言葉の最小単位は「事の場」

[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 14976 // 時刻: 2024/5/13(23:13)]

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10886. 言葉の最小単位は「事の場」

お名前: 道化師
投稿日: 2004/3/13(02:39)

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たこ焼さん、こんばんはー、道化師です。
本当に、直にたこ焼さんとこうしてお話するのは、お久しぶりですねー。

たこ焼さんには、私、いっぱい宿題を抱えてるんですよね。
(松浦亜弥問題とか、その後の神々問題?とか・・・)
ずっと、たこ焼さんの「無意識論」について、
ポパーの「議論の有効性」って視点から考えているんですけれど、
なっかなかスッキリ考えがまとまらなくて。
でも、きっとその内、
「DKCは井上和香の夢を見る」って題で、レスしますねぇー。
(宗旨替えして、今は、井上和香のタラコ唇がお気に入り♪)

〉「香辛料が入ってないカレーライスなんて、美味しくない!」(^L^)←誰?
〉「寂しかったわん。NMS大丈夫かしら・・・」(*^^*)←誰?

〉さてさて、本題です。

はい。

〉実はですね・・・

〉たこ焼は道化師さんの考えに「大賛成!」

ありゃ、ありがとうございます。

〉おそらくは、同じことを考えていると思います。
〉そう、道化師さんの「予測能力」なるものを、
〉たこ焼は「言葉の最小単位は物語」と表現します。

なるほど。物語かぁ。
確かに、そうとも言えるなぁ。
「最小単位」をどう理解するかにもよると思いますが、
(言葉に「最小単位」という概念を持ち込んで良いのか?って事も含めて)
「最小単位」をそのまま使うとすれば、
私は「言葉の最小単位は事の場」だと思っています。

また、訳の解らん事言い出してって思われるでしょうから、
ちょっと説明しますね。

まっ、ちょっと駄洒落なんですが、
言葉→コトバ→コトのバ→事の場
って言う発想です。
「事」とは、「物事」という時に、「物」と対になる概念で、
「時の流れとともに移り行くプロセス、運動、思考等々」の総称です。
これに対して「物」は、時の流れとは関係なく、そこに在る状態です。
「事的存在論」と「物的存在論」とでも言いましょうか。
例えば、人間を「物的存在論」で言えば、たんぱく質が何%で、水分が何%、
骨がどういう構造になっていて、とか言うことになると思います。
「事的存在論」で言えば、人間は泣いて、笑って、怒って、恋をしたり、
子供を育てたり、信頼したり裏切ったり、そういう事ってことになります。

で、言葉って言うのは、きしくも、
そういう「事」の起きる「場」だと思うのです。
「場」と言うのは、そういう「事」を存在させる、
時間的、空間的、広がりとでも言いましょうか。
場の空気を読むとか、土壇場と言う時の「場」です。
(もうちょっと精密に定義しないといけないのでしょうけれど)
人と人と繋がりを支え、包んでいる何かだと思って下さい。

例えば、このSSSの掲示板も、空間的に限定はされないけれど、
ひとつの「場」である訳です。

よく論理の矛盾かいたずらを説明する時の例で、
「放たれた矢は止まっている」って言うのを聞きますよね?
弓から矢が放たれて飛んでいるように見えるけれど、
その時間を細かく切り刻んで分析していくと、
細かく時間を切れば切るほど、矢の移動している距離は短くなる、
じゃあ、時間の最小単位である「瞬間」には、
もはや矢は移動していないで、「静止」しているはずだ。
だとすると、その瞬間の積み重ねである「時間」の中で、
私たちが見ている飛んでいる矢は、静止している矢の累積なんだ
って言う論理です。

言葉に「最小単位」という概念を持ち込むのは、
この論理に近い気がするのです。
数ヶ月前に、顔の絵で、最小単位に触れた事がありますが、
あれも誤解を呼ぶ言い方でした。
あれも、単語と単語の関係性、つまり「場」の中で、どういう「事」かを
うまく伝えたいなぁって方便だったんですけれど。

それで、ある特定の人とある特定の人が語り合い、
(普遍的な人なんて、概念上の存在で、実際は人は全て、個別特定な存在です)
意志の疎通をする「場」が形成されて、
言い換えると、時や空間、思考、運動を包摂する「場」の共有が有って、
初めて「言葉」は通じる、意味が解る、理解される、と思うのです。

