混乱させて御免なさい、或いは英文和訳と漢文訓読

[掲示板: 〈過去ログ〉本のこと何でも -- 最新メッセージID: 3237 // 時刻: 2024/4/29(15:37)]

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2629. 混乱させて御免なさい、或いは英文和訳と漢文訓読

お名前: 極楽トンボ
投稿日: 2008/5/31(12:07)

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〉   極楽トンボさんが、星の王子さまのきつねの話について、また、中国文学の話などについて、再度お話ししているのを確かにお見かけしたと、記憶しているので、それに反応しようとしたのですが、私のアクセス能力がないのか、記憶が間違っていたか、はたまた、夢まぼろしであったか、判然としません。その話にレスしようとしたのですが、それができないので、代わりになりますし、再度になりますが、お返事しました。

主観の新茶さん、混乱させてすいません。

わたし、確かに星の王子さまと中国古典の話を掲示板に書き込んだのですけど、時間を置いてまた読み直したら、急に恥ずかしくなったので、削除してしまったのです。主観の新茶さんがお読みになったのは、オリジナル版だったと思われます。     

ぐふふ、星の王子さまの話はやっぱり英訳書を読んでからやりましょう。気をもたせてすいません。

>>昔のことですから仕方がないのですが、大学受験のとき、英語は英文解釈の勉強ばっかりしていました。もちろんたいしてできたわけではありません。

〉   英文解釈ばかり勉強していた、やや誇張かもしれませんが、私の場合も、英文解釈ばかりしていたと思います。
〉   もう少し述べると、いかに日本語らしくなるか、意訳の練習をしていたと思います。その意味では、英単語を日本語の訳として、1対1で対応して覚えるという発想はなく、たくさんある訳のうち、どれが適切か考えたし、英単語と日本語の意味を、便宜的に、1対1で覚えるにしても、代表的な意味程度に考えていたと思いますし、皆が、そう考えていると思っていました。

そうでしたね。どうしたら試験官に気に入ってもらえるような日本語訳文が作れるか、そればっかり気にしていました。英文の単語はとりあえず全部日本語に移して、なおかつ日本語の文章として不自然なところがないように整える。評価のポイントはどこにあるのか、模試の解説を穴が空くほど読み込みました。まあ、でも、そんな優雅なことやってたら、実用的ではないのは確かだと思います。

よく巷で言われるように、漢文の訓読や英文の和訳が近代日本語の議論文のスタイルを作ったとされます。おかげさまでわれわれは、西洋哲学を日本語で語る離れ業ができるわけです。知的植民地にならずにすんでよかった!?ということは、逆に言えば、あれは外国語に根こそぎやられないようにという日本語の免疫反応みたいなもんで、根本的には、いかに外国語から日本語を守るかという防衛的なものだと思います。その限りで、外国語の修得の本筋ではないと思います。言ってみれば、外国語の習得というのは、心の中に外国語の植民地を作ってもらうことではないでしょうか。

〉   漢文は、文章の能力を増強するから、自分に合った物を、白文で読みます。
〉   読み下しで読んで、ダメとはいわないが、英語と同じような構造を持つから、白文で読もうと思えば読めるし、白文で読んだ方が、文章能力の増強に役立つし、読んでいて、おもしろいですね。
〉   中国古典の主題は、儒教か、老荘であり、主張も、定型化しているから、その思想と、一文字一文字の漢字の意味と、語順等の規則がわかれば、熟語も類推でき、話の内容がわかりますが、内容が飽きてくると、頭に受け付けなくなりますね。めっぽう難解な熟語が続くと、スピードはのろのろ運転となり、その陳腐な内容と相まって、嫌になりますね。

わたしが大学で漢文を習ったときは、訓読派の先生と原音直読派の先生が学界を二分していがみあっていました。わたしはいろいろな先生の授業に出て気づいたのですが、訓読派の先生も直読派の先生も、どちらも自分で読むときは上から下へまっすぐ読んでいるのです。訓読派の先生だからといって、訓読のように返り読みしたりしないし、直読派の先生だからといって、必ず現代日本語訳するわけではありません。学生に漢文を教える時に訓読文を用いるかどうかの違いに過ぎないと思いました。結局、訓読以外に、古典漢文を日本語に翻訳する技術が確立していないところに問題があるのだと思います。よくSSSの皆さんは、従来の英文和訳を漢文の訓読になぞらえて批判しますが、あれは翻訳のための技術なので、自分で読むときにいちいち訓読などしていたら、漢文など読めません。それは多読と同じです。偉そうなこと言ってますが、わたしも大して読めません。

〉   なお、難しい漢語の使用には賛否がありますが、この点につき、「訓読みの話」光文社新書2008年5月20日発行は、読まれましたか。ここに、難しい漢語表現に、日本人は、どう対処すべきかのヒントがあるように思われます。やさしいと感じる漢字でも、漢字を和語の表記に使用するということは、どういうことを意味するかが記載されています。私は、それが、解決のヒントだと思います。

新潮社の新しい漢字辞典を作った編集者の方ですね。ちょっと興味を持っていますが、まだ辞書の方も新書の方も手に入れていません。わたしは、漢字の訓読みが大好きなので、日本語の中で漢字がどういう使われ方をするのか解説するような辞典は大歓迎なのです。しかし、昔から、日本語のなかで使われる漢字や漢語の辞典を作るべきだという議論があって、実際にそういう辞典が作られるのですが、たいして便利なものではありませんでした。国語学者が片手間に作るのは無理だろうと思っていました。一方、専門家の白川静さんの『字訓』も、たくさんの和訓が集められていますが、平安時代以前に集中していて、江戸時代や明治以降の例がないので、不満に思っていました。


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