停滞の神経細胞多数決理論(長文)

[掲示板: 〈過去ログ〉多読で壁を感じたときの広場 -- 最新メッセージID: 420 // 時刻: 2024/11/1(10:04)]

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[報告] 163. 停滞の神経細胞多数決理論(長文)

お名前: たこ焼
投稿日: 2004/1/2(22:35)

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ペギー先生、みなさん、こんばんはー。たこ焼です。

「なんとか理論」などと、大げさなタイトルを付けちゃいましたが、
はたして、役に立つ投稿か否か、実のところ少々自信がありませんー。
おそらく、人によっては、「当然のことじゃないか・・・。
なんでこんなこと、わざわざ書くのだろう?」と思うでしょう。
しかし、もしかすると、「あっ!なるほどー!!」と
驚く人もおられるのではないか、と期待しての投稿です。

この投稿のアイデアの種となったのは、
本屋で立ち読みしたエッセイ(河合隼雄さんの本?)の一節です。
その本には、「心の中では、51対49で決っていることが多い」と
いうようなことが書いてありました。これを出発点としてモデルを作り、
「停滞」のいくつかの特徴、「突然、停滞感におそわれる」
「停滞しない人もいるし、頻繁に停滞する人もいる」
「停滞には、短期のものと、悪性と言うべき長期のものがある」などの
理論付けを試みたいと思います。
自己評価としては、停滞に対する過度の恐怖感を軽減し、また、
悪性停滞を避けるのに役に立つモデルではないかと思うのですが・・・。
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(1)無意識脳での多数決の結果が、意識脳に送られる
感情には、いくつもの種類があります。
例えば、「好き・嫌い」や、「幸・不幸」、「やる気あり・なし」、「希望・絶望」などです。
これらの感情が意識に上るときには、基本的に、
「all or nothing」の様相を呈すると思います。つまり、「好き」と意識するとき、
「好き・嫌い」の感情に関しては100%の「好き」なのです。
「ちょっと好き」というのは、実は「好き」と「不幸」「やる気なし」を同時に感じることであり、
100%の「好き」と100%の「嫌い」との中間段階があるかのような気がするだけで、
60%の「好き」があるわけではありません。

では、「好き」「嫌い」どちらの感情を感じるのか、
それはどのように決められるのでしょうか?
おそらくは、「好き」「嫌い」を決める部位が無意識脳にあって、
そこで多数決がおこなわれているのです。
仮に100個の神経細胞の中で、多数決がなされるとします。
事あるごとに多数決がなされ、「好き度」対「嫌い度」が、80対20とか、51対49とかになり、
「好き度」が勝った場合、「好き」という多数決の結果を出します。
意識脳に上がるのはその結果だけで、80対20でも、51対49であっても、
意識脳が感じるのは、100%の「好き」なのです。そして、無意識脳での多数決が
「何対何」だったかは、意識脳には不明なようです。

例をあげてみましょう。
「べたべた・いちゃいちゃしていたカップルが、突如、些細なことでケンカして別れる」
という現象を時々目にしますが、背景には次のような理由があると思われます。
ある人を「好き」と思っても、無意識脳での多数決の詳細はわからないのです。
つまり、80対20なのか、51対49なのかは不明ということです。
このカップルの「好き!好き!好き!」は、実のところ51対49だったのでしょう。
些細なことで、好き度が少しだけ変化して、49対51になってしまうと、その結果、
「嫌い!嫌い!嫌い!」になり、別れるに至った・・・。
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(2)「幸福度」対「不幸度」の多数決により、幸福感と不幸感が決められる
「好き・嫌い」と同様のやり方で、「幸・不幸」も決められていると思います。
おそらく脳の中に、幸福感と不幸感を決める部位があるのでしょう。
その部位をここでは「幸・不幸決定の部位」と呼びます。
もちろん、この「幸・不幸決定の部位」は無意識脳の中にあります。

「幸・不幸決定の部位」には、100個の神経細胞があって、
事あるごとに「幸福度」対「不幸度」の多数決をしています。
多読に際しても多数決がなされ、「幸福度」が勝って、幸福感を感じている時は、
Happy Reading状態。逆に、「不幸度」が勝って、不幸感を感じている時は、
停滞感を感じている状態となります。
そして、意識に上るのは多数決の結果のみで、Happy Reading状態であっても、
80対20なのか、あるいは51対49なのかは、意識脳にはまったく不明なのです。
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(3)幸福度は変動する
この「幸福度」は時間ともに変化します。
無意識脳の「幸・不幸決定の部位」での多数決は、刻々と変動するのです。

その変化には、短期的なものと、長期的なものがあるようです。
イメージとしては、為替相場の変動を思い浮かべるとちょうどいいと思います。
短期的には、1日の中でも、細かく上下変動してはいるけれども、
中期的に1週間ぐらいのオーダーで見ると、平均値としては、ほとんど一定しています。
しかし、半年とかの長期的なオーダーで見ると、確かに変化しているのです。
このような様相が、多読に関する「幸福度」の変動にもあると思われます。
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(4)幸福度を変動させる要因
では、このような変化を引き起こす要因は何でしょうか?
「短期の変動」と「長期の変動」に分けて、考えたいと思います。

