Re: The cold never bothered me anyway.について,僕は,最初,完了形のhasが入って,has botheredになるべきであると思ったよ。

[掲示板: 英語で趣味を楽しむ -- 最新メッセージID: 1603 // 時刻: 2021/9/28(16:10)]

管理用 HELP LOGIN    :    :


上へ上へ | 前のメッセージへ前のメッセージへ | 次のメッセージへ次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む返答を書き込む | 訂正する訂正する | 削除する削除する

1574. Re: The cold never bothered me anyway.について,僕は,最初,完了形のhasが入って,has botheredになるべきであると思ったよ。

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2014/11/23(16:43)

------------------------------

 ミッシェルさん

 僕は,最初,完了形のhasが入って,has botheredになるべきであると思ったよ。すぐ思い直したけど。

 willが入るのが,物語の内容として相当ではないかという,ミッシェルさんの想像まで,僕は,思い浮かばなかったな。全く。

 それは,こういうわけだ。

 エルサは,この映画の話の展開の途中,孤高の山岳に身を投じ,晴れて自ら鰥寡孤独の境遇を手に入れたのですが,鰥寡孤独の境遇になったという位置は,エルサのその当時の現在の位置であり,現在の位置が,やはり,同じく,the coldからは,botherされない,煩わされない自由の身であるということですから,過去の事実と現在の事実が継続しているということを表現できる形式が,日本語に比較し,日常的に簡便に使用できる,完了形のhaveの出番であると思ったのだ。

 しかし,そんなことは,制作者のディズニーには,よく,わかっとるはず。それなのに,haveを省いた。制作者は,単に,メロディの中に入れるのが,字余りで入れられなかったので,本当は,完了形が,より正しかったのに入れなかったということではなかろう。

 したがって,僕は,the cold と,botherdの間に入る,気持ちの表現が存在した方が良いという疑問は,早々に,辞めてしまったわけだ。ミッシェルさんのwillが入るという疑問に近いものが,浮かんだことは浮かんだけど,辞めちゃったわけだね。

 僕の脳裏にすぐ浮かんだのは,I have never seen him for five yearsという文章だ。
 この英語は,「彼には,もう,かれこれ,5年間,会っていないな。いや全く。」というような日本語の表現とは,内容が同じだが,語順や言い回しが,異質だね。

 だから,このThe cold never botherd me anywayも,相当,異質な表現だ。

 以上は,本題ではない。これからが,本題。本題を急ごう。手短に,を念頭に。

 日本人の心性でいえば,上記のエルサの表現に近い表現は,何なんだろう?

 僕は,neverに魅せられて,上記疑問を持った。

 neverは,not everの短縮形だ。
 
 これは,私が体得した,もはや忘れないくらい,体で覚えた知識だ。
 
 everは,時間的表現だ。場所的表現や,状況的表現ではない。かつて,というような日本語が合致する表現だ。

 言い換えれば,僕の気持ちの中には,at any timeがある。

 ところで,「いつ,どこで,どんなことをしたらよいか,分からない。」という訴えがあったとする。たとえば,親が,子から,そう告白されて,「そんなことは,ないよ。」「それについては,いつでも,どこでも,どんなやり方でも,できるはずだよ。」と,日本語で思った場合,これを英語では,どう言うのかな。

 「いつでも,どこでも,どんなやり方でも」というには,僕だったら,「anytime, anywhere,anyway」と言うのではないだろうか。ドラえもんのポケットではないが,「anytime, anywhere,anyway」である。

 では,先ほどの表現に戻ろう。
 neverは,わかりやすく,通常の否定に変えよう。The cold did not botherd me anyway.

