異なる時点間の異なる言語の翻訳について

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519. 異なる時点間の異なる言語の翻訳について

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2009/1/12(17:03)

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異なる時点間の異なる言語の翻訳について

   X言語  Y言語
 過去 X1  Y1

 現在 X2  Y2→Y'2

 将来 X3  Y3

 過去は、たとえば、江戸時代でも、明治初期でも良い。
  
 たとえば、英語の文章Xを日本語の文章Yに変換する場合、それが、江戸時代であるか(江戸時代の言葉で訳すと想定する場合を含む)、現代であるか、また、将来の一定の時点であるかによって、使用される語彙の豊富さと内容、その文体、さらに言葉を組み合わせて思考できる各人の概念操作は、大きく異なるから、翻訳も、大きく違うのは、当然と考える。
 人々は、その時代に規定されて、その時代の全部又は一部の思考形態の中で、生きているのである。

 また、同時代にあっても、今述べたように、使用される語彙の豊富さと内容、その文体、さらに言葉を組み合わせて思考できる各人の概念操作は、相当異なるから、翻訳も、相当大きく違うのは、当然と考える。

 Y2→Y'2は、同時代の同じ言語間で、理解したことを要約したり、ほかの言い方で同じ内容に言い直したりする思考を意味するが、それすら、あっと驚く、理解の齟齬すらある。

 これら全てが、言語理解の隘路である。

 これによってこれを見るに、異時点にわたる異なる言語を、現在の時点に現在の言葉で翻訳する隘路は、隘路のうちの一つにすぎないと評価し得るのであって、ことさら驚くに足りないし、また、ことさら強調すべきものでもない。

 具体的諸事情に応じ、隘路が存在する事態も発生するし、存在しない場合も発生するが、真摯に隘路を弥縫すべく努力すれば足りると解する。

 ある意味では、翻訳は、日本語としては、つたないものであっても、原文が彷彿と蘇り、その原文なら、自分であれば、こうイメージし訳すであろうという想像さえ可能な翻訳が良い場合も多いといえるであろう。
 もとより達意の名文で、正確に翻訳されているにしくはない。

  以上のことは、翻訳と書いたが、実は、巷間、英訳や和訳などという狭い意味ではなく、外国語及び日本語の認識理解そのものに係わるのである。

 以上は、もとより私の見解であり、また、様々な情報に触れ、さらなる思考の深化を望まぬものではなく、また、異なる見解の存在を否定するものでもない。


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▼返答


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