Re: GRは,消費としての読書か,投資としての読書か,等

[掲示板: 〈過去ログ〉本のこと何でも -- 最新メッセージID: 3237 // 時刻: 2024/5/15(02:14)]

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2663. Re: GRは,消費としての読書か,投資としての読書か,等

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/6/24(20:00)

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  極楽トンボさん、主観の新茶です。

  紆余曲折があったのですね。
  これからですよ。

  私は、和書も、そのとき、興味が湧いたから読み、結果的に、相応の多読生活になっているのであって、興味が湧いたというのと、楽しいというのとは、違うような気がします。
  英語の本も、興味があるから、読んでいると思われます。

  興味があることは、happyの仲間といえるでしょう。
  しかし、本を読むと、楽しくて楽しくて仕方がない、というようなことは、ありません。

  だから、英語の本のみ、なぜに、そんなに、happyが声高に必要なのか、本当のところは、腑に落ちません。 
 

  映画やテレビは、趣向を凝らしているから、たまたま見ていると、ドキドキすることがありますが、そのような気持ちになりたくて、わざわざ、映画やテレビの番組を選択することも、まず、ありません。

  ジェットコースターのように、心臓がドキドキする物理的作用が、興奮など心理的作用に影響を与える娯楽に、敢えて行くこともありません。

  普通に運動すれば、足りると思っています。
  運動不足ですが。

  私は、多くの人と同じく、現実の問題に関わる仕事をしていますから、その現実を直視し、現実に適合する事実を認識し、認識に適った判断をするということになりますし、ストレスも多いのですが、仕事以外で、ことさらにhappyを求めてやまないとやっていけない、という気持ちにはなりません。

  読書において、現実を直視する内容を読むに、何ら厭うことはありません。

                                               それでは、また


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