Re: 「脳内音読」と「音読」の間(はざま)

[掲示板: 〈過去ログ〉音のこと何でも -- 最新メッセージID: 3373 // 時刻: 2024/5/19(04:55)]

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2054. Re: 「脳内音読」と「音読」の間(はざま)

お名前: バナナ
投稿日: 2005/6/23(21:29)

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"慈幻"さんは[url:kb:2049]で書きました:
〉どうも慈幻です。

こんにちは、バナナです。
面白そうなので、多少コメントいたします。

〉本日は、最近始めた英語の「音読」で感じたことや、名古屋オフ会での実践報告を聞いて考えたことを基に、強引に「脳内音読」と「音読」について論考をまとめてみましたので、何かの参考になるかと思い、紹介させて頂きます。

ラジャーです。

〉皆様の忌憚ない、ご意見・ご批評を頂ければ幸いです。

根拠と自信のない意見なら出せるのですが。

〉最近、「加速学習」や「フォトリーディング」にすっかり嵌ってしまい、その理論・技術背景としてよく言及されるNLPについても、泥縄式に復習してます。

NLP!
言葉は聴きますが、意味は良くわかんないです。
「行動分析学」なら多少かじったのですが。

〉その後、様々な分派が生まれ、色々とややこしくなってるようですが、

みたいですね。玉石混交・有象無象っていうイメージがあります。

(以下NLPについてはよくわかんないので、飛ばします)

〉1 入力装置   五感。
〉2 制御装置   顕在意識が存在する場所。
〉3 演算装置   様々な無意識的処理がなされる場所。
〉4 記憶装置   記憶が格納されている場所。
〉5 出力装置   体。
〉6 基本OS    所謂、無意識。感情や本能と呼ばれるものも含む。
〉7 各種アプリケーション 様々な能力・技術。

(以下飛ばします)

〉すると、英文を読んで、「分かった」と思うまで、実は次のような処理が必要ということになります。

〉1 英文を黙読する。
〉2 「英文の視覚像」として入力。
〉3 「英文の視覚像」を「英文の聴覚像」に変換。(「脳内音読」)
〉4 「英文の聴覚像」を「和文の聴覚像」に変換。(「翻訳」)
〉5 「和文の聴覚像」を「具体的な身体感覚」に変換。(「理解」)

〉(1 犬が出てくる絵本のページを読む。
〉 2 「Dog」という「映像」が入力。
〉 3 「ドッグ」という「音声」に変換。
〉 4 「いぬ」という「音声」に変換。
〉 5 「犬」を撫でた手触り、顔を舐められた感触、抱きしめた時に感じた体温などを思い浮かべる。)

〉多読に慣れてくると、徐々に、4の「翻訳」の処理は必要なくなります。

〉そして、「速読ができる人」は、2の「脳内音読」の処理も必要ないということになります。

〉つまり、「Dog」という「文字」を見た瞬間、直接に自分の優位な感覚へ変換できるようになっている訳です。

ここ、納得というところもあり、多少違和感があるところもあります。
納得!なのは、上の5の説明。
なるほど!と思います。

違和感について、うまく説明できるかどうかわかりませんが。

上の「入力装置」〜「基本アプリケーション」までに一応区分できると
しても、その一連の装置+アプリケーションは、

私のイメージでは
『「日本語用のもの」と「英語用のもの」は、それぞれ別にある』
のです。

慈幻さんはどのように捕らえていらっしゃるでしょうか?

多読やシャドウイングを通して

・入力装置(耳、目)や出力装置(口や手?)だけを
 アプリケーションやOS(英語を英語として処理する能力)と
 切り離して強化することはできないなし、そのまた逆もそうなの
 ではないかな

と思うようになりました。

多読とかシャドウイングをしてるうちに、
すこしずつそれぞれのレベルが上がっていく
(分析能があがっていく?解像度が上がっていく)
そんなイメージがあります。

いぜん、こんな話を読みました。

=========================
赤ん坊は、+と−という気分というか感情しかない。
2つにひとつである。「Happy」か「Unhappy」だと。

