ヒソヒソ(ないしょ話)

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337. ヒソヒソ(ないしょ話)

お名前: 杏樹
投稿日: 2004/2/2(23:37)

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道化師さん、こんにちは。

〉ハハハ、確かに。事実、HNを何にしようかなぁ?って考えた時に、
〉英語→シェイクスピア→道化師な発想は、あったんですがね。
〉それに、オフ会で話したと思うけれど、日本語でならちょこっと読んでるんですね。
〉三大悲劇、三大喜劇とあとはラム兄弟の「シェイクスピア物語」(読んだ事にならない?)
〉それに、シェイクスピア・シアターの連続上演とかにも行ったし。
〉それだけ「努力」してシャエイクスピアを好きになろうとして、挫折した訳です。

わかりました、原因が。大きな声では言えませんが、シェクスピア・シアターはあんまりおもしろくないです。グローブ座(つまり東京)でやってたので、私は生では1回しか見てませんが、テレビで2〜3回見たことがあります。そのうち2作は喜劇でしたが、おもしろくありませんでした。同じ作品をグローブ座カンパニーがやった時は笑いころげたんですよ。
グローブ座カンパニーは今は活動してないので見てもらえないのが残念です。(ビデオは少しありますが…)。
また蜷川幸雄だったらおもしろいです。
もし「NINAGAWAマクベス」でも再演することがあったらぜひ見て欲しいです。これは本当にすごい舞台です。

ちなみに「四大悲劇」です。
「ハムレット」
「マクベス」
「オセロー」
「リア王」

〉歌舞伎だって、能だって、狂言だって、文楽だって、その文化的歴史的な価値は認めるけれど、
〉(みちるさんが言うような、時代を超えた普遍性とか、逆に時代の枠組みとかから、
〉見てる人の思索のキッカケにはなると言う意味)
〉現代の人が見て、涙を流すような直接的に訴えてくる感動を呼び起こせるのかなぁ?
〉って疑問を感じてるんだけれど、
〉シェイクスピアにも多分にそんな匂いがするんですよね。
〉みちるさんの言う普遍性を味わうのなら、現代の作品でも同じ普遍性が書かれているものがある筈で、
〉ならばより共通項のある同時代の作品を読みたいなって思うんですね。
〉個人の好みと言ってしまえばそれまでなんだけれど、
〉歴史的権威に頼って、面白いと思い込んで、読みたくはないなぁって私自身は思ってるんです。
〉どうかなぁ?ホントに「古典だから」「名作だから」と言うようなゲタを履かせずに読んでも、
〉面白いですか?j

ここまで言うなら沈んでなんかいられません。(マジ、忙しいんですー)
例えば上にあげた「NINAGAWAマクベス」を見た時、「本当の悲劇とはこういうものだ」と思いました。魔女の甘言に乗って王位への野心を持ってしまい、結局自滅していく。不幸が空から降ってくるのではなく、自分のしたことによって滅んでいく…これこそが本当の悲劇だと。

「リア王」は演劇集団「円」で最初に見ました。
セットも何もないシンプルな舞台で衣装もごくシンプルなものでした。しかしそれだけに人間が織り成していく運命がくっきりと浮かび上がりました。これも娘たちのおべんちゃらにまんまとだまされた情けないお父さんの「悲劇」です。
こういうことって今の時代にもありそうなことですよ。財産を分けてもらうまではうまいことを言って、財産分けが終わったらそれでオシマイ。悠悠自適の生活を夢見ていたリアが娘たちに「財産をもらったからもう用はない」とばかりに締め出されて荒野をさまよってヤケになって「雨よ降れ!風よ吹け!」なんてわめいてる姿を見て、つくづく「あほなおっちゃんやなー」と思いました。

「オセロー」を見た時は、オセローは妻のデズデモーナを信じることができなかったのではなくて、自分自身を信じることができなかったんだろうなあ、と思いました。肌の黒いムーア人として差別されている自分が、本当に美しいデズデモーナに愛されるなんてことがあるのか、それを疑い始めたら止まらなくなったわけです。他人を信じられないのは、結局自分自身を信じられないことの裏返しなんですね。

喜劇では俳優座の「お気に召すまま」は本当におもしろくて大笑いしました。
「女たちの十二夜」を見た時は、笑いころげて、笑いころげて、窒息死するかと思うほど笑いころげました。

シェイクスピアは書かれた当時の風俗を再現しなくても上演できる不思議なお芝居です。イプセンとかチェーホフなどは、当時の社会を反映しているので、あまり時代や国を超えることができません。しかしシェイクスピアはどんな衣装でもどんなセットでも演出家の力量次第でなんでもアレンジして上演できるんです。それは人間の普遍的な気持ちが書かれているから、時代や国の制約を受けないんです。
「NINAGAWAマクベス」は安土桃山風俗で上演したことで有名ですが、固有名詞は変えていません。また蜷川幸雄は「テンペスト」では佐渡の能舞台をイメージしたセットをしつらえ、プロスペローとミランダの衣装は洋風でした。

ついでに、歌舞伎、能、狂言、文楽も化石のように保存されて上演されているのではなくて、今の観客を楽しませるために上演されてるんですよ。

それではこれで沈みます。
ぶくぶくぶく…。


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