 私の思いついた表現では,The cold did not botherd me anytime, anywhere,anyway.となる。

 でも,never=not at any timeであるから,neverを使う以上,省けばよいから,上記の文章は,The cold never botherd me, anywhere,anyway.となる。

 でも,原文には,anywherは,ない。The cold never botherd me anyway.だ。

 そこで,このエルサの話の状況,内容である。ミッシェルさんのあらすじと,ネット情報のウキペディアのあらすじで,話の内容は,つかんだ。

 この話は,一つの王国の中の話であり,他国まで行かない。

 エルサは,自傷の危険は全くないが,他害の危険は,ある。

 現実に他害の危険を現実化してしまっている。一時期,蟄居していた時以外は,王国内のあらゆる機会(時)に,あらゆる状況で,魔法による危害が発生した。

 今述べたように,あくまで,一つの王国の中での話であり,他の国へいろいろ行ったというような話ではない。

 だから,「どこの場所でも,煩わされなかった」とはいえない。それで, anywhereは,不要だ。

 他方,いろいろな状況で,いろいろな場面で,自分以外の他者,妹という家族,上に立つ者として,広く国民一般に,危害を加えた。

 しかし,第三者に対し,他害の危険が現実化したが,エルサ自らは,the coldの状況に,全く痛痒を感じない。むしろ,過ごしやすい環境だ。

 ということは,エルサは,今まで,数々の場面で,つまり,anywayで,自分の意思では抑制できない意思能力(責任無能力)のもとで,他者には,危害を加えるようなことをしてしまったが,自分には,何ら危害はない。自傷のおそれはない,ということを表現したい。

 しかも,エルサには,制御できない意思能力だから,しょうがないじゃないという居直った気持ちがある。

 これが,anywayである。

 ここでは,「自傷他害」という精神医学の用語を分解して使用した。エルサは,生育過程で,少なからぬ人にありがちな,一種の精神的な病理現象の象徴と読むことも可能であるかも知れない。

 たとえば,発達障害の状況が,徐々に改善されていくということのようなものだ。意思能力(責任無能力)は,法律用語だ。
 しかし,ここでは,一般の用語として,理解してもらいたい。

 ミッシェルさんは,ネタバレをおそれないで,アナ雪を見ていない「主観の新茶」その他の新規情報に飛びつかない人々(または飛びつけない人々)に対し,情報を提供してくれて,ありがとう。

 僕から見ると,ミッシェルさんは,強制的に,削除されるかも知れないようなことを,書きたくもないのに,敢えて書いたという気持ちもあるかも知れないな,だから,気に障ったら,削除してねとあらかじめ,ことわったんだろうな,と読んでしまう。そういう読みが,正しいかどうかは別として,ミッシェルさんの潜在的意識は,そうだろうなと思う。

 ネタバレについての僕の回答は,こうだ。

 僕は,あらすじや,その作者の意図というものを,人から教えてもらった方が,かえって,読む気になったり,見に行く気になったりします。

 なぜなら,僕は,現実に,それを読んだり見たりすれば,教えてもらった人とは,同じところもあれば,違うところもある印象を持つに決まっているからです。だから,ネタバレなんて,思わないんです。

 教えてもらうと,僕自身の予測を立てられるという便宜もあります。

 たとえば,ミッシェルさんの話などを聞いて,この話は,古来,ミダス王が,金を欲する余り,触るもの全てが,金になる,それによって困った事態が生じたという「物質及び精神の飢餓の話」が,欧米では,連綿と続くというような把握が,できるからです。
 
 現実に,この映画を見て,僕が,どんな印象を持つかは,分からないけれど,全く白紙の状態で見に行くのではなく,一定の予断をもって,その検証を兼ねながら,見るのです。

 そんなことを言うと,一定の推論を検証にいくなんて,つまらないわ。白紙の状態が良いわ。なんて声が出るかも知れませんね。

 しかし,僕に限っていえば,僕が,そういうことができなかった,つまり白紙で見に行くしかなかったころより,今の方が,はるかに,満足のある精神状態です。
 
 いつもは,文章を見直すけど,文章を見直していないから,わかりにくいところがあったら,ごめんね。


▲返答元

▼返答


Maintenance: SSS 事務局
KINOBOARDS/1.0 R7.3: Copyright © 1995-2000 NAKAMURA, Hiroshi.