杏樹さんからの「糾弾ではなく、知ること」という発言を読んで嬉しかったです。
完全に同意します。

〉南北戦争は内戦でしたから。特に北部の人にとっては奴隷解放の輝かしい戦争でした。勝った方には反省は起こらないんですね。

通常、旧ユーゴやルアンダを見ても、外国との戦争よりも内戦の方が悲惨な筈で、負けた南部の記憶だってアメリカに残っていて然るべきなのでしょうけれど。
あっ、そうか。その南部の反発を制圧していく為にリンカーンをはじめとする大統領の英雄化があり、その伝統が今のアメリカの教育に残っているのか・・・。

〉〉〉それはもっともです。しかし戦争責任はやはりはっきりさせなくてはなりません。一般の国民が完全に無実だとは言えないとしても、民間人と為政者の罪は同等にはならないと思います。「私の反省」は必要ですが、しかしそれで終わらせることは出来ません。戦争を起こしたもの、起こそうとするものに対して厳しい目を向けていかなくてはいけません。民間人同士で謝罪してるのに政府は知らんぷり、ということも起こるわけで。南京にある大虐殺記念館では日本人が千羽鶴やたくさんのお便りを寄せて謝罪を表明しているのに、日本の首相は毎年靖国神社への参拝を欠かしません。

〉〉うーん。
〉〉ツッコミの杏樹さんにツッコミを入れるのは恐い気がするのですが、はまこさんの書き込みに「どんどん入れて」とあるので、入れますが・・・。
〉〉それに所詮、東京から離れた事の無い人間に本当の「ツッコミ」が解る筈も無いので、ご容赦を願って・・・。
〉〉(5.6人まとめてかかっても、投げ飛ばしていただけるようなので)
〉〉「戦争責任」と言うのは、言葉として存在しても、実態の無い言葉の典型だと思うのです。為政者の「戦争責任」と言う時、それは「敗戦責任」なんですね。勝てば決して責任は問われない。それは東京裁判でもニュールンベルグ裁判でもそうでした。チャーチルだって、トルーマンだって、スターリンだって戦争責任は問われなかったのです。更に、国民が為政者に問う物ではなく、戦勝国が敗戦国に突きつけるものです。戦争に勝ったか負けたかでどちらに転ぶか解らない責任を問うというのは、はなはだ矛盾に満ちているのです。確か東京裁判でも、インドの判事(パール判事と言ったかな?)が「国際法上、戦争は責任が問えるのか?」と同様の主旨の事を問うていたと思います。

〉全くその通りです。東京裁判を認めない日本人もいます。結局は勝者が敗者を裁くだけ。「敗戦責任」にすぎません。
〉だからこそ日本人は連合国の決定に唯々諾々と従うだけではなく、戦争を起こした大本の原因を追求するべきだったんです。戦争体験といえば空襲や物不足で窮乏した話、大陸からの引き上げの苦労話、赤紙で召集された兵士が戦地でどれだけひどい目にあったか、そういう話ばかりです。では一体どうしてそういうことが起きたのか。そこを追求することがまさしく本当の「反省」を生み出すことだと思います。

確かに、一般の「戦争体験談」と言うと、杏樹さんの言われるような「悲惨な体験談」が多いですよね。
そして、日本の映画やテレビで流される戦争物語も、自らの悲劇を語るものが殆どです。
でも「反省」(私的には「罪」に拘りますが)するのならば、自らの国が招いた悲劇より、他国へ与えた「悲劇」、
前にも出てきた南京大虐殺であれ、
朝鮮人の強制労働であれ、
朝鮮人女性への従軍慰安婦問題であれ、
(多分、朝鮮人女性に限らず、中国や東南アジア女性にも及ぶと思いますが)
731部隊の人体実験であれ、
自らのした行為を先に問うべきだと思います。
日本国内に現れる反省は、あまりに被害者的すぎると思うのです。
「火蛍の墓」に涙する前に、涙しなければならに問題があると思うのです。

