(1) 英語を学習し,理解する意味は,何か。イギリスやアメリカの文化を理解する意味は,何か。(2) イギリス人のDNAは,ケルト人のDNAであった。

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573. (1) 英語を学習し,理解する意味は,何か。イギリスやアメリカの文化を理解する意味は,何か。(2) イギリス人のDNAは,ケルト人のDNAであった。

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2013/5/5(13:55)

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 英語を学習し,理解する意味は,何か。イギリスやアメリカの文化を理解する意味は,何か。

 ※ 以下の論述は,主として,唐澤一友,多民族の国イギリス,春風社,2008年を土台にしている。
   しかし,およそ,本は,自己の思想を確立するために読むものであり,単に他者に著者の見解を披露するために読むものではない。
   それは,当然のことであって,私は,私の意見を述べるために,唐澤氏の知見を取り入れているにすぎない。
  「英語の外面史」で,グーグル等ネット検索すると,私の書いた「英語の外面史」が掲載されているが,本論述とは,角度が異なる。

1 英語を理解する目的は,結局,イギリスの文化,アメリカの文化その他の英語圏の文化を理解し,ひいては,自国の文化を振り返り,知ることではないだろうか。それは,自分や自国の現在を知り,未来に進むことである。そのために,過去を知る必要がある。自分の未来は,他者への貢献につながる。それ以外に,主たる目的は,ないというべきではないか。

2 イギリスやアメリカの文化の担い手は,誰であろうか。イギリス人は,アングロ・サクソン民族であると言われている。アメリカ人も,アングロ・サクソン民族であると言われている。これは,正しいであろうか。イギリス人は,英語という言語を使用する。アメリカ人も,同じである。そうであるとして,英語は,歴史上,他の言語の影響を大きく受けているから,英語は,今も,アングロ・サクソン民族の言葉,すなわち,ゲルマン語そのものであるといえるであろうか。英語は,もはや,アングロ・サクソン民族の言葉,すなわち,ゲルマン語であると,到底,いえないというのが,正しい認識であろうか。

3 一体,アングロ・サクソン民族とは,何だろうか。アングロ・サクソン民族は,ゲルマン民族の中の一派であるといわれる。その意味は,何なのだろうか。ゲルマン民族は,ゲルマン語を話すという。ゲルマン語とは,何なんだろうか。ゲルマン語は,インド・ヨーロッパ語族の一つの語族であると言われる。インド・ヨーロッパ語族の言葉の先祖は,インド・ヨーロッパ祖語(proto Indo-European language)と呼ばれる。では,インド・ヨーロッパ語族とは,かつて,どこに住む,どんな民族であったのだろうか。そもそも,インド・ヨーロッパ語族とは,どんな生活をしていた人々であろうか。その社会生活から,どんな言葉が生まれたのであろうか。社会環境及び社会生活になかった言葉は,あるはずはない。その文化及び文明がないところに,その文化や文明を表現する言葉がないのは当然である。インド・ヨーロッパ祖語の時代に存在しなかった環境,社会生活,文化及び文明から,どんな言葉は,生まれなかったのであろうか。インド・ヨーロッパ語族は,どこに散らばっていったのであろうか。インド・ヨーロッパ語族の一員であり,英語の原型をもたらしたゲルマン人の一派,つまり,アングロ・サクソン人は,いつ,イギリスに渡り,現在,遺伝的に,イギリスやアメリカに,どの程度の数が,存在するのであろうか。
 以上の論点に答えるためには,ヨーロッパ文化同士の同質性など,現在を知る必要があるのではないだろうか。
 ヨーロッパ文化同士の同質性などの現在は,どのようなものであると認識すべきであろうか。

4 ヨーロッパ文化同士の同質性
 イギリスを含むヨーロッパは,文化的に,あくまで,ひとつである。
 イギリスを含むヨーロッパは,言語的に違っていても,文化的には,あくまで,ひとつである。
 イギリス文化,フランス文化,ドイツ文化は,その区別は,要するに,相対的な差異であって,相対的差異を超え,最後に行き着くのは,そそり立つヨーロッパ文化そのものである。
 いずれにしても,ヨーロッパ文化は,あくまで一つである。
 以上のことは,いろいろな文献に載っていると思うが,ここでは,鯖田豊之,世界の歴史9,ヨーロッパ中世,河出文庫,1989年を挙げておこう。
 最初の章である「ヨーロッパ人というもの」を参照されたい。
 私の意見は,これに依拠し,自分の考えとして,まとめている。
 ヨーロッパ文化同士のこのような同質性は,まず,前提問題として,互いに合意しなければならない事柄である。
 そこの認識が,間違っていたのでは,お互い,議論にならない。(※1)

