なるほど。「母語を読むのと同じように読む」 ですね。

[掲示板: 〈過去ログ〉多読と英語学習・試験に関する掲示板 -- 最新メッセージID: 1756 // 時刻: 2024/4/28(16:09)]

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194. なるほど。「母語を読むのと同じように読む」 ですね。

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/12(15:22)

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fionaさん、今日は。

〉たかぽんさん、今日は。

〉最近、英語多読で絶対必要なものは何だろう…
〉というようなことを考えています。
〉まだ、まとまってないのですが、
〉少なくとも、多読三原則は、絶対必要(ないと多読が成り立たない)もの
〉ではありません。
〉(絶対必要なものは2つ(多分)…このあたりまとまったら、どこかで書いてみますので、後ほど)

あ。その2つ、またぜひお聞きしたいです。

〉多読三原則は、多読を(楽しく)続けるためのコツ(もしくは技術)みたいなものではないでしょうか。
〉(でも、非常によく出来ているとは思います。)

その通りだと思います。
でも、どうもなんか、「多読三原則」がよく出来すぎているために、
それにしばられてしまう人が多いんかな?というような気がしてきたのです。

返り読みしたいのにガマンする人とか、精読したいのにガマンする人とか、
辞書引きたいが…と悩む人とか。一種の呪縛ぽく見えます。
したいなら、したらいいじゃない?と思うんです。

〉私の場合、英語多読は、日本語での読書でやっていることを「英語」でやれば良いんじゃないの…と考えています。
〉「辞書を引かない」「分からんところは、とりあえず飛ばす」「分かる、分からないにかかわらず、つまらなくて読む気にならんものはやめ!」
〉なんて、日本語の読書のことを考えたら、普通は当たり前。

そうなんですよね。要するに、日本語での読書でやってることをやるってだけのことであって。
それが英語だと構えてしまうので、いや、日本語でやってるのと同じようにすればいいんだよ、と
わかりやすく気づかせるために、「多読三原則」があるんだと思います。

〉まあ、場合によっては、分からんところを調べながら読む本もあるでしょうが(日本語の本だって、そう言う本はありますね)。
〉でも、どんな本でも辞書を引き引き、分からないところを調べながら読むのはおかしいと思います。
〉特に、楽しんで読むべき本(小説とか)は。
〉(日本語の本でも、いつもそう言う風に読むのが普通の人の場合は、多読三原則無視でも、問題ないかも知れませんけれど)

そうそう。「なんでも辞書引き引き読むのはおかしいでしょ?(日本語でもそういう読み方してる人は別ですけどー)」
と納得してもらうための、「多読三原則」だと思います。

なので、あるていど英語が読めるようになってきたら、「多読三原則」にこだわる必要は無いと思います。
日本語での読書でもやってるように、「勉強」もすれば、辞書も引けば、精読もする、というように。

〉今はどうか知らないのですが、学校で英語を読むときは、「辞書を引き、分からないところは調べないと」いけなかった。
〉それで、多読をするときは、違う読み方をしましょう(日本語の本と同じように読みましょう)。その方が、楽しく長く、多読を続けられますよ。
〉と言うのが「多読三原則」だと、私は解釈しています。

いや、まったく、おっしゃるとおりだと思います。

〉要するに、英語の本だからって、構えてしまうのがおかしいのでしょうね。
〉英語の本だって、日本語の本と同じように読めば良いと思うのですがねぇ。

そうですよね。

〉問題は、日本語に比べ、英語に関する知識(語彙など)が圧倒的に少ないことでしょう。
〉そのため、なかなか日本語と同じように…とは難しいところもある。

そこなんですよね。

ただ、このごろ思うのが、ふつうに日本語をあやつるのに必要な知識って、
そんなにたくさんあるのかな?ということです。
ベーシックなものは、そんなにたくさんは無いような。忘れてることも多いし・・
(小学校で習ったことも、完全に忘れてたりするし・・ それでも不自由しない。)
なので、英語でも、ふつうにあやつるのには、そんなにたくさん知らなくても
いいんだろうなぁと思います。
「効率」ということでいえば、『難しいことをやらない』よう気をつけるのが、
案外、一番の早道なのかなと思ったりします。

〉では、その差のその穴埋めをどのようにしたら良いのか。
〉とにかくたくさん読む、と言うのが理想的な穴埋め方法。
〉でも、何かもっと効率的に穴埋めをする方法はないか…と言うのがこのスレッドで皆さんが考えていることではないでしょうか。

いや、まさに、そういうことだと思います。

英語をふつうにあやつりたいのならば、日常的な会話とかそういうのにまず習熟するのが
いいんじゃないかと思います。多「読」はまず置いといたほうがいいかもしれない。
日常的な会話なら、そんなに知識量は要らないんじゃないでしょうか?
そういうのができてから、もうちょい難しいことを広げていく、というのが、
「健全な」行き方なんじゃないかと思います。

ただ、別に英語をあやつりたいわけじゃない、読みたい本を英語で読みたいだけだ、
という人もいるので、そういう人は、別に会話なんかから入らなくたっていいわけで。

自分が良いと直感した方に行くのが、その人にとっては正解なんだと思います。
そういう、直感を思い出させ、直感に従うことを思い出させてくれるのが、
「多読三原則」だったと私は思っています。自分の感覚・感情を大切にしたらいいんだよ、と。
そこにエッセンスがあるので、いつまでも「多読三原則」にしばられてる必要は無い、
と思っています。

〉話が変なところへ行ってしまいました。

いえいえ。私もいろいろ考えさせられました。ありがとうございます。

それでは〜


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