2年たって思うことなど(長文警報発令)

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14534. 2年たって思うことなど(長文警報発令)

お名前: 杏樹
投稿日: 2004/11/15(01:13)

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「英語以外」の広場でもチラっと言いましたが、11月2日に多読2周年を迎えました。
そこで最近思っていることなど…。

★従来型の勉強がバカバカしくなった★

とにかく多読を始めると従来型の勉強がほんっとにバカバカしく思えるようになりました。特に英語はあまり勉強をする根性がなく、英検を受けたときも問題集をやりながら、知らないところを覚えようとがんばってみましたがなかなか覚えられず。文法事項とか、○○という意味のときは××という語を使って・・・・・・という文章にすると…なんていう説明、ぜんぜん頭に入りません。いくら読んでも意味がすり抜けていくような感じがしました。でもそのころはそれをがんばって習得するのが語学の勉強だと思っていました。
中国語でも同じです。中国語の場合は勉強をする根性があったため、そういった文法の説明を一生懸命読みましたし、文法の説明についてくる「例文」を暗記しようと努めました。
でも例文を10や20覚えても「使えない」んですよ。試験ではそうして暗記した文法事項を一生懸命思い出しながら回答するんですが、頭で一生懸命覚えているだけでもうひとつ身についた実感が薄いとい上、忘れやすい。

でも多読をしてからは文法の説明を見ても一生懸命覚えようとする気が全くなくなってしまいました。多読をして自然に身に付けたほうがいいと思うようになったからです。だいたい、10の例文を暗記する労力と時間があれば、本を読んだほうがずっといいです。

また、巷にあふれている教材を見ても、こんなのを一生懸命やってどれだけ身につくんだろうと思ってしまいます。例え1冊きちんとやり通したとしても、それなりの満足は得られるでしょうけれど何か役に立つのかな、とか、特に単語本は全部覚えられるわけがないじゃないですか。覚えても詰め込みで覚えたら忘れるのも早いので、常に復習してないといけません。
私は中国語では「役に立つ文例」とか単語本とか一生懸命覚えました。それはそれで覚えてはいます。でもそれはずーっと継続して中国語を勉強してきたからで、キープするのに労力を使っているんです。
でも多読だとキープする労力が要りませんし、「本を読む」という実用を伴っているし、しかも楽しい本だけ読んでいればいいし、今まで語学は苦労して身につけるものと思ってきたのがすっかりバカバカしくなりました。
文法など勉強しなくても本は読めるようになるんですね。

★「辞書は引かない」とは★

以前、英英辞典を買ったときにも言ったことですが、「辞書は引かない」は主に和英辞書のことを指すことにして、英英辞典はもう少し奨励してもいいんじゃないかと思います。少なくとも英英辞典の語句を理解するだけの力がついて、辞書を引くのがそれほど面倒でなければ。
「辞書は引かない」という原則を知っただけで読めるようになる人がいるのは確かです。辞書を引くとそこで読むのが止まるからまずいという意見もあります。でも日本語の本を読んでも辞書を引く、という人が出たこともありますし、実際私は辞書を引くこと自体は苦痛ではありません。そういう場合は英英辞典を引きながら読むのもありだと思います。

しかし和英辞典は厳密に「引いてはいけません」ということにしたほうがいいと思います。訳語が適切でないという理由もありますが、その他に日本語を介在させると「英語のまま理解する」ことの妨げになってしまうのです。
多読をしていると、よくわかるときもあればわからないこともあります。ぼんやり、なんとなくわかるというときもあります。でもそこで100%の理解を求めないでさっさと進んだほうがいい、というのは多読をしている人ならわかると思います。で、たとえば「ぼんやりとしかわからない」部分でわからない単語を英和辞典で調べたとします。そうするとそこの単語だけ日本語として「はっきりわかる」ようになってしまいます。そうすると…はっきりわかる日本語とよくわからない英語のギャップができて、「ぼんやり」としていた英語がより強く「わからない」ことを意識してしまうのです。
また、英語を訳さないで、ぼんやりとでも「英語のまま」理解しながら読み進めていたところへ日本語を介在させると、頭が英語モードから日本語モードへ行ってしまい、だんだん訳さないと意味がわからないような気になってきて、「英語のまま」の理解を妨げてしまいます。

英英辞典を引いても意味がよく飲み込めないときがあります。しかし文章の中でその語を置いてみると「なんとなく…な感じ」というのがつかめることがあります。この「…な感じ」のまま読み進めていっても、「100%の理解は求めない」多読としては充分です。何度か同じ語に出会えばだんだん鮮明になってきます。「何度か出会ううちに意味がつかめてくる」というのは多読をしていればわかるはずです。英和辞典で日本語の訳語で「正解」を見つけるよりも、英英辞典で「なんとなく…な感じ」だけの理解のほうがいいと思います。わからない単語が本当に「わかる」ようになるのは、結局色々な本を読んで同じ語に何度も出会ってからなんですから。

★「やさしい」を「たくさん」★

やさしい本を読んで本当に上達するのか?
…とは、多読を始める前の人に多い疑問です。
やさしい本ばかり読んでどうしてレベルが上がるのか。
それは「わかる」ものをたくさん読むことが大切だからです。
従来型のリーディング勉強では難しい本を辞書を引きながら読むのが常識でした。しかし難しい文章を辞書を引いて訳しながら読んでも身にならないんです。難しい文章は、例えて言えば、水滴が撥水加工のカサを流れるように滑り落ちていくようなものです。いくら読んでもとどまるのはわずかです。難しい本を読むと、時間がかかるので量がこなせないということもありますが、自分のレベルより難しいものは、表面だけ理解しても身にならないような気がします。
しかし、やさしくてよく理解できる本を読むと、それがぜーんぶしみこんで身になります。そうして蓄積を作っておけば、レベルを上げても大丈夫になるのです。
中国語が100万字で一段落したので、再び英語の本を読むことにしました。そして積んでおいた世界史関係の本を手に取ってみました。その本はとてもやさしくて、スラスラ読めました。そうすると、しばらく英語を休んでいたのでちょうどいいリハビリになりました。やさしくてわかりやすい本を読むと、文章全体が身体にしみこんでいくように感じます。英語の一つ一つが身になっていくのを感じます。難しい英語もやさしい英語が土台になっているはずです。やさしい英語の土台を作れば、その上に少しずつ積み重ねていってレベルを上げることが出来るのです。本当にやさしい本をたくさん読むと蓄積が出来て役に立つな〜と実感しました。
だからパンダ読みも大切なんですね。

といったところで、このへんで。


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