〉それももっともです。しかし日本はボロ負けに負けたからこそ「戦争=悪」の図式が出来上がったわけですし、だからこそ負けた経験のないアメリカのような国に唯々諾々と従うのではなく、世界に向かって戦争の罪悪を訴えていく務めがあるのではないかと思います。負けたからこそアフガニスタンで、イラクで、犠牲になっていく人々の立場に立って戦争を糾弾することができるんです。

本当に日本という国が、杏樹さんの言うように戦争を糾弾出来るのであれば、経験者のリアリティをもって重い発言になると思うのですが・・・。
きっと「今度は勝ち組」に廻ろうって感じで、「国際協調」と言っているんでしょうね。「国際協調」が実は強い者に巻かれるという「アメリカ協調」であり、これは今回のイラク戦争でアメリカと国連が相反した時には、アメリカ支持に廻るという事で衆人知るところなってしまいました。

〉またヨーロッパでは連合国側、つまり勝者側になった国でもナチスの支配を受けたり空襲の経験があったりします。そこがアメリカと違うところで、戦勝国とは言っても、戦争に反対する気持ちはアメリカよりずっと強いはずです。

結局、イギリスも政府はイラク戦争支持に廻りましたが、「イラクが大量破壊兵器を保有しているから」という嘘がばれた時点で、アメリカより激しく非難が上がっていますね。(結局、イラク戦争に根拠を与えた学者は自殺してしまった)

〉チャプリンが「殺人狂時代」で言っていることですね。一人殺せば犯罪者、何万人殺せば英雄。

確か、石川五右衛門も釜ゆでになる前に、豊臣秀吉に同じような事を言ったとか・・・。

〉責任とか正義を振りかざすと道を誤ります。「責任を取れ」ではなくて、なぜそういうことが起きたのか調査し分析することです。罪人を見つけて裁くのではなく、原因をきちんと究明しておくことです。今の日本人に罪が残っているとするならば、原因の追求をしてこなかったことです。

10年位前、ビデオで「行き行きて神軍」というものが話題になった事がありました。一兵士として戦争に行った男性が、自分の冒した戦争犯罪を悔い、そしてその犯罪を命令した当時の上官達を探し求めて糾弾していくと言う内容だったようです。
(私は残念ながら、このビデオを見ていないので、ハッキリした事は解りません。今でも観たいと思っているのですが)
この男性は、その後、その糾弾が行きすぎて、傷害事件を起こしてしまい、服役したようですが、この男性の例は極端にしても、観念的にではなく具体的に原因を究明していくべきだと思います。
軍令本部や参謀本部が命令を出した正規軍同士の戦闘もあってはならないですが、一般民間人を対象にした惨劇は、もっと下部の指揮系統で発生しているからです。

〉ただ、安全なところにいる人が決定を下して、実際に被害に遭うのは一般市民や下級兵士、ということがありますので、そういう人たちが決定を下すのに対して厳しい目をむけて置かなくてはならないと思います。

今の戦争は遠隔操作によるリモコン戦争になりつつありますから、ますます決定を下す人への厳しい目が必要ですね。

〉アメリカは民主主義の国のはずですが、軍隊には黒人やヒスパニックなどのマイノリティーや貧困層が多く、特にイラクへ送られる兵士の中には、国政にあずかる議員さんたちの子弟はほとんどいないそうです。そういう人たちによってアメリカ人とイラク人が殺し合いをすることになるのは理不尽です。近代戦はずっとこういう理不尽に覆われているのです。

確かに選ばれし騎士が、名誉の為に戦った近代前の戦争とは違いますね。
同じように第二次世界大戦でも、グルカ兵とか、日系アメリカ人の部隊とか、在日朝鮮人日本兵とか、国民としてのアイデンティティーが周囲に疑われる弱い階層がより危険な戦地に行かされたようですね。
アメリカは民主主義国家と言いつつ、貧富の差が大きく、支配層と被支配層が別れているようですね。多読を通じて読むアメリカ社会を見ると、ますます最近それを感じるようになりました。
ただ、日本だって「一億総中流」だなんて言う幻想で隠れていますが、戦後50年以上経って、確実に支配層と被支配層に別れて来ているのですが・・・。

