Re: 言語を理解する上で西欧思想の正確で実のある議論 (acha758さんへのお詫び付き)

[掲示板: 〈過去ログ〉多読と英語学習・試験に関する掲示板 -- 最新メッセージID: 1756 // 時刻: 2024/4/28(03:50)]

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268. Re: 言語を理解する上で西欧思想の正確で実のある議論 (acha758さんへのお詫び付き)

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/18(23:58)

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たかぼんさん、お返事ありがとう。
主観の新茶です。

私は、古代ギリシアから古代ローマ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパを経て、現代まで連綿と続く「法と道徳、法と正義の関係など」についての西欧の「客観的な歴史的評価」についての通説を書いたのです。

客観的事実としての歴史上の思想の把握=通説と、その好き嫌いを分けて、説明いただくと良いと思います。

歴史的には、法と正義、道徳についてさえ、「通説」と異なる見解を有する思想家は、古代ギリシア、古代ローマの思想家にもいましたが、たかぼんさんの指摘されるように、19世紀の法実証主義の人々も、法に正義(正義を通じて道徳を実現すると考えれば道徳でもよい。)という理念を包含させることを拒否しました。
法実証主義の人々は、「悪法もまた法である」と述べて、自然法思想を否定しました。
法実証主義の人々にとって、西欧の歴史としての理念は、通説のとおりだと認めざるを得ないとしても、上記の点で通説の見解には賛成できないと考え、理念の変更を主張しました。
しかし、西洋の理念の通説には、なれませんでした。

たかぼんさんは、現在の気持ちとしても、西欧の通説に、必ずしも賛同できないという見解でもあり、日本人には、結構、多いとされています。
たかぼんさんの基本理念は、西洋の通説と違います。

また、現代に視点を移すと、現代のように複雑な社会では、法と道徳がストレートに結びつかない分野が増加したという意識は、むしろ通説でしょう。
それは、西欧でも日本でも、言うまでもないことです。

しかし、ここでの問題は、脈々として生きている西洋の基本理念は何かを把握することです。

一般的に、西欧にいうところの道徳、正義及び法などについての「歴史」において、書籍で通説として説明されているのは、(1)西洋人は、法を、理念と見ていること、(2)理念とは、現実の世界で努力して実現すべき理想状態であるということ、(3)古代ギリシア、古代ローマ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパ、現代ヨーロッパの法の制定とその運用と人々の日常の法意識とを歴史的に調べていくと、西洋では、正義の実現が法そのものであり、道徳の昇華が法であると考えられてきたということです。

文献2をも、参考に読んでみて下さい。
たかぼんさんの疑問も、あらゆる意味で、氷解すると思います。

もし、たかぼんさんが、著書を読んだ上で、また、投稿されるのであれば、歓迎します。
たかぼんさんの基本理念が、通説に変更されるのであれば、・・・・・。

最後に、英語学習に関係ないと思われる方もいるかもしれないので、少し論考の主題を移しますが、たとえば、ホーソンの緋文字は、道徳=法=正義の強烈な精神的束縛を前提とする小説と理解することが可能であり、英語の小説を読む場合には、西洋の思想・理念の正確な把握が必要ともいえるでしょう。


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