5 現在のヨーロッパ文化と日本文化の類似性
 私は,ヨーロッパの文化(以下,ヨーロッパ文化とは,イギリスを含むことは,これまでの私の論説から,当然である。)は,その形成過程において,驚くほど,日本の文化の形成過程と類似していると考える。
 日本文化を構成する要素は,やまと文化,中国古典文化,仏教文化の3つである。
 ヨーロッパ文化を構成する要素は,ゲルマン文化,古典古代文化(ギリシア・ローマ文化),キリスト教文化の3つである。
 以上のことも,いろいろな文献に載っていると思うが,ここでは,上記鯖田豊之,世界の歴史9,ヨーロッパ中世,最初の章である「ヨーロッパ人というもの」,特に30頁前後を参照されたい。
 私の意見は,これに依拠し,自分の考えとして,まとめている。

6 イギリスは,現在,遺伝子的には,誰か(どういう民族の血統か)。
 イギリス人は,アングロ・サクソン民族の末裔であると,これまでの文献は,教えている。
 ケルト人は,辺境に追いやられ,ウェイルズや,コーンウォールなどの辺境に移住したと。

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 驚くなかれ。
 最近のDNAの発達は,真実を明らかにした。
 多くのイギリス人のDNAを採取し,調べたのだ。
 君は,それを知っていたか?

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 私も,果てのない知見のうちの一部しか知らない人間にすぎない。
 しかし,常に,努力し,勉強して,当たり前なのだ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 イギリス人の多くは,ケルト人だったのだ。
 ケルト人の中でも,イベリア・ケルト人であった。
 現在のスペイン人などイベリア半島に移り住んだケルト人と同じDNAである。
 イギリス人の祖先は,同じケルト人に属するとはいえ,現在のフランス人などガリア・ケルト人では,なかった。
 
7 イギリス人たちは,昔から現在まで,自分たちは,誰と考えてきたか。
 中世までのイギリス人は,本当はケルト人であるのに,自分たちの祖先は,ローマ人であり,ローマ人は,トロイの人達であったと思っていた。
 中世までのイギリス人は,アングロ・サクソン人について,歴史上,略奪などした酷い野蛮人だという認識があって,アングロ・サクソン人の末裔などと思わないようにしていた。
 ところが,近世に入り,市民革命が起きて,議会制民主主義が,成立した。
 議会制民主主義は,国民の代表者が,議会を構成し,イギリス国王の意見を制限できる。
 イギリスの議会制民主主義は,場合によっては,悪い国王を処刑したり,追放したりした。
 その根拠を与えたのが,ゲルマン社会,アングロ・サクソン人の政治制度,法律制度であった。
 たとえば,カエサルのガリア戦記「De bello Gallio」やタキトゥスのゲルマーニア「Germania」によれば,ゲルマン社会は,民会という議会類似の民主社会があり,また,無能な王は,処刑したり追い出したりできたというのだ。
 17世紀前後から,イギリス国民は,自分たちを,アングロ・サクソン人の末裔であると考えるようになった。

8 ゲルマン人の祖先は,どこで何をしていたか。
(1) ゲルマン人の祖先は,インド・ヨーロッパ語族である。

(2) インド・ヨーロッパ語族は,たとえば,「海」という単語を知らない。
 海が,ないところに住んでいたのだ。「冬」「雪」に相当する言葉は,あった。
 そのほか,現在までに,インド・ヨーロッパ語族の初期について,いろいろな言葉の研究が進んでいる。
 しかし,インド・ヨーロッパ語族の原住場所は,未だ,これだと,針の先にように特定はできないが,寒冷地で,海がなく,ヨーロッパとアジアの境,おそらく,黒海の北周辺であったという特定は,研究で,確定されている。
 ギリシア人も,ローマ人も,ケルト人も,ゲルマン人も,全てインド・ヨーロッパ語族であるから,インド・ヨーロッパ語族は,その特定された源から,あるいは,東へ,西へ,南へ,北へと,移動したわけである。移動の間に,言葉は,変化し,別の言語になっていった。

(3) 英語の祖先でもあるゲルマン人は,インド・ヨーロッパ語族の故郷を出奔し,まず,落ち着いた先は,スカンジナビア半島からバルト海,北海沿岸であった。

9 ゲルマン人のうちの一派であるアングロ・サクソン人が,イギリスに渡った結果は,何が変わったのだろうか。
(1) イギリスは,元来,ケルト人が住んでいた。おそらく,数千年も昔から,住んでいた。石器時代である。鉄器時代の初期まで,ケルト民族の天下であった。ケルト人は,ケルト文化を開花させた。ケルト語を話した。イギリスのケルト人は,大陸のケルト人と同じく,文字を持たなかった。

