「規則」(ルール)と「規則性」(文法)とは違う

[掲示板: 〈過去ログ〉英語のことなんでも -- 最新メッセージID: 2495 // 時刻: 2024/4/28(03:33)]

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2005. 「規則」(ルール)と「規則性」(文法)とは違う

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/3/6(13:30)

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acha758さん、こんにちは。たかぽんです。

〉たかぽんさん、こんばんは。acha758です。

〉文法/理論、ということばを、たかぽんさんはより狭い意味で、
〉私はより広い意味で捉えて、これまでの議論をしてきたように思います。

そうかもしれませんね。
私は、文法というのは、いわゆる五文型とか、文法書で説明されているようなこと、と考えました。
そういった文法は、聴いたり本を読めるようになるには、必須のものではないし、
コミュニケーションのためにも、必須のものではないと思いました。

(歌や多聴多読などで、「プレー」をたくさん見たり聴いたりして、その後、
 易しい(優しい)コミュニケーションでの実践を始めるのが良いと思います。
 もちろん、そんなやり方でなくても、自分が良いと思ったやり方で良いわけですが。)

〉それじゃあ、「文法とは」「理論とは」って定義をしないといけないのかもしれませんが、
〉面倒くさいですね〜。そこまでする気はないので、割愛します。

確かに、定義は面倒くさいものですね〜。(笑)

〉〉うーん。それでもやっぱり全然違うように、私は思います。
〉〉スポーツのルールの場合は、規則ありきですよね。
〉〉ものごとの規則性を探るのとは、方向が逆のような感じがします。
〉〉演繹と帰納の違いと言いますか。

〉〉スポーツをやるのにルールは必須ですが、
〉〉言語の場合には文法は必須とは言えないのでは?と思います。
〉〉もちろん、文法を勉強したければしてもよいと思いますが。

〉スポーツでも、ことばでも、求められるレベルによって
〉ルールも文法も適用する細かさや正確さを使い分けているように思います。
〉草野球とプロ野球が違うように、
〉外国人が話すことば遣いと、教養人が話すことば遣いは違うと思います。
〉私は似ているところが、けっこうあると思うんですけどねぇ。

私は実はスポーツルールについて考えるのが大好きですので、
文法などといういい加減なものと一緒にされたくない!という気持ちがあるのかもしれません。(笑)

みんなで何となくやっているようなスポーツでも、暗黙にルールを決めていると思います。

〉外国人が話すことば遣いと、教養人が話すことば遣いは違うと思います。

これは、事実そのようだ、という、現実の観察です。ルールではないんですね。
「規則」と「規則性」とは全然違うものです。

うまく説明できないのですが、がんばってみます。
言語には、「これを守りなさい!」という意味で強制できる機関というのは無いし、
むしろあってはならないのだろうと思います。
「これが正しい英語ですから、これ以外の言い方をすればペナルティーを課します」
というものがあれば、それは「ルール」と言えるかと思います。

(近代国家の成立とともに、言語にも国に「立法権」があるごとく、「正しい言語規則」
 という幻想を抱かせてきたのが、この二百年ほどではなかったでしょうかね。
 それが非常に無体に、巧妙に行なわれているのが日本語だなと思ったりします。
 言語規則を作って、暗に強制している。ヴァラエティーがどんどん失われる。
 話がそれましたが。)

ですので、ある社会に溶け込みたかったら、その社会で現に使われている言葉を
習得したほうがいいのは当然ですが、それは「ルール」ではなく、「実際」なんですね。

「ルール」というのは、「ルール」の範囲内なら何をやってもよいというものです。
昔、大リーグのルールでは、「ランナーは守備を妨害してはならない」というルールがありました。
すると、ホームインしたランナーはランナーでなくなるので、その人がキャッチャーを押さえつけておいて、
次のランナーにホームインさせるという事態が起きましたが、ルール上は合法的な行為なので、
得点が認められました。(後にルールが改正されました。)
「ルール」というのはそういうものです。
これに対し言語の文法は、その言語の世界で実際に使われている、最大公約数的だと
学者が思うところの法則性、です。その範囲内でしゃべっていれば大丈夫、
かどうかはわかりません。現実世界ではうまくコミュニケートできないかもしれない。

文法というのは、あくまでもプラクティスから帰納される(と学者が思ってる)ものであって、
ルールとは違うんです。
日本では、「実際」と「ルール」とが峻別されず、ぼやけて曖昧になるところがあるので、
文「法」などと、何か、規則であるかのように取られている面があるのかもしれません。

ぜんぜんうまく説明できていないと思いますが、
言いたいこと、何となくわかっていただけたでしょうか?


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