Re: 要は、自分の直感(happy)にしたがうということ

[掲示板: 〈過去ログ〉多読と英語学習・試験に関する掲示板 -- 最新メッセージID: 1756 // 時刻: 2024/4/29(00:29)]

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264. Re: 要は、自分の直感(happy)にしたがうということ

お名前: fiona
投稿日: 2008/10/18(21:36)

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たかぽんさん、今晩は。

自分の直感(happy)にしたがうということ、
確かにそうなのですが、
実際は、直感(Happy)のつもりが、そうでなく、
たんなる思い込みで、直感の示すところと外れていることがあります。
そのため、「直感」と言う言葉だけが先行してしまうと言うのも、気になります

ですから、たかぽんさんが最後の方で書かれている、
本当のところはどうか、と確かめることが非常に大事だと思います。

これがないと、「直感」と言っても、
結局、変な方向に行ってしまいそうで…。

私の場合は、「直感」の示す方向と言っても、Happyな方向…とは少し違います。
変な方向だと、どこかに違和感を感じます。
どこかしら、合ってないなあと言う感じ。また、ざらつき感みたいなものを感じます。
音楽で言えば、ある楽器の音が合ってなくて、どこか調和のくずれているような感じでしょうか。
そして、違和感のない方向が、多分「直感」の示す方向。
たかぽんさんの言われている「直感」と、同じかどうかは分かりません。
 
 
「多読三原則」については、
前回うまくかけなかったかもしれませんが、
いつまでも、「多読三原則」沿っているのが基本的な(ベースになる)読み方、ではないかと思っています。

ですから、これから外れてはいけないわけではない(でも、多読を始めてしばらくは、守っておいて欲しい)。
でも、外れるなら、ベースとなる読み方とは違った読み方をしている、と意識しておいた方が良いと思っています(要するに、「多読三原則」から外れた読み方の方が本当の読み方だ、と安易に考えるのはどうかと…熟考し、いろいろ試してみての結論なら分かりますが)。
(今は、下の3つ目の問題を無視して書いています)

たかぽんさんの意見とぶつかるものではないと思いますが…。
(ただ、私の方が心配性……?)
 
 

「母語の読書スタイルと、外国語の読書スタイルは、必ずしも一致しないのではないでしょうか?
一致する場合もあるでしょうが、一致しない場合もあると思います。」
のところ、
よく考えてみると、これまでの多読を変えなくてはいけないかも知れない問題が潜んでいるように思いました。

「もし、母語の自然な読書のスタイルが、多読三原則を外れているなら、英語多読でも同じように、多読三原則を外れても良いようには思います。
でも、母語の自然な読書スタイルが、多読三原則に従ったものなら、多読三原則を外した読み方は、(その人の)自然な本の読み方ではない可能性が大きいのではないでしょうか。」
と私が書いた部分から説明する必要があります。

この部分の根拠は、それほど確かなものではありません。
1つは、私の場合、日本語と英語とでは読み方のスタイルが、基本的に同じであること。
2つ目は、「日本語では、わからない言葉はすべて辞書で調べて読んでいく」と言う方がおられて、その方は、英語を多読三原則に従って(辞書を引かず)読んだため、とても英語が読みにくかったらしい(辞書を引くと読みやすいらしい)。よって、日本語で辞書を引いて読むのが自然な場合、英語でも辞書を引いて読むのが自然らしいと思われること。
3つ目は、掲示板の投稿を読んでいて、英語も日本語と同じように(同じようなスタイルで)読んで多読されている方が多いような感じがすること。
この3つあたりから、そうではないかと思っていました。

日本語を読む場合、普通は多読三原則に従っている(外れた読み方をする人は少ない)。
そして、英語でも同じ読み方をするのが自然である。
自然な読み方をした方が、多読は楽しく長く続けられる。

と言うのが、英語多読とその三原則のベースになっていると思います。

ところが、考えてみると、そのベースの部分が確かでない。

まず、日本語の自然な読み方が英語でも自然であると仮定します。
その場合、(私は今まで、きちんと考えていなかったのですが)日本語の読み方が多読三原則から外れている人に、英語多読で三原則を強制するのはおかしいですね。
外れた読み方が自然なのだから、まずは同じように外した読み方で英語多読を始める方が良いのではないでしょうか。
いままでの多読は、その配慮が欠けているように思います。
できれば、日本語の読書のスタイルをきちんと確認して、英語多読の始め方を考える必要があるのではないでしょうか。
これまでに、多読三原則があわなくて(本人にとって自然でなくて)英語多読に挫折した方があったかも知れません。

次に、たかぽんさんの言われるように、日本語と英語とでは読み方が違うことが、かなりの可能性である場合(細かな違いではなく、多読三原則の部分で違う場合)。
この場合が、大問題です。
英語多読を始める人に、多読三原則にしたがってやってみましょうと言って良いのかどうか。
これまで英語多読をやめたり、途中で挫折した人は、多読三原則が合わなくて(自然で楽な読み方でなくて)、多読をやめてしまったのかもしれません。
しかし、どんな読み方が良かったのか、日本語の読書スタイルを聞いてみるだけでは分かりません(英語では違っているかも知れませんから)。
まずは、日本語と同じスタイルで始めてみるとしても、途中で何度もチェックするか、いくつかのスタイルを試すなりする必要があると思われます。
実は、これまでこのことを見過ごしていたため、多くの人が多読をやめてしまっていたかも知れない。

実際のところはどうなのか、多くの人の多読を支援したりしたことがないので分かりません。
しかしながら、このあたりのことは、調査・研究して、ハッキリさせた方が良いことではないでしょうか。
場合によっては、今までの英語多読の方法を変える必要があるかも知れません。

でも、誰がどうやって調べるんだろう……???
(と、他人まかせの事しかいえない)


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