Re: ドッカーン! ドッカーン! ドッカーン! 

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10138. Re: ドッカーン! ドッカーン! ドッカーン! 

お名前: 杏樹
投稿日: 2004/2/11(01:46)

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たこ焼さんこんにちは。

〉(2)昔からの疑問
〉たこ焼は、昔からずーッと不思議に思っていました。
〉高校でサイエンスを習ったとき、
〉「日本人的感覚でいえば、
〉言葉にするのを気づかないぐらい明白な論理。
〉言葉にするのを躊躇するぐらい明白な論理。
〉言葉にするのが気持ち悪いぐらい明白な論理。
〉そんな論理すら、西洋人は言葉にしてしまう。」
〉と感じたのです。
〉この不思議さ・不自然さは、時々、
〉サイエンスに関するいろんなところで感じていました。

〉例えば、

〉AならB
〉BならC
〉ゆえにAならC

〉という三段論法。
〉たこ焼が初めてこれを目にしたとき、「えっ!」と驚きました。
〉あまりに明々白々な論理。「そんなもの言葉にしてなんか意味あるの?」
〉と思ったのです。

〉しかし、次の唄で表現される「無意識の構造」を持つ西洋人には、
〉自然なことなのかもしれません。

〉There was an old woman
〉Lived under a hill,
〉And if she’s not gone
〉She lives there still.

〉あの丘のふもとに
〉お婆さんがござった。
〉もしも去なんだら
〉まだ住んでござろ。

〉(同書、33〜34ページ)

〉この唄へのゴールドスミスのコメントは、
〉「これは自明の陳述であり、それこそ真理の本質をなすものです。・・・」
〉そして、このコメントへの平野氏のコメントは、
〉「ゴールドスミスの注釈のまじめくさったおとぼけぶり・・・」

〉実は、もしかすると・・・
〉ゴールドスミスは、あまりとぼけてはいなかったのかもしれません。
〉もしかすると、この唄は、彼らにとってごく自然な論理感覚なのでしょうか?
〉この唄を、「ふざけている」と理解するのか、「まじめ」だと理解するのか、
〉日本人と西洋人とでは全く違うのかもしれません。

マザーグースのナンセンス歌はあくまでも「ナンセンス」です。
こういう歌に対して、まじめに「そうか、うむ」なんてうなずいてたんじゃおもしろくないじゃないですか。「あほかいな」ってツッコんで遊んだ方が面白いじゃないですか。マザーグースのナンセンスぶりを見ると、イギリス人の人を食ったユーモアセンスが感じられます。

で、西洋人の論理。
日本人には「話さなくてもわかる」という独特の「和」の精神があります。
「和をもって尊しとなす」という聖徳太子以来の伝統です。
しかし、世界でもこういう考えの民族は珍しいです。相手の気持ちを斟酌し、揉め事が起こらないように配慮して穏やかに事を運ぼうとするのは日本人の特徴です。
しかし外国ではなかなかそうはいきません。
「話さないことは存在しない」という考えです。
誰の投稿でしたか、アメリカにホームステイして、毎朝同じメニューが朝食に出て、自分から「違うものを食べたい」と言わないと、むこうが気を使ってメニューをかえてみる、なんてことはしないという話がありました。
だから自分の意志ははっきり言うのが大事。言わないと気に留めてはくれません。
ヨーロッパ史を見るとわかりますが、いくつもの国が国境を接していて、しょっちゅう戦争をやってます。いかに相手の国を出し抜くか、キツネとタヌキのばかし合いみたいな駆け引き外交術で丁々発止の渡り合い。そう言うことを何百年も繰り返してきたのです。相手のことを気を使ってなんかいられません。自分の欲しいものは自分で取りに行く。意思表示ははっきり。あいまいにしておくと、盲点を付かれて敗北します。だから隅々まできっちり明文化しておかなくてはなりません。
…と、いいながら成文憲法のないイギリスの不思議。
ついでに、中国人はもめごとを起こしても自分の意志を通そうとします。


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