「短期の変動」を引き起こす要因は、タドキストには容易に感じ取れることなので、
すぐに納得していただけると思います。
例えば、読んでいる本の面白さ。面白ければ、もちろん、
多読に関する幸福度が増えるでしょうし、
つまらない本を無理して読んでいると、幸福度は減るのでしょう。
他にも多数の要因があります。適当に列挙しますと・・・。
本の内容への興味・必要性。本の内容から受ける心理的ストレス。音の心地よさ。
理解度。上達の自覚。目標の達成感。英文処理による疲労。
読書による疲労。睡眠不足などの体調。読書時間の有無。読書環境の静寂さ。
精神的ゆとり(差し迫った仕事等の有無)。
また、ペギー先生の『停滞の原因は3種類に分けられる』が大いに参考になると思います。
[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-level3&c=e&id=147]
このような多数の要因の総和が、無意識脳の「幸・不幸決定の部位」での多数決を
変動させる力となるのだと思います。

「長期の変動」については、不明なところが多いです。
おそらくは、「短期の変動」要因が、長期にわたり持続することが、
「長期の変動」要因となるのかもしれません。
この説明は予想にすぎません。詳しいことはわからないのです。
今後の研究に期待したいところです。
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(5)恒常性により、中期的には変化なし
幸福度は、短期的には変動しますが、中期的には一定です。
それは何故でしょうか?
この特徴は、「恒常性」という性質から導かれます。

神経細胞は、個々に孤立しているのではなく、互いに連絡を取っています。
ある神経細胞(A)が、あることに関して「幸福に賛成!」だとすると、
つながりのある他の神経細胞(B〜Z)は、この細胞(A)を「賛成した細胞」と認知し、
その前提で互いに関係を結ぶのです。
ある時、「短期の変動」要因により、細胞(A)が意見を変えて「反対」にまわったとします。
しかし、他の細胞(B〜Z)は、細胞(A)を「賛成した細胞」として扱い続けるので、
細胞(A)は結局、「賛成」に戻ってしまうわけです。これが恒常性です。

例えとしては、「クラスの中の不良」がいいかもしれません。
生徒(A)は不良でした。
ところがある時、優等生になろうと決心し、そのように振舞い始めました。
しかし、他の生徒(B〜Z)が、あくまで不良として生徒(A)と接するので、
結局すぐに、生徒(A)は不良に逆戻りしました。

つまりは、幸福度は短期的に変動しても、「恒常性」により元に戻るわけです。
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以上がモデルの骨格です。
このモデルにより、「停滞」のいくつかの特徴を説明したいと思います。

(6)突然あらわれる停滞感
「突然、停滞感におそわれる」のは、
多読に関する多数決が、51対49から突如、49対51になった時だと説明できます。
意識の上ではHappy Readingですが、無意識脳での多数決は51対49だとします。
この時、何らかのほんのささいな要因で、多数決が49対51と、少しだけ変化したとしましょう。
このような小さな変化は、容易に起こりうることです。
幸福度のごく小さな変化にすぎないのですが、意識に上る感情の変化は劇的なものとなります。
「幸福感・Happy Reading」から「不幸感・停滞感」へと逆転してしまうのです。
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(7)停滞しない人と頻繁に停滞する人
両者の差には、2つの要素があると思われます。

第1の要素は、平均的な幸福度の差です。
停滞しない人の多数決は、おそらく平均値として80対20ぐらいなのだと思われます。
ですから、少々幸福度が変動しても、多数決の結果には変わりないわけです。
対して、頻繁に停滞する人では、55対45とか、僅差での決定なのでしょう。
つまり、ちょっと大きく幸福度が変化しただけで、多数決の結果が逆転するのです。
この平均的な幸福度の差が、何によって決められるのか、全ては分かりません。
しかし、停滞知らずの人の多くは、英語の多読以前に、
「読書」そのものへの多大な興味を持っていたことは確かなようです。
英語の多読は、「読書」の一形態です。
日本語であろうと、「読書」が強く根付いている人では、多読に関する幸福度は、
80対20ぐらいなのかもしれません。
以下、参考。
ミルポワさん[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-level3&c=e&id=86]
久子さん[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-level3&c=e&id=87]
みちるさん[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-level3&c=e&id=90]