それが少しずついろんな経験をして、
「可笑しい」「安心」「不安」「嫌い」...そういう
感情が増えてくる。

他人のそういう感情も見分けることができるように
なってくる。

自分の感情を表現できるようになってくる。

入力(というか識別かな?)−OS−出力が
スパイラルに豊かになっていくんだ。
=========================
と。

この話のイメージがあって、「多読をやってると、
英語に関するそういうシステムがだんだん成長して
きてるんだろうな。」と思っていたのです。

なんだか、うまくまとまりがつかなくなってきました。

強引にまとめると。

1.慈幻さんのおっしゃる「入力装置〜アプリケーション」は
  別々というよりは、一体のものであり、僕としては
  『一体のシステム』としてイメージしている。

2.「日本語用のシステムと英語用のシステムは、別である」

ということになるでしょうか?

「だからどうだ」という主張もそれほど明確ではなく
とりとめのない話になってしまっているかもしれませんが。

〉通常、SSS式多読では、酒井先生が推薦するシャドウイングを、アウトプットの訓練として推奨しています。

僕は、シャドウイングをインプットの訓練としてやってます。
「発音がよくなると、耳がよくなる」という意味で。

〉恐らく、シャドウイングとは、「速読」と同じく、幾つかの処理段階を省略させる訓練としては有効でしょうが、「聴覚」優位の人向けの訓練法であるため、他の感覚が優位の人には敷居が高過ぎるということがあると思われます。

「敷居が高い」という点には同意です。

〉(実際、私には、シャドウイングは難しすぎるというのが正直な感想です)

その理由なのですが、
「なんで面白いのかが分からない」
っていうのが、理由じゃないかなと思ってます。

僕、シャドウイングを始めてからしばらくは、
やったり、やらなかったり。
だってね、あまり面白くないのですもの。
「快感」がよくわからなかった。

でも今は「私のシャドウイングの快感って何なのか?」っていう
のが見つかったように思っています。

一言でいうと「音(まね)の楽しさ、音を出す快感」です。
(あくまで僕の場合ですけど)
振り返ってみると、この快感は、いろいろな音を聴いてみて
すこしずつ「ああ、これはいい音だな」とか「ああ、この
声はかっこいいな」とかそういう経験を積み重ねてきて、
そういう「快感」という気持ちになるということを「獲得してきた」
ように思っているのです。
「ああ、この快感は、1年前の僕に、分かれというのは、やっぱり
 無理だよな。」と。

なんだか、慈幻さんの話に返答しながら、自分の話をしている
ようにも思います。思いっきり話がかみあっていないようでも
ありますが、関連する話として。

〉従って、同じ出力を行うにしても、個々の優位感覚に基づく情報処理過程の個性に応じて、自由に速度を調整できる訓練法の方が有望だと予想されます。

〉その意味で、ゆっくりな音源でシャドウイングをするよりも、自分の好きな本を音読したり、気に入った歌を歌ったりする方が、「聴覚」以外の感覚が優位の人にはまだやさしいという気がします。
〉     
〉と、言うわけで、英語のPBを「音読」する傍ら、こっそりと「英語の歌」の練習も始めました。

〉とは言え、いきなり難しい曲に挑むと絶対挫折するので、

〉1 メロディーも、歌詞も簡単
〉2 でも、リズムもメロディも綺麗
〉3 さらに、歌詞が喚起するイメージも綺麗

〉という、独断と偏見と趣味による「多唱三原則」をでっち上げ、「英語で歌おう! ポップス編」なんかを参考にしながら、

〉“Moon River”
〉“My Way”

〉を練習中です(笑)

おおー、いいですね。
「多唱3原則」は「英語カラオケ:歌選択の3原則」としても
つかえそうですね。

〉1 メロディーも、歌詞も簡単
    ->僕にもできる
〉2 でも、リズムもメロディも綺麗
    ->僕の下手な歌も、カバーしてくれる
〉3 さらに、歌詞が喚起するイメージも綺麗
    ->歌に酔えば、なにも怖くない

ってどうでしょう。

〉以上、要件のみですが、今回はこれで失礼します。

ではでは、雑文書き散らしました。失礼いたします。


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