Re: ツッコミ王への道、まっしぐら。開き直りメメント

[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 9999 // 時刻: 2024/5/12(10:46)]

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3497. Re: ツッコミ王への道、まっしぐら。開き直りメメント

お名前: 杏樹
投稿日: 2003/7/27(00:57)

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成雄さん、こんばんは。

すぐさまこれだけ調べられたのはすごいですね。きちんと裏付けを取ろうとする意欲、「ツッコミ王」のタイトルは成雄さんに進呈したほうがいいように思います。

〉「エスキモー」という言葉の意味が(1)に書いてあります。
〉私もこの意味で、使わない方がいいと考える者の一人です。

〉その文章のタイトルは、「カナダ・イヌイット」です。
〉クリー・インディアンやオジブワ・インディアンがカナダに住んでいる人達なのか
〉知りませんが、少なくとも英語はその言葉を使っているのではないでしょうか?
〉現在のカナダでは、イヌイットと言っていると、書かれていますが、先住民にとって
〉アラスカはアメリカ合衆国の領地だからアラスカに住んでいる先住民は「エスキモー」でよい
〉と言う考えであるなら、私は与(くみ)したくないですね。そもそもそこは彼らの土地と考えれば。
〉ファーストネーションズでいいと思います。

少々話を広げますが、日本人には「単一民族幻想」があるため、世界の民族の複雑さがなかなか理解しにくいことがあると思います。世界の民族にはどれが同じ民族か、違う民族か、簡単には決められない場合があります。また国境線と民族の分布は必ずしも一致しないものなので、同じ民族が違う国に広がっていたり、同じ国に複数の民族がいたり、もとは同じ民族でも一部が移住したり国境線で分断されているうちに同一民族の意識をなくしてしまったり、民族の定義は必ずしも絶対的なものではありません。

さて、イヌイットにはもともと大きく「イヌイット」と分類される人々全体に「同じ民族」という意識があったわけではなく、近代になって生まれた概念です。とすると、必ずしも「イヌイット」は伝統的な民族概念であるとは言えません。また、「エスキモー」の原義がインディアン(最近は「ネイティブ・アメリカン」と言う呼び方が優勢のようですが)の言葉なら、必ずしも「蔑称」と言えるのかわからないと思います。原語の意味をきちんと検証する必要があるでしょう。というのは、「生肉を食う」イコール野蛮、という考え方自体が白人的な発想のような気がするんです。なにしろ鯨を食うのは野蛮、と考えてる連中ですから。白人が呼んだのならきっと蔑視の意味がこめられていたでしょうけれど。

私は民族名や国名は現地の自称が基本だと思っています。他人が民族的特長や風俗習慣を分析して分けたとしても、それはあくまでも目安であり、他人が民族名を決めるものではないと思います。というのは、上に述べたとおり民族の概念そのものが線引きが難しいだけでなく、世界では民族が交易したり移動したりすることはよくあり、混ざったりなくなったり生まれたりする民族があるからです。そうなると民族の特定は外的特徴だけでは難しく、結局本人がどういう意識を持っているかが問題になります。
日本人は単一民族のまま何千年も過ごしてきて一つの国をなしてきたという感覚があるため、民族の入れ替わりの大きさを実感しにくいのです。

というわけで、もともと私がツッコんだ問題ではありますが、ここは「エスキモー」の是非を論じるのはともかく、結論を出さなくてはならないわけではないので、とりあえず「保留」にしておきませんか。結論を出すなら、アラスカ・エスキモーが自分の民族をどう思っているか、どう自称するのが望ましいと思っているか、どこかに意思表示をみつけた時でしょう。
…成雄さんなら見つけてくるかもしれませんね。

それでは、本題から大きくはずれた論議を思い切りしてしまって失礼しました。


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