書を読むを好めども甚解を求めず

[掲示板: 〈過去ログ〉本のこと何でも -- 最新メッセージID: 3237 // 時刻: 2024/5/15(02:28)]

管理用 HELP LOGIN    :    :


上へ上へ | 前のメッセージへ前のメッセージへ | 次のメッセージへ次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む返答を書き込む | 訂正する訂正する | 削除する削除する

2666. 書を読むを好めども甚解を求めず

お名前: 極楽トンボ
投稿日: 2008/6/27(19:28)

------------------------------

主観の新茶さん、fionaさん、こんにちわ!
極楽トンボです。

英語の本を読むときにのみ、ハッピーかどうか自分に問わずにいられないのは、やはり、自分はまだめざす境地に到達していないという意識があるからです。

いま、cobble streetを8冊中7冊読んだところです。第2巻だけ注文しそびれて読んでいません。昔読んだ妹の少女マンガのような独特の世界を堪能しました。きっと、cousinsと同年代の小学生の女の子なら、こういう生活を送ってみたいと憧れるのかもしれないし、大人の女の人なら、自分の幼年時代を思い出して、ああそうだったなあなどと楽しむのかもしれないなと思いました。

cousinsは、マイケルとルーシーおばさんの仲をくっつけようとしますが、そういうところに、彼女らの恋愛への憧れや、公演旅行で家を空けがちな父母とは違って、いつも家にいてくれそうな父母への憧れがよく出ていたような気がします。

私は男なので、マイケルはアルバイトもせず植物学の勉強ができて、小学生の女の子たちの精一杯の応援を背に花屋を営む美女のハートを射止めることができてじつにめでたいと思いました。

登場する人物がいちいち世間離れしているかもしれないけど、その分とても上品なんですね。cousinsの設定も、実は彼女たちは後に芸術家として有名になるというようなオチは一切ないし、実は前の学校で疎外されていたというような恨み節もない点でとても気に入りました。

でも、きっとマイケルが植物学で食っていくためには、いつまでもcobble streetにはいられないだろうし、そうしたらルーシーおばさんはどうするのだろうか?毎年夏休みにcousinsはルーシーおばさんの家で過ごせるだろうか?やはり、cousinsにとって、この一年の体験は、その後の人生で二度と繰り返すことのできない貴重な体験だったのだろうなあと思わずにはおれませんっ!

というわけでとても楽しく読みました。まあ、小学生の女の子の眼に映る世界は中年オヤジの世界とはまったく異なるので、彼女らの注目する事物にはわたしの知らないものがけっこうあるらしく、わからない単語が結構出てきます。言い回しもよくわからないものがあります。こういうのは雰囲気で読み飛ばしていますが、cousinsのセリフや態度など、難しくてついつい考え込んでしまいます。お父さんお母さんに会えるのはうれしいけど、cobble streetと別れるのは悲しいって、おいおい、泣くほどのことかい?その結果、ルーシーおばさんもさびしがってるのに気が付いて、cousinsは救われたような気分になります。こういう心理描写をたどるのは、感情移入するのは難しいけど、けっこう楽しいわけですね。

多読を始めたのは、自分の読みたい本が読みたいからです。まだ、そこまで読書力が到達していない以上、読書力を継続的に養成する必要があります。cobble streetは、べつに自分がどうしても読みたい本では全然ないけれども、いまは、今の自分に簡単に読める本の範囲で楽しめばいいや、そうやってできるところまで行ってみようと考えている次第です。いったいいつまでこういう落ち着いた境地が続くか楽しみであります。

わたしは一体、楽しんで読んでいるのでしょうか?

読書力養成の手段として読んでいるに過ぎない点で、わたしは楽しんで読んでいるとは言えないのかもしれません。しかし、電車に乗っても日刊ゲンダイの誘惑に負けることはほとんどありません。ということは、すくなくとも日刊ゲンダイよりは楽しく読んでいるということになるのではないかと思います。ごめん、日刊ゲンダイ。


▲返答元

▼返答


Maintenance: SSS 事務局
KINOBOARDS/1.0 R7.3: Copyright © 1995-2000 NAKAMURA, Hiroshi.