〉〉そうそう。私が見たことのあるミュージカルは、
〉〉テレビで宝塚の「ベルバラ」だけなんです。
〉〉オスカルもアンドレも、往生際が悪かったなぁ。

〉それを「ミュージカル」と言われるとちょっと…。

そうか、あれはミュージカルじゃないんですか。
あれは「タカラヅカ」であって、ミュージカルでは無いんですね。

〉「ウエストサイド物語」ぐらいにしておいてほしい。

演劇ではなく、映画だと「ウエストサイド物語」とか「コーラスライン」とか、
色々見たことがあるんですけれどね。
「コーラスライン」の「サプライズ」が何にサプライズしたのかを知って、私がサプライズしてしまいました(笑)

〉さすがにプレイボーイ道化師さん。幻想を広げすぎですよ。奥様に悪いので、別の夢を見たほうがいいのでは…。

残念ながらプレイボーイはないなぁ。
(なれたら良いなとは、思わないでもないですが)
女性の事は興味があって、色々思う事が多いですが、
どちらかと言うと「フーテンの寅さん」なタイプなんです。
ほら、寅さんはよく夢を見るでしょう?

ではでは。


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8166. Someday, Somehow, Somewhere

お名前: 杏樹
投稿日: 2003/11/24(00:54)

------------------------------

道化師さん、こんにちは。

いつまで遊んでるのか、ずいぶん長くなったので、できるだけレスを控えめにしてフェイドアウトの方向に持っていこうかと思うのですが、なかなか…。

〉私の多読は、必要性とか確固たる目的意識のあるものではなく、
〉純然たる楽しみですから、他に楽しい事があれば、和書読みでも、
〉こうした会話であれ、どんどん楽しい事のほうにシフトして良しとしています。

確かに多読は本当に「楽しければ良し」ですね。

〉ああ、なるほど。知ってます。言われてみれば、上の歌詞すべてメロディ付きで歌えます。
〉でも「野末の石の下」は、完全に抜けていました。

やっぱり歌詞が途切れ途切れでピンと来なかったんでしょうか。ともかく通じてよかったです。

〉〉そういう「夢」が出来上がってしまったら、ますます道化師さんの前に出られなくなってしまう…。上沼恵美子よりはおとなしくて静かです。

〉「上沼恵美子よりおとなしくて静か」と言うことが、おとなしくて静かと言うことになるのか、判断に悩む所ですねぇ(笑)

鋭いご指摘!

〉〉魔法が解けて王子様に戻った野獣なんですね。

〉魔法が解けても、やっぱり「野獣」であることには変わりないと言うことか?
〉(確かに、可愛い子羊が目の前に居ると、狼に変身してしまいたくなりますが)

いやいやそこまで深読みは…。野獣が王子様に戻ったところ、と言うべきか。

〉〉何を専攻なさってたんでしょう?

〉法学部です。ゼミが「法哲学ゼミ」でした。

ほーがくぶー。「あなたの知らない世界」です。

〉〉ともかく人間の集団は被差別民を常に作り出しておく構造になっていたわけですね。

〉国と言わず、民族、村落集団と言わず、この原型は学校のクラス、友達グループ、
〉と何の集団でも見受けられます。
〉例えば、学校の校内暴力は生徒が生徒集団としてのアイデンティティーを保持するために教師を排除の対象にした時の形であり、
〉教師側がこれに反して、内申書や徹底した管理と言った手段で生徒を押さえ込んだ結果、他に排除の対象を求めざる得なくなった生徒集団が仲間内にその対象を求めた結果が「イジメ」という形になって現れました。

