Re:【乱入】 「愛に関する書簡」:「愛は惜しみなく奪う」

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382. Re:【乱入】 「愛に関する書簡」:「愛は惜しみなく奪う」

お名前: 道化師
投稿日: 2003/12/7(05:04)

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愛に生きる皆さん、こんばんは。

土曜の深夜に愛について深く思いめぐらす「愛のDKC」です。
(「愛の伝道師」なら聞いた事があったなぁ)

最初にバナナさん、ちゃんと意図は伝わっています。だから怒ってなんかいませんよー。
その証拠は「タドキストの広場」の「バカの・・・」のツリーの私の最後の書き込みを読んで下さいね。
ちゃんとバナナさんの書き込み前にここに来るって書いてあるでしょう?

さて、本題。

バ〉〉■このマリコ<−>バナナの対話にDKCが乱入しないことを
バ〉〉 激しく望む。
マ〉DKCさんは、ロマンティックな話は似合わないですものね。

なんて心外な。

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君と僕の愛は、

無色の水に満たされた世界と言う名の水槽に注がれる二色の水のよう。

はじめ互いの違う色が、

その境界を見せながら

同じ波に揺られながら、

絡み合いながら、

次第にその境界を無くし、混ざり合い、

新たな色を生み出す。

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これは、私が以前書いた稚拙なラブレターの一節です。
(キャーー、恥ずかしいぃーーー!)
ねっ?私だって、ロマンティックが似合わない訳では無いと思うのですが・・・。

でも、結論から言うと「愛は幻」だと思っています。
その上で「愛は惜しみなく奪う」ものだと思います。

勿論、世間で言われている「愛」と呼ばれる状態は、私だって知っています。
異性との場合について考えれば、
(本当は異なるジェンダーについてなのかも知れませんが、ややこしくなるので省略)
「相手に好感を持つ」
「相手と一緒に過ごしたいと思う」
「相手と何かを分かち合いたいと思う」
「相手と意気投合する」
「相手と肉体的に結ばれたいと思う」
以上のような感情を総合して、「愛」と呼ぶのでしょう。
でも、こんな感情の総合を殊更讃えて「愛」だなんて呼ぶ必要があるのでしょうか?

タドキスト大会二日目の最後の食事会の時にミルポワさんともお話したのですが、
(マリコさんに「うそつきだ」と言った時です。)
上で書いたような愛は、エロスとしての愛です。
他にアガペーとしての愛があるのではないか?

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註;「エロスとしての愛、アガペーとしての愛」(現代哲学事典{講談社現代新書}より)
エロスは、何らかの良いもの、価値あるもの、美しいもの、愛らしいものに向かい、
「自己に欠けているものを得よう」とする。(略)
より完全な(略)魂の美しさを(略)求めて向上を続けていく絶えざる努力である。
これに対して神の愛であるアガペーは、(略)純粋に無動機の他者実現の道である
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「愛」の尊さ、本質を語る時に出されるのがまさしくこの「アガペーとしての愛」です。
マリコさんの愛についてのライティングもまさにこれです。
「愛する事」のみによって成立する愛です。
この代表が良く「母の我が子への愛」が言われます。
でも、母の愛は「何も見返り」を求めないのでしょうか?
私は、決してそう思いません。
子供は、その愛の見返りとして、母親にその命そのものを投げ与えているのですから。
生きようが死のうが、その全てを母親に委ねている。
母の愛が何よりも大きいと、良く言われますが、
その見返りとして子供が与えているものも、何よりも大きいと思うのです。
つまり、「アガペーとしての愛」は、神が存在しないのと同じように、この世に存在しない。
(逆に言えば、神が存在するようにしか、アガペーも存在しない)
純粋に「相手が幸せになればそれで良い」=「他者実現」の愛は、存在しないと思います。

では、今、みんなが感じている「愛」とは何か?
それは「エロスとしての愛」です。
そして、その愛は、相手の「愛」のみならず、肉体も求め、精神も求め、
(もしかすると、相手のお金も求め)
相手の存在全てを求める感情、
「完全に相手と同一化してしまいたいと願う欲求」だと思うのです。

だからこそ、18禁の場面で互いの肉体の興奮が同調して絶頂を向かえる時、
一瞬の錯覚として「同一化」を感じ、「愛の歓び」と感じてしまう事も起きるのです。

でも、肉体の同調は、所詮肉体の同調に過ぎません。
そして、別個の精神と肉体を持つ人間同士が、完全に同一化する事もありません。
求めても求めても、求め尽くせないもの、
奪っても奪っても、奪い尽くせないものが確実に、そこにはあります。
その「奪い尽くせない絶望」=「同一化出来ない絶望」こそが、
「愛の苦悩」であり、「愛」そのものだと思うのです。
だから、「愛の苦しみ」と言った時に、それは「愛しても、相手に愛されない苦しみ」と理解されがちですが、
お互いに愛し合っていても、必ず「愛の苦しみ」は存在するのです。