「あつい!」と発語して、
その時その言葉の受け取り手が、発語者と東京の湿度、温度、日差し、喧騒を
共有して初めて、その意味が伝わるって言う例で解るでしょうか。

それとも、こんな例の方がいいでしょうか。
先日、BSで、「市場対国家」と言う番組を2週に渡って放送していたんですね。
その中で、「オーストリー学派」とか「シカゴ学派」と言うのが出てきました。
ある特定の時、ある特定の場所で、突出した学者が輩出して名付けられた訳ですが、
何故こんな事が可能なのかを考えると、
そこには高効率な意思伝達率を支える、
別の言い方をすると、濃密なコミニュケーションを支える
「場」があったからなんじゃないかって思いました。

またまた別の例。
みかんを4,5個包んでいるネットがありますよね。
確かにネットは結節点とそこから伸びる糸で出来ているんですけれど、
だからと言って、みかんを包んでいるネットの一部を切り取っても、
その「みかんを包む」と言うネット本来の機能は失われてしまう。
みかんを包むネット全体と言う「場」があって初めて、ネットは機能する・・・。

とにかく、今の所、私は「コトバ」ってそんな感じのものじゃないかって、
仮定しているんです。
(あくまで、仮定と言う事で、いつでも変更可能な状態にしておきます。)

〉酒井先生の下記の投稿・・・

〉(((抜粋です)))

〉円〉〉「基本文例」は授業の最初に小テストもあるし、
〉円〉〉イヤでも外せないんでしょうし。

〉酒〉ほんとは基本文例なんかは覚えない方があとあと面倒がないのですよ。
〉酒〉それで思い出した! ぼくが学校英語を疑いはじめたきっかけは
〉酒〉修士論文を英語で書いていたときでした・・・
〉酒〉英語で書いていて、詰まる、抜け出せない、ということがあると、
〉酒〉どうもその直前に「英作文の公式」を使って書いた文が
〉酒〉あるということが何度も続きました。
〉酒〉つまり「基本文例」というやつに言いたいことを載せようとすると、
〉酒〉文が流れなくなって、その先が続けにくくなる・・・
〉酒〉思えばそう意識したことが「どうして英語が使えない?」に
〉酒〉繋がっていったのですね。
[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-yukkuri&c=e&id=809]
〉より一部抜粋。

〉基本文例で覚えた文では、文章がうまく流れない・・・
〉こんなこと、普通の人は気付きませんよ。
〉う〜ん、やはり酒井先生って、「岡本太郎」ですよね。すごいです。

岡本太郎、好きです。この人のゲージツは解りませんが、
「ゲージツは爆発だ」に代表される「コトバ」は、
とっても共感します。

と、こんな事はさておき、
この場合の酒井先生は、相手とある「場」を共有していた訳です。
しかし、酒井先生が使おうとした「基本文例」は、
その「場」を共有しない「コトバ」です。
聞き手である相手にとっても、発話者である酒井先生にとっても、
その「場」を共有しない「基本文例」は、
伝えたい意味の伝達の不能、理解の不能な記号の羅列であった
という事だと思います。

〉個々の単語は、文の中にないと意味が決まらない
〉などと考えていましたが、
〉その個々の文すら、「物語」の中にないと意味が確定しない
〉のです。

確かに「物語」は、その中に独自の「場」を持っていると思います。
そして、読者は、読む事で、その独自の「場」に入って行き、
その「場」を共有する事で、「コトバ」を理解していく。
でも、その物語独自の「場」を共有出来る事の前提に、
私たちが既に存在している「場」と物語の「場」が重なっている必要が
あると思うのです。
例えばGRにもあるのですが、南の国の民間伝承の話なんかを読むと、
何かが何かに変化して、それがどうして、どうなったなんて言う話がありますが、
たしかに、その書いてある事自体はわかります。
でも、それがどうした?って言う感が拭えないんですね。
その話の意味が解らないし、それで結末かい?って感じで、
それが何故結末になるのかも解らない。
だから、民間伝承って事ですから、それを代々口伝してきた人々が居る訳で、
その人達が口伝してきたって事は、その話に何かを感じ、感動したから、
わざわざ口伝してきた訳なのに、その訳がわからない。
これなんかも、その民間伝承話の「場」と私の「場」が重なっていない
って事だと思うんです。
昨日か一昨日、みちるさんが消してしまわれた投稿の中で、
私が「予測能力」で推定しているのは、
古川さんが言う「背景知識」ではないかって書かれていたのですが、
「場」も「予測能力」も背景知識だけでは納まらない何かだと思うんです。
だって、その民間伝承に出てくる動物、例えば虎だって、蛇だって、蛙だって、
知識としては知っている訳ですから。