そういえばPGR2の「The Wave」は読んだことがありますか?集団と集団外を区別する行為があんなにあっさり広がってブキミでした。

〉そうですね。でも、アラビア語まで手を伸ばすのは、さすがに厳しいなぁ。
〉せめて、「日本語による情報統制」を避ける為にも、インターネットというより統制されにくいメディアを利用する為にも、多読で英語が「読める」ようになることは大切だと思っています。
〉(杏樹さんのように、英語に留まらず、より他言語に通ずるようになるのが理想ですが)

ニュースを見てわかるようになるのは大変ですよー。英語もまだまだですし、中国の情報はもっと偏ってますし。

〉〉付け加えるなら、空襲の被害を訴えることはアメリカを糾弾することではなく戦争の悲惨さを訴えるものであるべきだと思います。糾弾するのではなくただこういう事実があったことを知って欲しい。日本には今でも空襲の記憶をとどめている人がいることを。日本はそういう戦争を経験したからこそ憲法9条を守っているのだと。

〉杏樹さんからの「糾弾ではなく、知ること」という発言を読んで嬉しかったです。
〉完全に同意します。

どうもです。付け加えるなら、「知ること」によって、これからも戦争が起きたらまた同じようなことが起こる、という想像力を働かせるようになるところまでいきたいものです。

〉〉南北戦争は内戦でしたから。特に北部の人にとっては奴隷解放の輝かしい戦争でした。勝った方には反省は起こらないんですね。

〉通常、旧ユーゴやルアンダを見ても、外国との戦争よりも内戦の方が悲惨な筈で、負けた南部の記憶だってアメリカに残っていて然るべきなのでしょうけれど。
〉あっ、そうか。その南部の反発を制圧していく為にリンカーンをはじめとする大統領の英雄化があり、その伝統が今のアメリカの教育に残っているのか・・・。

旧ユーゴやルワンダは作られた民族闘争です。他民族に対して敵意を植付け滅ぼすまで容赦しないという…。
南北戦争はアメリカが南部と北部に分かれて奴隷制度の是非を問いました。民族的な憎悪はありませんでした。平たく言えば政策上の対立みたいなものです。北軍が勝って奴隷解放が行われたらもう南部には何も出来ません。ただ白人至上主義思想だけは根強く残ってKKK団の活動などが続くわけですが、KKK団の標的は北部人よりも黒人に向けられています。

〉確かに、一般の「戦争体験談」と言うと、杏樹さんの言われるような「悲惨な体験談」が多いですよね。
〉そして、日本の映画やテレビで流される戦争物語も、自らの悲劇を語るものが殆どです。
〉でも「反省」(私的には「罪」に拘りますが)するのならば、自らの国が招いた悲劇より、他国へ与えた「悲劇」、
〉前にも出てきた南京大虐殺であれ、
〉朝鮮人の強制労働であれ、
〉朝鮮人女性への従軍慰安婦問題であれ、
〉(多分、朝鮮人女性に限らず、中国や東南アジア女性にも及ぶと思いますが)
〉731部隊の人体実験であれ、
〉自らのした行為を先に問うべきだと思います。
〉日本国内に現れる反省は、あまりに被害者的すぎると思うのです。
〉「火蛍の墓」に涙する前に、涙しなければならに問題があると思うのです。

アジア諸国に対する贖罪を「自虐的」といって拒む人たちが存在しているのが問題だと思います。今の日本人が日常的に罪を問われるようなことはありませんが、かつてアジア諸国に対して間違ったことをした、アジアの人たちを苦しめた、ということを忘れないでいることが大切だと思います。
「火垂るの墓」は、とりあえず上に書いたように「戦争になればこういう子どもたちができるんだよ」ということを訴えるのには役に立つのではないかと。

〉本当に日本という国が、杏樹さんの言うように戦争を糾弾出来るのであれば、経験者のリアリティをもって重い発言になると思うのですが・・・。
〉きっと「今度は勝ち組」に廻ろうって感じで、「国際協調」と言っているんでしょうね。「国際協調」が実は強い者に巻かれるという「アメリカ協調」であり、これは今回のイラク戦争でアメリカと国連が相反した時には、アメリカ支持に廻るという事で衆人知るところなってしまいました。