つまり、愛は実現不可能な事を可能にしようとするから「幻」なのであり、
例え「幻」であっても、それこそ「完全なる神」でない人間だからこそ、
己に欠落したものを追い求めずにはいられず、
相手に対して「惜しみなく奪う」ものだと思うのです。

と言う事で、何故私がマリコさんに恐れも知らず「嘘」と言ったかと言うと、

マ〉相手を選ぶのに、お金も愛もいらない。
マ〉ただ、その人を愛するだけでいい。その人の幸せを祈るだけでいい。

まさに「アガペー」です。
でも本来、アガペーとしての愛とは「神と人間との間」の愛ですから、
それを人と人の間に持って来ても、無理や破綻が生じます。

マ〉相手の愛やお金を期待していたら、いつか失望するでしょう。
マ〉お金は自分で稼げばいい。(ここの文は長くなったのでカットしました)
マ〉愛も自分が愛していればいい。

このままで済んでいれば、まさにアガペーなのですが、

マ〉でも、そうしていれば、相手が自分を愛してくれるようになるはず。

結局、相手に何かを求めてしまう訳です。
でも、マリコさんも必ずしも「愛すれば、いつか愛される」ようになるとは思えないので、

マ〉愛する気持ちの通じない人は、愛する価値がないので、やめちゃえばいい。

と、書かれた訳ですが、私がマリコさんに「嘘」と言ったのは、この一点です。
具体的な感情として、相手が「愛する価値が無ければ止められるのか?」と思うのです。
そして、「愛する価値がないので、やめちゃえ」る気持ちを「愛」と呼べるのか?と思うのです。

マ〉これを見せたら、道化師さんに「うそつきだ」と言われてしまった。

「うそつき」は言い過ぎですが、「嘘」ではあります。

マ〉無理してるととられるとは思うけど、そう考えているのは嘘じゃない。

確かにマリコさんは、意図して嘘はついていないと思います。
でも、「ネッシーを見た」と真剣に訴えているのと似ているかも知れない。

マ〉こういう大人の境地に達することができるといいなというところでしょうかね。

愛とは、「大人の境地」と言う限定が付けられるものなのでしょうか?
自分ではどうにもならない感情のほとばしりが「愛」なのではないか?
解っていても、時に犯罪にも走り、社会からもはじかれてしまう可能性をも持った感情なのではないか?
どうも、マリコさんの語る愛は、格好良すぎます。
(いつまでも、マリコさんは夢見る少女だからなのでしょうか?)

で、男性のバナナさんは、もう少し現実的になって、私と近い線で書かれています。

バ〉1.相手の見返りを期待しないで愛することが、愛されること
バ〉  よりも幸せ。

「愛されること」に愛は存在しませんから、当然だと思います。

バ〉2.愛することは、時に相手にとって大きな負担となると。
バ〉  いうことを理解して、愛すること

「時に」と言う限定無しに、「愛する」事は相手に大きな負担を与えると思います。
そして、「愛する」と言う行為は、相手に負担がかかるのを知った上で、
相手の存在そのものを引き受ける行為だと思います。

バ〉3.そういうことをひっくるめて、自分が愛していることを
バ〉  許してくれる相手を愛することができれば、とても幸せ。

そういう人が果たして存在するのか、と私は思います。
全てを投げ与え、奪い尽くせる人が・・・・。

バ〉4.そういう「愛」は本当に得がたいものであり、
バ〉  みんながみんな得られるとは限らない(得られない人もいる)

私が「愛は幻」と言うのは、ここの所です。
得られない人もいるのではなく、みんな得られないと思うのです。

バ〉  ということを理解して、「愛が得られなくても」大人として
バ〉  行動できること

在りもしない幻を追い求めて、自らを滅ぼす危険性が「愛」には在ります。
バナナさんは、優しいから、私みたいに「夢を壊す」言い方は出来ないんですね。

で、「夢を見てる」人の代表だと思ったじゅんじゅんさんは(失礼しました)

じ〉みなさん、こんばんは。じゅんじゅん@愛の人(笑) です。

「じゅんじゅん@愛人」かと思って、びっくりしてしまいました(笑)

じ〉「愛」って、そこに存在するだけだと思っています。
じ〉愛する、愛されたい、愛される、愛したい、という言葉は全て後付だと思います。
じ〉「愛」というのは、ただそこに存在する、言いようのない、言葉に出来ない
じ〉暖かい気持ちを「愛」っていうのだと私は思っています。。。

「暖かい」の一点を除いて賛成です。
「愛」とは、上で書いたように剥き出しの欲望そのものですから、
じゅんじゅんさんの言うように「言いようのない、言葉に出来ない気持ち」となると思います。
ただ、「暖かい」と言えるかどうか。
むしろ「憎悪」とか「嫉妬」に近い激しい感情なのではないかと思うのです。
だから、「愛」は「憎悪」や「嫉妬」に結びつき易いのでは無いかと思います

さてさて、以上が「私の愛」でした。
やっぱり「愛を語るのには不似合い」だったかなぁ?


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