(2) イギリスには,ケルト人より前に,別の原住民も,いたようであるが,追い払われ,現在,ケルト人より前の原住民で,イギリスに代々生き残っているのは,ごく少数のようだ。その人種が,誰であるかは,文献を調べたが,見つけることはできなかった。今後のDNA研究によるだろう。黒髪黒目というのであるから,ひょっとしたら,意外に,日本人のDNAと共通性があるかも知れない(おそらく共通性ないと予想する)。

(3) ケルト人は,西暦57年から410年まで,ローマ人に支配された。ローマ人は,410年,最終的に,一斉に撤退した。ローマ人は,イギリスを捨てたのである。ローマの支配の時代,イギリスに駐屯したローマ人は,ラテン語で思考し,読み書きした。ケルト人も,上流階級は,ラテン語でも思考し,ラテン語を読み書きしたらしい。しかし,現在のイギリスは,ローマ人のDNAを持つ人は,ほとんどいない。ローマ人の男は,イギリスのケルト人女性と,交わらなかったのであろうか。子供は生まれたが,殺害したのであろうか。あるいは,子供は,殺さずに,ローマへ連れて帰ってしまったのであろうか。イギリスに,何故ローマ人の末裔のDNAがないのか,原因の解明まで触れた文献は,なかった。

(4) ゲルマン人,つまり,アングロ・サクソン人は,5世紀の中頃から,はじめて,イギリスを襲った。アングロ・サクソン人は,ケルト人を支配し,王国を樹立した。円卓の騎士の話で有名なアーサー王は,アングロ・サクソン人である。物の本には,ケルト人は,辺境に追いやられたと書いてある。しかし,これは,抵抗したケルト人のことである。多くのケルト人は,それまでのイギリス各地に留まり,アングロ・サクソン人に従属した。だから,現在のイギリスにおいて,アングロ・サクソン人は,ケルト人に比べて,比率は少ない。男と女では,何故か少し比率が違うようであるが,アングロ・サクソン人は,男女併せて,全国平均20%前後であるようだ。

(5) 8世紀後半になると,現在のノルウェーから,デーン人(いわゆるバイキング)が,到来した。イギリス本土は,ほとんど二分され,デーン・ロウという境界ができて,北方は,デーン人が,跋扈跳梁した。北方の海岸の田舎町には,今でも,デーン人のDNAを持つ人が,人口の半分以上いるという町もあるようだ。しかし,デーン人は,全国平均で見ると,アングロ・サクソン人より,遙かに少ない。

(6) ノルマン人は,やはりバイキングの一族であるが,デーン人とは,DNAは,識別できるようだ。ノルマン人は,元来,現在のノルウェーあたりにいて,ノルマン語を話したが,フランス北部のノルマンディーに移住して定着し,ラテン語がケルト語という土着語と混じって変容した言葉,つまり,フランス語を話し,ノルマン語を忘れてしまった。ノルマン人は,1066年,ヘイスティングズの戦いで,イギリス上陸を果たし,アングロ・サクソン人貴族を放擲し,イギリスを支配し,貴族つまり支配階級は,ほとんど全部ノルマン人に変更した。ノルマン人は,しばらくフランス語を話したが,フランスとの百年戦争(14世紀から15世紀)などを経由し,フランスに地盤を喪失したことから,英語を話すようになった。また,下層階級のイギリス人は,英語を話す際,フランス語を取り入れて,悦に入ったというのだ。そして何よりも,上流階級のノルマン人のイギリス人は,英語を話そうにも,芸術を始め,政治・経済・法律など少し高級な思考をしようとすれば,フランス語を取り入れざるを得なかった。英語は辞めて,ラテン語やフランス語のみで思考すれば,高級な思考ができたが,ラテン語やフランス語による思考とともに,英語による思考をしようという気運が高まった。現在のイギリス王室,広大な土地と富を持つイギリス貴族は,ほとんど全て,ノルマン人であると思われる。そして,現在のイギリス人の中のノルマン人の比率は,デーン人より,少ない。

(7) 英語も,フランス語などと同じく,方言がたくさんできて,互いに理解できないほど,相違がある場合もあった。最終的には,支配階級の英語が,現在の英語となった。ロンドンの,それも,支配階級の言語が,現在の英語である。イギリスの僻地の英語は,支配階級の英語も,庶民の英語も,死んでしまったし,ロンドンの英語も,支配階級に属さない英語は,概ね死滅した。

10 英語は,アングロ・サクソンの言語とは,到底,いえないものになったか。
(1) 英語は,結論として,ゲルマン語的=アングロ・サクソン的な言葉の特徴を留めている部分もあるが,もはや,到底,ゲルマン語的=アングロ・サクソン的な言葉とは,いえない。その理由は,以下のとおりである。
(ア) 英語は,格変化の体系のほとんどを失ない,総合的言語から,分析的言語へ変化した。