もう一つ。
さっき、やはりBSで、小津安二郎の「早春」って映画を見たんですね。
30代の夫婦の話で、夫が若い女性と浮気をしてしまって、
妻と険悪な状態になるけれど、夫の転勤を機によりを戻す。
話の筋はこれだけです。
これだけの話を2時間かけて、やってるんです。
でも面白い。
伝わってくるものがある。
決して、それは難しいものじゃない。
単純に、「ああ、そうだな」って思える。
でも、この小津作品が海を渡って、フランスなんかでも
高い評価を受けているらしいんですが、
その受け止められ方は、そういう単純なもんじゃないんですね。
一種のシュールな作品として、その抽象性が評価されてるんです。
結構、難しい映画理論かなんかで語られてたりしてるんです。
これなんかも、「日本人としての」私の「場」と、
フランス人との「場」の相違が原因だと思うんです。
彼らだって、夫が浮気して、妻が怒って、仲直りしてって事は、
すぐに解っているはずですから。
それでも、シュールに感じてしまう・・・。

〉文と文は「連想力」でつながっているのです。
〉「連想力」なき文の集合は、「物語」ではありません。
〉「連想力」とは、例えば、語のレベルで言えば、
〉「りんご」という語に対して、「赤」とか「歯ぐき」を思わず連想させるような力です。

これも、「りんご」からの連想と言うより、
日本で暮らしている私たちが普段目にしている「りんご」に紅が多くて、
デンターライオンのCMをみんなが見ていて、
記憶の何処かに「あなたはりんごを噛んでちがでませんか?」
って言うのを聞いた経験があって、
と言う「場」の共有性の話だと思うんです。

〉文のレベルで言うと、「これ、どうぞ。」に対して、「ありがとう。」とか。
〉あるいは、「愛してるわ・・・」に対して、いくつかの連想を経て、「さようなら。」とか。
〉まぁ、ごく単純な例しか挙げられませんが、このような力です。
〉そして、この「連想力」による「連想」には2種類あって、
〉連想自体が意識に上りやすい「浅い連想」と、
〉連想を意識できずに無意識の中にとどまる「深い連想」とがあります。
〉上記の例は、連想自体が意識に上りやすい「浅い連想」で、
〉「ああ、連想しているな」と思えるのですが、
〉連想など意識せずに文をつなげているときには
〉「深い連想」が大いに働いているのです。
〉道化師さんは、この「連想」の要素に注目して、「予測能力」という
〉表現を選ばれたのではないでしょうか?

読む者みんなに共通の「連想」を起こさせるのが「場」だし、
その「場」が、その「場」にいる参加者に共通に「連想」させる力を、
私は「予測能力」と呼んだ訳です。
ここで、大事なのは、「連想」を読む者がいかに「共通」の「連想」を
するかなんですね。
読む者が、ただ自分勝手に、自分の体験から連想していては、
やっぱり「何故、言語で(他人の書いた)文を読めるか」
に答えられなくなってしまう。

杏樹さんの「文章処理能力」に反応すると言う流れで、
多読で身に付くのは「予測能力」だって書いた訳ですが、
実は、その先に以上書いたような、
「多読によって読めるようになるのは、その場を共有するからだ」
って言う発想があったので、訂正した方がいいかもしれませんね。

〉言葉の最小単位ですので、「物語」を小さく切り刻んだ要素、
〉例えば、単語、孤立した文などはもはや言葉ではありません。
〉従って、これらをいくらインプットしても、脳の言語野は
〉それらを言葉としてなかなか認識しないのです。
〉ところがSSS的多読だと、「物語」そのものをインプットするので、
〉脳の言語野はちゃんと言葉として認識して、
〉言語野の成長が促進されるのではないでしょうか?

脳の言語野の働きは知りませんが、
(そういう名前の部分があるらしいって言うのは知っていますが)
そういう脳の機質の問題や、チョムスキーの生成文法のような話にしてしまうと、
「何故、コトバが伝わるのか、理解されるのか」は説明でいるんですけれど、
さっきの伝承や小津作品のように
「何故、伝わらないのか」が説明できなくなってしまう気がします。
だれでも、同じ脳の機能をもっているんだから、
伝わるはずじゃないかって、具合です。

〉いや、もう少し精密に表現すると、
〉「物語」のイメージが漂っている状態なら、
〉取り出した個々の語や文も、言葉として感じられるのです。
〉多読で覚えた語や表現が、生き生きとしているのは
〉そのような理由からではないでしょうか?

たとえ発話者にとって物語の中で自然に身に付いた表現だったとしても、
物語から離れて、今のギャルに
「野菊ような君なりき」
って褒め上げても、伝わらないんじゃないかなーって、思うんですが・・・。

以上くだくだといつものように、書いてきましたが、
転職してプロの言語学者になる訳でもないので、
うまく整理出来ていません。

後は、たこ焼さんと私に共通の「場」が存在するのを、
祈るばかりです・・・・。

ではであ。


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