異なる言語間の概念説明の長さの相違について

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517. 異なる言語間の概念説明の長さの相違について

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2009/1/12(16:57)

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 異なる言語間の概念説明の長さの相違について

 たとえば、英単語Xは、通常、日本語Yという概念で訳されているが、本当は、少し違って、Zであると説明される場合がある。

 この場合、Yより、Zの方が、語数が長いことにより、概念の内容が説明されることが多い。

  かく認識する限り、Xの訳語は、はじめから、Zと考えるべきなのである。
  英語の単語が短いからと言って、必ずしも、日本語の言い換えも、短くしなければならないということは、毛頭ないと考える。

 この理は、文章も同じである。
 
  たとえば、英語の文章Xを、日本語Yに翻訳する場合、Xと同じくらいの長さと時間で言い換えることができるものもあれば、ときには、Xより、著しく短く、あるいは、著しく長い場合もある。

  日本語の文章としての一定の概念を英語に変換する場合も、同じである。
  日本語で説明するより、著しく長短、これ振幅する場合もあるのである。

  特に、日本語は、主語を省略するなどの一定の特徴が存在する上、抽象名詞の主語性が、英語に比して少ないなどの形態も存在するなど、さまざまな相違がある。

  ある著者曰く、日本語をよく知ることにより、その相違を認識できるとともに、その相違に驚くことなく、処理できるのである。
  その相違に驚く必要がないというのが、当該著者の強調する点である。

  私は、その態度が、自国の言語及び他国の言語を正当に理解する態度だと思う。

 以上は、様々な情報に触れ、さらなる思考の深化を望まぬものではなく、また、異なる見解の存在を否定するものでもない。


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