(イ) 英語は,ゲルマン語的=アングロ・サクソン的な言葉の特徴といえる,男性名詞,女性名詞,中性名詞の区別(文法上の性,いわゆる文法性)を完全に喪失した。

(ウ) 英語は,語彙的に,非常に多くの外来語を取り入れ,本来語の割合は,全体の4分の1にも満たなくなった。
この部分は,唐澤・前掲P208に依拠した。

(2) 唐澤・前掲P175により,名詞の複雑な格変化の体系の一環を示す。
  王を意味する古英語cyningは,現代英語のkingに該当する。
      単数             複数
   主格 cyning(王は)      cyningas(王たちは)
   属格 cyninges(王の)     cyninga (王たちの)
   与格 cyninge(王に)     cyningum(王たちに)
   対格 cyning(王を)     cyningas (王たちを)

 英語は,なぜか,語尾の音価は,[s][z]に収斂した。
 彼らの[s][z]の発音は,彼らの風土に合っていたのであろう。彼らの[s][z]の発音は,日本語の[s][z]と違う。
 単数の属格のesは,sとなり,所有格を表すようになり,複数の主格及び対格のasは,sとなり,複数を表すに至ったようだ。
 それ以外の格変化は,消失した。
 インド・ヨーロッパ祖語は,主格,属格,与格,対格,奪格,具格,位格及び呼格の8種類の格変化があり,日本語のように,「てにをは」「の」「も」「より」「から」などの言葉を添えなくても,単語のみで,「てにをは」「の」「も」「より」「から」などの役割,つまり,主語,所有格,間接目的,直接目的,分離,起源,比較,手段,方法,位置,呼びかけなどを表現したが,古英語では,8種類が,4種類に激減し,現代では,痕跡を留めるにすぎなくなった。

11 イギリスから渡った白人のアメリカ人たちは,自分たちは,誰と考えてきたか。
 アメリカ人の白人支配層は,現在においても,自分たちのことを,WASP=White Anglo-Saxon Protestantと考えているようだ。
 しかし,イギリスから渡った初期のアメリカ人は,もとより,多くは,ケルト人であったに違いない。
 1776年のアメリカ独立のときも,同じケルト人の末裔であろう。
 しかし,彼らアメリカ人は,かつて5世紀中ごろから,ゲルマン人=アングロ・サクソン人が,苦難を顧みず,現在のドイツなどからイギリスに渡ったことと,17世紀初頭,自分たちの祖先が,苦難を乗り越え,イギリスからアメリカに渡ったことを同視した。
 独立当時のアメリカ人は,議会制民主主義の理念の源を, ゲルマン人=アングロ・サクソン人に見た。
 独立宣言の立役者の一人で,第2代大統領のジェファーソン(ケルト人の可能性は大であろう)は,政治家であるとともに,初期の英語である「古英語」の研究者の顔をも持っていたことから,アングロ・サクソン人を祖先と考えた。
 爾来,白人アメリカ人の多くは,自分たちが,ゲルマン人=アングロ・サクソン人だと思っている。
 日本人も,アメリカ人やイギリス人は,アングロ・サクソン人だと思っている人が,多いといわれる。
 しかし,それが正確ではないことは,これまで述べた説明から,明らかであろう。
 上記部分は,私の所感というべきものであるが,唐澤も,同様な感想を持っているし,多くの識者も,いろいろな書籍等で,同じことを指摘している。

