やっぱり「樽の穴」は・・・

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10426. やっぱり「樽の穴」は・・・

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/1/10(00:12)

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杏樹ぽん! ぽぽん よーっ ぽん!

〉たかぽんぽん、ぽぽんのぽん!

新春の舞を披露したくなります。(舞など知らんが…)

〉〉そうですねー。まぁ、何も考えなくてもいいような気はしますね。
〉〉「樽」の考えがしっくり来る!という人は、その考えを取ったらよくて。
〉しっくり来てない人が多いからこれだけ話が広がってるのかも…(あわわ…発言者本人が見たらどう思われるか…)

まぁ…そういう見方もありますね。

〉〉やりたいように、やればいいじゃないかぁ というのは、いい加減ですかね…
〉それが多読の本質では?やりたいようにやる、読みたいように読む。

酒井先生の『快読!』の中で一番好きな言葉は、なんでしたっけね、
几帳面に「いいかげん」をやりましょう、みたいな言葉です。(違ったかな…)

〉そうなんですよ。こるもさんへの返事にも書きましたが、「樽の穴」を心配するような人がいたらまずいなーと思いまして。

そうですね…
多読を楽しんでる人は「樽の穴」を心配する必要ない、って、ちょっと納得がいかないというか。
学校英語を経てきてたら「穴」は開いてるはずでしょ?
多読を楽しめば心配しなくていいんだったら、いま学校英語をやっている学生さんたちは、
大人になって多読を楽しめば心配しなくてよくなるんだから、今はめいっぱい
学校英語を頑張ってよい、ということになっちゃうでしょ?
そこがうさんくさく感じてしまう。

学校英語で「樽の穴」が開くならば、学校英語を経てきた人は必ず「樽の穴」が開いてることになる。
いくら気にしなくていいと言われても、気になりますよね。

「気にしなくていい」、というか、それって、「気にしたって手遅れ」ってことじゃないの?
と思ってしまいます。
そうなると、開いてしまってる穴対策ということになりますが、穴から抜ける以上に
大量に多読多聴をするしかない、ってことになって、のんびりペースが楽しい人には、
苦行になってしまわないかな、と思います。
となると、学校英語をみっちりとやってて、たくさん(または大きく)穴が開いてる人は、
たくさんたくさん多読多聴できない限りは、英語は習得できません、てことになりますよね。

なんかもうね・・・ 「樽」理論はまだしも、「樽の穴」理論はなぁ・・・ って思うんですね。

学校英語とかの弊害は、言葉を「ずれて」とらえてしまうことだと思うんですね。
端的にそう言うだけでいいと思う。
ずれてとらえたものを、修正していければいいけれど、それが難しい場合がある、と。
ずれてとらえたものを、いさぎよく捨てられる人はよい。
(それが、多読を楽しんでいる人は「樽の穴」を気にしなくてよい、ということなんだとは思う。)
英語を日本語で勉強したことって、とってもずれているんですよ、修正または捨てちゃいましょうね、
ということなんだと思う。その方法として、うんと易しいところから英語の本を読んだり
音を聴いたりという多読多聴があると。
人によっては、どこかに「たまる」ということなしに、聞いたものいきなり使えたりする。
一方で、学校英語でずれて把握したものを、なかなか修正or捨てることができない人もいる。
いずれにせよ、「樽」の「穴」で説明する必要はないし、むしろ不適当なんじゃないかと、
私は思います。

〉〉まぁでも、英語と友達になりたいわけではない、という人もいるので、
〉〉そういう人は、自分の好きなようにやったらいいと思います。
〉私もべつに友達になりたいわけではありませんので…。

多読多聴という方法が、言葉と友達になる、ということなんです。
友達になりたいわけではないと思ってても、友達になる方法をとってしまっているということですね。
こっちに「その気」がなくてもね。(笑)

〉「Lord of the Ring」の映画が公開されたとき、書店で原書が積んであるのをよく見かけるようになりました。そのころ辞書を引いて英語の本を読んで、「私に英語の本を読むのは無理」ということを思い知ってしまったので、積んである原書を見て「こんなの絶対読めないなー」と指をくわえて悔しい思いをしておりました。ですからこの原書が読めたらいいな、と思っただけで、英語と友達になりたかったわけじゃありません。

その英語の原書を英語のままで味わう、というのは、英語と友達になるということ。
そういう意味で「英語と友達になる」と言いました。
英語大好き人間になるとか、そういう意味ではありません。

〉…なんか、挑戦的なことを書いてしまったような。
〉でも「言葉と友達になる」っていい言葉だと思います。そういう考えで外国語と付き合っていけたらステキだと思います。

その言葉そのまま、ってのが、その言葉と友達になる、ってことです。(笑)

〉〉そうですねー。
〉〉まー、つまりは、何も考えないで楽しめばいいんじゃないかと思います・・・
〉最初はその「何も考えないで」が難しいんですよね。何も考えないで楽しめる境地を目指すのが多読の第一歩かな、と思います。

そうですね。第一歩でありゴールかな、って感じしますね。

〉それでは…。

ではでは


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