Re: わかりやすく、おもしろい本。古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』

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323. Re: わかりやすく、おもしろい本。古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/25(12:25)

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主観の新茶さん、こんにちは。たかぽんです。(「takapon」です。(笑))

〉たかぼんさんへ。主観の新茶です。

〉 上記した西欧の理念に依拠する限り、一定の国の政策が妥当でないと判断した場合には、SSS上においても、各々が提案し、話し合い、一定の方向性を決定し、共同して、適法な方法で、実際に言動に移すことが必要となる。

〉 それは、恥ずかしいことではなく、したくなければしなくてよいことでもなく、逆に、たとえば、はじめから無力とあきらめ、愚痴等をもって批判に対置していることが、または、無関心であるか、関心があっても適切な言動に移していないことが、恥ずべきことである。

それは新茶さんのお考えであり、古田氏の本では「恥ずべきこと」とは書いていなかったと思います。
(しかし、私が読み落としているだけかもしれませんので、該当箇所があればご指摘ください。)
古田氏がおっしゃっているのは、実際の法を「正義」に近づけようとする理想主義が西欧にはある、までだったと思います。
個人の、愚痴ることや無関心が、「恥ずべきこと」と西洋全体で見なされている、とまでは言えないのではないかと思います。
法改正のために本来とるべき適切な言動、というのが何なのかがよくわかりませんが(デモや陳情?)、
現に、どうしてこんな法律があるんだーなどと西洋人が(デモや陳情もせず)愚痴ってるシーンは当然に多数あるでしょうし、
今や膨大な量になってしまっている現代の法律に無関心であるからといって、それが「恥ずべきこと」であるという感覚が
一般であるとは言えないと思います。法律を知っていないと不利益をこうむることがある、というだけで。

そもそも、よくわからないのですが、西洋における「恥」の観念は、道徳的・宗教的なものであって、
良心にもとるとか、神の教えに反する(神との契約に反する?)、ということだと思います。
現在の法律に不満を持っているが、デモや陳情などの行動をせず愚痴るにとどまったり、
現在の法律に無関心でいることが、良心にもとるとか、神の教えに反する、とまでは、
必ずしも言えないのではないかと思います。

西洋では、伝統的に、「正義」とは何かという議論が非常に膨大に細かくなされていて、
法律をその「正義」に近づけようとする社会的な傾向がある、ということではないでしょうか。
(その「正義」の多様性を認めない場合には、極端に走って怖いことにもなるが。)
個人の行動が「恥」であるかどうかは、その個人の道徳律や信仰に照らした問題であって、
どういう行動をとる(とらない)が一律に「恥」である、と言えることはないと思います。
ですから、たとえば、道徳や信仰を国家が強制するような時代においては、一律の「恥」はあったでしょうね。
たとえばナチスのような全体主義国家時代においては、一定の行動(or行動しないこと)が「恥」であると、
厳しく糾弾されることがあったのではないかと思います。

いろいろ考えさせられる問題ですね。


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