12 イギリス人は,いかに,有史以来のイギリスの文化を捨てたか。また,アングロ・サクソン人の文化以外に,残っている文化は,あるか。また,新たに取り入れた文化は,あるか。それらの文化は,英語で,どのように表現されるのか,
 私は,イギリス人というものを,ここでは,先史以来これまでイギリスに居住してきた人々と,新たに定義したい。
 イギリスには,そのむかし,出生不詳の人種がいて,独自の文化を形成したが,ケルト人の飛来により,人口は減少し,ケルト文化に吸収され,独自の文化を失っていった。ケルト人は,イベリア半島から飛来したイベリア・ケルト人で,イベリア・ケルト文化を持ち込んだが,大陸のガリア・ケルト人との交流により,ガリア文化に魅力を覚え,ガリア・ケルト文化に同化し,イベリア・ケルト文化を忘れてしまった。
 イギリス人は,ローマ人が支配したときは,ガリア・ケルト文化であった。イギリス人は,ローマ化し,ラテン語文化を取り入れたが,下層階級は,ガリア・ケルト文化を継続できた。ローマの支配の仕方は,支配地の文化を完全には否定しない方法を採用することが多かったのである。これは,あるいは,ローマが,カルタゴを完膚無きまでに殲滅した際において,自国ローマの支払った代償が大きかったことの反省にもよるのであろう。相手を殲滅するよりも,自分の支配下に置いて,利用する方が,ローマにとって都合がよい。イギリスのケルト族の支配層にとっても,その方が,都合が良かったのであろう。被支配層にとって,国際政治経済学でいう,いわゆる「ヘロド主義」である。
 ローマは,衰退して撤退し,ゲルマン人が襲来し,まもなく定着した。イギリスにゲルマン文化が,約500年,花開いた。イギリス人のほとんどは,依然ケルト人であったが,ケルト文化を捨て,ゲルマン文化になった。
 ケルト人は,やがて,バイキングが来襲して,定住したことから,バイキングの文化も取り入れた。
 ノルマン人の征服により,フランス文化が,ケルト人を,支配した。
 英語文化や英語は,約300年ほど,地べたを這っていた。
 英語は,ケルト人の庶民の中で,しぶとく生き残っていたと表現した方がよいかも知れない。
 イギリス人の支配層は,フランスとの戦争による失地などから,フランス文化とイギリス文化の融合した状態について,英語による思考を選択した。
 土着の英語に,フランス語,ラテン語等で思考する文化を大いに取り入れたのである。
 まもなく,イギリスは,世界に先駆け,産業革命を行った結果,世界中を駆け巡ることができた。
 その結果,日本を始め,いろいろな文化を取り入れた。
 文化を取り入れるのは,言語による。
 英語は,日本語も,採用している。
 およそ,文化と言葉の関係は,言葉が先ではない。
 文化が先である。否,文化と同時である。
 また,文化に優劣はなく,言葉に優劣はない。
 われわれは,英語文化を理解するときには,ゲルマン民族がまだ大陸に存在したときのことから理解すると同時に,ケルト人が,ゲルマン文化を採用し,その後,フランス文化・ローマ文化・ドイツ文化を採用し,さらに,世界の文化を吸収し,イギリス人たちが,英語という言語を使用しながら,これらの文化のるつぼの中で,懸命に生き抜いてきた,いや,悪戦苦闘してきた,努力してきた,勉強してきた,ときに大いに,世界に悪さしてきたことを,理解しなければならない。
 たとえ,間違っても,ゲルマン文化のほんの一部しか残っていない英語の本来語(古英語の末裔)のみが,英語の文化として,一番すばらしいものである等と思うのは,浅はかであろう。 

13 言葉がなければ,思考は,できない。
 動物は,言葉を持たない(※2)。人間のみが言葉を持つ。言葉がなければ,そもそも,思考ができない。言葉があってこそ,考えというものがある。言葉があってこそ,記憶がある。これは,言葉と思考と人間の関係を考える大前提である。

 以下,上記の叙述を補足する。1から3は,ゲルマン語学への招待」(河崎靖著)という本に依拠し,4以下は,前掲唐澤に依拠した。

1 ゲルマン語の話者の歴史は,相互に影響を与えたラテン語(ローマ)及びケルト語の話者とのヨーロッパ史の中で,論ぜられるべきものである。
 ゲルマン語は,ギリシア語及びラテン語という同じインド・ヨーロッパ語属との比較が,重要である。
 ゲルマン語とは,英語,ドイツ語,オランダ語,スウェーデン語,デンマーク語,ノルウェー語,アイスランド語,アフリカーンス語などが現存するが,死語のゴート語も重要である。

2 ヨーロッパの言語状況は,ゲルマンvsローマvsケルトという図式で考える。

3 ゲルマンとローマの境界線の成立
 カール大帝は,西暦800年,フランク王国を樹立した。
 ゲルマン社会は,一人の王の跡継ぎが,王国全体を支配するという法律慣行ではなく,逆に,均分相続を旨とした。
 したがって,フランク王国は,カール大帝死後,均分相続により,三分され,フランス,ドイツ,イタリアの三国が成立する契機となった。

4 the Britonsは,ブリトン人という意味である。ラテン語のBritanniaブリタンニアは,the Britonsの土地という意味である。初期のブリテン島には,the Picts, the Gales等他の民族が住んでいたが,中南部には,ブリトン人が居住していたことから,ローマ時代の文筆家は,こう命名した。

5 Britonの語源は,完全には解明されていないが,彼らの文化ないし習慣と関係があるとされる。彼らは,体に絵を描くか,入れ墨を彫っていた。the Pictsといわれるスコットランドのピクト人も,体に彩色していた。ラテン語のpictusは,pingere(描く,塗る)の過去分詞で,「描かれた,塗られた」に相当する。ラテン語のpictusは,現在の英語において,picture,paintという基本的な言葉として残っている。なお,スコットランド在住のthe Scotsは,9世紀ころ,ブリテン島に渡り,the Pictsを征服して移住したから,この地は,まもなく,スコットランドと呼ばれるようになり,現在に至る。ピクトランドとは,呼ばれないのである。