日本には「勝ち組に回ろう」という明確な目標すらないと思います。アメリカにエラソウに言われて何も言い返せないだけではないでしょうか。

〉〉チャプリンが「殺人狂時代」で言っていることですね。一人殺せば犯罪者、何万人殺せば英雄。

〉確か、石川五右衛門も釜ゆでになる前に、豊臣秀吉に同じような事を言ったとか・・・。

へえ〜へえ〜へえ〜…

〉10年位前、ビデオで「行き行きて神軍」というものが話題になった事がありました。一兵士として戦争に行った男性が、自分の冒した戦争犯罪を悔い、そしてその犯罪を命令した当時の上官達を探し求めて糾弾していくと言う内容だったようです。
〉(私は残念ながら、このビデオを見ていないので、ハッキリした事は解りません。今でも観たいと思っているのですが)
〉この男性は、その後、その糾弾が行きすぎて、傷害事件を起こしてしまい、服役したようですが、この男性の例は極端にしても、観念的にではなく具体的に原因を究明していくべきだと思います。
〉軍令本部や参謀本部が命令を出した正規軍同士の戦闘もあってはならないですが、一般民間人を対象にした惨劇は、もっと下部の指揮系統で発生しているからです。

私もタイトルは知っていますが、見たことはありません。自分の戦争犯罪を悔いると同時に上官の罪を糾弾する…そこまでするのは理想的にすぎるのでしょうか。自分も戦争責任を反省しながら、戦争を起こす原因となったものをしっかり追求する、それがなかなか行われないようです。

〉確かに選ばれし騎士が、名誉の為に戦った近代前の戦争とは違いますね。
〉同じように第二次世界大戦でも、グルカ兵とか、日系アメリカ人の部隊とか、在日朝鮮人日本兵とか、国民としてのアイデンティティーが周囲に疑われる弱い階層がより危険な戦地に行かされたようですね。
〉アメリカは民主主義国家と言いつつ、貧富の差が大きく、支配層と被支配層が別れているようですね。多読を通じて読むアメリカ社会を見ると、ますます最近それを感じるようになりました。
〉ただ、日本だって「一億総中流」だなんて言う幻想で隠れていますが、戦後50年以上経って、確実に支配層と被支配層に別れて来ているのですが・・・。

アメリカは階級社会です。「アメリカン・ドリーム」は存在しますが、下層階級がのし上がっていくのは本当に大変なことで、だからこそ「ドリーム」なんです。アメリカの上流階級のパーティーの世界など日本人にはそれこそ夢みたいな世界ですよね。

〉〉〉そうそう。私が見たことのあるミュージカルは、
〉〉〉テレビで宝塚の「ベルバラ」だけなんです。
〉〉〉オスカルもアンドレも、往生際が悪かったなぁ。

〉〉それを「ミュージカル」と言われるとちょっと…。

〉そうか、あれはミュージカルじゃないんですか。
〉あれは「タカラヅカ」であって、ミュージカルでは無いんですね。

そう認識しておいてください。「宝塚=ベルばら」もやめてね。
「ベルばら」の原作はあんなのじゃないし、宝塚もいつもあんなのじゃありません。

〉〉「ウエストサイド物語」ぐらいにしておいてほしい。

〉演劇ではなく、映画だと「ウエストサイド物語」とか「コーラスライン」とか、
〉色々見たことがあるんですけれどね。

ということで、今回のタイトルは「ウエストサイド物語」の歌から。(軍歌ネタが尽きたので)

〉「コーラスライン」の「サプライズ」が何にサプライズしたのかを知って、私がサプライズしてしまいました(笑)

………(もちろん、見ました、コーラスライン)

〉〉さすがにプレイボーイ道化師さん。幻想を広げすぎですよ。奥様に悪いので、別の夢を見たほうがいいのでは…。

〉残念ながらプレイボーイはないなぁ。
〉(なれたら良いなとは、思わないでもないですが)
〉女性の事は興味があって、色々思う事が多いですが、
〉どちらかと言うと「フーテンの寅さん」なタイプなんです。
〉ほら、寅さんはよく夢を見るでしょう?

