中国語で1000万字通過しました!

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3156. 中国語で1000万字通過しました!

お名前: 杏樹
投稿日: 2016/7/18(01:08)

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みなさま、こんにちは。
中国語で1000万字通過しました。
読んでたらいつかはたどり着くんですねー。

一応今年の目標としていたので、余裕を持って果たすことができました。
900万字が去年の6月なので、1年ちょっとで100万字読めたのは優秀だったかなと思います。その代りフランス語が止まってます。フランス語は300万語通過してから全く読んでなくて、その代りシャンソンのCDを聞いています。300万語の時はダミアを聞いていましたが、その後ミッシェル・ポルナレフとシルヴィ・バルタンの歌詞対訳付きCDを購入しました。

脱線しかかりましたが、900万字から読んだ本を…。長い本が多いので冊数は少ないです。

「白雪烏鴉」遅子建:著
ハルビン関係で引っかかった本です。黒龍江出身の現代の作家です。900万字の時にハルビンの本で20世紀初頭のペスト禍のことが書いてあったのを紹介しましたが、ちょうどその時代を舞台にした小説があったので読んでみることにしました。
1910年、王春申はハルビンの中国人街、傅家甸に住み、馬車で人を乗せる仕事をしています。お得意さんもいて、馬車で移動するのにハルビンの地名がいろいろ出てきて、ああ、あそこか、と見当もつくところも多く、100年も前とはいえハルビンの様子を思い浮かべながら読みました。
ある時、傅家甸の路上で、ハイラルから来た毛皮商人が倒れて死んでいました。そこから傅家甸にペストが広がって行きます。
中国の小説によくあるように、主人公一人を追っていくのではなく、いろいろな人物が出てきてそれぞれの場面が繰り広げられるのですが、その人たちがあちらでもこちらでもばたばたと死んでいきます。あまりにもミもフタもなくあっさり死んでしまうので、かえって湿っぽさを感じません。

ハルビンは封鎖されますが、このペストを治めるのを任されたのがイギリスに留学していた医師、伍連徳でした。これは以前読んだ本の経過と重なって、事実に基づいていることがわかります。
なのでだいたいの経過は知っているのですが、それでも小説として描かれていると、一体どうなるのかハラハラしながら読みました。

去年の夏、台湾へ行ったので台湾マンガをいくつか買ってきました。
今まで気に入って読んでいた依歓の新作を読みました。
「馥桂吉祥」
2冊だけ出ていたのですが、まだ続いています。
明代を舞台にしたグルメマンガです。そこに王室の陰謀が絡んできて…。

現地ではなく台湾のネット書店で買ったマンガも積んでいたのを読みました。
「北城百畫帳」
日本統治時代の台北を舞台にしたものです。当時万博が開かれていたことがあったんですね。カフェで働く娘のもとに、田舎から万博を見に家族がやってきます。カフェの店主はイケメンのおにいさんですが、なにやら不思議なものたちが周囲に出現している模様…。

それからやっぱりハルビン本。
「哈爾浜人」阿成:著
著者は今までハルビン関連の本を書いているので読んだことがあります。ハルビンについてのエッセイ集です。その中でハルビン人の寒さ自慢が面白かったです。ハルビン人は零下30度でも薄着。北京へ行った時にニュースで「零下10度の極寒の中…」という言葉に出会って、たかが零下10度で「極寒」なんてあほらしい。ハルビンでは零下30度でも当たり前だぞー。なんて思ったとか…。

中国語の本は一時期山のように買い込んだので、積ん読本が山のようにあります。「いつか読みたい」と思って買った本が多くて、その中からろそろそろ読めるかなーと思いながらいろいろと物色してみたら。
初めて上海書城へ行った時、それこそ「いつか読めたら」という願望だけで買ってしまった分厚い本を段ボールの底から掘り出してみました。
それは