6 なぜ,「great」を付けて,great Britainというか?
 端的にいえば,ここに「great」とは,現在のフランスのブルターニュ地方(BretagneあるいはBritany)と比較し,2つの土地のうちで,相対的に大きいという意味しかない。
 「偉大な」という意味はないし,絶対的に大きいという意味もない。
 しかし,現代の日本人は,great Britainの「great」は,「偉大な」という客観的な意味であると誤解したり,絶対的に大きいという意味であると曲解したりしている人も,少なからず,いるようだ。
 古代ローマ人から見れば,ブリトン人は,イギリスだけでなく,イギリス南部を対岸とする,フランス北部にも存在していて,そこを,イギリスと同じく,Britanniaと名付けた。
 イベリア・ケルト人は,イベリア半島からイギリスに渡来し,現地人を辺境に追いやっただけではなく,フランス北部に進出し,現地のガリア・ケルト人を追い出したのである。
 ローマ人は,それがわかった。
 しかし,同じ名前は,付けたものの,不便である。それで区別した。
 12世紀から14世紀の書物からであるが,ブリテン島は,Britannia major, the more Brutaine, Bretaygne the grete(Britain the greatの意味)などと記載し,フランスの方は,Britannia minor,the lasse Brutaine, Lesser Britain, Little Britain等と記載して区別した。
 ブリテン島全体を,Great Britain の名称で,正式に名乗るようになったのは,イギリスの国王が,スコットランドの国王から,ブリテン島全土の国王に昇格した1604年のジェームズ1世からである。
 イギリスの正式名称は,現在,the United Kingdom of Great Britain and Northern Ilelandであるが,ここにGreatは,もちろん,フランスの一地方との比較によるにすぎない。
この項は,唐澤前掲P26に依拠するところが大きい。

7 英語のangleは,現在英語に残っている2つの意味,つまり,(1)「角度や角(かど)」といったラテン語経由の言葉と,(2)「魚を釣る釣り針」というゲルマン人固有の古英語由来の言葉があるが,2つの言葉は,別系統である。一休の頓智いわく,「橋」と「端」のようなものかといえば,そこまでひどくはなく,釣り針は角があるから,私は,インドヨーロッパ祖語の時点では,どこか関係した言葉であろうと推測する。このangleに関係した言葉として,Angleがある。the Anglesとは,アングロ人のことである。the Anglesアングル族は,もともと,ユトランド半島のAngelnという半島が,原住の地であるとされる。アンゲルン島は,海岸線が,釣り針状であるから,Angelnと呼ばれる。
この項は,唐澤・前掲本に依拠する。

8 Angla-とAnglo-も,形態は,同じく,形容詞的用法である。Angla-とAnglo-の意味の相違は,なへんにあるか。Angla-は,「アングル人の」という意味である。Anglo-は,「アングル人が渡った場所,つまり,ブリテン島の」という意味である。 ここは,唐澤・前掲本に負う。

9 the Saxons,サクソン人とは,誰か。なぜ,サクソン人と呼ぶか。現代英語saxは,「粘板岩加工用のなた」である。現代英語saxは,古英語では,seaxであり,seaxは,古英語で,「短剣」を意味した。the Saxonsは,短剣seaxを武器にしていた。そこで,the Saxonsと呼ばれるに至った。サクソン人は,元来は,低地ドイツであるドイツ北部海岸に居住していたゲルマン人である。そして,ブリテン島の南部と南東部に飛来した。現在ドイツでは,サクソンの名前は,Niedersachsen(=lower Saxony)という地名で残る。Saxonに-iaを付加すると,Saxoniaになるが,これは,サクソン人の土地という意味である。ラテン語では,この-ia,-aは,女性名詞を示す語尾であるし,土地は,女性名詞である。転用して,女神,ひいては,女性の名前を現す。現代において,英語は,ジュリアなど,女性の語尾は,-aが付くものが多いと思うが,私は,ラテン語の用法の影響であると思っている。ラテン語のBritanniaブリタンニアは,前記のように,ブリトン人の土地であるという意味であるが,同時に,女神の呼称である。これは,-aが付くことから,転用できるのである。男神というわけにはいかない。「Rule Britannia」は,1740年以来現在までイギリスの愛国歌の位置を占めるが,イギリスが,女神Britanniaで象徴されているというのだ。「Shincha never shall be slaves」である。Saxoniaも,女神に転用されたかは,私が調べた限りは,判明しなかった。