はー、そうなんですか。行く先々にマドンナ。
でもマーリー・マトリン似の奥様がいるんですから、あまり夢を見るのはお控えになった方がよろしいのでは。

〉ではでは。

それでは。


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8180. とぅなぁいと、とぅなぁーいと・・・・

お名前: 道化師
投稿日: 2003/11/24(21:56)

------------------------------

こんばんは、杏樹さん。

〉いつまで遊んでるのか、ずいぶん長くなったので、できるだけレスを控えめにしてフェイドアウトの方向に持っていこうかと思うのですが、なかなか…。

フェイドアウトじゃ終わりそうに無いので、プッツリこれで止めますね。

〉そういえばPGR2の「The Wave」は読んだことがありますか?集団と集団外を区別する行為があんなにあっさり広がってブキミでした。

読みました。事実と言うところが恐かったです。

〉〉〉付け加えるなら、空襲の被害を訴えることはアメリカを糾弾することではなく戦争の悲惨さを訴えるものであるべきだと思います。糾弾するのではなくただこういう事実があったことを知って欲しい。日本には今でも空襲の記憶をとどめている人がいることを。日本はそういう戦争を経験したからこそ憲法9条を守っているのだと。
〉どうもです。付け加えるなら、「知ること」によって、これからも戦争が起きたらまた同じようなことが起こる、という想像力を働かせるようになるところまでいきたいものです。

雅子妃殿下の「一言付け加えて申し述べさせていただけるのなら」みたいですね。
「知ること」そして「想像すること」は大切ですね。
「想像力」の欠如に、歴史的悲劇の原因があるわけですから。

〉旧ユーゴやルワンダは作られた民族闘争です。他民族に対して敵意を植付け滅ぼすまで容赦しないという…。
〉南北戦争はアメリカが南部と北部に分かれて奴隷制度の是非を問いました。民族的な憎悪はありませんでした。平たく言えば政策上の対立みたいなものです。北軍が勝って奴隷解放が行われたらもう南部には何も出来ません。ただ白人至上主義思想だけは根強く残ってKKK団の活動などが続くわけですが、KKK団の標的は北部人よりも黒人に向けられています。

戦争と言うものは、その原因を究明するときに、思想・宗教的理由とか政治的理由があげられますが、私は必ずその根底に経済的理由、ざっくばらんに言うと
「銭や、銭や、銭の為やで」
があると思っています。それを大義名分で隠そうとするから、解りにくくなるんです。
南北戦争も「奴隷制度」の是非と言えば、勝った北軍にとって、大義があり聞こえが良いのですが、きっとその根底には南部との「銭」の問題があると思うのです。
が、少し調べたのですが私の手持ちの資料では南部の「自由貿易」北部の「保護貿易」という解りにくい理由しか出てきませんでした。こういう言葉に隠された、もう少し解りやすい理由があると思うのですが。
話は違うのですが、調べた中に興味深い数字がありました。
南北戦争での死者、北軍36万人、南軍26万人、合計62万人。
それに対して、第一次世界大戦におけるアメリカの死者11万人。
第二次世界大戦では、32万人。
第二次世界大戦だけで数百万人死んだ日本とは、やはり根本的に認識が違う訳です。

〉アジア諸国に対する贖罪を「自虐的」といって拒む人たちが存在しているのが問題だと思います。今の日本人が日常的に罪を問われるようなことはありませんが、かつてアジア諸国に対して間違ったことをした、アジアの人たちを苦しめた、ということを忘れないでいることが大切だと思います。

その問題の人の一人、西尾幹二という学者と病院の待合い室でずっと一緒だった事があります。この人もニーチェから思索を開始した人です。

〉「火垂るの墓」は、とりあえず上に書いたように「戦争になればこういう子どもたちができるんだよ」ということを訴えるのには役に立つのではないかと。

「火垂るの墓」でしたね。字が違っていました。さすが杏樹さん。

〉ということで、今回のタイトルは「ウエストサイド物語」の歌から。(軍歌ネタが尽きたので)

私の覚えている歌詞は、タイトルの1フレーズだけです。

〉………(もちろん、見ました、コーラスライン)

杏樹さんは、下の話は苦手?