「上官婉児」
唐代に武則天に仕えた女官で、なかなか数奇な人生を歩んだ人なので、その人のことが小説になっているのを見ていつ読めるかもわからないのに衝動買いしていたのです。かなり分厚くて、字数を数えてみると約38万字。
最初は描写がくどくてちょっと読みにくかったのですが、波乱の人生なのでどんどんおもしろくなり、最後の方は一気に…と言う感じでした。
上官婉児の祖父は、高宗に仕えていましたが、当時高宗の皇后だった武則天に恨まれて謀反の罪を着せられて一族皆殺しの目に遭います。生まれたばかりの婉児とその母だけが生き延びて、宮廷の奴婢に貶められます。しかし母は婉児に貴族の娘にふさわしい教育をするのに努力します。ちょうど武則天が宮中の娘たちの教育をする学館を開いていたので、そこで勉強をすることになりました。そしてその聡明さを認められ、武則天に取り立てられます。母は婉児に祖父のことをなにも伝えていなかったため、婉児は武則天に仕えることができると有頂天になります。母も婉児のためなら、何も言わずに武則天のもとにやったほうがいいと決心します。
婉児は武則天の下で頭角を現し、その片腕として活躍するようになります。
しかし、武則天の皇子を好きになり、その皇子が武則天に疎まれて遠ざけられ、反乱の疑いで殺されてしまうし、その後、武則天の甥と不倫関係になって公然の秘密としてずーっと関係を持ち続けたり、恋愛方面に関しては恵まれていたとは言えない状態。
ともかく、武則天は自ら帝位につき、婉児は武則天を補佐して宮廷の陰謀やら駆け引きやら渦巻く中で、誰からも一目置かれる存在になっていきます。武則天自身、すぐれた政治的手腕とそれを遂行する非情さを持っていたのですが、婉児はそういったことも含めて武則天の補佐をするようになっていきます。
武則天が年を取って引退した後、宮廷の勢力争いは熾烈を極めるようになっていきます。その中で、婉児がどのように動いていくか…。かなりややこしい、めんどうな事態が次々と起こるのですが、最後の方はかなり読みごたえのある展開でおもしろかったです。

「康熙帝」
青少年向けの歴史人物伝シリーズです。康熙帝は中国史上でも名君中の名君です。満州族なのに、中国王朝の名君なのかー、と思っていたら、むしろ康熙帝が名君たらしめたのは、満州族と言う出自とも関連がありました。ロシアがシベリアを南下してきたとき、そのターゲットになった中国東北部は満州族の故地です。そのため、東北地方の開発に務め、その地方がロシアに取り込まれないよう努力しました。また、モンゴルでオイラトの反乱があった時も親征してこれを平定しました。モンゴルは清朝建国以前から同盟関係にあり、対等の関係を築いていました。漢民族ならモンゴルを夷狄とみなしていたでしょう。
ということで、東北地方やモンゴルなどを自国の領土として守ることができたのです。
そのほか、西洋から来た宣教師などから西洋の学問を学び、天文学などの科学知識からラテン語まで学んだとか。
生活は質素で、常に民のことを考え、まじめで勤勉。数々の善政のもとで清朝は繁栄していきました。
ただ、後継者には悩まされました。皇太子は聡明な子供…だったはずですが、大きくなると尊大な態度を見せるようになり、康熙帝は悩んだ挙句皇太子の位をはく奪します。しかし、皇子はたくさんいるものの、誰を次の皇太子にするか決めかねてうだうだ…結局もとの皇太子を復位させ、やっぱり素行が改まらないのでまたもや廃太子。
結局死ぬ間際まで後継者は決まりませんでした。間際に第四皇子が後継者に決まりましたが、間際すぎて康熙帝の意志の信憑性が疑われましたが、とりあえず康熙帝の死後、即位して雍正帝が誕生しました。しかし雍正帝の子どもの乾隆帝まで3代にわたって名君が続いたので、結果オーライです。

さて、ここらで通過本を…というあたりにさしかかりました。
積ん読消化にしようかと思ったのですが、突然思いついたことが。
それは、多読を始めるずーっと以前、敦煌に行った時に買った「亀茲古国史」。
当時、無理矢理読んでみましたが、ほとんどわかりませんでした。
今ならわかるかも!と思って読むことにしました。
私の最重要テリトリー、中央アジアの中でも亀茲国はど真ん中。中国語が読めるようになったのなら読まないと。
ということで、読んでみたら…ものすご~くおもしろかった!
たぶん、他の人には全然おもしろくないんじゃないかと思うんですが。
亀茲国の記述を漢文文献から細かく引っ張ってきて、詳しく記述してあるんです。漢文文献でも亀茲国の記述は限られていますので、周辺諸国の記述も合わせて、亀茲国に言及があったら補足しています。そうしてトータルにタリム盆地の古代のオアシス国家の情勢がわかっていきました。
まあ、ちょっと中国側の漢文文献寄りすぎて、中国中心の見方で書かれている部分が多いのは気になりましたが、現地資料が少なすぎる以上、仕方がないのかも。

薄く見える割にページが多いので、これを読んだら軽く1000万字超えました。


▼返答


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