10 ブリテン島南の西部の端は,Cornwallコーンウォールという地名である。ここは,半島である。Cornとは,何か。horn=「動物の角(つの)」である。グリムの法則中,g→c(k)→hを思い出せばよい。ラテン語の「角」は,cornuである。第4名詞の代表である。単数cornu,cornus,cornu,cornu,cornu 複数cornua,cornuum,cornibus,cornua,cornibusである。ラテン語cornuの語基は,単数属格cornusから,usを除外したcornである。コーンウォールの命名は,角のように突き出た半島であることに由来する。cornに,ラテン語が,残っている。なお,英語hornは,おそらく,ラテン語cornuの語基cornを採用したのであろう。そして,英語的に,hornとなったのであろう。unicornは,cornが残っている。英語は,ラテン語の単語を採用する際は,大抵,単数対格を援用すると,どこかの本で読んだ記憶がある。そうなると,cornuを採用し,uが抜けたものとなる。物の本によると,ラテン語を英語化するには,厳格な法則があるが,われわれは,そこまで手を出す必要は全くない。また,ラテン語から直接英語に来たか,フランス語などを経由したかなどということは,どうでも良いとはいわないが,全然,気にする必要はない。もちろん,偶々記憶に残っていれば,それは,それで,なお良い。我々は,言語学等に素人であるから,語源探求に,厳密を究める必要は,毛頭ない。否,むしろ,目的は,政治その他の広義の文化理解であって,その理解に必要な限度で,語源探求を補助手段として扱うにすぎないのであるから,目的と手段を取り違えてはならないのである。以上は,唐澤・前掲,松平及び國原・新ラテン文法を参照し,私の考えをまとめた。

11 ブリテン島の西の辺境が,現在のウェールズ,Wales<Wealesである。古英語に,Wealh(複数は,Wealas) =外国人がある。ゲルマン人から見た,辺境のケルト人の呼び名である。ゲルマン人は,大陸にいて,ローマ,ケルトという国と境を接していたから,狭いブリテン島であっても,外国という認識なのである。日本なら,蝦夷なども,外国とまで認識しなかった。同じ日本だけれども,野蛮人の蝦夷が居住しているという認識である。Cornwallコーンウォールのwallも,また,同語源に由来し,「外国人」という意味である。元々,カエサルが著作した「ガリア戦記」のGalliaは,「外国人」である。Gall,さらに,Gaulは,Walesと同語源である。gとwの関連性は,ときに,現代の英語に顕著である。garanteeとwaranteeなど,いくつかの有名な例がある。シェイクスピアには,ウェールズを,Galliaと述べた例があるそうだ。どの小説かは,わからないけれど。以上は,唐澤・前掲を参考にし,自分の考えをまとめた。

12 イベリコ豚は,イベリア半島,つまり,スペインで生育された豚である。ウキペディアでイベリコ豚を見ると,イベリア豚のことであると書いてある。私は,イベリコ豚は,日本語で,イベリア豚といっても,全く正しいと思っている。しかし,人によっては,イベリコ豚を,イベリア豚というと,間違っていると思う人もいるようだ。aiueoの母音の変更があっても,同じ意味をなすというのは,インドヨーロッパ語族の一つの特徴であるらしい。そこは,勉強する必要がある。もっとも,X-o-Yのように,XとYの一定の関係性を示す母音の使用法もある。この場合は,X-a-Yとは,いわない。これは,些細な一例である。

13 私は,これまで述べた文章,そして,最後に,些細な例で終結し,結局,何が言いたいか。インドヨーロッパ語族,ゲルマン語族,ラテン語族,ケルト族などの広義の文化を記す書籍を読みつつ,言語についても,付随的に,理解する。これらの内容について,日本語で書かれた本は,たくさん,ある。日本語で,当然,よいから,自分に適合したものから,順に,読んでいけばよい。岩波文庫など外国物を翻訳したものは,当然,読むべきものが,たくさんある。翻訳物を忌み嫌うなど,もってのほかである。ただし,娯楽の翻訳物は,読むべきか否か,ここでは,評価の対象外である。英語その他で書かれた言語で理解できれば,それは,それで良い。あちらの学問を練り直して,日本語で示してくれる専門書は,読むに値するものが,最近は,多彩だ。今は,学問の業績が,すぐに更新される。ぐずぐずして読まないうちに,数年で改訂版が出るほどだ。我々は,現代の世界を知ることが大切だ。否,現代を知ろうとすると,付随的に,過去を知らなければならないことを悟る。そして,未来を知らんと欲する。