〉でもマーリー・マトリン似の奥様がいるんですから、あまり夢を見るのはお控えになった方がよろしいのでは。

私が余計な事を書いたばっかりに、妻も子供達が学校に上がる年齢になったら多読を始めたいと言っているのですが、決して「道化師の妻」とは名乗れないでしょうねぇ。(笑)

長々とお付き合いありがとうございました。
では、いずれ他のスレッドで。


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8190. 戦い済んで日は暮れて

お名前: 杏樹
投稿日: 2003/11/25(01:22)

------------------------------

道化師さん、こんにちは。

〉フェイドアウトじゃ終わりそうに無いので、プッツリこれで止めますね。

わかりました。ではできるだけ簡単に。

〉戦争と言うものは、その原因を究明するときに、思想・宗教的理由とか政治的理由があげられますが、私は必ずその根底に経済的理由、ざっくばらんに言うと
〉「銭や、銭や、銭の為やで」
〉があると思っています。それを大義名分で隠そうとするから、解りにくくなるんです。
〉南北戦争も「奴隷制度」の是非と言えば、勝った北軍にとって、大義があり聞こえが良いのですが、きっとその根底には南部との「銭」の問題があると思うのです。
〉が、少し調べたのですが私の手持ちの資料では南部の「自由貿易」北部の「保護貿易」という解りにくい理由しか出てきませんでした。こういう言葉に隠された、もう少し解りやすい理由があると思うのですが。
〉話は違うのですが、調べた中に興味深い数字がありました。
〉南北戦争での死者、北軍36万人、南軍26万人、合計62万人。
〉それに対して、第一次世界大戦におけるアメリカの死者11万人。
〉第二次世界大戦では、32万人。
〉第二次世界大戦だけで数百万人死んだ日本とは、やはり根本的に認識が違う訳です。

具体的な数字が出るとすごいですねえ。
それから「銭」が戦争の原因になるのはわかります。いずれにせよ南北戦争は争点のわかりやすい戦争だったと思いますよ。民族的な反感、憎悪によって起こる争いは根拠も何もありませんから、えんえんと泥沼化していきます。

〉〉アジア諸国に対する贖罪を「自虐的」といって拒む人たちが存在しているのが問題だと思います。今の日本人が日常的に罪を問われるようなことはありませんが、かつてアジア諸国に対して間違ったことをした、アジアの人たちを苦しめた、ということを忘れないでいることが大切だと思います。

〉その問題の人の一人、西尾幹二という学者と病院の待合い室でずっと一緒だった事があります。この人もニーチェから思索を開始した人です。

うわー!「つくる会」の会長さんですか!お近づきになりたくないですねえ。

〉〉ということで、今回のタイトルは「ウエストサイド物語」の歌から。(軍歌ネタが尽きたので)

〉私の覚えている歌詞は、タイトルの1フレーズだけです。

うーん、では薀蓄もつけときましょう。
対立するグループの中で愛し合ってしまったトニーとマリア。絶望的状況に陥った二人が「いつか、どこか」争いのない世界を夢見るナンバーです。映画ではバッサリカットされましたが、和解を夢見てそれが壊れていくことを表現したダンスシーンが展開されます。

〉私が余計な事を書いたばっかりに、妻も子供達が学校に上がる年齢になったら多読を始めたいと言っているのですが、決して「道化師の妻」とは名乗れないでしょうねぇ。(笑)

別の名前で他人の振りをして…。「道化師さん、○○○万語通過おめでとうございます」とかね。

〉長々とお付き合いありがとうございました。
〉では、いずれ他のスレッドで。

こちらこそありがとうございました。
それではこの辺で失礼いたします。


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