Re: 樽樽ソース(2分前の初出を修正しました。特定されることを避けるためです。)

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[電球] 10310. Re: 樽樽ソース(2分前の初出を修正しました。特定されることを避けるためです。)

お名前: 酒井@快読100万語!
投稿日: 2007/12/29(00:46)

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たかぽんぽん、いつもありがとね!

じゅんじゅんさん、こんばんは!
大丈夫、激突なんかしてないよ。
たかぽんがぼくのことを労ってくれるだけ・・・

〉酒井ぽんさん、こんばんは。たかぽんです。

〉樽論、ホットな話題ですねー。(笑)

〉樽論はちょっと置いといて(オイオイ)、私が最近思ってるのは、波長論です。
〉これはまだ完成を見ていないので、ちょっとだけよ〜んですが。

〉まぁうまくまとまらないので、ぼんやりと書きます。

〉このごろですね、「多読」に懐疑的なのです。
〉単純に量をインプットすれば言葉ができるようになるのか?
〉そうではないと思っています。

おーおー! 楽しみ!!

〉何千万語読んでも、英語ができない人もいる。
〉かと思えば、そんなに量をやったと思えない人でも、できるようになってる人もいる。

〉言うなれば、やっぱり量より質。

それがぼくがコラムで書いた「量の質」ですね。

〉かといって、それは、英語の参考書に戻れ、という意味ではなく。

〉ここから、ちょっとオカルトになりますが・・・
〉やっぱり、その人その人の「人生の目的」と関係するんじゃないかと思ってます。

〉どういう人生を送っていくか、何がこの世で自分が一番したいことなのか。
〉そんなことをよく知っている「自分」がいて、それにいかにアクセスするかというのが、
〉カギのような気がしています。

〉人生は、「自分」を知るための旅とも言えましょうかぁ。

オカルトでもなんでもないですよ。よくわかります。
(どうわかるかをくわしく書くとまた「攻撃」になりそう・・・)

〉で、ここのところは、一見、世界は不公平です。
〉英語が習得しやすい人もいれば、そうでない人もいる。その差はめちゃめちゃ激しい。
〉でもそれは、それぞれの人生の目的に関係していることだから、そんなもののようです。

〉英語を習得しやすい人というのは、インプットするというものですらないかもしれない。
〉英語に目覚めて、そこに集中していけば、あっという間に英語を運用できたりする。
〉そういう現象も起きる。

そう、そういう人には樽は関係ない。
まして樽の穴なんか、関係ない!

〉人それぞれ。
〉人によっては、別に「自分」は、英語をやりたくもないのに、やろうとしている、という場合もある。
〉「勉強」によって、英語を身につけるという経験をしに来ている場合もある。
〉事情はけっこう複雑。人それぞれ。

ここに今回の樽の穴説は焦点を合わせた。

〉「自分」にアクセスするカギは、楽しさ・喜び・わくわく等。
〉心が向くことを、やったらいいだけだと思う。
〉心に逆らってみるのも、実験として、それもまたよし。
〉(心に従うほうが、「すんなり」とは行くけれど。)

〉だから、何でもいいんだと思う。
〉学校の授業でも、おもしろいなーと思えば聴いたらいいし、つまんなかったら適当に…
〉(あまり大きな声では言えませんが…)
〉一律に、学校教育を否定することはないと思います。「間違った」ものでも、
〉人によっては良い出会いの場合もある。

うーん、そうだといいと心底思います。
それにぼく自身は部分的によい出会いだった。
(なにしろはじめて完読した本は学校の副読本)

でもね、たくさんの学校を回ってたくさんのこどもたちを見るとね、
とっても束縛されてるんだよ。ある高校に行ったら、生徒が感想を
書いてくれて、「酒井さんは束縛しようとしないからいい」って。

あの子たち、(だけじゃない、ぼくたちも)ものすごーい束縛に
あっていると思うのだ。学校教育が(教育として)良い出会いっていう
ことはまずないとぼくは思う。「よい大学」に入らないこどもたちは
みんな中学校くらいから頭を押さえつけられて育っている。
そして、自分の将来には限界があると「たたき込まれ」ていて、
自分でもそう伸司かかっている。

授業見学に行った別のある学校では、
授業そのものが成り立っていないって聞いてた。
ぼくが見たときはまさに成り立っていなかった。
でも、招いてくれた先生によると多読を取りいれてから、
これでも授業が成り立っているんですって。

メールを書いたり、携帯で話したり、化粧したり、歩き回ったりする
こどもたちの間で、「ほら、何人かは英語の本(ORT2とか3)を
読んでるでしょ。これはおどろきです」なんだそうだ。
その人数が少しずつでも増えるにはどうしたらいいでしょう?って、
ぼくに授業見学を依頼してくれたわけだ。

多読クラスの直前の授業が「学校教育」の英語の授業で、
不定詞の用法やなんかが黒板に書いてあった。
それはまさに「どんだけ〜」っていう感じだったよ。
これほど生徒たちに縁のない授業はないだろうなと思った。

ぼくはまた1月にはその学校に行きます。先生方は実に熱心で、
とてつもなく大きな壁に戦いを挑んでいる。生徒たちは
素直だったけれど、ぼくに文部科学省と社会に徹底的に
痛めつけられていた。

樽の穴はそれとおなじ恐ろしい「束縛」でもあるのだな。
そう考えると、束縛のない人たちが(たががないことになるから)
樽なんかない!っていうのはその通りだと思う。
ぼくが樽の穴を言い出したのは、われしらず学校教育の束縛に
悩んでいる人たちがタドキストの中にいると思ったからだな。

〉何にしろ、「攻撃」なんかしなくていいと思う。

その通り、ここが胸に沁みたよ。
ぼくはここ数年「わからん人を説得するのはやめだ。時間と労力の
無駄だから。」と腹を括ったつもりだったのに、またまた
「わからん人」を攻撃にかかってしまったようだ。

やめやめ! すっかり考え直しです。
たかぽんに心配かけないようにするよ。

〉おもしろい、おもしろい、というエネルギーとかパワーがみなぎれば、
〉おのずとそうなっていきますて。
〉(めちゃ楽観的すぎますかねぇ・・・)

と、決意を固めたら、ぼくはまた「めちゃ楽観的」に戻れる。
わからん人はほっといていい、ぼくには掲示板があるって、
もう何年も前から言ってきた。そこへ戻ればいいのだ。

〉あっ!! 「波長論」ですが。
〉何だっけ・・・
〉なんかね、こるもさんが言っておられたのがすごく共感できるんですけど、
〉言葉って海だと思うんですよね。
〉その、海外に住むという意味でなくて、こう、何というか、英語〜と思ってると、
〉いながらにして、その英語の海の中にいるような感じがしますの。
〉こどもだったら、もっとこのへん、感じとしてわかると思うんですが。

〉でも、「自分」が別に英語なんかね〜と思っている場合もあるわけで、
〉そういう人は英語の海に入りたくないし、それはそれでいい。

〉・・・たいへんばくぜんとしてますが、そんな感じ。

うん、言葉は樽の中に入るものか、それとも海のように横たわっていて
その中に入りさえすればいいのか、それはぼくはどっちでもいいよ。

でも、樽の喩えで学校英語の限界をわかりやすく説明できると思うし、
樽の穴で意識的学習の陥穽を(決まった!)説明できると思ったのだね。

うーん、ずいぶん本音を吐露してしまったぞ、
またみなさん、引くかもしれないね。
でもいいんだ、わかるひとに届けばね。
それ以外の人を相手にしている余裕はぼくにはない・・・

わかる人、Happy posting!


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