14 インドヨーロッパ語族の人々,その派生たるゲルマン民族,ラテン語民族の人々,さらに,アジア,イスラム及びアフリカなど世界の人々,これらの人々の広義の文化,つまり,政治,行政,法律,経済,社会,自然科学,技術,芸術,軍事,民衆生活,狭義の文化などを総合して学びながら,日本と彼此勘案する。その手段として,言語を学ぶ。私にとって,言語を学ぶのは,広義の文化を理解し,過去,現在及び未来を思考する目的のためであって,一見,言語そのものを学んでいるように見えても,言語を学ぶこと自体は,目的ではない。これをもって,孔子の論語に曰く,また楽しからず也,と想うのである。

(※1) 読者の方は,あるいは,今述べた見解に,反対の見解があると思うかも知れない。反対の意見は,あるだろうか?ないだろうか?
 反対の見解は,あった。
 たとえば,以下の見解は,私が今述べた見解と逆であるとしか読めない。
 少なくとも,逆であるかのように読める。

 【本のこと何でも】2008年7月14日,Ryotasanの「少し分かってきました」の項から抜粋

 (主観の新茶)
 たとえば、経済学economicsなら、古代ギリシャ語のoikosとnomosの複合語であることは、たいていの教科書に書いてあるでしょうし、financeの本であるならば、riskという言葉の起源が、ラテン語経由の言葉であり、riskare riskoなどから由来した言葉で、地中海の島々の間の岩の間を通り抜けることを意味することも、近頃の教科書は、冒頭に記載するようになっています。最近の専門書、概説書、基本書、教科書のたぐいは、ますます、英語との関連、語源を重視するに至っていると認識しています。

 (Ryotasan)
 ここで新茶さんが出してらっしゃる例は、どれもギリシャ語やラテン語の単語についてですね。英語から見て借用語にあたる用語の知識が増えることで、欧州大陸の学者や思想家と話が通じやすくなる効果は期待できます。英語の基本的な部分は別ですが。

 [私のコメント]
 私は,Ryotasanの見解のどこに問題があり,どこに思考が足りないと思っているか。第1に,Ryotasanは,借用語は,英語ではないと思っている点である。なぜなら,物の言い方として,「英語の中の借用語」なら,正しいので,話は分かるが,Ryotasanは,「英語から見て借用語」であるから,英語の外に,借用語があるという表現として読み取るべきであるからである。しかし,借用語も,英語である。そして,借用語と本来語の言語としての価値に,優劣はない。本来語の方が,借用語よりも,英語らしい英語であるなどと,もっともらしいことを,わざわざ言う必要も,全くない。第2に,借用語は,英語話者(ここでは,イギリス人)の思考の重要部分を形成するから,われわれが借用語を修得することは,まずもって,イギリスの国民と話が通ずる効果を有するのである。もちろん,イギリスと欧州の文化は共通であるから,われわれが借用語を修得することは,欧州大陸の学者や思想家と,話が通じやすくなる効果をも,同時に期待できることは,いうまでもない。私の述べていることは,Ryotasanとは,根本的に違うことが,おわかりであろう。第3に,Ryotasanのいう「英語の基本的な部分は別ですが」という意味は,おそらく,英語の基本的な部分は,借用語ではないと主張することであろう。しかし,まず,「英語の基本的な部分」と,借用語を対置させる発想そのものが,誤りである。「英語の基本的な部分」というものの定義をどうするかに問題はあるが(英語の基本的部分という表現自体が,あいまいであり,妥当性を欠くが,その点は,さておこう),借用語が,いつイギリスに入ってきて,どのような分野に用いられるかなどということへの理解は,「英語の基本的な部分」に該当する。借用語は,英語で高級な思考をする場合に不可欠であるから,英語で思考するという意味では,借用語の使用は,「英語の基本的な部分」に該当するというべきである。

(※2) 動物にも言葉があるとすぐ反論する人がいる。しかし,動物に言葉があるように見えても,それは,人間と質的に異なる。思考や文化という観点から,人間の言語を考えるにおいて,わざわざ,動物にも言葉があるなどという必要は,全くない。われわれが,言葉によってのみ,見る聞く嗅ぐ味わう触るという五感の作用を認識するのである。この観点から見て,動物の言葉たるや,あると仮定しても,言葉の範疇にいれる必要がない。動物に記憶はあるが,その記憶は,言葉に基づいていない記憶である。動物の記憶は,言葉を扱った後の人間の記憶とは,遙かに異なる。漠たるものにすぎない。私は,いくつかの専門的書物をひもといて,上記の結論に達している。私の立論に反論するならば,そのような書物を自分で探して,私ではなく,その著者に,反論するが良かろうと思っている。私は,思考や文化という問題において,動物に言葉があると主張する人とは,相手になりたくない。

                                    以     上

   ※ 気が付いた間違いなどは,訂正した。古英語のソーンは,文字化けするので,theと改めた。唐澤・前掲27頁参照。補足6 greatの項について。   


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