第2の要素は、「短期の変動」の振れ幅の差です。
例えば、「英文処理による疲労」という要因について考えてみます。
英文を読みなれた人は、当然、英文処理による疲労は少なく、
幸福度の減少も少ないわけです。
対して、まだ読みなれていない人は、英文処理による疲労が大きく、
幸福度も大幅に減少してしまいます。
つまり、平均的な幸福度が55で、多数決が55対45であったとしても、
英文処理による疲労により、幸福度が3だけ下がり、52対47となる人より、
幸福度が6も下がって、49対51となる人の方が、停滞になりやすいわけです。
他の要因についても同様です。
肉体的・心理的ストレスへの耐性も、体質によって異なります。
すると、幸福度の振れ幅も違ってきて、その結果、
停滞になりやすい・なりにくいの差異が出てくるわけです。
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(8)しばらくすれば停滞感はなくなる
Happy Readingの状態から、停滞感におそわれたとしても、
「短期の変動」の範囲内であれば、容易に幸福感へと回復します。
例えば、51対49が49対51になって、停滞感を感じ始めても、
一晩寝れば(しばらくすれば)、恒常性により自然に回復するのです。
恒常性が、幸福感の維持に働くのです。
ですから、はじめて停滞感を感じた人は、
あわてて焦り、やたらと不安にならないことが大事です。
自分で自分を追い詰めるようなネガティブ・シンキングの連鎖に
陥らないことが何よりも大切です。
この連鎖に陥ると、回復が遅れるどころか、悪化したりすると思われます。

そういえば、昔読んだ精神医学の本に、似たようなことが書いてありました。
「自殺など全く考えたことない人が、何らかの出来事により、一瞬、
ふと自殺を望んでしまうことがある。一晩ゆっくり寝れば、そんな希薄な自殺願望など
全くなくなってしまうことが多いものだ。しかし、初めてそのような願望を感じた人は、
そのような願望を感じたこと自体にショックを受け、あわてて焦り、やたらと不安になり、
ネガティブ・シンキングの連鎖に陥るというパニック状態になり、その結果、
その願望に捕らわれて・・・・・」というような内容だったと記憶しています。
これを多数決理論で説明すれば、次のようになるのでしょうか。
「希望・絶望決定の部位」での多数決で、何らかの要因により、希望度が少し減少し、
絶望感を感じるようになった。しばらくすれば、恒常性により希望度が自然に回復して、
絶望感がなくなるのに、自分で自分を追い詰めて・・・。(くわばら、くわばら)
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(9)悪性停滞とは?
短期の停滞からは、恒常性により回復しますが、
回復が困難な長期の停滞・悪性停滞というものもあります。
多読に関する多数決で、不幸度が勝つ状態があまりに長い間続き、
不幸感を感じることが普通となったとき、悪性停滞に陥るものと思われます。
このときには、たとえ「短期の変動」により幸福度が少し増え、幸福感を感じたとしても、
恒常性により、また不幸感を感じるように引き戻されてしまいます。
恒常性の働く方向が逆転してしまい、不幸感の維持に働くのです。
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(10)「やる気あり・なし決定部位」との関係
「やる気あり・なし決定部位」でも多数決がなされ、やる気あり・なしが決められます。
この「やる気あり・なし決定部位」と、「幸・不幸決定の部位」とは互いに影響を与えるようです。
つまり、やる気があるときは、幸福感を感じることが多いし、
幸福感を感じないときには、やる気がおきない、ということです。
しかし、場合によれば、やる気があるけれども、不幸感を感じることもあります。
実は、この状態は非常に危険で、悪性停滞への入り口のひとつではないかと予想します。
普通、短期の停滞では、恒常性などにより幸福感を回復することが容易です。
しかし、停滞を感じているのに、やる気があるので無理を続けていると、
「幸・不幸決定の部位」の多数決で不幸度が勝つ状態が、あまりに長い間続くことになり、
悪性停滞へと陥るのではないか、という予想です。

したがって、「やる気はあるけれど、読んでも全くつまらなく、無理しないと読めない」
というような時に、悪性停滞を避けるには、以下の注意が必要だと予想されます。
a. 無理をしない。
b. 「幸・不幸決定の部位」の多数決が、恒常性により好転するのを待つ。
c. 幸福度が増えるような工夫をする。
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(11)最後に
一般に、「理論」とか「モデル」とよばれるものは、非常に
胡散臭いものです。この「神経細胞多数決理論」も例外ではありません。

例えば、「感情はall or nothingだ」と書きましたが、これなど
「あまりに単純化しすぎ!」との批判を受けても当然だと思います。
(ただ、感情というものを少し詳しく観察すると、
「all or nothing」の側面があることは納得していただけると思います。)

あくまで「理論」にすぎず、「現実」の力にはとうてい勝てません。
みなさんの経験という「現実」にあまりに合わなければ、ポイッと
ゴミ箱に捨ててください。「理論」とは本来そのように扱うべきものです。

「胡散臭い」などと卑下しながら、「役に立つのでは?」と考えていることも、
最初に述べたとおりです。
妄信することなく、眉に唾つけながらも、
このモデルを適当に役立ていただければ幸いです。
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(12)謝辞
このモデルのきっかけは、本屋での立ち読みから始まりましたが、
考察の発展には、みなさんやペギー先生の数々の投稿の影響を多大に受けております。
特に、この「壁の広場」での「停滞ツリー」の充実ぶりには、目を見張るものがあります。
ここに感謝の意を表明いたします。
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(13)参考文献
There’s a Boy in the Girl’s Bathroom


▼返答


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