SSS = Sss is not the Soseki’s Style on reading.

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465. SSS = Sss is not the Soseki’s Style on reading.

お名前: Tallinn
投稿日: 2006/9/10(16:04)

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こんにちは。
出張などで、間があきました。この一連の書き込みが最後となります。
皆さんにいろいろご意見いただいてますが、個別では大変なのと、レス内容が大幅に訂正されたり、丸ごと消えてたりとスレッドが安定していません(したがって、回答をつくっていて無駄になったこと何度か。こういう掲示板初めてです)。荒しか何かに閉口されての仕組みかもしれませんが、こちらの書込みが消えないよう、新たに以下3つに分けて書き込みます。

まず、自分でもこれほど多読について調べる羽目になるとは思いもしませんでした(笑)。
多読と言えば、SSSでもあげている漱石ということになるかもしれません。彼の学習はどうだったか調べたところ、次のが一番いい資料だと思います。
http://www.bun-eido.co.jp/textbook/ujournal/uj57/uj570205.pdf
SSSの方針もこれに基いているのかもしれませんが、私にはSSSの説明はこれのmisreadであり、misleadと思います。
この論稿では、漱石は16歳から漢籍を投げ売って原書を買い込み、以後、2人のネイティブ講師から直接指導も受けます。文法や発音など基礎的なことを指導してもらっているのです。帝大に行き、目立たない成績から一挙に首席に。「一所懸命に勉強した」とあります(SSSと違う)。出てからは教育者としての指導はネイティブの恩師と同じでした。多読指導ではありません。留学の機会を得、倫敦の下宿で最後には引篭もり多読に走ります。2年以上の期間で「500冊ぐらい」とありますが、後半の方でそうなったわけですから、帰国直前あたりは猛烈に読んでいたと推察されます。
漱石は「とにかく読め」という方針であるのはたしかですが、p.2にあるように「ある程度まで修めたら」と書いています(上級学校ではすべて英語で教育されていたこの時代、実質的には今のイマージョン教育。資料の物理の答案など、中学英語レベルをはるかに超えていて、ここもSSSと違う)。大体、漱石の時代まともな参考書や翻訳書などあるわけもなく、上級学校でネイティブに指導されることを除いたら原書を読むしかない。読むしか手段がない時代の方法をもとにしてこれが一番といわれても、そりゃそうでしょうというしかありません。しかも、授業時間は旧制高校でも現在の大学教養の2倍です(3つめの書き込みに出てくる会社からの回答に付記されていた情報)。基礎はできるは、授業以外でできることは読書のみとなったら、漱石の方法以外というのはほとんど選択の余地なしです。
この論稿の著者は多読にかなり重きをおいてますが、高校生向けであることから読書量が少ない彼等に配慮して書いているだけで、決して漱石は多読だけで達人になったとは書いていません。会話力だって留学で伸びているのだと著書で示したとあります。
つまり、漱石は当時やれるありとあらゆることをやっており、多読の比重が高いのは当時は読解法などなかったからにほかなりません。まともな読解法(精読法)は大正の小野圭や山貞まで出てきません。そして、それをさらに改革したのが昭和の伊藤和夫とその洗礼を受けた人たちでした。つまり、今は読解法第3世代ということになります。少なくとも明治時代には伊藤のようなアプローチは想像できなかったという意味で革命的だと思います。その伊藤自身も多読で英語を習得していますが、それでは効率が悪いとして独自の読解法を作りました。ほかにも多言語習得も話題にしているサイトで
http://ijustat.at.infoseek.co.jp/kakikomichou/023.html
の最後に書かれているように大量に読んだ達人の意見があり(500頁PBで100冊以上)、読解訓練を初期段階に薦めていて、伊藤氏と矛盾しません。
一方、多読法というのはずっと変わっていません。前に触れた山田先生にしても他の先生にしても、漱石と同じで力をつけるための具体的な展開は示していないのです。

つまり、「多読法には100年以上、読解法のような進歩が全くみられない」のです。SSSは漱石が「基礎ができた上で」と言った部分を外して多読のところのみを取出し、内容を下げていきなりの手段として引き降ろして大衆化をはかったという点で功績があるのでしょうが、多読法そのものを変革したわけではありません。するとあとは「多読法の革命が必要だ」ということになります。要らないという意見もあるでしょう。しかし、これだけの情報化とスピードの要求の下では効率化が必須ですし、頑迷にそれを拒めば社会ニーズを無視した現行の学校英語教育と同類です(趣味との立場についてはここでは論外)。では、誰が行うのか?私にはSSSとは思えません(改良は可能でしょう)。多くの学習法開発と同じで組織ではなく、個人がやりそうだという気がします。
私は革命を待っている余裕はないので漱石の多読を参考にするしかないかと思ってます(頂いたいくつかの意見と同じ)。これについて結論は3つめの終りに書きました。


▼返答


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