Re: 樽の穴・そぼくなぎもん(本編)

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10359. Re: 樽の穴・そぼくなぎもん(本編)

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/1/4(22:43)

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杏樹さん、ふたたびこんばんはー。

なんかもうNEOぽんのレスで言い尽くされた感じもするなぁ。。。

(NEOぽん、無問題よー。うれしいよー^^)

でもまぁそれでは愛想なしなので、蛇に靴下はかせることにします。

〉一連の投稿を見て、いまごろレスをつけても…と思いましたが、新規投稿にしてみました。
〉そぼくなぎもんを抱きましたので…。

「そぼくなぎもん」と聞いて、「粗暴な大門軍団」と連想しました・・・

〉それは

〉「樽にたまる、ってどういう状態のこと?」

〉です。

そうなんですよねぇ。。。

〉樽からあふれるイメージを描くと、ペラペラ話したり、スラスラ書いたり「発信」することをイメージしてしまいます。でもそれが多読の目的でしょうか?「樽」を問題にすると、それだけの量をためることが多読の目的になってしまうような気がします。

そうなんですよね。
大げさに言えば、たかだか数十年の人生における英語とのつきあいは、
人それぞれなんですよね。

英語だからパーフェクトを目指しがちなんですけど、
たとえばこれがフィンランド語(でも何でもいいんですけど)だったら、
そんな、読み書き話し聞くの「総合力」を必ずしも目指さないですよね。
必要に応じた、その言語とのつきあいでいいやー、と思うわけで。

ただ、酒井先生の「樽からあふれる」というのは、
必ずしもアウトプットだけを意味しない
と思います。(なぜに太字?)
覚えようとして覚えた覚えはないのに、なんでこの単語の意味がわかるんだろう?
といった現象のことも含む意味だと私は理解しています。

〉私は日常的に英語は必要ありません。話すことも書くこともほとんどありません。もともと英語はあまり好きではないので、そんなに話したいとか書きたいとかいう野望も持ってません。だいたいロマンス本とはいえ大人用のPBが勉強もしないのに読んでる、ということ自体フシギな現象なんです。でも読んでるだけでは自分にどれだけの英語の蓄積が出来たのかよくわかりません。

ふむふむ。そうですよね。
なんか、そもそも「蓄積」というのが違うような気がするんですね・・・

〉多読って自分なりに英語の楽しみ方を見つけることのはずです。私は読みたい本が読めたらそれでいいですが、シャドウイングをしている人もいますし多聴してる人も多書してる人もいます。自分なりの満足度が得られたら「一杯になった」と考えたらいいのかなーと思います。

「自分なりの満足度」に、さんせー! よんせー! ごせー!

またまた大げさな話になりますが、自分の「人生の目的」を知るのは、
自分の心からの喜び探し、なんじゃないかと思うんですね。
なんかね、自分の人生の目的に沿ったことをしていると、表面的にはしんどくっても、
なんか、あ、これはどうやら「それ」のようだな、っていう感覚があって、
なんともいえん「喜び感」があると思うんですね。
それにかなっていれば、それでいいんじゃないかなー、と思います。

そしてまた、結果じゃなくて、過程。結果は、まぁ、どうでもいいとこがあって(笑)、
いろいろと、こう、経験を味わうのが人生だと思いますんで、いろいろ楽しんだらいいんではないかな。

〉「樽」に例えるならむしろ英語に対する要求度の大きい人ほど樽が大きくて一杯になりにくく、要求度が低いとすぐ一杯になるんじゃないかと思います。英語が「できる」ようになりたい、話せるようになりたい、映画を字幕なしで見たい、英文メールを書きたい、というふうにたくさん「なりたい」が多かったら樽も大きくなってなかなか一杯にならず、目標がもっと低かったら樽も小さくてすぐ一杯になるんじゃないでしょうか。

そうですねー。
はじめ思っていた「なりたい」と全然違うとこに連れてかれたりもするし、
面白いですよね。
(あー、私、全然、樽理論に同意してないな・・・)

〉やっぱり「樽に穴が開いてる」というのはちょっとネガティブな考え方ですね。だから不安を感じる人もいるんです。「なかなか一杯にならない」と思う人は、「もれてる」んじゃなくて「樽が大きい」んじゃないでしょうか。

やっぱり、「結果」志向で、苦しくなるんじゃないかと思います。
「なりたい」という結果を目指すのは悪くないと思いますが、目標を立てると、えてして、
つらいことでもやっちゃおうという考えになってしまうように思います。
やっぱり、「結果」はまぁ置いておいて、どういう「過程」が好きなのかを、
自分の身体や心に聞いて、感じ取ることが大事なんじゃないでしょうかね。
たぶん、自分に必要で自分に一番いい道というのは、見えない「自分」が
一番よく知っているように思います。
私の愛読書Arnold Patent「You Can Have It All」にあった表現ですが、
超高性能スーパーコンピュータがあるのに、手計算してしまってると。
頭でうんうん考えないで、心にしっくりと来ることを、どんどんやっていくというのが、
いいんじゃないでしょうかね。
やむにやまれないこと、というのも起きますけれど、それも必要だから起こってるんだと思って、
逆らわずに、焦らず騒がず、粛々とこなしていけばいいんじゃないかと思います。
(まぁ、焦ったり騒いだりするものですけどね・・・)

あー、いつものように茫洋とした、レスにもなっていないレスになってしまった・・・
とりあえず、そんな感じです。ではでは〜。


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